第九十話 チェイス 中
第九十話 チェイス 中
己の胸中に渦巻く物が罪悪感だと理解して───自分は、『腑に落ちた』。
手綱を動かしサリフを走らせながら、身を傾けて彼の耳に口をよせる。
「ごめん、サリフ」
『ブルル……』
「もう暫く付き合ってくれ。アレは、『あの人』は、僕が殺さなければならない」
あの亜竜が、元はどこの誰だったかはわからない。だが間違いなく、自分に大切な人を殺された人なのだろう。
悪人にだって家族はいる。狂人が恩人となる事もある。怪人が憧れの人となる事もある。
その背景はわからない。だが大切な人だったのだ。自分が斬った相手は。
今、ようやくわかった。『自分が殺した者の身内が仇討ちに来た時、己はどうすべきか』。
───正面から、受け止める。
これは所詮、ただの自己満足だ。そうした所で相手が納得できるわけでも、死んだ者が生き返るわけでもない。
だがそれしかできないのだ。死ねばそれまで……などと、転生者の身分では言えないが、それでも大概の命は死ねばそこで終わる。
ならば己が出す答えは、自分を納得させる事が限界だ。
武器を向けられたのならこちらも武器を向けよう。言葉をかけられたのなら言葉で返そう。向き合った上で、己の命の為に全力で抗おう。
だが───だが、アレは駄目だ。
武器を持つ手は奪われ怪物の四肢が植え付けられて、言葉を紡ぐ口は無関係の他人を食らう物に変えられている。それでは、受け止める事さえできない。だってあの人の本当に言いたい事もやりたい事も、亜竜という化け物の本能に飲み込まれてしまうのだから。
何故あの様な姿になったのかはわからない。だが、きっと本位ではないのだろう。根拠などないが、そう思える。
であれば、利用されたのだ。騙され、弄ばれ、怪物と成り果てたこの誰かは。
元より亜竜はこの手で討つつもりであったし、このタイミングで来た事から裏で手を引いている者がいる事も察してはいた。
だが剣を振るう理由の一欠けらとして、あの『加害者にすらなれなかった被害者』と、『被害者を利用した本当の加害者』にケジメをつける。それが加えられただけの事。
……皮肉な事だ。人に戻った結果、他人の不幸で己が戦う理由が補強されるなど。傲慢さが出た分、獣だった頃よりも質が悪い。
白と黒の反転した瞳を、真っすぐと見つめ返す。
必ずや貴方を殺そう、名も知らぬ誰か。それだけが、自分が『あの人』と向き合ったという証明だ。
「はぁっ!」
『ヒィィィンン!!』
咆哮を上げて疾走する亜竜から距離を取る様に馬を走らせ、自分は魔力を調整し武器と己にかけた付与魔法を維持する。
まあ、気合を入れ直した所でやる事は変わらない。自分を餌として奴をキルゾーンまで連れて行く。
その憎悪を利用する事は真の下手人と同じで心苦しいが、状況が状況だ。我慢してもらおう。
「さあ、こっちだ!」
『ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
一歩踏み込むごとに大地を揺らし、後方に土煙と呼ぶにはあまりにも多すぎる土砂を巻き上げながら追いかけてくる亜竜。
その咆哮に鼓膜が悲鳴をあげるも、意識して口呼吸をしながら耐えた。
歩幅もあってすぐに追いつき、噛み砕かんと顎を広げた亜竜に対しサリフを左へ旋回させ回避。
ついでと通り過ぎざまに左前脚に一太刀入れていくが、欲張りすぎたか。鱗の表面を削るに留まる。
「放てぇぇええ!!」
こちらを視線で追う亜竜の眼に矢の雨が注がれる。だが、今度は完全に無視された。
奴は眼に入る鉄の鏃など意に介さず、ひたすらにこちらを追いかける。振り下ろされた左前脚を避ければ、叩きつけられた爪が大地へと更に食い込むのが見えた。
嫌な予感がした直後、亜竜の巨体が捻られている事に気づく。
「跳べぇ!!」
サリフを全力で跳躍させたのと、亜竜の尾が横薙ぎに振るわれたのが同時。
破城槌すら細く見えるそれが迫ってくる。深紅の鱗に触れる前から衝撃で地面はめくれ上がり、草と土が巻き上げらていく。
そして、その尾の高さに僅かながらサリフの跳躍は足りなかった。このままでは直撃する。
「くっ!!」
咄嗟に長巻の刃を返し、峰でもって迫る尾を殴りつける。自分ごと持ち上がったサリフの体は、寸での所で横薙ぎの一撃を回避した。
だが。
「っぅ……!」
右肩が異様な痛みを発している。骨と骨、そして肉が千切れた様な激痛にあぶら汗が出てきた。
空中から地面へと戻り、サリフは着地の衝撃を物ともせずに走り続ける。本当に優秀な馬だ。
『ブルル……!』
「大丈夫だ。気にせず、走れ……!」
不安気なサリフの声に答えながら、右肩を白魔法で治癒。応急処置だが、今はこれで十分だ。
それよりも、今なお追走をやめない亜竜から意識を逸らすわけにはいかない。
『ブオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
骨の芯まで届く咆哮は怨嗟にまみれ、聞く者に否応なく恐怖を抱かせる。
単純に、でかくて強い。ブレスを差し引いてもそれだけで十分に脅威だ。
亜竜は叫び声をあげた口をそのままに、姿勢を低くして距離を詰めてくる。顎先が地面に擦れるのもお構いなしに、こちらを食い殺すつもりだ。
これでは目的地までもつかわからない……!
少し早いが、仕方がないか。
「これでも食べていろ……!」
自分と亜竜の軸線が合わさり、相手が加速したのを見て左手でポーチからガラス瓶を二つ投擲する。
突撃槍の様に長く鋭い牙にそれらが砕け、中の液体が大気に触れるなり霧状になって奴の口内へ。
『ギャァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!??』
絶叫をあげてバランスを崩し、地面に転がる亜竜。それだけで衝撃にサリフがバランスを崩しかけるも、手綱を引いてどうにか持ち直した。
聖水瓶。道中の街で作っておいて正解だったな……!
亜竜の方を振り返れば、奴は四肢を地面に食い込ませている所だった。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
白熱した熱線が、咆哮と共に放たれる。
辛うじて丘の陰に飛び込み、息を切らせながらも落馬だけはすまいと鞍を挟む足に力を入れた。
これで、四発。残り六発でブレスは弾切れ。あるいは十一発目以降があるかもしれないが、そこまで考えている余裕はない。
要は、『あの場所』に撃たれなければいいのだ。
「どうした、僕はまだ生きているぞ!!」
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛───ッ!!』
苛立たし気な咆哮。それを浴びせられながら、ひたすらに馬を走らせる。
やはりと言うか、もはやバトバヤルさん達牛獣人の攻撃を気にする様子はない。彼らも時折丘の陰から躍り出て矢を放つのだが、亜竜は彼らに視線すら向けない。
「くそっ」
「こっちを向け蜥蜴野郎!!」
彼らの悔し気な声が聞こえるが、今の所作戦は問題ない。
後は、自分とサリフがどれだけ耐えられるか。
「はっ……はっ……はっ……!!」
馬に乗って夜の平原を走る。それだけで心身ともに疲弊するというのに、追いかけてくる亜竜への対応。
眩暈と吐き気さえしてくるが、辛いのは自分だけではない。
『ブル……ブルヒ……!!』
サリフの限界も近い。正直今すぐにでも休ませてやりたいが、そうも言っていられない。
何より、この子は戦線を離れろと言っても従わないだろう。覚悟はできているはずだ。
背後を見れば、再びブレスの発射体勢に入る亜竜の姿があった。
とんだ大盤振る舞いだと内心で苦笑を浮かべる。そのまま自らのブレスで脳みそ辺りを自爆させてくれたら拍手の一つも送るのだがな。
「やるぞ、サリフ!」
『ヒィィィンン!!』
だから、言うべきは激励のみ。
五度目の熱線を丘越しに感じながら、ひたすらに走り続けた。
* * *
───そこから暫くの記憶を、正確には覚えていない。
六度目の熱線を丘で防ぎ。
七度目の熱線をひたすらに駆けて逃れ。
八度目の熱線を丘で防ぐも衝撃波で落馬しかけ。
九度目の熱線はバトバヤルさん達が放った大量の矢のおかげで亜竜の視界が塞がれ外れた。
覚えているのはその程度。無我夢中としか言いようのない。
疲労のせいで視界はかすみ、サリフもとうに限界を超えいつ崩れ落ちてもおかしない程に消耗している。
だが、剣と手綱を握る手はまだ健在であり、サリフもまた走り続けている。
ギシリと奥歯を噛み締め、地響きをあげながら走る亜竜へと振り返った。
『ガァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
憎しみに満ちた咆哮。加害者にすらなれなかった被害者の声に、憐みを抱きそうになる。
だが、既に多くの死者が出ている。『あの人』の意思ではなく亜竜の本能だとしても、今は人の肉を食べた怪物なのだ。
殺しきる。絶対に。
十度目の発射体勢に入った亜竜。それに対し、ルート最後にある丘へと向かう。
さあ撃ってこい。それで弾切れ───。
月明りと奴の頭部で微かに残る炎しか光源のない中、しかし夜目の効く自分の眼は捉えた。
亜竜が口を閉じ、地面を踏みしめた四肢を畳む様にしている事に。
フェイント……!?
疲労と緊張で思考が自動化しかけていた自分に、亜竜の口元が歪んだ様な気がした。
直後、奴の尾が地面へと叩きつけられる。轟音が鳴り響き衝撃波と土煙を周囲にまき散らしながら、アフリカ象さえ子供に見える巨体が宙を舞った。
亜竜の体が降ってくる。山が落ちてくる様な錯覚を起こす光景に、己の顔が固まるのがわかった。
盾にするはずだった丘に奴の巨体が衝突し、半壊させる。崩れる土砂と粉塵の中、不安定な姿勢で丘から身を乗り出す亜竜が口を開いた。
眩い極光がそこから漏れ出し、月光さえ飲み込んで夜闇に禍つ太陽を顕現させる。
回避は間に合わない。防御の手段もない。これは───。
───ダァァン!!
一発の銃声が遅れてやってきた。そして、激痛に竜の顎が一瞬怯むのも。
『ッ………!?』
右目をつぶる様に顔をしかめ、しかし発射直前故に悲鳴さえ上げられない亜竜。
気が付けば、銃声がしたのと同時にサリフを駆けさせていた。今まさにブレスを放とうという、怪物に向かって。
恐らく銀の弾丸が奴の目玉を襲ったのだろう。自分と違って夜目が優れているわけでもないだろうに、相変わらずとんでもない技量だ。
回避はできない。防御も不可能。であれば、『撃たせない』。
『……ァァ!!』
猛スピードで近づいて来たこちらに首を曲げて射角を取ろうとする亜竜の懐に飛び込み、サリフの跳躍に合わせて自分も鞍を蹴った。
宙に射出される体。それを全力で回転させ、遠心力を乗せた刃を亜竜の下顎へと叩き込む。
僅かに浮いた顎。だが、足りない。鱗を割り肉を裂くも、骨にぶつかりむしろ押し返されそうになる。
弾かれ、地面に叩きつけられれば続くブレスで間違いなく死ぬ。死ねない。死んでたまるか!
「雄々ッ!!」
柄から離した右手で、長巻の峰へと全力の拳を叩き込んだ。
指の肉が潰れ、骨が折れる感触。だが、強化魔法で僅かながらも人の域を超えた一撃は、
『……ァァッ』
轟音と共に、竜の顎を頭ごと跳ね上げた。
長巻は半ばからへし折れ、自分の体は宙を舞う。その状況で亜竜の頭が爆散した。
衝撃波で木の葉の様に吹き飛ばされ、地面に数度バウンドして転がる。ここが草原でよかった。石畳なら確実に死んでいる。
「が、はっ……!」
肋骨が折れたのを自覚しながら、ボロボロの長巻を杖代わりに立ち上がる。すぐに駆けよって来てくれたサリフに左手で乗りながら、亜竜を見た。
頭部を失い、首の途中から炎をあげる亜竜。しかしその身体は倒れる事なく崩れた丘の上に立っていた。
煌々と輝く炎で、首の付け根に鱗が良く見える。その中の一つが、逆さについている事も。
今が好機と、踏み込む事も出来ない。何故なら、それを視認した時には炎は消え肉が蠢く音が聞こえて来たのだから。
骨が伸び、そこから肉が膨らんで鱗が覆う。この世ならざる光景ながら、不思議と慣れた自分がいた。本当に吸血鬼なみの再生能力だと呆れるだけである。
サリフにもう一頑張りしてもらいながら、右手に左手で白魔法をかける。
折れた骨だけつなげ、あとは最低限にとどめた。今はほんの少しでも魔力が惜しい。肋骨は……肺に刺さらない事を祈るか。
『ブルヒッ……ヒィ……!』
口端から泡の混じった涎を垂れ流すサリフの背で、自分も息を荒げながら背後を振り返る。
そこには、とうに再生の終わった亜竜がこちらを睨みつけながら牙を向きだしに追いかけている姿があった。
「頼む、サリフ……あと少し、頑張ってくれ……!」
『ヒ、ヒィ……ヒヒィィィィィィンン!!』
甲高い嘶きをあげるこの馬に、亜竜が重ねる様に咆哮をあげる。
地面を踏み荒らしながら疾走する巨躯に、じわりじわりと距離を詰められていく。
あと数メートルで奴の射程圏内だ。もはや後先を考える余裕はないと、『用意』を開放しようとして。
───ピュゥゥゥ……。
そんな中、笛の音の様な物が耳に届いた。
『合図』
「ありったけだ!持って行け!!」
鞍の後ろに括りつけた『用意』を、紐を引っ張って一斉に開放する。
聖水瓶に火のついた油壷。それから銀製のナイフまで。それらが背後から迫る亜竜へと飛んでいく。
幾つかは地面に落ちるも、半分以上が奴の足や下顎に衝突した。
『ガァッ!?』
僅かに悲鳴をあげ、亜竜の動きが止まった。それはほんの数秒ながら、しかしサリフの足ならば一息に二十メートル以上の距離をとれる。
亜竜が足を止めた僅かな時間。それで出来た距離も、恐らく奴ならばすぐに詰める事が出来るだろう。
それがわかっているから、竜はこちらを憎しみだけの瞳で見つめている。
己が逆に殺されるなど思っていない、狩る側の姿で。
その姿を、天を舞った幾つもの火矢が照らす。突然作られた光源に亜竜が目を細めて見上げ、
───ダァァン!!
先ほどよりも近い位置で銃声が響く。
それに警戒する様にマズルフラッシュの見えた方向へ顔を向けた亜竜だが、今度は銀の弾丸が奴の身を貫く事はない。
外した?否。相棒がこの重要な局面で外すはずがない。
そう、彼女は。
撃鉄を固定する紐を、撃ち抜いたのだ。
───ゴォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!!
『■■■■■■■■───ッッ!!??』
信じられない程の爆音が、亜竜の絶叫を飲み込んだ。
奴の巨体を覆うほどの爆炎と土砂。その衝撃波にあおられて、遂にサリフが転倒する。
諸共に地面へと投げ出されながら、どうにか受け身を取った。
「お疲れ様……サリフ」
『ヒッ……ヒヒィ……ブルル……』
草原の勇者を撫で、膝に手をつき立ち上がる。
我ながら、よくもこれほど火薬を持ち込んだ物だ。爆炎を見ながらそう思う。
自分達が乗ってきた馬車には、銀の武器や食器と火薬しか載っていなかった。
水は魔法で作れると持って来ず、食料は僅かな乾パンと自分が道中で狩った獲物のみ。四頭だての馬車で、載せられるだけ載せた火薬だ。その量はかなりの物となる。
牛獣人達に穴を掘ってもらい、そこに袋詰めした火薬を入れて銀の弾頭や砕いた銀食器を乗せて土をかぶせた即席地雷。
撃鉄の仕掛けは自分がかつて覚えた技能で作り、後は相棒に狙撃して起動してもらったわけだ。
「さて、と」
サリフから離れ、ゆっくりと歩き出す。
そして、腰から剣を抜いた。
───オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!
咆哮が轟く。
爆炎と土煙が風圧で薙ぎ払われ、怪物の姿が顕わとなる。
四肢は鱗が剥がれ落ち、剥き出しの肉には銀の破片が食い込んで再生を阻害していた。更には、比較的柔らかいのだろう腹部に大穴が開いている。
ゴボリと紫色の血痰を吐き出しながら、しかし亜竜は立っていた。
反転した瞳を輝かせ、半開きの口から唸り声を出す。
「最終ラウンドだ。──その心臓、貰い受けるぞ」
剣を八双に構え、亜竜と相対する。
赤い月が、自分達を見下ろしていた。
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
シュミット君の『遺族による復讐』への回答ですが、作者としてもう少し葛藤させるか迷いましたがこれまでの彼を考えるとこういう結論を出すと思い、こうなりました。
不満や不快に思う方がいたら申し訳ありません。