6-3 水上蓮はどうしても選べない
けたたましく鳴るスマートフォンのアラート音で目が覚める。
この世でもっとも嫌いな音を選出するなら間違いなくこの音だろう。俺は眠い目をこすりながら、枕元のスマートフォンを手繰り寄せアラームを止める。
せっかくの土曜日だ、もう少し眠らせて欲しかった。昨日は考え事をしていたせいで、布団に入ってから寝付くことができなかったから。
三木や椋梨との関係、和希たちクラスメイトの関係、そのどちらを選ぶのか。その二択についてああでもない、こうでもないとずっと考えていた。
たしか最後にスマホの時計を見たとき、時刻は午前四時だったと思う。そう、だからアラームの時刻をいつもの八時から十一時に変更したんだった。
そうか、となると今は十一時ってことか。
……ん、そもそも俺はなんで十一時に設定したんだっけ?
——————いけねっ! 今日はマイプレイスでのシフトが入っていたんだ!
俺は布団から飛び起きて慌てて準備を始める。
シフトは十二時からなので、今から急いで準備してギリギリだ。
二度寝している余裕などはない。この時間にアラームを設定したのは、これが許容できる限界の起床時間だったから。
鏡を見ずに慣れた手つきでコンタクトをつけ、寝癖を軽く直し、歯を磨きながら着ていく服を考える。どうせ制服に着替えるのだから適当でいいな。オーバーサイズのオープンカラーシャツに細身のスラックスを合わせる。THE・大学生ファッション。
これで革靴がドクターマーチンなら、メンタンピンドラドラ満貫といったところだが、今日はバイト用の使い捨ての革靴を履いていくのでそうはならない。
……と、そんなことをぼんやりと考えている暇もなく、簡単に整髪料をつけ髪型を整えると、急いで玄関に向かう。当然、朝食をとっている余裕などはない。
「おはようございます」
「お、レンじゃん。今日は一緒か」
マイプレイスの事務所に入ると、制服に着替え終えスマホをいじっている凌さんが迎え入れてくれた。
初回バイトの後、一回だけシフトが被ったので今日で三回目。
まだ多少のぎこちなさはあるが、最初よりは気兼ねなく話せるようになっていた。
「今日もよろしくお願いします」
「ほいよー。あ、そういえば店長から聞いたんだけど、遥ちゃん今日は風邪で休みらしいぞ。せっかくレンと遥ちゃんをイジろうと思ってたのに残念だな」
「そうですか……」
昼間のシフトは俺、凌さん、そして三木の予定だった。
家を出てマイプレイスに向かう途中にそのことを思い出したが、なんとなく三木は来ないんじゃないかと思っていた。だから、これも予想通りではある。
昨日の今日で急に風邪になったりはしないと思うので、おそらくは仮病なのだろう……原因は俺にあるので責めることはできないが。
「どうした、浮かない顔をして? もしかして愛しの遥ちゃんが休みで寂しいのか? 今すぐにでもお見舞いにいきたいけどバイトが……とか思ってるのか? わかった、そう言うことなら仕方ない。ここは俺に任せてレンはお見舞いに行ってこい!! 俺に構わず早くいけええええええええ!!」
「違いますから! なんでそんなクライマックスみたいなテンションなんですか!」
「いやほら、男ならいつか言ってみたいセリフの一つじゃん。あとは君だけをずっと愛し続けるとか、カッコいいよね」
「たしかにカッコいいですけど! そのセリフを複数彼女がいる人間が、本気で言いたいと思っていのかは疑問です!」
「ははは、これは手厳しいな」
望んでいたツッコミができたので、凌さんは楽しそうに笑っていた。
きっとこれは一種の自虐行為なのだろう。
……俺はふと、この間店に来た雨村さんのことを思い出す。凌さんの幼馴染でありずっと片思いをしている相手。あの時のことは凌さんには話せていない。
この間の日曜日、雨村さんは店を出る前にこう言った。
「私が日曜にマイプレイスに通っていることは、凌には内緒にしてね」
これはマイプレイス従業員の間では暗黙らしく、店長含め全員の共通認識として浸透しているようだった。もちろん凌さんを除いて。
そんな秘密を隠しつつ、バイトが始まるまで凌さんと雑談をする。凌さんと話している間は、自分の悩みも忘れることができた。
今日は細かいミスが多い。
三木や椋梨とのやり取りが頭の隅からずっと離れず、また眠りの質が悪かったことも重なり、食器のつけ忘れ、ストローの挿し忘れなどを何度かやってしまう。
ようやく昼の混雑の時間が終わってまかない休憩に入ったが、今日の不甲斐ない自分を思い出してがっくりと落ち込んでいた。
「レン、大丈夫か?」
凌さんは夕方上がりなので、すでに私服に着替えている。
このあとはサークルの飲み会があるらしい。
「すみません、ちょっと寝不足で集中力なかったです……」
凌さんは怒ったりはせず、やんわりとミスを注意してくれたが、逆にそれが申し訳なく頭が上がらなかった。今日はミスが一度ではなく、二度三度と続いたので余計に。
「な、レン。まかない出るまでちょっといいか?」
凌さんはポケットからタバコのケースを取りだし指差す。
喫煙所で話をしようということだろう。ちょっとした説教のようなものがあるのかもしれない。お金をもらっているんだからもっと集中しろとか。
ありがたい。今は罰が欲しかった。誰かが自分を怒ってくれるのを望んでいたのだ。
「はい、大丈夫です」
俺は凌さんのあとに続いて喫煙所へと向かう。
「いやー、急に付き合ってもらって悪いね」
「とんでもないです、今日はミスが多くてすみません……」
「あ、別に説教したいとかじゃないから安心してよ。そんな重大なミスってわけでもないし、店長も特に何もいわなかったでしょ? ならこの話は終わり。俺が話したいのはミスのことじゃなくて、ミスが多かった原因」
凌さんは優しげに微笑む。……その笑顔がつらい。今の俺に優しくされるような権利なんてないのだから。誰かの想いを踏み躙ろうとしているこの俺に。
「いえ、それは寝不足で……」
「当ててやろうか? 遥ちゃんとのことだろ?」
「な、なんでわかったんですか!?」
「あ、やっぱりそうなんだ。実は鎌をかけただけなんだよね」
「……ひどいっすよ、凌さん」
これが年の差、経験の差なのだろうか。全然勝てる気がしない。
ここまできたら隠すのも無駄だと思ったので、洗いざらい全てを話すことにした。
「なるほどねぇ」
そう言って凌さんは三本目のタバコに火をつける。
ところどころ話をぼかしたり、うまく言葉にできないことがあったりと、要領の得ない話し方をしてしまった。それなのに凌さんは黙って話を聞いてくれた。
「俺にはどちらを選べばいいのかわからなくて……」
「アドバイスになるか微妙だけど。ま、シンプルに考えろよ。レンが思っているより簡単な話さ。要は自分にとってより大事な関係を選べばいいだけだよ」
「それができたら苦労しないですよ……」
相談に乗ってくれた相手に対して失礼な返しだと思うが、これが俺の本音だった。
どちらも大事だから選べないのだ。話はそんな簡単じゃない。
「すまん、そう簡単には割り切れないよな。ついロジックで考えちゃってさ。けど一つの参考にはなると思うんだよ。まず前提としてどちらかを選ばないといけない。だったらどちらかを選ぶしかない。となると、より大事な方を選べばいいじゃんっていう話。大事には色々とあるかもしれないけど優先度はそこにあるはずだろ?」
「優先度……」
どちらの関係の方が俺にとって大切か。
「意外と思うかもしれないけど、俺は今いる彼女全員が大事だよ。けど、俺の中には明確な優先度が存在してる。クリスマスとか一度しかない日はさ、誰かを選ばないといけないだろ。そういうときの判断基準はあるし、愛情も均等かと言われればそうじゃない。……それとレンならわかると思うけど、もし幼馴染との予定が入ることがあれば、俺は彼女たちとの予定は全部キャンセルできる。好きにもさ、濃淡があるんだよ」
つまり、凌さんは何を差し置いても、雨村さんのことを優先すると決めているということ。それで他の彼女たちと別れることになってもそこは絶対に譲らないと。
好きにも濃淡がある。
その言葉が頭の中で何度も繰り返される。どちらかを選ばなければならないのなら濃い方を選ぶべきだと。
「たしかにそうですね。選ぶしかないならより大事な方を選ぶしかない。簡単には受け入れられないですけど、結局はそういうことになりますよね」
「だから、この土日でレンがやることは自分の中の優先順位を考えることだな」
「ありがとうございます、ちょっとだけ整理できました。自分のやるべきことを」
凌さんに話せてよかったと思う。
どちらを選べばいいのかを考えたときに、俺にはその指針がなかったので、凌さんの視点はとても参考になった。
「あれー! 凌さんとレンさんじゃないですかー。おはよーございます!」
シリアスな空気を壊すように能天気で明朗な声が聞こえてくる。
そういえば、夕方からみつきが出勤するんだった。
「おー、みつきちゃん。おはよー、つっても俺は上がりだけどな。いやー、可愛いみつきちゃんとお話しできないのは残念だな。それじゃあ、俺はこのまま駅に向かうわ。んじゃ、レン。いろいろがんばれよ」
凌さんはタバコの火を消すとそのまま颯爽とこの場を後にする。
最後に残してくれた言葉がじわっと胸の奥に広がっていく。……相変わらずかっこいいな。俺もあんなスマートな人になりたいと思う。
「あーもうちょっと凌さんと話したかったのにー! ま、レンさんに話し相手になってもらえばいいですかね! で、レンさん。凌さんと何の話ししてたんですか!?」
「……ちゃんと話すから、一旦着替えてきなよ」
凌さんと深刻な様子で話しているところを見られているから、はぐらかすのは難しいだろう。仕方がない。ものはついでだと思い、みつきにも相談することにした。




