1-3 ボーイ・ミーツ・ガール?
椋梨とかなり話し込んでしまった。急いで靴を履いて校舎の外に出たが、すでに三木遥の姿はない。接点がない俺には、彼がどの辺りに住んでいるか見当もつかない。
徒歩通学か、自転車通学か、バス通学か、電車通学か。もし電車通学以外なら見失ってしまった時点で尾行は厳しい。
だからもう、三木遥が電車通学である可能性に賭けるしかなかった。
ここから最寄りの駅までは徒歩一〇分くらい。俺は緑学生(緑ヶ丘学園生の略)が、最寄り駅まで利用する通学路を駆け抜けていく。
通学路には楽しそうに帰宅する生徒たちの姿。その顔には一点の曇りなどなく、自分たちが不安定な場所を歩いているとは微塵も思っていないようだ。
他人はコントロールできない。だから、いつ気分を害するのか、どこに怒りを覚えるのか、何を嫌悪しているのか、常に観察する必要がある。
人間関係。それは、薄氷の上を恐る恐る進んでいくようなものだった。
彼らは足元を見た上で歩いているのか、それとも知らずに歩いているのか、あるいは俺だけが命がけで歩いているのか。
放課後の通学路はいつもそんなことを思案させる。
「あ……っ!」
三木遥の姿を視界に捉えた。
彼は教室と同じように相変わらず一人っきりで、誰にも媚びず、孤高を貫いていた。
俺と全く違う生き方。この通学路において彼の存在は異質だった。
……なんとか追いつくことができた。足を止めて息を整える。どうやら彼も電車通学のようだ。これなら声をかけるタイミングも掴みやすい。気取られないよう適度に距離を保つ。そして、特にトラブルもなく最寄りの駅に到着する。
そこからはトントン拍子に事が進んだ。三木遥は俺と同じ大宮方面の電車に乗り、川越線への乗換駅である大宮で降りた。逆方面だったり、大宮駅で降りなかったらどうしようと頭を悩ませていたが、それは杞憂だったみたいだ。
大宮駅。埼玉県最大のターミナル駅。
電車に乗っている半数近くの人がこの駅で降りる。人混みをかき分け、三木遥の姿を見失わないように必死で追いかけた。
さて、ここから想定されるシナリオはおそらく三つ。
1 彼がJR改札内で他の路線へと乗り換える
2 JRの改札を出て、他の鉄道会社路線へ乗り換える
3 大宮になにかしらの用がある。もしくは自宅の最寄駅である
このいずれかだ。1ならホームで次の電車を待っている間に声をかけるつもりで、2と3なら改札を出た後にちょうどいい場所で声をかけるつもりだ。
そんなシミュレーションをしながら彼の後についていく。大宮駅で降りた人々は階段を登り、商業施設が並ぶコンコースに一度出る。そこからJRの路線に乗り換える場合、再度各路線のホームに続く階段を降りて乗り換えをおこなう。
本来なら、俺も川越線に乗り換えるため地下ホームへ降りていく必要があるのだが、今回は見送らせてもらう。……三木遥が改札を出たからだ。
つまり、2と3のどちらかのパターンということになる。となると、声をかけるタイミングをしっかりと見極めなければいけない。
中央自由通路はたくさんの人でごった返していた。この大宮駅にはあらゆる目的で人が集まる。学校、仕事、娯楽、新幹線。俺の住んでいる川越も大きな街だが、この大宮には到底及ばない。
三木遥は、そんな混雑している通路を悠々と進んでいく。
彼が向かっているのは西口方面。ニューシャトルへの乗り換えだろうか。もしそちらの改札方面に歩いて行くようなら、その時はすぐさま声をかけよう。
だが、彼はニューシャトルの改札方面には向かわず、西口から駅の外へと出る。
「(……大宮が地元なのか? もしくはアルバイトか?)」
大宮駅は東口側と西口側で様相が異なる。
東口側には氷川神社や大宮公園などの施設があり、昔ながらの商店街や古い雑居ビルが多いことが特徴的だ。西口と比べると落ち着いた雰囲気がある。
一方の西口は商業施設や大型店舗の立ち並ぶ都会的エリア。肌感覚にはなってしまうが、人通りや若者の多さは西口に軍配が上がる。
三木遥が向かったのが西口であることを加味すると、買い物やアルバイトなどの線が固そうではある。声をかけるタイミングが難しいが、もう少しだけ粘ってみよう。
どのような放課後を過ごすのか、三木遥という人間の骨子を見て安心を得たかった。
彼は駅の外に出ても迷うことなく歩みを進める。向かっているのは……おそらくデパート。なにか買い物の用でもあるのだろうか。
それからしばらくして、彼は予想通りデパートの中に入っていった。見失わないように駆け足で後に続く。
「いらっしゃいませ」
建物に入ると、上品な女性店員さんが深々としたお辞儀で出迎えてくれた。普段はデパートに行くことはないので、こういった慇懃な対応につい面食らってしまう。
苦笑いをしながら店員さんに会釈をして、すぐさま店内の方へと目を向けた。
女性向けの化粧品売り場。男子高校生には場違いな空間。
だからこそ緑学生の学ランは目立ってわかりやすい。ちょうど彼がエスカレーターに乗るところだった。
なんとか付かず離れずの距離を保って、降りる階を特定することができた。
六階。紳士服を取り扱っているフロアだ。
おそらく目的は買い物……もしくはウィンドウショッピング。デパートに売っている紳士服はブランド物がほとんどだ。財布の中身が心もとない高校生にはハードルが高いのではないだろうか。
平日の早い時間ということもあるが、見渡す限りお客さんらしき人物はいない。尾行をする上では最悪な状況だ。二人の学生が絶妙な距離感でフロアを闊歩しているので、先程からフロア店員さんからの視線が痛い。
もう声をかけてしまおうか————と思ったが、三木遥は『RESTROOM』と書かれた案内板の方へとスタスタと歩いていってしまう。
トイレか。まぁ、ちょうどいい。彼が出てきたら声をかけよう。
俺は近くにある長椅子に座って待つことにした。
「遅いな」
かれこれ一〇分は待っている。大きいほうにしても長すぎないか。とにかく俺もトイレに入って状況確認を————————
「ふぇ?」
男子トイレから人が出てきた。普通に考えたら、ここは「人」ではなく「三木遥」と表現するべきだろう。だって、トイレには彼以外いない筈なのだから。
ここで一〇分以上待っているが、誰一人トイレの中には入らなかった。それでも俺はあえて「人」と表現させてもらう。
「水上蓮!?」
男子トイレから出てきた人物も驚いている。初めて聞く声だが、何となく彼の声だとわかった。いや、この場合は「彼」と表現していいのか。
「み、み、三木遥なのか?」
半信半疑だった。状況だけ見ればどう考えても三木遥のはずだ。
だが、目の前にいたのは女だった。
サラサラで艶のある黒髪ショートボブ。人形みたいに整った顔。若干化粧はしているがパッチリした黒目。小さく可愛らしい唇。白く透き通った肌。服装はシンプルなワンピーススタイル。
……普通に可愛い。アイドルと言われても信じることができる。
「どうしてここに水上がいるんだよ!」
問題は男子トイレから出てきたこと、俺の名前を知っていたこと、手に持ったトートバッグが三木遥の持っていたものと全く同じだったことだ。
「いや、その、えーと」
お互いがパニックだった。もう訳がわからない。
誰でもいいから調停人として、この場を収めてほしかった。