1-2 ボーイ・ミーツ・ガール?
五限目、六限目は全く集中できなかった。
寒気、震え、吐き気が止まらない。秒針が進むのがスローに感じられる。自分の本質が他者にバレているという恐ろしさ。
しかも露見したのは接点のないクラスメイト。ということはつまり、第三者から見ても違和感が生じているということだ。なぜ三木遥には見抜かれてしまったのか。この原因を特定しないことにはいつ和希、敦、真一から気付かれてもおかしくない。
……もうあんな日々はごめんだ。……俺は変わった、たしかに変わったんだ!
「日直、号令」
「きりーつ、れーい」
帰りのHRも何事もなく終わり、ようやく放課後となった。
今日の舞台はこれにて閉幕。あるものは部活、あるものはアルバイト、あるものは恋人とデート、各々が望む時間を過ごしていく。
だが、帰宅部でアルバイトもせず彼女がいない俺には関係ない。
いつもはサッカー部の練習時間まで真一、敦と駄弁ってから、同じく帰宅部の和希と一緒に帰宅するところだが、今日はそういうわけにもいかない。
「悪い! 今日、バイトの面接なんだよね!」
俺は嘘をついた。親しくしてくれる友人に平気で嘘をつく。我ながら最低だ。
それでもどうしても確かめたいことがある。視界の端には、そそくさと荷物をまとめ立ち上がる三木遥の姿があった。
「それは初耳だ」
「さっきまで自分でも完全に忘れてた!」
和希は寝耳に水といった感じで驚いた表情を見せた。
「おいおい、そんな適当で大丈夫かぁ。初バイトなんだろ? 俺に相談してくれればよかったのにー」
「ごめんごめん、わりと勢いで応募したからさ」
「ちなみにどこ応募したんだ?」
「……カフェかな?」
咄嗟の事で適当に答えてしまう。
やばい、そのへん全然考えてなかった。何かツッコまれたらボロが出てしまうんじゃないかと不安になる。
「カフェって大宮の?」
「いや、川越のかな」
和希の質問に今度はすぐさま回答する。
今度は大丈夫だ。変な間もあいてなかったと思う。
「あーそっか。レンは地元川越だもんな」
私立緑ヶ丘学園はさいたま市にある私立校。グループのメンバーをはじめ、クラスメイトの多くが大宮、浦和などの地域に住んでいる。
しかし、俺の地元である川越市はさいたま市から少しばかり距離があった。
大宮などの地域は和希たちのホームなので、下手に嘘を吐くのは難しいと思い、あえて馴染みのないであろう川越と嘯いたのだ。
あまりにも計算的な嘘に我ながら吐き気すらも覚える。
「レン、抜け駆けはずるいぞ! カフェ選んだのは女子が多いからだろ!」
「……悪いな、敦。俺は一足先に彼女を作らせてもらうぜ」
「頼む! 先っぽだけでいいから俺にも分けてくれ!」
なんだよ、先っぽだけって。
しかし助かった。敦のおかげで話の趣旨が微妙にズレる。
「レン、とらぬ狸の皮算用って知ってるか?」
「う、うるさい! 俺の未来はバラ色なんだ!」
相変わらず真一のツッコミは的確だ。さっきまで何も言わずに静観していたので、鋭い真一が何かを察したのではとハラハラしたが、この様子なら大丈夫そうだ。
だから、俺はいつものように道化を演じる。それを見てみんなケラケラと笑っていた。
————なんとか、誤魔化すことができたみたいだ。
「そういうわけで電車急がないとだから!」
すでに教室に彼の姿はない。急がないと見失ってしまう。
俺がそう言うと、三人は「がんばれよ!」「可愛い子いたら紹介してな!」「落ちたら笑ってやる」とそれぞれ激励してくれた。
三人は疑うこともなく送り出してくれる。なんならエールまでくれた。友人たちを裏切っていることに罪悪感を覚えながら教室を後にする。
みんなごめん。
でも、三木遥の後をつけたいから早く帰る……なんて言えないじゃないか。
どうしても昼休みのことが気になる。彼が笑っていた理由。それを俺に悟らせた理由。俺は彼に直接問い質したかった。
三木遥を追いかけ、駆け足で下駄箱まで向かう。
放課後の喧騒。人通り多い廊下。歩く生徒たちの足取りは軽い。なかなか三木遥の背中は見えなかった。
今まで気にしたこともなかったが、思い返せば彼はいつも一番に教室を出ていたような気がする。何か予定があるのか、それとも学校という空間に長居したくないのか。
彼のことが気になる。彼の生き方を知りたい。根幹を覗き込みたい。
————それはまるで恋心のようだった。
「追いついた」
やや猫背でうなじを隠すような長髪の男子生徒。あの後ろ姿間違いない、三木遥だ。
もう少しで下駄箱にたどり着こうとしている。
「レンくんなにしてるの?」
「うぇ!?」
ビクン。いきなり声をかけられ体が強ばる。
予期せぬ事態に、口から心臓が飛び出そうだった。
「いくら何でもビビりすぎだよ! あはは、お腹痛い!」
「椋梨……」
話しかけてきた女子には見覚えがあった。
昨年のクラスメイト、椋梨百々代。梨なのか桃なのかはっきりしないやつ。
色素が薄く明るい髪。完全に校則違反の短いスカート。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる抜群のスタイル。
扇情的かつ蠱惑的なその出で立ちは、同年代の男子には眩しすぎる。
諸事情があって話すのが絶賛気まずい相手。まさか、こんなにもあっさりと声をかけられるとは思ってもみなかった。
「やっほー! 最後に会ってからもう結構経ってるよねー? 全然連絡してくれないからモモヨ寂しかったよー」
一人称が自身の名前である女子はヤバイ、ということを俺は椋梨から学んだ。
「いや、そりゃ連絡しづらいだろ。最後の会話を覚えてるのか?」
「モモヨの屍を越えていけぇ! ……だっけ?」
「違うわ! そんな危機的な状況に陥ったことないから!」
「あーあれだ! 十年後、あの丘の上で会おうね。……だっけ?」
「それも違う! それは幼馴染同士が離れ離れになる時にする約束だろ! 俺と椋梨は知り合ってせいぜい一年くらいだ!」
ぜぇ……ぜぇ……。椋梨はやたらとボケをかましてくる。
懐かしいやり取りだった。正直に言って椋梨の軽いノリが嫌いではない。一年生の頃も、椋梨とはそれなりにうまくやっていた。だけど————
「あー思い出した! セックスしよ? ……だよね?」
「…………」
これが冗談じゃないからタチが悪い。
そうなのだ。これが俺と椋梨が交わした最後の会話となる。
「そっか、そか。童貞のレンくんは気まずくなっちゃうか」
「童貞とか関係ないだろ……。どうやったって気まずくなるだろ」
というか、なんで俺が童貞だと断定されているんだ。
まぁ、紛うことなき事実なので、異論反論はないが複雑な気分ではある。
「そうかなー? やっぱ非童貞のほうがサッパリしてるけどねー。セフレのサッカー部キャプテンとか都合がいいときに呼んで、都合が悪い時は完全放置だけどね」
そう、椋梨百々代は自他共に認めるビッチだ。
昨年のクラスメイトだけでも、椋梨と肉体関係を持った男は四~五人はいる。あくまで知っている範囲の話なので、実際にはもっといるかもしれない。
……まさか、俺にも声がかかるとは微塵も想像していなかったが。
「自分を安売りするなよ」
なぜか俺は説教じみたことを口にしていた。
余計なお世話だ。俺だって他者に媚びへつらって生きているじゃないか。椋梨を批判できるのか、俺に。自分の軸もない風見鶏が、どんな正義を掲げればいいんだ。
「あはは、別になにか減るもんじゃないしー。むしろ自分が認められた感覚すらあるけどなー。レンくんは堅すぎるよ!」
認めてほしい、このわたしを、ぼくを。誰もが抱える承認欲求。
俺にだって承認欲求はある。だが、椋梨のそれは異常なくらい強いようだった。
「椋梨は可愛いし、別にそんな手段を取らなくても、みんな認めてくれそうだけどな」
思わず本音が漏れた。俺には椋梨の自己肯定感が低い理由がわからない。友人に嘯き、偽り、隠す、そんなやつよりは遥かに上等な存在なのに。
「れ、レンくんってたまに大胆なこと言うよねっ! も、もしかして口説いてる?」
「ち、違くて! 俺は思ったことを率直に————じゃなくて! なんでもない、もうこの話は止めだ止め!」
椋梨も少し顔を赤らめていたが、圧倒的に俺の方が顔を赤くしているはずだ。
さっきから頬のあたりが嘘みたいに熱をもっている。恥ずかしいことを訂正しようとして、更に恥ずかしいことを言っていたら全く意味がない。
「————ねぇ、レンくん。この間の話、考え直す気はない?」
「…………」
椋梨は上目遣いでこちらを見つめてくる。
俺は椋梨が嫌いではない。そして俺も男だ。これが魅力的な提案であることは理解している。でも、それでも、俺には————
「なーんちゃって!」
「へ?」
急変する態度に呆気にとられてしまう。
「もしかして勃った?」
「勃ってねーよ!」
実のところ、ちょっとだけ元気になってしまっているが、決して口には出さない。
自分の名誉と矜持を守るために。
「……それでね。この間の話はさ、その、冗談だから」
「お、おう」
椋梨は少し不安そうに、おもちゃをねだる子供のような顔をする。
なんだよ、この表情。椋梨は自他共に認めるビッチじゃないのかよ。なんというか。うん、まぁ、普通に可愛い女の子だった。
「だからさ、また連絡してもいいかな?」
「べ、別に問題ないけど」
「よかった」
椋梨は嬉しそうにはにかんだ。
……いけない。なにか落ちてはいけないものに落ちてしまいそうだった。
これだから思春期の男子は駄目だ。すぐに色恋沙汰に解釈する。ただ、今まで通りに連絡を取りたい、それだけじゃないか。変な勘違いをするな。
「そういえば、レンくん」
「な、なんだ?」
「なにか用事があったんじゃないの?」
「…………そうだよ! 椋梨と戯れている場合じゃなかった!」
すでに三木遥の姿はそこにはなかった。