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3-5 初バイトと初恋

「じゃ、帰ろっか。レンくん」

「そうだな」

 三木はマイプレイスでのシフトが入っているので、先に帰ってしまった。

 となると、必然的に残された俺と椋梨が一緒に帰宅することになる。

「ちょっと遠回りして駅まで行かない? あんまり二人で歩いてるとこ見られると、レンくん的にも困るでしょー?」

「……いつも悪いな」

 道化というのは、学校での評判や世間体を病的に気にする。

 色々と手助けしてもらった相手をこんな風に表現するのは最低だが、椋梨はあまり————いや、かなり学校での評判が良くない。

 女子からの評価は最悪。男子も下心のないやつは基本近づかない。それは椋梨が数多くの男子と肉体関係を持ってしまったことに起因する。

 こうして関わってみると、椋梨の頭や性格が悪くないこともすぐにわかるのだが、そもそも周囲が関わろうとしないので誤解が解けることもない。

「いいって、いいって! なんか去年みたいな感じでたのしーじゃん!」

「たしかにな。去年もこうやってコソコソ話してたよな」

「……そういえばさ。レンくんはまだ小説は書いてるの?」

 思えば、それが椋梨と話すことになったきっかけだった。

 椋梨は特進クラスからうちのクラスに移動してきた。

 緑ヶ丘学園は特進クラスと進学クラスの二つのクラスがあり、入学試験でそれぞれ別々に合否を判断される。

 特進クラスには、難関大学への合格を目標とする生徒が集まり、進学クラスとは一〇以上偏差値が違う。さらに部活動禁止、授業時間も進学クラスより長く、文武両道というよりは、勉強にステータスを振り切っている印象がある。

 意外なことにも椋梨はそんな特進クラス出身なのだ。だが知っての通り、椋梨はこんな性格なので、特進クラスの環境に馴染むことができなかったらしい。

 一学期の途中で見切りをつけられた椋梨は、進学クラスへと移動となる。

 だが、二学期途中から特進クラスの生徒が移動してきたところで、腫れ物扱いされるのは自然の摂理だった。それに椋梨には、後ろ指をさされるような噂が多すぎたのだ。

 だから、俺も椋梨と関わろうとはしなかった。我ながら自己保身のことしか考えてない情けない人間だと思う。しかし、そんな交わるはずもない二人が、関わるきっかけとなったのが「小説」だったのだ。

「最近はちょっとサボり気味だったけど、また書き始めたよ。三木と出会って、また椋梨と喋るようになって、もう一度頑張ろうって思えたんだ」

「もしかして、サボり気味だったのはモモヨのせいだったり……?」

「……そうだな。椋梨と小説の意見交換をしたり、書き上げた短編に感想をもらうのは、やっぱりどこかでモチベーションになっていたんだと思う」

 俺の拙い小説を最初に読んでくれたのが椋梨だった。

 言うまでもなく俺は根暗の人間だ。クラスでは明るく振舞っているが、趣味は完全にインドアで元来人付き合いもあまり得意な方ではない。だからこそ、文字で、言葉で、誰かに想いを伝えることができたら、と思っていた。

 しかし、そんな負の一面を和希たちにさらけ出す訳にもいかず、俺は授業中にノートを取るフリをしながら、隠れて小説を書いていたのだ。その姿を後ろの席に座っていた椋梨に目撃され————それから一悶着があって椋梨と話すようになったのだ。

 椋梨は俺の恥ずかしい夢を笑わず、誰かに言いふらすこともしなかった。

 そういう経緯があって、俺は椋梨のことを信頼している。

 だから、三木の一件でも声をかけたのだ。

「あはは、楽しかったよねー、あの時間。教室では大っぴらに話せないからね、購買で惣菜を買うために並んでいるときとか、移動教室の前の時間とか、放課後の空き教室で駄弁ったりもしたよねー」

「ほんと、隠れて付き合っている芸能人カップルみたいだったな」

「か、カップルって……照れるなぁー」

「ものの例えだよ!」

 絶対、わざと照れたフリをしているだろ。相変わらず賢しくて抜け目のないやつ。……だけど、椋梨とのウィットに富んだ会話は決して嫌いではなかった。

「————ねぇ、またレンくんの小説読ませてくれる?」

「もちろんだ。むしろ読んでくれ。椋梨くらいしか頼めるやついないし……え?」

「っ…………う、うん。っ…………あ、ありがとう」

 椋梨が泣いていた。必死に泣き声を押し殺してさめざめと泣いている。

 いつも笑って、にこやかで、お調子者の仮面を被っているのに、今はでどこにでもいる普通の女の子として、あふれるものを止められないでいた。

「その、悪かったな。避けるようなことしてさ」

「…………ううん、私が悪いのっ……! あんなこと言ったら気まずくなるってことがわからなくてっ! 私ってあんな風にしか人との関係を繋ぎとめられなくて……!」

 いつの間にか一人称が「私」になっている。これが素の椋梨なのか。

 周りからの悪評や中傷をものともしないやつだと思っていたが、こんなにも脆くて傷つきやすくて繊細だったんだな。……俺は椋梨のことを何も知らなかった。

「これ使えよ」

「……っ、あ、ありがとうっ……!」

 ズボンのポケットから無地のハンカチを差し出した。

 今、俺にできるのはこれくらいのことしかない。ほかに出来ることがあるとしたら、それは椋梨が泣き止むまで側にいてやることくらいだ。


「ちょっとは落ち着いたか?」

「私ね、演劇部に入りたかったの」

 椋梨が鼻声で急に脈絡のない話を始めた。きっと剥き出しの椋梨が、胸に秘めていた想いを吐露してしまったのだろう。

 それならば、今は大人しく話を聞くのが正解だと思った。

「高校生になったら何かに打ち込みたいなーなんて思っててね。レンくんも知っての通り、私は映画とか舞台とか小説とか漫画とか、人が作り上げたコンテンツが大好きで。そんな大好きなものの一部になりたいなっておぼろげに思ってたの」

「それで演劇?」

「うん。全然経験なかったけどね。一度だけ舞台を観に行ったことがあって、……好きな戯曲を有名な俳優さんが演じるからっていう、にわか丸出しの理由で恥ずかしいけどさ。でもね、本当にすごかったの。映画や小説とは違ったリアリティーを感じることができた。俳優さんの感情、行動、息遣い一つとっても、すべてが本物みたいだった」

 舞台について語る椋梨の目はキラキラと輝いていた。 

 過去のことを、つい昨日の出来事のように鮮明に思い出している。

「なるほど、それがきっかけなんだ」

「うん、私もあんな場所に立ってみたいって。……けど、レンくんも知っての通り、うちの特進クラスって部活禁止じゃん? それで諦めるしかなかった」

「でも、今なら進学クラスだし……」

「ううん。私なんかが入っても迷惑かけちゃうだけだから。……これも全部自業自得だね。だから演劇部に入るってのはもういいんだ」

 椋梨は寂しそうに笑った。現実を受け入れ、物分かりのいいことを言う。

 そんな椋梨に俺から言えることは何もない。

 自分の人生だってまともに生きることができていない人間が、人様の生き方をどうこう言う資格などはないのだ。

「それにね、演劇部には入れなかったけどレンくんと小説について語ったり、レンくんが書いたものを読めるのが本当に嬉しかったの。……取り乱してごめんね。自分で壊してしまいそうになったけど、レンくんとの日々に救われてたってことを伝えたくて」

 そう言って椋梨は静かに微笑んだ。

 今度は寂しそうにではなく、小さな幸せを噛みしめるようなそんな笑顔だった。

 ……たしかに、人様の生き方をどうこう言う資格は俺にはない。

 でも、こんな俺でも、椋梨の想いを無碍にするようなことはできなかった。

「救われていたのは俺の方だよ。さっきも言ったけど、小説を書くモチベーションは椋梨が読んでくれたから保てたし、それに椋梨といると自然体でいられるんだ。俺にとってもこの時間は大切なものでさ。だから、これからもよろしく頼むよ」

 これが、今、道化の俺に伝えられる精一杯だ。

 こんな俺でも、嬉しかったこと、楽しかったこと、大切だということ、これからも一緒にいたいと自分の想いを言葉にすることはできる。

 椋梨を導くことはできないが、一緒に悩むくらいのことはしたいと思う。

「————うん、もう離れろって言われても離れないからね?」

「ストーカーになるのは勘弁してくれよ」

 俺たちは目を合わせるとくすりと笑い合う。

 こうして、一ヶ月以上続いた俺と椋梨の冷戦が、ようやく終わりを告げたのだった。

 これで俺たちの間に禍根はない。終わったのならあとは始まるだけだ。

「そういえば、レンくん」

「ん?」

「このハンカチってトイレで使った?」

「使ってたら貸さないから!」

 さすがにそれくらいのデリカシーはある。

「なんだー、レンくんの汁付きハンカチだったらもっと良かったのにー」

「もうお前には一生貸さないからな!」

 なんだよ、いつもの調子に戻ったらこれかよ。椋梨が元気な分には構わないのだが、もう少ししおらしくてもいいんじゃないかと思う。

「ねぇ、レンくん————————」

「……なんて?」

「なーんにもないよー!」

 最後に椋梨が何を言ったのか、声が小さくて聞き取ることができなかった。気にならないと言ったら嘘になるが、はぐらかされてしまったので仕方がない。

 気が付くとすっかり世界は茜色に染まっており、俺と椋梨二人の影法師は長く長く遠くまで伸びている。

 そんな夜と夕方の境界線を、俺たちは冗談を交わし合いながら二人で歩く。駅まで向かう道のりは、遠回りをしているはずなのに何故かあっという間に感じた。


『————————一応ね、初恋なんだよ』

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