3-2 初バイトと初恋
「おつかれー。じゃあ凌と水上クンは上がっていいよ」
時刻は二二時。バタバタしていた店内もようやく落ち着きを見せ始める。
夕方はカフェとして利用するお客さんが多かったが、時間が経つにつれてお酒を飲むお客さんも徐々に増えていった。
注文に伺っても、呪文みたいな単語ばかりでメモをするのに手間取ってしまう。
ファジーネーブルとか、ソルティードッグとか、当然お酒を飲んだことがないので、一回聞いただけで単語を理解することは困難だった。
「じゃあ、すんません。お先です」
凌さんはさすがベテランといった感じで、指導をしつつもテキパキと仕事をしていた。今日は完全に凌さんにおんぶにだっこという感じだ。
「お先に失礼します!」
「水上クン、初回にしてはなかなかよかったよ。次もよろしく」
「ありがとうございます」
店長から労いの言葉を受け、少し報われた気持ちになった。
もちろん店長や凌さんからしたらまだまだ猫の手状態だけど、大きなミスがなかったこと、指示通りにしっかり動けたことは我ながらよかったと思う。
最初こそは頭のおかしい店だと思ったが、いざ働いて見るとお客さんに対しては普通の飲食店以上に丁寧な接客で、さっきまでのやりとりが全部嘘のようだった。
オンオフがしっかりしていると表現すればいいのか。
何となく、三木がここで働き続けている理由がわかったような気がした。
「レンー! さっさと着替えて上がろーぜー」
「はい、今行きます!」
いつの間にか凌さんは俺のことを名前で呼んでいる。
やはりリア充というのは距離の詰め方がうまい。この人の一挙手一投足は、今後のクラスでの振る舞いでも参考になりそうだ。
「いやー今日はちょっと混んでたね」
「そうなんですか?」
「うん。それなのに結構、レン動けてたからお世辞なくいい感じだよ」
「あ、ありがとうございます!」
「暇な時は駄弁ったりとかもできるからさ、次はそういう日に当たるといいな」
凌さんと他愛もない話をしながら、バイト先の制服から私服に着替える。
制服は持ち帰って各自洗濯するそうだ。バイトが連日続く場合などはロッカーに置いていくそうだが、俺に関してはしばらく連勤もなさそうなのでカバンに制服をしまう。
「わり、ちょっとタバコ吸ってもいい?」
「だ、大丈夫です!」
バイト先の人と仲良くなるせっかくの機会だ。色々なことを聞いておきたい。
凌さんに連れられるまま店の裏の喫煙スペースまで向かう。
「いやー高校生の前で吸うなよって話だけどな。あ、そっち風下だからもうちょっとズレたほうがいいよ。本当に悪いね」
「なんか喫煙者の方って肩身狭いですね……」
「まぁなー。自分が不健康になる分には自己責任なんだけどさ、人の健康を害する可能性がある以上は仕方ないよね。高いし、臭いし、体に悪いし、何のメリットもないよな」
凌さんは赤と白の箱からタバコを一本取り出し、口にくわえると手元のライターで先端に火をつけた。赤い火がじわじわと凌さんの口元に向かって動き出す。
それからしばらくして、凌さんは口からタバコを離すと白い煙を吐き出した。
「なのに吸っちゃうんですね」
「ほんとそれな。影響受けた奴がいまだに吸ってるからさ。なんかこっちも辞めづらいんだよね。いやー、レンはタバコとか吸っちゃダメよ。死ぬほど説得力ないけど」
凌さんはカラカラと笑った。その悪戯っぽい笑みがなんだか絵になる。この表情一つとっても、この人がモテるというのにも納得ができた。
「でも、凌さん大学二年生ってことはまだ……」
「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」
凌さんは名作漫画のセリフを引用した。ということはやっぱり……。
「そ、そうですね。大学二年生にも色々とありますよね。浪人とか留年とか」
「うん、そうだそうだ。いいね、その順応力。これならこの店でもやってけるよ。ちなみに、俺は付属から大学に入ってるから浪人はしてないよ。で、もっというと……」
「凌さんダメです、これ以上は! そこはブラックボックス化しておきましょう」
世の中、白黒つけない方がいいことはたくさんある。
もちろんルールは守ることは正しいし、犯罪行為などを助長するつもりも毛頭ないのだけれど、規則でがんじがらめの世界はどこか窮屈な気がするのだ。だから、世の中には曖昧なことがあってもいいと俺は思っている。
まぁ、それも俺が中途半端な人間だから、そのように思うのかもしれないけど。
「ははは、レン結構話せるやつだなぁ。そういえば、なんか定番すぎて申し訳ないんだけど彼女とかいるの?」
「残念なことにいません……」
「そっかー、好きな人とかいないの? 遥ちゃんとか」
「あいつは男ですから!」
いきなり三木の名前を出されて、必要以上に強くツッコんでしまう。たしかに三木は男と思えないくらい可愛いけど、それとこれは話が別だ。
「微妙に質問の答えになってない気もするけど。ま、自分の気持ちなんてわからんよね」
凌さんはまたタバコを吸い、ふぅーと白い煙を吐き出した。
「ちなみに凌さんは好きな人とかいないんですか?」
「————ゲッホゲホ」
「だ、大丈夫ですか?」
純粋に気になったことを訊いたのだが、凌さんはタバコの煙でむせかえっていた。
もしかしてデリケートな部分に触れてしまっただろうか。初対面のコミュニケーションは、相手の地雷を探る必要があるのでなかなか難しい。
「わりわり、大丈夫。好きな人がいるか……か。でもさっき、複数人の彼女がいるって話はしたよな?」
「それについては色々と問題があると思いますが……一旦割愛して。その、たくさん彼女がいるってことは、逆に誰のことが好きなのかなーと気になりまして」
「結構鋭いね。レン」
そう言って、凌さんは今まで一番深くタバコを吸い込んだ。そして深い溜息のように煙を口から吐き出す。……やっぱり、なんかまずいこと聞いちゃったかな。
「すみません、別にそこまで深く詮索したいわけじゃなくて————」
「いるよ、好きな人。しかも悲しいかな、今の彼女たちの中にはいない。……うん、彼女たちも好きなんだけど一番ではないよね。普通に最低なんだけどさ」
「まぁ、普通に最低っすね」
「言ったな、このやろう」
凌さんに軽く頭を小突かれた。
だんだん、この人との距離感がわかってきたような気がする。
「それで……好きな人っていうのは?」
「あー! レンってなんか絶妙に話したくなるオーラ持ってるんだよな! ちくしょー、バイト先の後輩に初日からこんな話すると思ってなかったぜ。その、いわゆる幼馴染ってやつだよ。小中は川越の公立で、同じ付属高校だったから大学も同じところ通ってる」
凌さんが頬を赤く染め恥ずかしそうにしていた。
クール系だと思っていたのでそのギャップについ驚いてしまう。年上にこんな感情を抱くのは間違っているが、なんだか可愛いらしい人だと思った。
「あ、もしかしてタバコの影響を受けた相手って————」
「お前どんだけ鋭いの!? 名探偵かよ! ……いやこの場合は、単純な自分の行動を恨むべきなのか……。まぁ、そんな感じで結構女々しい男なんだよ、俺は」
タバコを辞めない理由を話している時、好きな人について話している時、どちらとも凌さんの顔が同じだったから、何となく予想がついてしまった。
「意外だなって思うところはありましたけど、なんか凌さんとは仲良くなれそうです」
「ったく、生意気だなー。ここまで話したんだから、レンも遥ちゃんとうまく言ったら絶対に報告しろよ」
「だから、三木は男ですって!」
最初は不安で仕方ない初出勤だったが、凌さんとも少し打ち解けることもできたし、なんとかやっていけるような気がした。




