木苺で染まる頬と光るおしり
翌朝。
ぱちぱちという拍手にも似た小気味良い音を立てて、鍋の中の鶏肉が揺れている。
辺りに漂う香ばしい香りに、麗珠の口からは危うくよだれがこぼれ落ちそうだ。
宮の片隅、本来ならば湯を沸かす程度にしか使わないその竈で、麗珠は仕留めた鳩を油で揚げていた。
「これは一体、何の騒ぎですか麗珠様!」
勢いよく扉を開けた女性は、そのまま腰に手を当てて麗珠の横に立っている。
「何って、見ての通り鳥を揚げているのよ」
「ここは後宮の中で、あなたは一応朱家の姫という扱いです。何を勝手な……」
「だって、お腹が空いたんだから仕方ないじゃない。一ヵ月饅頭とキノコだけの食事じゃ、限界だわ」
麗珠は箸で肉をくるりと回転させる。
こんがりとキツネ色に変わってきたその姿だけで、白飯一杯いけそうだ。
まあ、その白飯もないのだが。
「それで、その肉はどうしたのですか。まさか、厨房から盗んで?」
「狩ってきたのよ。石を投げて」
「……寵、ですか」
肉を籠に上げながらうなずくと、女官……静芳は深い息を吐いた。
「まったく。せっかくの天寵をこんな野蛮なことに使うとは」
「天寵?」
「天より授かった寵。生まれつき持っている特殊な能力の総称です。そんなことも知らないのですか」
ブツブツと文句を言い続ける静芳に構わずすべての肉を籠に上げ、いくつかを小皿に盛る。
待ちきれずにかじりつくと、熱々の肉汁が口の中に広がり心も体も満たされた。
「多めに作ったから、良ければ食べてね」
手を振って麗珠が向かったのは、小さな小屋だ。
後宮内の建物は瑠璃瓦が使われていて、麗珠のいる朱宮は名前の通り赤い瑠璃瓦が美しい。
だが、この建物はごく普通の青瓦であり、そもそもただの物置のようだった。
扉を開けるとそこには、木箱を並べただけの質素な机と寝床があるだけ。
麗珠は皿を持ったまま寝台に腰かけると、熱々の肉を口に放り込んだ。
皇帝が即位して、十年。
四家と呼ばれる大貴族が後宮に姫を送るのは慣例であり、朱家ももちろん即位と共に娘を後宮入りさせた。
だが、そのまま一度のお召しもなく、十年。
皇帝が手を付けなかった姫は十年で退去するというしきたりにのっとり、異母姉は後宮を去り、代わりに送り込まれたのが麗珠だ。
麗珠は四家のひとつ朱家当主の娘とはいえ妾の子なので、本来ならばここに来るはずはない。
だが後宮入りするには寵を持っていることと、十五歳の成人の儀を終えていることが必須条件だ。
ということで、麗珠はあくまでも異母妹が成人するまでの半年間の穴埋め要員でしかなかった。
朱家当主である父は麗珠が異母姉妹と継母に虐げられているのを知っているが、あまり関心がない。
体に傷をつけるようなことは許さなかったが、それも「朱家の姫」という駒として使うためだろう。
いざ後宮入りしてみれば女官は異母姉に忠を捧げていて、麗珠は物置に追いやられ食事も満足に貰えないのだから、朱家にいるのと大差はなかった。
「まあ、皇帝に会えないのは願ったり叶ったりだけどさ」
麗珠は皇帝の寵愛など欲しくないし、無視されるのは本望だ。
だが異母姉は即位から十年手付かずで退去し、他の家の姫も同様に既に何度か交代しているらしいので、後宮の意味がない気がする
「一体何のつもりか知らないけれど、いい加減妃の一人も娶りなさいよ。それも皇帝の仕事のうちでしょうに」
皇帝が現在何歳なのか知らないが、即位から十年経っているし、成人と共に即位したとしても二十代半ばのはず。
後宮内の姫どころか女官に手を出しても許される身の上なのに、無駄に慎ましいことだ。
「まあ、私個人としては絶対に嫌な相手だけど」
妾の子だった麗珠は、母亡きあと結構な扱いを受けている。
一言で言えば虐げられていたのだが、ある日麗珠は考えた。
何故いじめるのかと言えば、反応するからだ。
そう悟ってからは、使用人もあてにせずさっさと自立できるように励んだ。
おかげでそこらの使用人には負けない程色々な事もできるようになったし、麗珠には寵もある。
できれば平民として普通に地味に暮らしていきたいし、一人の男性に真摯に愛されたい。
「まかり間違って皇帝に手を出されたらと心配していたけれど、それも問題なさそうで良かったわ」
朱宮の女官の長である静芳によると、他家の姫はいずれ劣らぬ美姫揃いだし、もちろん今までも美しい姫達が後宮に控えていた。
麗珠は、黒髪に珊瑚の瞳。
容姿としてはそこそこだろうが、選りすぐりの美姫すら十年もの間手出ししないのだから、声がかかることもないだろう。
国の将来としては心配だが、麗珠個人には吉報である。
「後宮を出たら自由にしていいという言質も取ったし。自立するなら、やっぱり狩人かな」
麗珠が持つ寵は、『投擲必中』。
狙いを定めて投げれば、その飛距離と命中率は他の類を見ないほどだった。
肉を食べ終えて物置を出た麗珠は、森の中を歩きながら食べられそうなものを探していた。
「また、鳩が来ないかな。雉もいいな。兎も捨てがたい。……あ、キノコ発見」
「――おい。破廉恥女!」
脳内の肉の宴を妨げる声に目を向ければ、昨日盛大におしりを光らせた男の子がそこに立っていた。
元気そうな姿に安心した麗珠は、そのままキノコをむしり始める。
「おまえ、無視をするな! 失礼だぞ!」
「人に声をかけるのなら、相応の礼儀というものがあるわ。挨拶して名乗るくらいしたらどうなの」
後宮内にいるのだから、皇子かそれに準じる高貴な身分なのだろう。
だが、半年で去る麗珠には関係のないことだし、いくら子供でも挨拶くらいはしてもらいたいものである。
「俺にへりくだれと?」
「随分難しい言葉を知っているのね。そうじゃなくて……もしかして、挨拶の仕方がわからないの?」
日頃大人にかしずかれているのなら、自ら声をかける必要がないのかもしれない。
だが、それを侮辱ととらえたらしく、男の子は頬を膨らませた。
「失礼な、それくらいわかる! お、おはよう!」
真剣な様子が可愛らしくて、麗珠は微笑みながら男の子の頭を撫でた。
「ちゃんとできるじゃない。うん、上手よ。それじゃあね、お坊ちゃん」
手を振って狩りを続行しようとすると、何かに引っ張られる。
見れば、男の子が麗珠の袖を掴んでいた。
「りゅ、龍蛍だ」
「は?」
「名乗れと言ったのはおまえだろう」
「あー、はいはい。そうね」
多少偉そうではあるが、どうやら素直な子らしい。
不服そうなのにきちんと名乗るあたりが可愛らしくて、麗珠の口元が綻ぶ。
「……おまえ、何も思わないのか。その、俺の名前を聞いて」
「何が?」
もしかして、素敵な名前だとか絶賛しろということだろうか。
日頃どれだけ大切にされているのか知らないが、さすがにそこまで賛辞を送る義理もない。
「そうか、おまえは何も知らないんだな」
「だから何が?」
「いや、いい。忘れろ。……それで、ここで何をしているんだ」
何と言われても、見ての通りなのだが。
傍らに抱えた籠にキノコを入れると、それを龍蛍に見せる。
龍蛍は麗珠の胸よりも低い身長なので、少しかがんで籠を傾けた。
「食べ物を集めているのよ。これはキノコね」
「は? そういえば、昨日の鳥はどうしたんだ?」
男の子の言葉に、つい先程まで口の中に広がっていた幸福を思い出す。
「絞めて、食べたわ。熱々の揚げ物、美味しかったわよ」
「……自分で?」
「もちろんよ」
食事すら運んでくれない女官達が、麗珠のために調理をするはずもない。
というか、そもそも宮に仕える女官達は料理をしない。
それは厨房の仕事であり、麗珠が調理していたのはあくまでも湯沸かし場なのだ。
「野蛮な女だな」
「でもねえ。一ヵ月間キノコと饅頭だけ食べていると、さすがに体が肉を欲するのよ。木の実も美味しいけれど……そうだ、これ食べる?」
麗珠は籠の底から、赤い実を取り出す。
偶然見つけた木苺だが、良く熟れているので甘いはずだ。
龍蛍の口にそれを放り込むと、その表情がぱっと明るくなる。
何よりも雄弁なその笑顔が、とても可愛らしい。
小さな唇についた赤い汁を指で拭ってあげると、麗珠はにこりと微笑んだ。
「ね。美味しいでしょう?」
龍蛍の頬が赤く染まる。
その瞬間――あたりを眩い光が包み込んだ。
またまた光りました!
中華後宮風蒙古斑ヒーローラブコメ「一石二寵」
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※いつも通り完結まで書き終えていますので、毎日更新いたします。
「残念令嬢 ~悪役令嬢に転生したので、残念な方向で応戦します~」
12/22巻発売、12/3コミカライズ連載開始に感謝を込めて肉祭り開催中!




