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机の上のばらの花を、西月さんはそっと手提げの中に隠していた。
ちらりと覗く赤い影。ごくごくわずかの女子と、こっそりささやきあっているけれども、司の方を一切見るようなことはしなかった。時折、天羽の方を見つめ、すぐに逸らして、また天羽が席にいない時を見計らってはまた見つめ直していた。今にも涙がこぼれそうな泣き笑いの表情を掠め取るたび、司はおなかの調子が悪くなるのをこらえるのに必死だった。
「小春ちゃん、どうしたの、今日なんか、幸せ一杯って感じだよねえ」
「ううん、そんなことないよ。それよりね、今度の球技大会のことだけど、またみんなで頑張ろうね! ちょっとつらいけど、また朝練、女子だけでやろうよ。で、こっそりみんなでアイス食べるの。楽しいよきっと!」
話を逸らそうとして、また早口になり、目をくるくると動かしている。やはり笑顔でいるほうがいい。親指とひとさし指でつまんでみたくなるような、ほっぺたがえくぼでへこんでいた。
やはり天羽の言う通りなのだろう。ばらの花の出所については、天羽から西月さんにこっそり渡されたものなのだと、まったく疑いを持っていない様子だった。 信用した通り、泉州さんは本当のことを話さなかったし、天羽も言わなかった。
「片岡、頼むから早く覚悟を決めてくれよ」
給食当番の時、教室ですれ違う時、ことあるごとに困り顔の天羽はつぶやいた。もちろん司に向かってだった。
「お前みたいなまっすぐな奴、見たことねえよ。な、過去は確かにまずった、けどそれはきちんと男らしくけりをつければすむことだぜ。あんな女に片岡なんてもったいねえが、少なくとも男子連中は納得する。西月なんかよりもいい女子に認められるさ」
たまたまポケットににぎりこぶしをこしらえていた。司はそのまま出した。ぶらさげたままにした。 勘違いしたのか天羽はあわてるように両手を振った。
「お、怒るなよ、お前にとって西月が女神さまだっていうのはよっくわかる。好みだよな好み」
──ちょっとは西月さんのこと、気にしてやってるんだろうな。天羽だって悪い奴なんかじゃないしさ。 司はにぎりこぶしをポケットにしまいなおした。
「まあ、俺の言いたいのは、早いうちにぶつかって、腹の中のものをぶちまけたほうが、残りわずかの青大附中時代をまあるく過ごせるんでないかってことだよ。片岡、俺はさあ。おめえみたいな全身善意な奴、愛しちゃってるんだぜ!」
投げキッスを決め、天羽は司の耳に顔を近づけた。
「さて、第一計画は一週間後でよいか、ばらの騎士」
──七本目のばらか。
頷くしかなかった。第二の計画を忘れてしまうために。
天羽が西月さんから意味ありげな視線を送られたり、なにげに微笑まれたりされているのがうっとおしいらしい。司からすればそれもうらやましいかぎりなのだが、お互い趣味の違い仕方がないのかもしれない。
むしろ司が送り主だと知った時の反応が怖い。
西月さんの性格だったら露骨に「下着ドロなんて寄って来ないでよ!」と文句を言うことはないだろう。いつもかばってくれた人なのだ。たぶん、大丈夫だと思いたい。
ただ、次の段階に於いて、司の「ぬれぎぬ」が正真証明の事実だと言いきってしまったとしたら、西月さんはどう思うだろう。きっと、あの人のことだ、今まで通り接してくれると思いたいが、やはり不安はよぎる。
放課後を待ち、人の気配が消えるのを息殺して待った。また泉州さんに張り付かれるのはごめんだ。梅酢でもてなした後、とうとう全部白状させられてしまったけれども、できればこのまま何事もなく過ごしたかった。幸い泉州さんは何もすでにかばんの中へばらの花をつぶさぬよう、筒に入れてもってきてある。持ち物検査を規律委員にされてしまったら一貫の終りだが幸いまだ、そういう野暮な出来事は起こっていないらしい。時間をつぶし、雨が降りそうな空を見上げて時計を覗き込んだ。三年A組の教室に誰もいなくなったところを見計らい、もう一度階段を昇った。数人、別の組の女子とすれ違ったがそれ以外は誰にも会わなかった。教室に入るとまずは感謝の意。両手を組み合わせて握り締め、軽く降った。その後花をつぶさないように、卒業証書を入れるような筒の入れ物を取り出した。この日のために、小学校時代の卒業証書入れを持ってきて、隠しているのだ。
「気合、入れなくちゃなあ」
第一計画「告白」は少し気合いを入れればなんとかなる。それだけはなんとかする。いつものように、ばらの花をかばんの中から取り出し、そっと西月さんの机に置いた。今日も誰もいなかった。ちゃんと「ありがとう」とささやいておいただけあって、ばらの花びらはあともう少しでほころびそう、といった済ました顔をしていた。
司はいつものように、校舎裏の林を抜けた砂利路に向かった。ブレザーを脱いで軽く風になびかせた。誰もいないはずだった。
「気合い?」
いつのまにか後ろにくっついて来る影あり。背中から男子っぽい匂いが漂うから、女子っぽい声でも誰だかわかる。
「なんでそこにいるんだよ」
浅黒くすらりとした女子の姿。泉州さんだった。追っ払うのも言葉が見つからず、司は背を向け直した。
「いやね、クラスでは話すと怪しまれるし、あんたもアリバイ作って置きたいだろうと思ってね」
いつも桂さんと待ち合わせている林の通り道までつけてきたらしい。確かに言っていることは間違っていない。
「なんか用あるの」
「あるよ、だから来たんじゃない」
司は空を見上げ小雨をほっぺたで感じた。傘をさした方がいいだろうか判断に迷った。
泉州さんはためらわずに頭をぶるんと振った。
「あんたの『百日間小野小町計画』なんだけど」
霧雨が、「滴」という言葉にふさわしく垂れてきた。傘をさしたかった。泉州さんは両手を腰に当てた。
「とっくに他のクラスの女子から、情報流れているよ」
鼻息が余計だった。
──嘘だ。
だって西月さんは気付いていなかったじゃないか。いまだに天羽のことをずっと見つめつづけているじゃないか。 もしばれていたら、司の方をいいにせよわるいにせよ、しっかと見つめているはずだ。
身体がごわごわと鳴り出すのが分かる。ごまかすために天を仰ぎ、水滴を頬に受けた。
「片岡、あんた同じクラスの目は完璧にごまかしてたね。それは偉いよ。けど頭隠して尻隠さずってあんたのことだよ。C組の女子には気をつけろって、青大附中三年間通っていたらわかりそうなもんだけどね」
──そんなの知らないよ! 「C組の女子は怖いよ、あそこの男子みなちっちゃくなってるしねえ」
司はそっぽをむいた。視線をそらすといきなり肩をつかまれた。
「女子同士の団結力を甘く見るもんじゃあないよ。たぶん九割方、明日中にばれるよ」
──他のクラスのことなんて。
心臓が止まりそうで本当だったら逃げ出したい。目を塞ぎたい。
「逃げる気?」
「逃げないよ」
「そんなら、あんたもそろそろ覚悟を決めなさいよ」
「わかってる」
空がうすぐもってくる。司をあざ笑っているかのようだ。風がいきなり冷たく刺さる。どことなく汗くさいにおいが漂った。なんだか口をこじ開けられるような気がして、司はつばをゆっくりと飲み込んだ。振り返って泉州さんを真っ正面から見据えた。 「どうして、言わないんだよ」 「なにを」 一番不思議でならないことを聞くことにした。
「僕のことをみんな知ってるんならC組の女子よりも先に、泉州さんが話せばいいじゃないか」
「だってあんたが自分でしゃべったじゃん。ばっかじゃないの」
それに、と泉州さんは続けた。
「あんたと約束したじゃんか、誰にも言わないって」
──そりゃ、言ってたけどさ。
後ろに束ねた髪がぼさぼさに乱れて、時代劇に出てくる浪人に見えた。
「そんなみみっちいことするよりも、あんたを応援する方が面白いしさ。小春ちゃんがどう言うかはわかんないけどさ、天羽のことを追っかけるのをやめさせるには役立ちそうだしねえ」
「天羽のこと、嫌いなのか」
信じられない言葉だった。
今の言葉、司の聞き間違いでなければ、泉州さんは今、司を応援するなんて言わなかっただろうか。
「別に好きも嫌いもないよ。ただ、小春ちゃんはちょっとみっともなさ過ぎ。天羽が嫌がってるんだから、すっぱり切って別の彼氏探せばいいのにって思うよ」
──別の彼氏?
おそるおそる泉州さんの顔を伺う。にやりと笑い、泉州さんは間を置いた。
「知ってる? 天羽に振られてから小春ちゃん、他の組の男子に三人くらいラブレターもらっているんだよ。ああいう子だから愛想よくごめんなさいしているけどいつまでもそうするのってねえ、ここいら純情少年に頑張ってもらった方がいいんでないかと思った訳よ」
口がたらっと下がったまま閉まらない。全身の血があふれそうな気持ちを必死にこらえた。西月さんに自分がぴったりだ、なんて言ってほしいけれど、一生無理だと思っていた。
──なにもしてなかったら。
三人のラブレターよりももっといいもの、いくらでも書きたいし、書けるのに。
なんてったって下着ドロだ。想い人の親友に認めてもらえる理由がわからない。
「それはそうと、片岡、あんたの部屋にバットとかグローブとか、空き巣のしわざってくらい散らかっていたけど、もしかしてさ、野球ファンだったりする?」
……なに見てるんだこの人。
早く桂さんに来てほしい。きつく振り返り、にらみ返した。
「そんなこと関係ないだろ!」
「あるんだよ、実は」 舌をぺろりと出した。なんとな演じているような気がした。マンガの登場人物のまねみたいだ。
「小春ちゃんのお父さん、高校時代、選抜高校野球の全国大会にでたことあるんだよ。だから、小春ちゃん、お父さんと話を合わせるために野球しっかり観ているんだからさ。その辺、アピールするといいかもよ。あ、車、来たじゃん。早く乗ろ」
なんと泉州さん、桂さんの運転する車がどれだかチェックずみのようだ。しかも一緒に乗り込むつもりの様子。なにを考えているのだろう。やたらとめざといのはわかる。司を嫌いではないらしいとも気づく。でも、あまりにも司の日常に入り込みし過ぎている。 そんなこと関係なさげに、外国のモデルさんみたいな顔の泉州さんは顔を耳に近づけた。もちろん意味ありげな笑みをくっつけて。
「いつもあんたを迎えにくる運転している男の人、やたらかっこよくない? あんたの兄さん? ねえ、紹介してよ」
素直に答えた。それしかない。
「僕の家庭教師で、B級グルメマニア」
──この人、正気かよ?
「へえ、おいしいことに詳しいんだ、教えてもらっちゃお!」
──あのゲテモノラーメン見てみろよ。
やっぱり泉州さんは謎の人だ。趣味が理解できないし、ずうずうしいし。司のことをおもちゃ扱いしているし。女子版桂さんってところだ。
どこかで様子を伺っていたのだろうか。のろのろと車が近づいて、砂利を鳴らしながら止まった。今日は普段着だった。「かっこいい」とはとてもだが口が裂けても言えない白の無地Tシャツと黒いトレーナー地のパーカー。極めつけは腹を締め付けないようにゆったりさせたぼんたんと呼ばれる黒いズボン。学生服の不良さんがよく穿いているようなもので、桂さんが着ると短い足がさらに縮まって見える。運転席側の窓を開け意味ありげに笑う。やな感じだ。
「おい司、今日は彼女と一緒に、デートかよ」
状況を知らないで何を言っているんだろう。隣りにいる泉州さんのことを言っているのだろうか。思いっきり首を振った。
「よくないよ」
言いかけると、遮るように、
「片岡、紹介してよ」
泉州さんがにやりとひじで司のわき腹をつついた。
「なにするんだよ」
「いいじゃないの、一度はふたりっきりになった仲じゃないの」
思わずむせ込んだ。
「そっちが押し掛けてきただけだろ!」
「おい司、今なんと」
桂さんはおちゃらけ顔のままだけど、声音が変わった。やばい。後でものすごく怒られる。学校の人には内緒にしてくれと頼んだけど、まさか桂さんの前でばらされるとは思っていなかった。口止め忘れていた。あわてて司は割って入ろうとしたが、遅かった。
すりすりと泉州さんは車のドア越し、桂さんに近づいてゆき、礼儀正しく礼をし微笑んだ。この切り替え、まさに女優さんだ。
「『迷路道』のクリスマスパーティーで会ってますよね。覚えてますか?」
「うーん、覚えてないなあ。司のクラスメートかな」
本当にわからないらしい。腕を組んでじっと泉州さんを観察している。まさかとはおもうが二人が知り合いだなんてことは。
「覚えてないかあ、場合が場合だもんね、ほら去年のクリスマスパーティーの時。うちの親と一緒にあいさつしたんだけどなあ」
「ごめん。俺、鳥頭でさ」
「泉州ってうちの父さんなんだけど、すっごく前から知ってるはずなんだけど、覚えてないですか」
いったい何を訴えたいのか司にはよくわからない。見た感じ泉州さんときたら、司を始めクラスの男子たちには一切見せないような笑顔でもって、車へ寄り添おうとしていた。厳密にいうと運転席で作り笑顔をして髪の毛べったりした頭の桂さんに向かってだった。
「せんしゅう……、って、俺の知っている限りだと、わかんねえなあ。まあいいや、司の友だちだったら大歓迎だぜ。彼女だったらもっと大・大・大歓迎だけどな。お嬢さん」
どうやら桂さんも泉州さんタイプの女子は苦手のようだ。おちゃらけて話を逸らそうという考えのようらしい。だが甘いぞ、と司はささやいてやりたかった。この人にかかったら、こっちがいやだと思ってもいつのまにか本当のことを白状させられてしまうのだ。ずっと隠していたあのことも、このことも、すべて吐き出させられてしまう。しかもむかつくことに、無理やりじゃなくて、自分の方からなんとなく話さずにはいられない気分になってしまう。何でだろう。自分でもわからない。黙ってうつむいて、ボンネットを叩いていた司だったが、
「おいおい司、せっかくだ、彼女とドライブでもするか? じゃあどうでしょう、お嬢さん?」
と、桂さんに流されてしまった。泉州さんだけじゃあ、ないのだ。言うなりにされてしまうのは。
泉州さんは諸手を挙げて喜んだ。司が助手席に座ることを、かなりむっとした気持ちで見ていたらしい。そんなの関係ないじゃないか、といつものように司は自分の席をぶんどった。泉州さんが乗り込むと、また男同士の匂いが漂った。三人集まると妙に臭い。桂さんは気にしないようだったが司はがまんできなかった。車窓をあけてクーラーを入れてもらうよう頼んだ。
「あ、これって、パトカーみたい!」
目ざとい泉州さんは、ギアの後ろに置いてある自動車電話をすぐに発見した。騒ぐと思っていた。しかしなぜ、パトカーなのか?
「パトカーって、これよりもっとちっちゃいんですよお。知ってますかあ? 交通違反している車に呼びかけたり、追っかけたりするんですよお」 「おやまあ、お嬢さん、実はひそかにパトカーマニアかよ」
完全に桂さんも泉州さんの思惑に乗せられている。そりゃあそうだろう。顔とスタイルだけみればモデルさんみたいな雰囲気だ。スカートはいたままあぐらをかくなんてことを見せ付けられなければきっと、そう思うだろう。
「ううん、違いますよ。わかってないなあ。それにしても十二月のあのこと、本当におぼえてないんですか?」
「ごめん! ほんっとうに覚えていないんだ!」
いつもの通学路を通って、桂さんはとぼけた声で返事した。
「まあそれじゃあしかたないですよねえ」 「いろいろ質問されたし、じゃあお嬢さん今度は俺が質問していいかなあ」
司の膝を桂さんは指で弾いた。ちょっと痛い。
「学校の司って、いったい何してるかなあ」
「そんなの聞くなよ!」
かっとなってクラッチを踏んでいる足にかなづちを落としてやりたいと思った。知らぬ顔して桂さんは続けた。もっと腹立つことに、後ろの席で泉州さんはいい子ぶって答えるではないか。
「こんなおもろい奴いないですよねえ。もっとしゃべりゃあいいのにねえ」
「ほお、そうか、おもろいか、そうかそうか」
妙に納得しながら桂さんは横目で司をにらみ、さらにのほほんとしゃべり続けた。
「じゃあ、司をどうすればもっといかした奴にできるかなあ。いい方法ねえかなあ」
「ありますよ。もっちろん」
──そんなの関係ないだろ!
振り返り後ろに漬物石を投げたくなったが、手元にはなにもない。司は後ろの席をバックミラーで見てめっとにらんだ。
「ほう、そりゃどんな感じでだろう?」
「桂さん!」
「彼女作ればいいのよ。ねえ、片岡、何言いたいかわかるでしょ」
──そんなの知るかよ!
──いったい僕になに言わせたいんだよ!
──桂さんも、それに、あの人も!
「うるさいってさっ!」
とうとう頭の中が爆発してしまった。といっても、両足を強くばたつかせただけだったけれども。全く驚く気配のない桂さんと、後ろでがはは笑いをしている泉州さん。どんなに身をよじって叫んでも、ちっともかないっこなかった。
「ほらほら、そうやってはっきり言いなよ。ね、今度、いい方法相談に乗ってやるからさ!」
──乗ってくれなくたっていい!
桂さんが自分のほっぺたをつついて、鏡を見ろ、という風にバックミラーを指差した。
「タコ見てえだな。ま、こういう奴なんだけどな、司はおもろい奴だぜ。お嬢さん、もしよかったら面倒みてやってくれねえかなあ」
「わかった! 彼女見つけてやるからね」
──勝手にしろ!
いったい桂さんは、泉州さんのどこが気に入って車に乗せたりしたんだろう。信じられない。司の知らないところでこのふたり、やっぱり会ったことがあるんじゃないだろうか。クリスマスパーティーなんてそんなの知らない。あるとすれば「迷路道」の洋服を購入している一部のお客さんを招いて、青潟の高級ホテルの一室を借り切って、ものすごいパーティーをすることがあるとは聞いていた。だからクリスマス前後は桂さんもかりだされて手伝いさせられるとぼやいていた。ただそれだけのはずだ。なんで泉州さんなんかがそんなところに出るんだろう。でも泉州さんの口調だと、そのパーティーで桂さんと会ったことのあるような様子だった。
「さっきから僕のことばっかり馬鹿にしているけどさ、泉州さん」
「あいよ、なんか文句ある?」
「どうしてそんなパーティーに泉州さん、出てたんだよ」
うまく言えなくてなんどか聞き返された。あっさり返事が返ってきた。
「うちの親が呼ばれてたからよ。それに付き合ったってわけよ。桂さん?っていうんですか。あの、本当に私のこと、覚えてないんですか?」
「ごめんなあ、去年の『迷路道』のパーティーだったら、すげえいっぱいお客さん来ていたからわからないなあ」
最初に聞かれた時よりは、少しだけぴんとくるものが合った様子だった。車はいつのまにかいつもの駅前ラーメン屋に到着したようだった。駐車場の空きを確認した後、桂さんはまず泉州さんに、
「よかったらラーメンか餃子食っていかねえか? お嬢さん」
と誘った。ちっとも女子っぽい食事じゃないんだからあっさり断ればいいのに、泉州さんはやっぱり泉州さんだった。
「おごってくれるんですか! すっごい嬉しい!」
とぶりっこ声で喜びを表す始末だった。なんかよくわからないけれど、泉州さんの好みが桂さんらしいということだけはよく伝わってきた。この調子だとあの、マヨネーズ、牛乳のトッピングがされた怪しいラーメンも喜んで食べるんじゃないだろうか。この人、やっぱりよくわからない。
それほどひどくはなかったけれども、外は雨だったこともあってまず、桂さんは泉州さんを店の前でまず降ろした。
「悪いけどちょっと待っててな。一緒にラーメン食おうよな」
「すっごいラッキー! ありがとうございます!」
駐車場へ車を置きにいった。耳元に桂さんはささやいた。
「司、彼女、お前のクラスの子だろ? 泉州さんっていう子だろ? どうしたんだ?」
「どうもしないよ! 関係ないだろ!」
「年賀状の子とは違うみたいだけどなあ」
「うるさい!」
こう言う時、司は反抗期だと自覚する。だって冗談言うのもいいかげんにしてほしかったから。
「いやあ、まんざらあの子、お前のこと嫌いじゃねえみたいだぞ。それにずいぶんあの子、司のこと調べているみたいだしなあ。ほら知ってるか?」
泉州さんには聞こえないように、
「あの子の父さん、青潟警察のお偉いさんだぞ。知ってたか」
──そんなの知らないよ!
「この前のクリスマスパーティーに来ていたのも知らないわけじゃないんだけどなあ、あの子」
桂さんは頭を掻いた。ふけが爪にたまっていた。外は完全に雨だった。
「てっきり、男だと思っていたんだよなあ。髪の毛、帽子の中につっこんでてさ。もしかしたらって思ったけど、スカート履いていたからわからねかったなあ。その頃から司のこと、ずいぶんチェックしていたんじゃねえのかなあ。司、気をつけろよ、あとそれとだ」
あっちむいてホイ、といきなり指差した。つられて指の方向を向いてしまった。どかっと拳骨を食らわされた。
「どんな事情があったかしらねえが、いくらなんでも女子とふたりっきりいちゃつくのは十年早いぞ! 中坊のデートってのはな、これから俺がやるようにやるんだ。よっく見とけよ」
「なんも悪いことしてないよ!」
「ばあか、そんなんじゃねえ。全く司、お前本当にガキだから、お守りする俺の方がはらはらするぜ。ばらの花持っていくわ、おもろい女の子と仲良くなるわで、これじゃあ将来、お前の彼女も気が気じゃねえなあ。おい、お嬢のこと、好きなのか?」
「好きじゃないって! 僕はあの、ただ」
またもうひとつ、拳骨が落ちた。
「だから、おもろい奴だって言われるんだよ。司、ほら、男も女もまずはお互い、一緒にメシを食って、その上で話し合おうぜ。お嬢も待っているしな」
いつのまにか桂さんは「お嬢」と泉州さんを呼んでいる。やっぱりあの人変だ。あっという間に司たちの中に入り込んでいる。司にとってはただのクラスメートに過ぎないのに。
──なんだよ、僕がなんも考えてないのに、周りばっかり動いていくなんてさ。周平、ひどいよな、なんとかしろだよな。こういう時、お前だったらどうする? 僕みたいなことになったら周平どうする?
ふと、頭の中によぎった言葉を司は振り切った。
泉州さんと桂さんに巻き込まれて忘れていたことだった。
──もうC組の女子にばれている。
もう、一刻も早く、西月さんに「ばら」の捧げ主が誰なのかを伝えなくてはならないということを。
──どうすればいいんだろう。
なんども同じことばかりつぶやいている自分に、司はだんだんいやけがさしてきた。いつものラーメン屋前で、お嬢さんらしくにこにこしている泉州さんの浅黒い顔を見ながら、司はもう口を閉じて舌だけ動かした。
──あのばら、僕からなんだ。
もちろん、誰にも聞こえないくらいの声でだった。