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 だんだん天気もよくなり、ブレザーを羽織るのも暑苦しくなりつつあった。次の日約束どおり、司はひとりで青潟駅の前に出かけた。天羽も西月さんも相変わらずだったし、狩野先生もたまに声をかけてくれる程度でそれほど何が、ということもなかった。ただはっきりしていたのは、司が放課後何を買いに出かけようとするのかを誰も知らないということだけだった。天羽だって気付こうと思えば気付いたのだろうがそうはさせたくなかった。

「片岡くん、今日は一人で帰るのですか」

 いきなり呼び止められた。狩野先生の、狐にめがねをかけさせたような顔が待っていた。仕方ないので曖昧に答えた。

「うん、はい」

「桂さんはいらしてないのですか」

「今日葬式だから」

 ぶつ切りで答えた。

「そうですか。なら、なおさらですが気を付けて帰って下さいね」

 ──みんなそうだ。僕がひとりで帰るとなると、みな慌てるんだ。

「はい、さようなら」

 ぶっきらぼうに司は答え、教室から飛び出した。


 久々にひとりで歩く青潟駅近辺の通り。天羽の言っていた「佐川書店」に立ち寄りスポーツ雑誌をぱらりとめくり、二冊買った。活字は苦手だけど、スポーツの話だけは平気でずんずん読める司だった。包んでもらった後、さっそく隣りの花屋へ直撃することに決めた。

 いや、入るのが照れる。

 ──天羽も、どうやって入ったんだろう。

 最初、通りに並べられている鉢植えを覗き込むような振りをしていた。チューリップの鉢植え、赤白黄色と華やかなのはわかるが名前がわからない花、あと「猫の草」と言われる雑草みたいな草の鉢植え。年賀状に映っていた藤の花はないのかと探したけれど見当たらなかった。

「お母さんにたのまれたの?」

 まいかけをかけた店員のおばさんがにこにこしながら尋ねてくれた。初めてなのにまるで知り合いのようなのりで話し掛けてくれた。神乃世町にいた時みたいだった。

「あの、ばらを、お母さんに」

 思わずでまかせが飛び出してしまった。口がうごかなくてもごもごしていると、おばさんはしっかりと頷いてそっと司の肩を押すようにして目の前の花を指差した。

「ばらねえ、このあたりはどう?」

 銀色のごみ箱っぽい花用のバケツが、店の奥にはたくさん並んでいた。ばらの花がどんなものなのか、そのくらいは知っていたけれども、赤、白、ピンク、黄色などなど色とりどりにひしめき合っているのを眺めていると、どれを選んでいいのだかわからなくなる。たぶん、赤が一番いいのだろう。

 ──うちのお母さんが貰っていたのも赤だったしなあ。

 でも、よくよくみると、赤でもずいぶんいろんな色が混じっている。花びらの端がくるくるっとまかさっているものとか、ティッシュでこしらえた花みたいにふわふわしているものとか。また考えていると分からなくなる。適当に一番端っこにささっている真っ赤なばらを指差した。

「これください」

「一輪でいいの?」

「はい」

 ──だって、毎日持っていかなくちゃいけないんだからさ。

 ──百日通わなくちゃいけないんだからさ。

 財布からじゃら銭を取り出し、おばさんに渡すと、

「じゃあ待っててね。きれいに包んであげるからね。その制服だと青大附中なの? ああら、頭いいのねえ。お母さんへのプレゼント?」

 いろいろ聞き出そうとしてくるのには閉口した。

 ──明日も買わなくちゃいけないんだけど、このおばさん僕を変な奴だと思ってないだろうなあ。

 気弱になる自分を思いっきりしばいた。

 ──だめだだめだ。まだ九十九日あるんだからさ!

 銀色のアルミホイルで丁寧に切り口のところを包んでくれた後、薄いセロファンのようなものでまとめた。

「お母さんも嬉しいでしょうねえ。ほんっと。お花はね、毎日水を替えてあげて、お話してあげると長持ちするからね。いつあげるの?」

 でまかせもここまでくればしかたない、適当に開き直った。

「あの、明日の朝」

「そうなの。じゃあこっちの方がいいかもね」

 司が受け取ったばかりの花を取り上げ、おばさんはもう一本花を選び直してくれた。今持っているのはだいぶ花びらが開ききった格好で、うっかりするとこぼれてしまいそうだったが、おばさんが選んでくれたのは少し堅めに閉じたつぼみのものだった。

「ほら、こちらだったら明日の朝、咲くわよ。今夜、お兄ちゃんが話し掛けてあげれば、ちょうどいい具合に咲くからね」

 いいおばさんだけど、これから毎日通うに当たって、どう言い訳しようか。司はしばらく頭を抱えたくなった。


 今日、ばらの花を買おうと決意したのにはいくつか理由があった。桂さんが今日、明日と会社関係の葬儀手伝いに借り出されたからということと、やるならば早いほうがいいという自分なりの判断からだった。

 ゴールデンウイーク中、改めて感じたのは自分の性格がいかになあなあかということだった。

 桂さんに背中を押されなければ、きっと周平との間にはそれ以上の何も生まれていなかっただろうし、たぶん次の休みで顔を合わせる頃にはまた、淋しい気持ちを抱えていたに違いない。まだほんの少しだけ、あわせた角と角がずれただけ。司ももっと早く、周平のほしがっている答えを見つけられればと改めて反省した。

 周平もまんざら、そっちのことに関心がないわけではないらしい。

 司が毎日感じている、女子を見てどきどきしてしまうような感情を、知らないわけではないらしい。

 少なくとも、軽蔑されはしなかった。

 ──けど、あのことは。

 二年前の六月に血迷ったことをしたあの日の気持ちはまだまだ、どろついたぬかるみの中、行方不明のままだった。

 言いたくたって言えないし、言おうなんて思えない。


 司は自転車をこいで青大附中へ戻った。

 普段だったら「危険だ」という理由でいつも車の送り迎え。自転車で出かけるというのも、そうあまりないことだった。

 桂さんがなぜかその点はうるさくて、司もとりわけ困ることがあるわけでもないのでそのままにしていた。でも今日だけは違う。朝一番に珍しく桂さんが全身決めに決めて出かけた後、こっそりと自転車を引っ張り出して出かけることにした。あとで怒られるかもしれないが、それはその時だ。

 生徒玄関前の砂利道に差し掛かったところで自転車を留めた。忘れ物した顔して、教室に入って行こうと決めた。すでに四時半を回っていたけれども、もう五月も半ばというだけあってそれほど夕暮れっぽい匂いはなかった。ただ人気がなくなっているのと、教室の窓辺に茶色っぽい光が刺さっているのが朝と違うだけだった。

 花を持ち、少し背中に隠すような格好で司は玄関に向かった。途中、連れ立って歩くふたりとすれ違った。ちょうど玄関に入る寸前だった。男女二人。まだ校舎に残っていたらしい。もう一度背中に隠そうとして三年A組の靴箱に向かおうとした時、 「ははあ、片岡か」  唇を噛んだ。最悪だ。同じクラスの奴だ。

「なんでこんなとこいるんだろうねえ」

 女子も聞き覚えある声だった。

「まあいっさ、ちょっくら待ってな」

 司が黙って立ち止まっていると、ふたりはすのこから降りて、司に向かいにやりと笑った。厳密にいうと女子は冷たい視線のみだったけれど、男子だけが妙に親しげ光線を発していた。

 ──一番見られたくない奴に見られたよ。

 姿を隠そうとして柱を探したが見つからなかった。司はもう一度玄関から出ようとした、それを面白がるように、例の男子は身を近づけるようにしてすれ違い立ち止まった。  胸が苦しい。ばくばく言う。歯がぎしぎし言い始めている。頼むから手のところだけは見ないでくれ、そう祈った。

「片岡あのな」

 再接近してきた時、司は観念してうつむいた。天羽忠文が穏やかにささやいた。

「まだ、西月、教師研修室にいるぜ。じゃあな」

 ──まだ教室にいるんだ。

 天羽の後ろに立っている女子が、現在熱愛されている近江さんだということに気付くのが遅れた。もう一度視線を逸らしたくて隠した。うまく見えなくなっただろうか。少し顎をあげるような格好で澄ましている。

「さ、近江ちゃん行くか」

 仲良く肩を並べて歩く二人を見るのはいやだった。ずっと前、隣りにいたのは西月さんだったはずだった。

 自分でもなんでなのかよくわからなかった。司は上履きに急いで履きかえると、階段を駆け上がった。


 A組の教室には誰もいなかった。当然、西月さんもいなかった。

 確か天羽は「教師研修室」にいると言っていた。もしかしたら戻ってきているかもしれない。顔と顔を合わせてしまったらアウトだ。しばらく司は誰もいない教室の扉にもたれかかり、すぐ目の前に見える西月さんの机を見下ろした。

 いつもここで、 「片岡くん、お疲れさま!」 と声をかけてくれるあの人。

 誰もいないところでひたすら泣きじゃくりながらも、他の女子たちが心配そうに近づいてくると、 「大丈夫、私、泣かないから」  と平静を装おうとしているところも何度か見ている。

 ──こんなに一生懸命なのに。

 どうして天羽は西月さんを嫌いになってしまったのだろう。 どういう理由があるのかわからない。司からすると西月さんが求めてきたと言う「ばらの花」も「ビーズの指輪」も、単に天羽のことが好きだから、大好きだというメッセージに過ぎないような気がする。でも天羽はそうされることが嫌いだったらしい。その一方、惚れぬいている相手……おそらく近江さんだろう…… には自分の手でもって丁寧にこしらえたという。この差はどこから来るのだろうか。

 司には計り知れない感情のいろいろ。でも、きっといろいろあるのだろう。

 ──僕が、何もしてなかったらな。

 握り締めていたばらのつぼみをそっと顔に近づけてみた。花屋のおばさんは朝、話し掛けるときれいに咲くと話してくれた。少しだけつぼみの上あたり、細かく花びらが筒のようにくるくる巻きとなっていた。

 ──話し掛けたら、きれいになるのかな。

 花屋さんのいうことだから、たぶん本当なのだろう。

 司は廊下、および部屋のどこにも聞き耳立てている奴がいないことを確かめ、つぶやいた。

 つぼみをちょうど口元に当てるように。

「ありがとう」

 何かもっと、いい言葉があるような気がしたけれど思いつかなかった。

「大丈夫だから」

 言った後で自分でもわからなくなった。大丈夫? 何を言いたかったのかわからなくなった。

 つぼみの形はうんともすんとも言わなかった。本当に咲くのだろうか。司は両手で捧げ持つようにして、西月さんの机へまっすぐ置いた。花が椅子と向かい合うようにした。こうすると、西月さんに司のつぶやいた言葉をそのまま伝えてくれそうな気がしたからだった。


 急いでマンションに戻ると、ぎりぎり桂さんはまだ戻ってきていなかった。

 一応といったら変だけども、桂さんは司がひとりで夜ほっつきあるくことを厳禁していた 。

 不良化の兆しを避けるためなのだろうかと最初は思っていた。反発したかった。でも桂さんが言うには違うらしい。

 あまり桂さんを怒らせると、にんじんとレバーいためとぎとぎとした煮魚の食事なんかを食べるよう命令されるのでとりあえずは知らない振りをすることにした。桂さんご自身はレバーが大好きらしいがそんなの趣味だ、知ったことじゃない。


 六時過ぎ、やっと桂さんが帰って来た。まっとうな格好そのままだった。黒服に黒いネクタイ、めがねも黒ぶち。ただしサングラスでない。司の部屋を覗き込み、

「おおい、司、メシ、まだだな」

「冷蔵庫の昨日食べたカレーでいいよ」

「ほら、通夜弁当貰ってきたからな、食うか二人で」

 ──お弁当なんだ。超ラッキー!

 桂さんはB級グルメと自称するだけあって、普段は手作りものが多かった。司からするとげてものの部類に入るものも多いが、食べないと怒られるのでがまんすることが多かったが。今日はてんやものだけあって、きっとまっとうな食べ物だろう。  見るとやっぱり、プラスチックのお重に入った茶飯などが出ていた。生臭いお魚なんかはない。

「さあ、カレーかけて食うか」

 ──茶飯にカレーかよ。

 やっぱり、この人の味覚はわからない。電子レンジでカレーを軽く温めた後、生温かい茶飯にかけかきこんだ。

「今日は大丈夫だったか? お前くらいの年で俺が送り迎えするってのも、ちょっと過保護だとは思うんだが、事情が事情だ。しょうがねえ。で、怖い奴におっかけられなかったか?」

「そんな奴いるわけないだろ。それより今日、父さんに会って来たの、桂さん」

「ああ、久々に司も顔見せろって言ってたぞ」

 桂さんにとっては「社長」なのだろうが、司の前では「司のとうちゃん」と言う。

 お酒が大好きで、たまに酔っ払っては大声で英語の歌を歌い、運動会でははっちゃきになって「お父さん対抗リレー」に参加する父。神乃世で見せる顔と、青潟で見せる姿とは別々のものだった。たぶん神乃世では司のことを可愛がってくれていたのだろう。でも今はきっと。

 ──どうせ僕なんか嫌いなくせにさ。

 父の仕事がどれだけ忙しいかは、入学して二ヶ月だけ一緒に暮らしてみてよくわかった。ほとんど顔を合わせる暇もない。面倒見てくれるのは当時、父の側近だった男の人で、かなり年いった人だった。ろくすっぽ口を利けずに、ただ言われるままにしていたことを覚えている。青潟市内、海の向こうまで眺望が楽しめる十階建のマンションだった。エレベーターで上がってさらに、ガラス戸が張り巡らされていて、入るとがらんとして誰もいないような部屋だった。たぶん父も司のことを気にかけてくれてはいたのだろうけれど、それは桂さんと暮らすようになってから初めて思ったことだった。司が車で迎えに来てもらい、運転手の男の人に付き添われてエレベーターを昇り、部屋に入るまでじっと見張られているあの環境。司が言葉をひとつひとつ、捨てていったのはあの二ヶ月なのかもしれない。

 しばらく茶飯とカレーをスプーンでぐるぐるかき回していたら、桂さんに軽くぶたれた。

「あのな、司。いいかげんお前も大人になれ」

 怒ってはいないけれど、やれやれって感じだった。

「そりゃあ仕事は忙しいぞ。でもな、司のことをほんっと心配してるんだぞ」

「そんなの人のうちのことなんてわかんないだろ」

 口を尖らせて言い返す司に、桂さんは知らない振りして腕時計を見た。

「明日は本葬か。くそお、いつものラーメン食えねえな」

「桂さん、お葬式あしたもあるの」

「おおそうだよ。今日が通夜、明日が本葬だ」

 お葬式とは、一回行っただけではすまないらしい。色々面倒なことだ。

「じゃあ、明日、車、迎えに来なくたっていいよ」

「じゃあ悪いがそうさせてもらうか。けど司、いいか。気を付けるんだぞ」

「ガキじゃないんだからそんなこと言うなよ」

 いらいらする。桂さんは基本的におおらかなのだが、時々細かいことを言うことがある。いつも車でお迎えされるのもそうだ。司は部活にも入っていないし、友だちだって青大附中にはいないからそれでもいいけれども、もし用事がある時なんかはどうすればいいんだろう。

「司、お前が毎日何事も無く過ごしているのは誰のおかげだ? そうだ、俺様のおかげだ」

「冗談じゃないよ」

 ふざけ調子で言い放つ桂さんの言葉には、時々芯が入っているような気がしていた。まだまだ、司にはわからない言葉が多すぎた。 「けどな、ふつうのうちの奴ら、まあ言ってみれば周平とかな、あいつらはごくごく普通によっぴき彼女とデートしたり」 「周平はそんなこと絶対しないよ!」  なんか、熱くなって怒鳴りたかった。

「まあ例えだ例えだよ。そういうんじゃないんだよ。つまりな、司、お前は青潟にいる限り、どうしてもお前のとうちゃんが社長さんなんだってことから逃れられないんだ。まあ俺がお前の立場だったらなあ、しんどいってのはわかるぞ。わかるけど、命には替えられないだろ? 命あってのものだねだからなあ」

 ──またお説教だよ。その癖自分は夜になったら、スポーツ紙のやらしいところに載っている店に行くんだよ。

 もう司だって子どもではない。その辺は良く知っているのだ。

「だから、お前もその辺考えろよ。まあエッチな本読んで一人抜くのも悪くねえし」

「そんなことしてないよ!」

 せっかくのカレーがまずくなる。桂さんごのみの妙な甘さが舌に残る。辛くないのに顔が熱くなる。

「好きなあの子のこと考えるのも悪かあない。けどな、司、お前がもし、何かとんでもないことに巻き込まれた時、困るのはお前のとうちゃんかあちゃんだけじゃないんだぞ。お前一人がひょいっと足踏み外したとたんに、何千人もの人が仕事なくするかもしれないし、追い出されるかもしれないんだ。まだまだお前がきんちょだからあまり言いたくねえなあこんなこと。俺だったらやだよなあ。でも」

 はあ、とため息をつき、桂さんはじっと司を見つめた。

「それも、司のさだめなんだよな」  

 要するに外を出歩くなということなのだろう。言いたいことはわかっている。父のマンションに住んでいた時もそうだったし、今の生活も似たようなものだった。夜遊びするのは神乃世にいる時くらいだった。友だち同士でゲームセンターに行くことだってよくしたけれども、青潟ではそういう普通のことが一切できないのが不思議でならなかった。桂さんが一緒だったら、それこそ怪しいラーメン屋、牛もつ屋、串焼き屋、その他いろいろな娯楽施設に連れて行ってもらえたけれども司ひとりでは何も許されることがなかった。近所のコンビニでスポーツ新聞を買ったり、本屋さんでたまに漫画の単行本を手に入れたりするくらいだ。欲しいといえば、桂さんがうまく手配してくれるのでそれほど困ることはないのだけれども。桂さんを友だちだと思っていればそれほど不便はない。たまに電話を神乃世にして、周平たちと馬鹿話をすることもできる。

 でも、今回だけはそういうことになると困る。

 ──今度、どこの花屋さんに行こうかなあ。

 今日買いに出かけた例の花屋さん、店員さんはいい人なんだけど、すっかりお母さんに渡すものなのだと勘違いしてしまっている。本当の目的は他人さまに言いたくないし、できれば桂さんにもばらしたくない。なんとかならないものだろうかとしばし考えた。


 食べ終わり、桂さんから、

「じゃあ俺は今日働いたから、司が洗物全部しろよ!」

 と言い放たれた後、司は蛇口をひねりつつ考えた。

 大抵、桂さんに「欲しいものがある」というと、「じゃあどんなもんだ、言ってみい」」と問われる。  あまり怪しいものとか、値段が高すぎるとか、そういう理由があるとあっさり、 「だめだ、そんな金は無駄になっちまう。お前が働いて金稼げるようになってからにしろ!」  とどやされる。ただ、桂さんと共同で使えそうなもの、たとえばビデオデッキとか、ビデオの映画ソフトなどだと、 「そうかあ。じゃあレンタルビデオ屋にこれから行くか!」  と一緒に出かけることになる。

 ──どうやって桂さんに、怪しまれないでばらを買うことができるか、だよな。

 花屋のおばさんは、「毎朝話し掛けるとばらがきれいに咲く」みたいなことを話していた。また咲ききった花よりは、少し堅めのつぼみの方が長持ちするようなことも話していた。

 ──だったら、花をまとめて買っておいたらどうかなあ?

 水をじゃあじゃあ流したまま、司は電話帳のもとに走った。思いついたらまずは調べなくちゃ、と意気込んでしまう司のくせだった。すぐに「花屋」の電話番号がずらっと並んでいるところを探した。青潟市の花屋さんを数えてみたら、ページ三ページくらいずらっと並んでいた。百軒ゆうにある。だったら大丈夫だ。この中の花屋さんへ十日ごとに一度十件電話して、つぼみのばらの花をみな注文して持ってきてもらい、司の部屋の中に隠しておく。毎日水を買えておけば、たぶん百日とは言わないけれども一週間くらいは持つだろう。そして一本ずつ学校に朝一番でもって行き、西月さんの机の上に置いておく。桂さんだって一日中司とくっついているわけではない。不在時を狙って花を注文すればいい。  ここで大切なのは、司が持って行っていることをばれないようにすることだ。

 もし、「下着ドロ」の片岡から渡されているという事実を他人に知られたら、大変なことになるだろう。もちろん西月さんはいつも笑顔で笑ってくれる人だから怒ったりはしないだろうけれども、周りの奴らからさんざんひどいことを言われるかもしれない。また天羽のことをまだ思っているに違いないし、ただ心の慰めになるだけなんじゃないだろうかと思うのだ。司としては西月さんが自分のことを思ってくれるのを期待しているわけではない。好きになってくれたら、たぶん宇宙ロケットに乗った気持ちで遠くに飛んでしまうだろうけれども、もう自分は罪人だ。西月さんがかばってくれたように「濡れ衣」だったら堂々と人前で渡すことができるだろうけれど、女子のパンツやブラジャーを触ってしまったのは正真正銘の事実なのだ。あきらめるしかない。 だからたったひとつ、司は天羽のかわりになるようなことをしたかった。

 ──ほんとは、天羽がしてやればいいんだけどさ。ごめん。僕ができることったらこれだけなんだ。

 たぶん、知られた時には嫌われるだろう。本当のこと知ったら、無視されるだろう。それは覚悟の上だ。

 ──ありがとう。

 机の上におそらくまだつぼみ開いていないばらの花に語りかけた言葉をつぶやいた。


「おいおい司、水流しっぱなしだぞ!」

 じっとしゃがみこんだまま、職業別電話帳を覗き込んでいた司の後頭部を、桂さんは思いっきりはたいた。あわてて台所まで走っていくと、もうすでに排出口はつまり、水がシンクから溢れ出しそうになっていた。

「ご、ごめん」

「まあいいっさ。それよか司、お前、なんかしたのか? 相当考え込んでいるなあ」

 顔を覗き込まれ、慌てて目を伏せた。閉じた。

「司、何かあほなことたくらんでいるんじゃねえのか?」

「そんなことしてないよ」

 隠さなくちゃ。やっぱり自分は、囚われの御曹司なんだろう。そう感じる時だった。


 まずは夜まで待った。

 桂さんは相当、通夜で疲れたのだろう。黒服を廊下にかけっぱなしにしたまま、すぐ自分の部屋に入って寝てしまった。今日は司の勉強を見る余裕もなかったようだった。

 ──チャンスだ。 このマンションもかなり広い。広いはずなのだが、野郎ふたりということもあり散らかりっぱなし足の踏み場なし、たまに出てくるゴキブリぞくぞく状態。司も桂さんも対して抵抗はないのだが、たまに母さんがやってくると仰天されてふたり怒鳴られることしばしばだ。まずは電話のある廊下へ向かった。

 さっきちらっと見た、職業別電話帳の「花屋」ページを探した。

 たぶん電話で今、注文すれば明日の放課後前後には到着するだろう。できるだけ早く家につけばの話だが。そこでまとめて花が一本ずつ、十本到着すればあとは簡単だ。珈琲の空き瓶がいくつか残っているのでそこに突っ込んでおけばいい。司の机の足下。こちらに隠しておけば目立たないだろう。問題は時間帯が夜十時、果たしてお店は開いているのだろうか。そこらへんだけが心配だが、たくさんお店があるのだから十件くらいは大丈夫だろう。「すみません、ばらの花のつぼみを一本配達してくれませんか」と頼めばいい。たまに桂さんだって「すんませーん、ざるそば一丁!」と言っているではないか。

 まずは一軒目、受話器を取り上げ指で小さい電話番号の文字を押え、プッシュボタンを押そうとした時、通話音が鳴らないことに気が付いた。何度もゼロのボタンを押した。電話の線が切られているのではないかと思った。

「司、あきらめろ」

 両手、両肩に手を置かれた。

 ──ちくしょう! 

 思いっきり振り払った。

「なんだよ、なんで邪魔するんだよ!」

 かっとなって叫びたい。でも叫べない。ここは司のうちであって桂さんの監視下にある家だ。ここの主人は桂さんであって、司は桂さんの視界に入っている場所でしか動けない。受話器を投げ捨てた。ぶらんとぶら下がったのを桂さんは静かに拾い上げた。紺のびんびんに張ったスエットスーツで、桂さんは軽く司の頭を撫でた。そうされるとなおさらぶん殴りたくなった。

「僕だって僕なりの用事があるんだから、監視するなよな!」

「友だちにかけるとかいうなら知らん振りする。けどなあ、今日司、どこに行ってたんだ?」

「どこって、どこだっていいだろ!」

「駅前の花屋で買物していたんだな」

「そんなの関係ないだろ!」

 ぞくっとした。いつもそうだ。司が絶対ばれていないと思っていたことが、いつのまにかきれいに桂さんに知られている。分身の術でも使ったのだろうか。結局は逃れられない。歯がみするしかない。

「違うんだよ、司。俺もほんとうはそんなことしてどうするって気もするけどな、お前はいつでも誰かに狙われているんだってことだけは忘れるんじゃないって、それだけわかっててほしいだけなんだ。もし青潟に周平みたいな奴がいて、一緒につるんでなんかしてるんだったら安心だけど、お前、基本として一人で行動してるだろ? それはまずいんだ。いいか司。俺がべったり怪しい関係のおっさんみたくくっついているのはな、お前の立場がすっげえ、あぶないものだからなんだ。ぴんとこなくて当然だけどな、しょうがないんだ。それがお前のとうちゃんかあちゃんの子として生まれた……」

「さだめなんてどうだっていいよ! 僕はただばらの花買っただけなんだってば!」

 電話を床にぶん投げた。

「なんで、お前花なんか?」

 ──言えっていうのかよ!

 丸めて持っていた職業別電話帳を桂さんは静かに取り上げた。

「司、お前の部屋に行こうな。まずは少し落ち着け。やばい薬とか酒とか注文しようとしているんだったら俺もお前をぶん殴るが、どうもそうでもないらしいな。別の意味で、俺に相談しておいた方が、いい方法見つかるかも知れねえぞ。この辺お前のことだ、わかってるだろ?」


 ──何がいい方法だよ!

 悔しくも司は、硬直してしまったまま動けなかった。桂さんの言う通り腕をとられて部屋に連れて行かれた。今夜は絶対黙っている。絶対ばらの花のことなんか言うもんか。決して毎朝、あの人のところへ花を運びたいなんて、言うもんか、絶対、絶対に言うもんか……。

 結果、司はいつものパターンで眠気と一緒に桂さんにころっと白状させられてしまった。

 対戦すること二時間。  司としては懸命にがまんしたつもりだったのだ。隠し切って、最後まで白を切るつもりだったのだ。

「司、そっか。ごめんな」

 頭をぐりぐりなでられた後、

「そりゃあ、言いたくないわな。隠したいわな」

 悔しさとみっともない自分がむかつくのとで頭がわんわんいって、今にも壊れそうだった。

「無理やり白状させてしまった以上、俺も男だ、ちゃんと俺なりに協力するからな。ばらの花のことはちゃんと俺なりに考えがあるから安心しろよ。それにしてもなあ」

 最後にもうひとこと、部屋を出る直前桂さんはつぶやいた。

「周平にこう言う時いてほしいよな、司」

 ──周平か。

 いつもそうだった。何かがあると、いつも司の方から白状してしまう。どんなに隠したくても。桂さんにも周平にも。  

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