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 司も周平も、いわゆる保育園や幼稚園には通っていなかった。いつも司の家に近所の子どもらが集まってきていた。実質そこが無料の保育園みたいなものだった。子ども達を遊ばせる専用の部屋が三部屋くらい空いていて、仕事に出ている親が迎えに来るまでのあいだ、近所のおばさんたちが面倒を見てくれていた。司の母さんも手が空いている時はお菓子を出したり、臨時の保母さんとして走り回ったりしていた。もちろん、無料でだ。

 当時は就学前の子どもを面倒みるところが神乃世町に存在しなかったということもあるのだろう。

 周平には父親がいなかった。神乃世町に来る前に諸般の事情で、お母さんは周平をおなかの中にしまいこんできたという。司の知っていることはその事実だけだった。周平も自分の父親についてはそれほど知りたいとも思っていないらしい。もし「父なし子」とさげすまれたのだったらそれなりに文句も言うだろうが、その点においてはさほど嫌がらせも行われなかった。話題にもほとんどのぼらなかった。片親育ちというのは、神乃世町においてそれほどめずらしいものではない。司だって自分で言うのもなんだが、ふつうのうちの場合、父さんは大抵月に三日しか帰らないものだと思っていた。だから毎日、真夜中に電話がかかってくるものだとも。丑三つ時に電話に出ろといわれるのはたまったものではなかった。

 父さんがうちに帰ってくる時、酒の入っていないことはほとんどなかった。司はどこのうちでも同じだと思っていた。

  真っ黒い車に乗せられて、やはり黒服のきっちりした運転手さんに手を貸してもらいながら、

「おーい、つかさー、帰ってきたぞー、出てこーい」

 と玄関先で叫ばれたこともある。父さんは自分で車が運転できないんだろうと思っていた。大人なのにかっこわるいなと思っていた。 もっとお金持ちになれば、自動車学校にいけるのになあ、と思っていた。

 神乃世の常識は青潟の非常識だと気付くのに、十二年かかった。


 結局夜が明けるまで周平と、野球、サッカーの話で明け暮れていた。

 司が青潟で得ていた雑誌のスポーツ情報はかなりのものだったし、周平は肉体をこき使って得たサッカーのテクニックを余すところなく披露してくれた。桂さんを起こさないようにして途中、バッターボックスに入った真似をしたり、スライディングを布団の中でやらかしたり。

 ちょこっとだけ掛け布団をかけずにひっくり返ったものの二時間もたたないうちに起こされた。いつものことだが、周平が泊りこむ日は、いつも司の部屋にご飯を用意してくれるのだった。母は顔を見るなり開口一番、

「あんたたち、やっぱり寝てないのねえ」

とため息をついた。

「周ちゃんもあんまりむちゃしちゃだめよ。司みたいにひょろひょろしているよりはましだけどねえ」

「大丈夫っす。俺、たくましいっし」

 力瘤を見せつけるのはやめて欲しい。腕立て伏せをいきなり十回やってのけるもんだから、ご飯の上に埃が舞うではないか。司はさっさと自分の茶碗を受け取り、かきこんだ。

「ほらほら、司、あんたもおかず食べながらにしなさい!」

 ──だって、煮魚嫌いなんだ。しょうがないだろ。

 あとで周平に食べてもらおうと決めて、司は茶色い身の部分を、ほんの少しつまんで口に放り込んだ。

「周ちゃん、今日はこれから時間あるの? よかったら司と一緒に病院つきあってくれないかしら」

 ──やはり病院、行かなくちゃいけないのかあ。

「もう桂さんは病院に行ったの、母さん」

 いつもの暑苦しい存在感が感じられないのに気が付いて司は尋ねた。

「あんたたちが寝ている間に行きましたよ。今ごろ、カメラのんで寝ているわよ。夕方にはぴんぴんして帰ってくるわよ」

 ようやくあぐらをかき直し、母さんからお茶碗を両手で受け取り、周平は勢いよく首を振った。

「午前中は野球部の練習があるっし、三時くらいになったら司、もっかい迎えに来ていいっすか」

「周ちゃんは運動部なのよねえ。ほんっと、日々大人っぽくなっていくわねえ」

「俺バカだから、身体動かすことしかできねえし」

 取り立てて司に嫌味を言ったつもりはないらしい。周平ってそういう奴だ。

 ──どうせ僕は、運動部入ってないよ。

「ほら、司、なんでそんなに食わねえの」

「いいよ、僕こういうの嫌いだから食べたくないしさ」

「いいかげんにあんたも食わず嫌いはやめなさい!」

 母は思いっきりぺこっと頭をはたいてきた。友だちの前でそんなみっともないことはしてほしくなかった。でも臙脂色の縞模様に染めた和服と、白いかっぽうぎを羽織った母にはいわゆる「家庭内暴力」なんてできるわけもなかった。司はただ、抗議の意を、茶碗に箸を突き立てることによって表すのみだった。気が付いているのかいないのか、周平はあっという間に自分の食事を平らげていた。母が見張っていなかったらきっと食べてくれるはずなのだ。

「さ、じゃあふたりで時間来るまでゆっくりしてなさいね。周ちゃん、あとでお母さんに持って行ってもらうものあるから、待っててね」

 髪の毛を束ねて、おひつを持っていってくれた母。いなくなったと同時に司は無理やり周平に煮魚を押し付けた。この辺の呼吸はあっている。物言わずあっという間に周平は平らげてくれた。


 とりたてて周平に話したわけではない。

 いったい周平は、「親友の証」として何を求めているのか。

 司にはいまひとつつかめなかった。だから昨夜は当たらず触らずの話をするにとどめた。もちろんお互い野球の話をすると止まらないのでそれほど困りはしなかったのだけれども。

 ただ、このままでは、やっぱりまずいだろう。

 ──「証」かあ。

 結局時計は受け取ってもらえなかった。別の行動を司が起こさないとまずいのだろう。少しのずれならば昨夜のバカ話で隅と隅を合わせて終わるけれども、なんだかそれだけでは足りないような気がした。具体的になにが、と言われても司にはわからなかった。

 周平も話を蒸し返すようなことはしなかった。だからなおさら、困る。

 ──周平、どこまで知っているのかなあ。

 自分が喜んで食べることのできる卵焼きを崩しながら食べ、皿にくっついたものは舐めて取り、司はしばらく考えた。

 白い柄なしのTシャツにジーンズ姿の周平は、何を欲しがっているのだろう。

 小学校の頃、女子がよく、「ねえねえ、友だちだからおそろにしよ!」とか言いながら、髪飾りやハンカチをおそろいにしていたのは見たことがある。まさかそんな気持ち悪いことをしたがる奴じゃあないだろう。

 ──女子みたいなことじゃないよな。僕にだって言いたくないことだってあるのにさ。

 司は眠くなってきた目をこすりながら、テーブルの上のいちごをつまんだ。食い足りない分はデザートで補うのが司の主義なのだ。

「病院っていつものとこか」

「うん、じいちゃんとばあちゃん見舞いに行く」

「あ、そっか」

 片岡家の事情をすべてご存知の周平は、こくっと頷いた。

「ずうっと寝てても、じいちゃんたちってちゃんと歳だけは取っていくんだよなあ。白髪増えてたよなあ。頭はげてきてたよなあ」

 よく見ている。何度も周平と一緒に見舞いに出かけたことがあるから分かっているのだ。

「周平も気をつけろよ」

「なにをだよ」

「まゆ毛」

 きょとっとした顔で周平はひたいを撫でた。


 周平が帰った後、司はボタンのたくさんくっついた白いシャツと紺色のブレザーを羽織った。制服以外でブレザーなんて着るのは久々だった。ネクタイはいらないだろうと思っていたら、母にすぐ締めるように言われた。よそゆきの服なんて大嫌いだ。襟がちくちくして、特にのりが効きすぎているとかぶれてしまう。青大附中の制服なんてもともと嫌いだけど、うちでたまに着せられるブレザーはもっといやだ。

「さあ、早く乗ってちょうだいね」

 母さんが運転していく。足だけスニーカーにして、ぞうりはビニール袋に包んで。お手伝いのおじさんおばさんが菓子折りの包みを三折ほどかかえて後方座席に置いた。司も助手席に座ってシートベルトを締めた。これも司は大嫌いなのだ。窮屈なことなんてどこがいいんだか。

「司、ほら、だらしなくしないの」

 母さんが運転している間、司はひたすら目を閉じ眠り続けた。寝不足解消だった。

 向かう「かみのよ総合病院」には母さんの父さん母さん、すなわち司のじいちゃんばあちゃんが入院している。周平にも言った通りいつものお見舞いだった。母は毎日、着替えや紙おむつを運ぶために行き来しているけれども、司はこうやって帰ってくるときしか寄らなかった。なんだか自分の中で、「おじいちゃんおばあちゃん」の意味が、他の連中とは違うような気がしてならなかった。

 ──じいちゃんばあちゃんって、みんな、目、開けてるだろ?

 ──うちのじいちゃんばあちゃん、目、開けたことないんだよ。

 司の記憶する限り、ふたりが意識を取り戻したところを見たことがない。物心ついた時からふたりは病院のベットの上でほとんど身動きせずに眠っているだけだった。個室に一人ずつだった。男と女、ということもあり個室二部屋を十五年以上占領しているという。司が生まれる前からの話だった。ただ、最初のうちはふたりとも髪の毛が黒かったような気がする。特にじいちゃんは。この数年ほど、髪の毛がどんどん後退していって、ほとんど額がてかてかのつるつる状態だった。将来の周平を見ているようで少し心配だった。


 車から降りると、周りには桜そぼろを振りかけたような景色が一面に広がっていた。

 薄緑色の建物には病院名の看板がかかっていない。建物の陰になっている白い建物の方が本館なのだが、司のじいちゃんばあちゃんは長期入院患者のため、別館に回されている。特別緊急の手術が必要とかそういうわけではないので通常だったら自宅介護で十分とのことだった。ただ母さんの体力の問題もあって、今のところは病院に入院させたままだった。その辺の事情については司もよくわからない。

「司、荷物もってちょうだい」

 スニーカーからぞうりに履き替えた母が、表情を大人の人たち用のものに切り替えて微笑んだ。歳相応とはいえ、だいぶしわも増えたものだと司は面白く眺めた。紙おむつを2パックと、着替えの浴衣を入れた大きな手提げを母は抱え、もう一つの風呂敷包みを司に顎でさした。

「これをね、婦長さんと看護婦さんに渡してもらえる?」  

  いつものことだった。永年お付き合いしていると、一種の家族付き合いに近いものとなる。お菓子やお茶、本当はしてはいけないらしい差し入れだけど、母はこっそりと人のいない時を見計らって渡すようにしている。

「最近はおじいちゃんたちもご機嫌がいいみたいでねえ」

 ──ただ寝ているだけだろ。

 司の見る限り、じいちゃんもばあちゃんも、白い鉄のベットで天井見上げているだけだった。むしろ周囲で世話を焼いてくれている看護婦さんたちの方が身近だった。側の肘掛いすに腰掛けて、持ってきたお菓子をつまむ。窓辺にはまだ手つかずのまま残されている畑の連なり。本館が通院客中心でかしましいのに対し、別館は看護婦さんたちの移動する音くらいだった。時折奇声を張り上げる年配の患者さんが病室前を横切る程度だろうか。

「そうなんですよねえ、そうそう、ほら司、お渡しして」

 言われた通りに風呂敷のまま渡そうとしたら母に手を叩かれた。あわてて結び目を解いて中から取り出した。 高校生くらいの看護婦さんが一生懸命断っていたけれども、間に入った母さんと同じ年代の看護婦さんが……たぶん婦長さんだろう……お礼を言って受け取った。

 母が隣りの病室にいるばあちゃんのところへ行った後、司はぼんやりと外を眺めていた。桜そぼろの景色よりもくっきりと、眼下には形よく緑の木々を整えた公園が見えた。きいろっぽい花が咲き乱れていた。お天気もいいので、家族に車椅子を押されながら散歩している患者さんもけっこういた。

  ──周平たちと一緒に野球やりたかったのにな、 いつもそうだよな。

  じいちゃんばあちゃんの見舞いは強引に予定に組まれている。日曜日の予定は学校行事以外ほとんど使えない。

 酸素マスクをつけたまま、時々痰を管から戻しているじいちゃんの顔を見ながら、司はかつてクラスの連中から聞かされた話を思い出していた。

 

  それまでは想像なんてしたことなかったことばかりだった。

 ──片岡、お前んうちってたいへんだよなあ。社長さんまだ目、さまさねえのか?

 言われた時、どう答えていいかわからなくてうつむいたら誤解されてしまった。腹立てたと思われたらしい。

 ──すっげえ有名な話だし、うちの父ちゃんたちからも聞いてたけどさあ。

 尋ねてきた奴が誰だったか覚えていない。入学直後のことだったと思う。ごくごく普通の調子でだった。世間話、特段盛り上げようとすることもなく、何気ない感じでだった。

 ──悪い奴に誘拐されて、一週間くらい見つからなくて、その後発見された時には死人みたくなってたって言ってたよな。あれから、どうなったんだ? うちの母ちゃんたちもすげえ知りたがってたぜ。

 じいちゃんもばあちゃんも病院で寝ているなんて言えなくて、それより連中がどんなこと言ってほしかったのかがわからなくて司はずっとだんまりを続けていた。幸い青大附中は話したくないという奴を無理やり絞り上げるようなことはしなかった。司が一言も発しないうちに、みな見切りをつけて離れてくれたから。

 次の日こっそり大学図書館へもぐりこんだ。自分が生まれる一年前の、青潟市で起こった誘拐事件について調べた。新聞の三面記事にでかでかと載るような出来事だった。「青潟会社社長夫婦誘拐事件」と銘打たれている見出しを目で認識したのは初めてだった。懸命に読みこなしていくうちに、病院でねっころがったままのじいちゃんばあちゃんがまだ「社長」「社長夫人」だったことがあったのだと再確認した。

  ──あのふたりもちゃんと立って、話していたことがあったんだ。

  今、ここで寝ているじいちゃんが、司のいることに気付いてぱっちり目を開けたとしたら。

 ──じいちゃん、僕のこと知らないんだよな。

 血圧が上がっているのか下がっているのかわからないけれど、呼吸は整っているようだった。ベットの上に広げられた紺白の浴衣がすっかりくたりとしていた。

 手元に持ってきたゲームウオッチを取り出して、時間つぶしをしていた。時折母さんが戻ってきては紙おむつをロッカーにしまったり、着替えを手提げ袋に入れたりと気ぜわしくしていたのを黙ってみていた。

「司も手伝いなさいよ」

「だって、何やればいいかわからない」

 本当のことだから言うしかなかった。実際司が手を出すとなおさら時間かかること多い。親切心で結局立っているだけだ。

 母さんは備え付けのテレビにスイッチを入れ、目を閉じたままのじいちゃんに話し掛けた。

「早く目、さましてちょうだいよ、お父さん」

 管から白い痰がビーカーへ流れていく。母さんにとってじいちゃんは、生身で動いたことのある確かな「お父さん」らしい。


 退屈をもてあました司は、母がむっとするのを無視して外の公園へ飛び出した。

 せっかく野球をやりたくて返って来たというのに、一日中辛気臭い病棟の中で過ごすなんてやってられなかった。時折すれ違う人が挨拶するので、頭を下げるくらいのことはした。青潟において自分が注目されやすい人間なのだということを知ってからは、特に礼儀正しくするようにしていた。黙っていても「あの、『迷い路』の息子さん」というささやき声が聞こえる以上は仕方ない。

 ──生まれたくて生まれたんじゃないのにさ。

 公園をぐるっと三周くらい駆けた。途中、藤の木を見つけてちょっと立ち止まったりした程度、あとは身体を疲れさせるだけだった。身体の筋肉が気持ちよく伸びた。まだ咲いていないだらんとした藤のつぼみが見え隠れしていた。年賀葉書で微笑んでいた、かの人のことを思い出した。

 ── やっぱり周平と一緒にくればよかった。

 わからないなりに、何か言いたいことが見つかった。

 

 神乃世町に戻ると、すべてが司の身体に合わせられて切り抜かれ、全身をのびのびさせてくれる。桂さんと一緒に過ごしている時も決して窮屈だとは思わないけれども、やはり一番足りないのは走ることであり、叫ぶことなのだろう。神乃世町では誰も「迷い路」の息子だなんて言わない。ただの司だった。

 ただ、周平が昨日の夜口にしていた、「進路指導」の際に広がった幼なじみ連中の不安みたいなもの。それが気になった。青大附中でも進路指導のようなものはある。青大附高へそのままエスカレーターで進学できることにはなっているが、それぞれの進路によっては公立を受験することもあれば、他の全寮制高校に推薦されることもある。さまざまだ。おそらく司もこのままだと、青大附高へ進むことになるだろう。周平はどうするつもりなのだろう。神乃世町の近くには公立高校もそれなりにあるし、たぶん一番近いところを受験するつもりだろう。ほとんどの子は公立高校入学試験を受験した後、それなりの進学をするだろう。

 ──周平、どのくらい知ってるんだろう。

 ──僕が、社長になるって知っているって?

 ──でも僕は、父さんに軽蔑されてるよ。きっと。 だから、うちから追い出されたんだって。

 空の青さが澄み渡り、細い雲がたなびいている。目の上をさりげなくこすられたような、いずい感じが残った。

 ──父さんも母さんも、僕が神乃世にいる時だけはふつうだけど、青潟にいる時は全く違う人になるんだって、みんな知らないよな。

 たまたまだだっぴろいうちに住んでいるだけ。そう司は思っていた。

 誰も不思議になんて思わなかった。

 ──親友の「証」か。  


 本当だったら今、こうやって思っていることをそのまま周平に伝えたかった。

 この二年以上もの間、司がどうしてクラスの連中から口を閉ざしてきたかを。

 身体の中に芽生えている、突き上げるような叫びがどうしてなのか、周平に聞きたかった。

 周平とだと平気なのに、学校では思いっきりミーハーな話で盛り上がれないという、おなかが空いたような感覚を。

 藤に抱かれて微笑むあのひとのことを考えるたび、どうして変な夢ばかり見てしまうのか。

 周平にだったらすべて話すことができただろう。

 でもそんなことをした段階で、周平は司から離れてしまうだろう。

 最低の奴だと思うに違いない。なにせ周平は女子にまるっきり関心を持っていなかった。司が小学校を卒業する頃からもそうだったし、今だにエッチな話とか女子の話とか、したことがない。きっとそんなことに関心を持っているのは司がえげつないからなんだと思うだろう。

  それにもうひとつ。「どうしてあんなことをしたのか」とたずねられたらどう答えればいいのだろう。言い訳できれば世話はない。ただの誤解なんだと言い訳できればいい。でもできない。してしまったことは本当なのだから。

 気がついた時、かばんの中に丸い布の塊が詰め込まれていたことも、妙な匂いが鼻についていたことも記憶に残っている。白やピンクや水色や、いろいろな色に目がくらんで、指先が勝手に動いたことも記憶している。ただなんでそんなことをしてしまったのか、いまだに司はその気持ちが思い出せない。今なら決してそんなことしたいなんて思わないだろうけれども、あの時だけは自分が自分でないみたいだった。おばけがのり移って司を駆り立てたようだった。


 屈伸運動を何度か行った後、司は立ち上がった。病院に戻ろうとして、見覚えのある女性とすれ違った。特段挨拶されなかったので無視していたけれど、病棟にたどり着いた時に気がついた。名前は忘れたが、ある有名な女優さんだった。この病院は父さんがお金を出して有名なお医者さんを呼んだりしていることもあり、お忍びで有名人や財界人がやってくるのだという。それがわかるようになったのは、青潟に暮らすようになってからだったのかもしれなかった。

「司、そんなに退屈なんだったら、先にうちに戻る?」

 帰ってからいやみったらしく母に文句を言われた。じいちゃんばあちゃんと話をしたことのある母さんならともかく、司にとってはただのでくの坊だ。退屈だってしかたない。

「うん、戻る」

「じゃあ車に乗ってなさい。これからお母さんは、院長先生にごあいさつしてくるわ。いつもよくしてくれるからおじいちゃんもおばあちゃんも、ほんといい夢見ているみたいよ。あんたももう少しお手伝いしてくれたらねえ。それと、司」

「なんだようるさいなあ、ガキ扱いするなよ」

 母の髪は少しほつれていた。和服姿こそ乱れていなかったけれども、病室で長く過ごしていると、どことなく顔が黒っぽく見える。

「周平ちゃんを大切にしなさいよ。あんたのこと大好きなんだからね」

 なんだかくすぐったい。

 ──うるさいな、そんなのわかってる。

 だから、親友の「証」を探しているのだと言い返せず、司はさっさと駐車場へ向かった。


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