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「司、俺たち親友だよな」
夕食も終り、部屋に戻った後周平がつぶやいた。大抵司が帰ってくると、周平が押しかけてきて一晩泊りがけで遊ぶのが常だった。母もお手伝いさんたちもみな心得ている。和室ばかり六部屋が、中庭の池を囲むように並んでいる。でかい鯉が足音を聞きつけるなり、えさをねだりに近づいてくるのもいつも通り。司の友だち連中が真夜中、まくら投げや大相撲の取り組みを行ったりするのもいつものことだ。最後に安眠妨害された桂さんに怒鳴られて一同しゅんとするのも、また毎度のことだった。
夜は寒くなるからと、母からは厚い掛け布団を渡された。泊りにくる時、かならず周平は司の部屋で眠ることになっていた。小さい頃からそうだった。まゆ毛がだんだん薄くなっていて、このままだと顔面はげになるのではと司は人事ながら心配している。そりの入った髪型は一段と「中学生の不良化のきざし」のプリントに近いものに進化している。前髪もぐるぐるのリーゼントヘアーを気取っている。
「当たり前だろう、なんでいきなり聞くんだよ」
「いや、なんとなく」
布団をしいて、Tシャツとパジャマのズボンにさっさと着替え、司は横たわった。あぐらをかいて何かを言いたそうにしている周平を覗き込んだ。
「今夜はうるさくするなよっておばさん言ってたけど何があったんだ?」
「たいしたことじゃないよ。桂さんのことさ」
司は簡単に説明した。
「桂さん、明日人間ドックに入るんだ。いつもこの時期、うちの母さんが無理やり押し込むんだ。胃カメラ大腸カメラ血液検査その他いろいろなものをやって、悪いとこないか調べるんだ。朝一番で一時間くらい下剤飲まなくちゃなんないし今夜九時からは何も食べられない桂さん早いとこ寝ちゃおうと思っているらしいんだ」
「ひええ、それは悲惨だ」
顔を思いっきりしかめてみせた周平。上半身裸で胸をかいた。
「だろ、だから起こしたら最後、きっとぶんなぐられるよ」
「司、お前もたぶん殴られるのか?」
「うん、たぶんな」 まだ風呂には入っていない。最初に桂さん、次にお手伝いのおじさんとおばさん、母と続き、最後に司と周平がのぼせる寸前まで浸かるのが普通だった。風呂掃除もしなくちゃいけないのが面倒だ。もちろん周平にも手伝わせるつもりだ。
「けど司、桂さんと一緒に住んでて、やじゃねえか」
「別にそういうことないよ」
取り分けて、面倒なことはない。もし母と一日中顔をつき合わせているというのだったら、思いっきりけんかしてしまいそうな気はする。でも桂さんの場合、食事と勉強の時以外面倒なことを言わない。部屋を片付けろとか、いいかげん夜更かししないで寝ろとか、いやらしいテレビ番組観るなとか。たいしたことじゃない。自分で出来ないことを桂さんは押し付けないだけだ。 ちなみに周平には、桂さんのことを「親戚のお兄さん」と伝えている。
「ふうん、そっか」
周平は短く答えると、裸のまま司の隣りに横たわった。食事が終わったばかりでまだ身体はほかほかしている。母が心配しすぎるだけなのだと司も思っている。
「他の奴ら、どうしてる? 今日もっと来るかと思ってたんだけどなあ」
到着して、待っていてくれたのが周平だけだったことが司としては少々不満だった。いつもだったら他の友だちも周平が連れてきてくれて、もしかしたら三、四人くらいが雑魚寝するかもしれなかったのにだ。ひそかに期待していたのにだ。なんで周平だけだったのだろう。
「あ、みんなな、塾があるから今日は来れねえって。明日来るはずだぜ」
──塾か。
「周平は行ってないんか?」
「行かねえよ、そんな金、うちになんかねえもん」
さらっと答える周平の顔には、なにもれらったものがなかった。
司の家は裏手に山を見上げる格好となる場所に立っている。以前はお寺だったとかで、とにかく広かった。ロの字型の中庭を囲むようにして、欄干のむこうに和室がみな障子で仕切られている。もちろん部屋と部屋の間はふすまだ。部屋が多すぎるくらい多いので、一部屋ずつ空けてそれぞれの部屋が割り振られている。そのせいかプライバシーもそれほど気にならなかった。
司の部屋は畳八枚程度で、座机と本棚、あとは小さい頃に遊んだ超合金のロボットとか野球のバット、グローブ、テニスラケットなんかが残っている程度だった。ほとんど青潟のマンションに運んでしまっているので、暇な時はすることがない。大抵は周平のような友だちを引きずり込んで遊ぶのが常だった。 中庭の鯉が、ちゃぽんと跳ねる音がした。司は障子を閉めた。時計を外し机に置いた。
「司は青潟のがっこにそのまま行くんだろ」
「その方が楽だし」
言葉を濁した。
「周平は? 神乃世から出るのか?」
「一応な」
周平も言葉が少なかった。筋肉がびっちり詰まっている胸板は、いかにも運動をやりつづけたことの証明だった。小学校の頃から野球、サッカー、バスケなんでもござれの周平は、現在中学で四つくらいの運動部を掛け持ちして活躍している。運動部関連の推薦入学を狙えばどこの学校も引く手あまただろう。司は尋ねた。
「私立の推薦とか受ける気、ないんか。周平余裕でいけるよ」
「ねえよ。だって金かかるじゃねえか」
思わず
「じゃあ僕が父さんに頼んで学費出してもらえるようにしようか」
と口走りそうになり、慌ててつぐんだ。いくらなんでも親友に対して失礼だ。
いつからだろう。父さんと母さんが友だちよりものすごく金持ちだということを知ったのは。
神乃世町で暮らしていた頃は自覚なんて全然なかった。父さんが「自分の会社」に勤めるために青潟へ単身赴任していることとか、母さんが寝たきりのおじいちゃん、おばあちゃんの面倒を見るために一人、今でも神乃世町に残っていることとか。ずっと疑ったことなんてなかった。たまたま、お寺になりそこねた大きな家に住んでいて、たまたまそれが広い部屋でいっぱいだっただけだった。部屋の中には置きっぱなしにされたさびた仏像以外金ぴかのものは見当たらなかったし、母さんひとりだと無用心だからということで、気心のしれたお手伝いさん夫婦が住み込んでくれていることも、とりたてて「金持ち」の特権だと思ったことはなかった。
──青潟に行ってからだ。
隣りの周平の顔を見下ろした。目を閉じると本当に眉が薄いとわかる。
「周平は僕の親友だよ」
小さくつぶやいた。
「青潟に行っても変わらないよ」
「ほんとかよ。青潟ってすげえ奴ばかりなんだべ」
「そんなことない」
──ないよ、周平だけだ。
確かに青潟のクラスメートは「すごい」奴が多い。頭の回転もさることながら、小学校の頃から買い食いが当たり前だという奴、すでに彼氏彼女の存在を持っている人、さまざまだ。司にとっては信じがたいことを、みな平然とやっていた。真夜中にディスコに繰り出すのが普通という女子たちもいると聞く。
「僕は神乃世町の方がいいなあ」
「ほんとかよ」
繰り返した周平の言葉には、さっきとは違って少しとげが混じっていた。理由を説明できれば一番いいのだろうが、それもできない。
「じゃあさあ、親友の証に、何かしろよな」
「証?」
いきなりの要求。周平がそんな言い方をするのは初めてだった。
「何、すればいいんだよ」
「司が一番、それにふさわしいって思うことだってばよ」
「それにふさわしい?」
要求される意味がわからず、司は横たわり何度か寝返りを打った。
「わからん! 周平、何しろっていうんだよ」
「親友だったら、親友として、ってことだぜ」
外は静まり返っている。周平の言葉が障子越しに響いた。ひとつおいた隣りの部屋で早々と寝ているであろう桂さんには聞かれていないだろうか。ちょっと声を落ち着かせた。
「何しろって」
机の上に銀色に光るものを見つけ、司はそっと手に取った。文字盤のデジタル表示がてかてかしていて、周りに蟻の頭ひとつくらいのボタンがたくさんくっついている。中学入学祝に父さんにねだったものだった。確か、六年の頃一番かっこいい、と思っていたデザインで、周平を含む男子たちが一度、生で見てみたいと騒いでいたものだった。司も当然その中に入っていた。だから周平にあの時「じゃあ司、お前買ってもらえよ」とそそのかされた時……本人にその意志があったかどうかは別として……当然のごとく頼み込んだのだ。めったにおねだりなんてすることなかったけれども、父さんはその時、あっさりと買ってくれた。小学校でさっそく見せびらかし、男子たちと一緒に時計をいろいろいじって遊び、最後に担任にげんこつ食らわされて取り上げられ、小学卒業まで返してもらえなかったという曰くつきのものだ。
周平の腕時計が隣りに並んでいる。すっかりはげた黒い合皮のベルトに、いかにもプラスチックでできたゴム型のバンドに、白いデジタルの文字盤がくっついている。たぶん千円くらいで手に入るものだろう。周平には似合わないと思った。ごつい腕、だいぶ毛が生えてきた手首。
──この時計、周平のほうが似合うよな。
司は枕もとに時計を置いた。
「これ、やるよ」
「はあ?」
横になり、今度は周平が司を見上げた。眉のない顔で四角い額。てかっていた。
「僕、また買ってもらうから、いいよ」
うまく言葉が出なかった。
「司、どういうことだ?」
「だから、この時計、やるよ」
これが親友の証だから、と口にしようとしたとたん、突如周平が司を押し倒した。最初はふざけてプロレスごっこしようとしているのかと思ったが、それにしては手加減していない。周平の方が悔しいけれど腕力は上。本気出したら怪我をするのが目に見えている。でも今の周平は違う。両肩を布団に押し付け、片一方の手を振り上げた。指が目に入ってくる、と思いきや頬に衝撃が走った。
「何するんだよばっかやろう!」
片膝で急所を蹴り上げた。司も売られた喧嘩はしっかり買う。納得いかないのに殴られるなんてそれは絶対変だ。
「うるせえ! 俺をバカにしてるのかよ!」
「どうしてそういうことになるんだよ。僕、ただ、時計をやるって」
「時計なんか欲しくねえよ!」
「だって周平、この時計かっこいいって言ってただろ! それに今お前してる時計、なんか合わないしさ、それに僕は別のがそろそろ欲しかったからさ」
「ざっけるんじゃねえ!」
すでに会話はかみ合わなくなっているのがわかった。大抵だったら逃げるだろう。青潟の連中相手だったら司は尻尾巻いて逃げるだろう。でもここは神乃世町だ。司の生まれ育った場所だ。そして相手は親友だ。周平だ。
──手加減なんか、絶対、しない。
「司、周平、いいかげんにしろ! ったく腹すいてるのになんで俺がまた怒鳴らなくちゃなんないんだよお」
結局いつものようにふたり桂さんにげんこつを食らわされた。すっかり腹を減らしたまま、上下灰色のジャージ姿でいる桂さんはかなりご機嫌悪かった。髪の毛はぬれたままで寝ていたからだろう、逆立ちくせ毛の嵐。魔人様だった。周平もなんどか桂さんに怒られたことがあるのですぐに静かになった。司は言うまでもなく、大人しくうなだれていた。周平もそうだけど、桂さんには勝ち目なんてない。
「お前らさあ、なんで仲いいのにこうもすぐ喧嘩するんだ? ったく、司も周平も」
廊下には、着物姿で様子をうかがいにきた母さんの姿が障子越しの影として残っている。めったに入ってくることはない。
「子どもの喧嘩に親は口を出さないの。仲裁してくれる人がいるしなおさらよ 」
というのが母の主義らしい。桂さんも気付いたらしく、
「あ、いつものことっす、大丈夫っす」
と声をかけていた。何度か頷くしぐさが影絵芝居のように映った後、楚々と消えた。
「おばさん、話わかるよなあ。どこの誰だかとは違ってな」
司をにらみつけるようにして、周平は腕をさすっていた。さっき勢いあまって司が噛み付いた後が残っていた。
桂さんは空腹を忘れたいらしく、薄荷飴らしきものを懸命になめていた。食事が取れない代わり、飴玉はいくら口にしてもいいらしい。ポケットから生ぬるい飴を取り出し、周平に、次に司へひとつぶずつ渡した。
「さて、今回は何が発端だったんだ? 手を先に出したのはどっちだ?」
周平が手をあげた。布団に正座して、もじもじとお互い指先を動かしている。桂さんがあぐらをかき、ふたりを交互に見つめている。
「一発目は周平か。で、原因はなんだ?」
「僕が時計やるって言ったらいきなり怒り出したんだ!」
それしか言いようがない。司は事実だけをぼそっと伝えた。
「なんで時計やるって言ったんだ? そもそも、なんで時計なんてやらねばなんなかったんだ? お前らだったらまだ賭けマージャンやるわけでもないだろうに」
──賭けマージャン?
思わず周平と顔を見合わせた。ばつが悪くなってすぐに逸らした。
「じゃあ司、どうしてお前、時計やろうと思ったんだ?」
「親友、の、証」
うまく言えない。付け足した。
「周平が、僕のことを親友だと思っているんだったら、そういうことをしろって言ったんだ。だから、時計を証にしようか、って思ったんだ」
「はああ?」
脱力した風に桂さんは後ろにひっくり返った。
「次は周平だ。なんで司に、親友の証なんて欲しいって思ったんだ?」
答えなかった。横目で司が周平を見たけれども、全く反応がなかった。
「司のこと、親友だと思ってるんだったら、なんでものが欲しいなんて思った?」
「んなもん欲しがってなんてねえよ!」
布団を思いっきり叩いた。桂さんは落ち着いている。もう一度起き上がり、足を組みなおし周平ににかっと笑った。
「そうっかあ。周平、お前、親友の証として別のものが欲しかったんだなあ。わあったわあった。したら司が勘違いしやがったと。で頭にきたと、だろう。そういうことだろう」
簡単に片付けようとしているのが見え見えだった。でもそれが一番近いような気もした。いったい何をすれば周平は満足してくれたのだろう。司には頭をどんなにひねっても見つからないような気がした。
「な、周平。司に、何して欲しかったんだ? ものなんかじゃねえよなあ。おい、司もちゃんと聞いとけ。どうやら今回はお前の勘違いが一番の発端だったってことだからなあ」
──僕がやっぱり悪いのかよ。
司がぶんむくれたまま横を向いたら、今度は桂さんの手で頭をぐりぐりされた。
「ほらほら、親友いなくなったらどうするんだ? 周平、まずはこいつに、わかりやすく言ってやれよ。司の奴きっと勘違いしちまったんだよな」
またぽちゃん、と水音が響いた。髪の毛をがしがしとかきむしりながら、周平は司を見た。にらみつけるようにして、火が出そうなほどに。
「司、ずれえよ」
また無言を通されると、どこがずるいのかわからない。司はじれながら、片足を立てて膝を抱えた。にらみ返した。
「僕がなにしたんだよ」
「言わねえっけさ」
さらにむっと来た。
「何言えばいいんだよ」
「ほんとのことさ」
「ほんとのことってなんだよ」
もう一個薄荷飴を口に投げ込んだ。もごもごして聞き取りづらい。
「知ってるくせにとぼけるなよ」
「だからなんだよ!」
もう一戦、今度は司の方からしかけようとした。すぐに取り押さえられた。
「司、もっと話聞いてやれ。周平も言いたいことあるんだったらこの際に言っちまえよ」
天井の電灯がぱちぱちと音を立てた。
「今日、なんで他の奴ら来なかったか知らねえだろ」
「みんな忙しかったんだろ」
「司のこと、みんな気付いたからだってさ」
吐き出すように、短いセンテンスで、周平はつぶやいた。しかしそれ以上の言葉は出てこなくて、しばらく無言が続いた。蛍光灯のじりじり音と、時たま響く鯉の水音、中庭を挟んだ向かいから聞こえるテレビの声。司はしばらく周平に背を向けたまま、親指を絡めて手遊びに熱中していた。桂さんも特別何も言わずに、両腕を組んで「うーん」とつぶやくだけだった。やがて膝を打った。
「よし、周平、ちょっと俺の部屋で話すか。司の奴、あのまんまだとぶんむくれたままだからな、少し作戦会議だ」
「どうして僕がぶんむくれるんだよ!」
司と周平が喧嘩をすると、大抵桂さんが仲裁に入る。母が割り込んでくる時もあるけれども、ほとんどの場合司が悪者にされる。今度もきっとそうなんだろう。思いっきり腹がたって司の方から部屋を出た。
「勝手にしろよ!」
適当に納屋に篭って寝ればいい。このうちには余った部屋がたくさんあるんだから。
中庭に下りて、司はぼんやりと池の鯉を見下ろした。赤ちゃんの頭くらいの大きさで、石のネックレスをこしらえ、中に水と鯉を入れた仕掛けになっている。竹垣で反対側の部屋からは覗き込めないよううまく細工されている。うっかり足を踏みはずさないように、小さな電球が石畳の途中途中に、燈篭のように飾られている。今夜は司が帰ってくるしお客さんもあるということで、わざわざつけてくれたのだろう。
闇の中で、うごめいては跳ね、跳ねてはうごめく鯉たちの動きを感じる。
──周平なんか、大っ嫌いだ!
障子を閉めた部屋の向こうで、桂さんにあいつは何をしゃべっているんだろう。自然とこみあげてくるものをこらえながら、司は鯉の動きを目で追っていた。
気付かなかったわけじゃない。
なんで周平以外の友だちが今日、きてくれなかったのか。
けど周平は全然変わってなかったし、時計をやると言い出すまではなんでもなかった。
「親友だよな」と言われて、「証」が欲しいと言われたから取り出しただけ。
たぶん周平が一番欲しがっているものだろうと思ったから、渡そうと思っただけだ。
なんであんなに怒るのかわからない。しかも本気出して殴るなんてひどすぎる。
──僕のことを気付いたってなんだよ。
背筋に冷たいものが流れる。自分にとって怖いものがないとは言わない。青潟でやらかしてしまった自分の失態を聞きつけたのだろうか。いくら神乃世町と青潟が離れているとはいえ、陸の孤島という場所ではないのだから当然だろう。
──だから、気付かれないようにしてるのにさ。
この家に戻れば、よけいな肩書きなんて無視して、周平たちと野球やって遊ぶことができるはずだった。
「下着ドロやった金持ちの息子」「金でもって学校に居残ろうとした奴」「将来は『迷路道』の三代目社長」「創立者夫婦が二十年以上前、誘拐されてふたりとも意識不明の重体となり、現在も植物状態」とか、司は神乃世町から出るまでは知らずにいたことばかり。なぜ、青大附中の連中はみな、本人の気付かないことまで知っているのだろう。神乃世町だったら周平たちと一緒に夜の見張り番に出かけても平気だったのに、青潟だと桂さんと一緒で無い限り変なところへはいけない。友だちがいないから別にかまわないとはわかっているけれども、何かが違いすぎる。
──やっぱり、神乃世町に戻ればよかったんだ。
一度は選ぼうとした選択肢だった。身体を壊して戻ってきた、ということにしようかと父さんも言ってくれた。母さんもそれがいいと言ってくれた。でもあえて司は青潟へ残る道を選んだ。クラスで「下着ドロの現行犯」と言われてもかまわないと覚悟して決めたことだった。
周平に話したことはもちろんない。
親友でも言えないものは言えないものだ。
──そんなこと、言えって言われても。
──父さんが社長だなんて、僕、青大附中に行くまで気付かなかったのにな。
障子が開いた。身を硬くして、視線を黒い水に向けたままにした。石畳をゆっくりと歩いてくる二人の人影を、片方の肩で感じた。知らん振りをした。
「司、周平、あとはお前ら二人で解決しろ」
短く桂さんが告げた後、一発屁をこいて背を向けた。
周平は黙って司の背中に立った。振り向くにも背中がばしんと堅くなって動けなかった。指先で池の水をかき回した。
「この前な、進路指導、あったんだ」
いきなり話が飛んでいる。息を殺して司はうなだれた。
「あれからだ。司のこと、周りでいろいろ言い出すようになったの」
「僕のこと言い出すってなんだよ」
もう周平が怒っていないことだけはわかった。周平は頭を下げることなんてないけれど、こうやって別の形で手を差し出してくれる奴だった。受け取るしかない司だった。
「俺たちも、よくわかんねかったけど、司がなんで青潟に行っちまったのか、その時初めて分かったって奴がほとんどだったんだ」
──父さんのうちに住むんだってことにしてたもんな。
小学校の仲間には一言も話していなかった。なんで青潟に行くことになったのかなんて、あの当時司すら良く理解していなかったから。
「お前、社長になるんだもんな」
ぶっきらぼうに飛んできた言葉を、司は受け止めて頷くことしかできなかった。
──なりたくて、なるんじゃないんだ、周平。
「司が金持ちになっても、社長になっても、親友だってことには関係ないだろ」
「当たり前だろ」
ようやく司も言葉を発することができた。
「けど、お前、なんであんなたっけえ時計、投げるようにくれたりするんだよ」
「あれは」
言葉が出なくてまごまごしたけれど、
「あれ、僕より周平の方が似合うと思ったし、それに、『証』ったらそれかって思ったから」
「ばっかみてえ」
周平が思いっきり頭をはたいた。痛くて振り返らざるを得なかった。
「俺、そんなん欲しいって言ったんじゃねえよ」
──じゃあ何して欲しかったんだよ。 それ以上何も言えなかった。
「先に風呂入りてえ。お前もすぐ来い」
──だからここ僕のうちなんだってば。
司は黙って立ち上がった。司の部屋から洩れる黄色い光を追って、石畳を照らす灯篭の影を踏んで歩いた。周平も何も言わなかった。




