11
「いいか、片岡」
天羽は電話の向こうでくぐもった声を出した。
「俺が西月に放課後残れって話をしておく。明日は委員会もないし、修学旅行のしおり作りもだいたい一段落したってことだ。だから周りには誰もいないと思う」
「けど、もうばれてるんじゃ」
C組のうるさい女子に目をつけられているという話を天羽は知っているのだろうか。泉州さんの言っていたことが本当だとするならば。 天羽はくくっと推し殺すように笑った。
「あたりまえだろ、うちの男子連中みな知ってるかもしんねえよ」
「みんなって、天羽、まさかばらしたんじゃ」
「ばらしてねえよ。ただ見張ってた奴がいただけだ」
天羽はこともなしげに言う。
「ま、安心しろ。野郎どもは落ち着き払ったもんさ、片岡が男を見せるまではなってことで、だんまりを約束してくれたぜ」
知らないうちに話が進んでいる。寒気が走り、くしゃみが二回ほど飛び出した。
「おいおい大丈夫かよ、武者ぶるいか?とにかく俺が、他の奴等に邪魔させないように手を打っておく。いいか、片岡、お前はただ、あの女に思いの丈を思う存分告げればいい。まさか本当にお前がばらの花持って行くとは思ってねかった。修学旅行の時は同じ部屋の奴とその時の話を笑い話にできるくらいにしちまえよ、ちゃあんと手は打っておくからな」
──手なんてどう打つんだよ!
話が終わり、電話ボックスから出た司の目には、しわくちゃな夕陽が空いっぱいに広がっているような気がした。隠しごとをめいっぱい広げて、明日。 突きつけることになる。 わが家、桂さん付きのマンションに帰ったのは六時をもう回っていた。いつものように、
「ただいま」
と、声を掛けてみた。返事はなかった。てっきり泉州さんを連れ込んでいると思ったのだが。桂さんの部屋、トイレ、風呂場を覗きこんだが誰もいなかった。気抜けして、ちょっとほっとした。
──あの人いたら、疲れるし。 いつぞやは大急ぎで隠したあの葉書を机の上に出した。 藤棚を背に微笑む、着物姿のあの人を。
二年前のあの事件を引き起こすまで、司は西月小春という名の女子を意識したことはなかったような気がする。神乃世にいたような、男子とほとんどかわりないような子とはみな違う、青潟の女子はみななんか違う、そんなことを思った程度だ。どこがどう、というわけではない。ブレザーの着方ひとつにも、襟元のリボンの結び方も、みな独特なものがあった。いいとか悪いとかは感じず、ただ、少し変、と思った程度だった。
司があの事件後、天羽にひっぱられ、A組の男子たちに弾劾裁判へかけられた後のことだった。 一言も発することのなかった三十分近く、腕時計の重さが痛くて、司はずっと真下を見おろしていた。
──なんであんなはずいまねした?
── てか、犯人本当にお前なのか?
── お前が校長室から出てきたところを見たって奴がいるんだぞ。
── まさかもみ消したなんてこたあないよな。いくらお前のおやじさんが社長だったとしてもそれは違うと思うぞ。
── 白か黒かはっきりしろよ。おい、黙ってないでなんとかいえよ。このままでいいのかよ。
あまりの男子連中ヒートアップ状態に、天羽が強引に裁判の終了、および判決を出した。うやむやなままに終わった。
自分に与えられた制裁はそれから二年間の無視。女子はもちろん男子もだった。そのくらいの制裁は受けて当然だった。理由はわからなくともしでかしてしまったことだけは事実。司は被告人として、目を閉じた。廊下に出て、何かを言おうとした天羽から離れようとしたとき、
「天羽くん、どうしたの」
後ろから追いかけてきた声に、天羽の足が止まった。つられて司もかたまった。
「いやあ、小春ちゃんこれはこれは」
いきなり口調を変えてへらへらと笑う。
「とーとつですがなんぞやと」
あの頃はやっていたCMの口まねだ。がたいのいい天羽が腰を屈めてお愛想いうと、なんだか奇妙なギャップが感じられて面白い。見ていた司にはそんなこと考える余裕なんてなかったはずなのに。変な記憶だけが残っている。
「小春ちゃん」と呼ばれたおかっぱ髪の女子が、評議委員の西月さんだとは知っていた。甲高い声で明るくしゃべる……ちょっとうるさめの子、といった印象しかない。いや、なかった。
「さっき他の男子たちから聞いたけど、まさか天羽くん、変なことしてないよね」
「お、俺、めっぽうノーマルよん」
「そういう意味じゃなくって!」
あの時初めて、司は西月さんに呼びかけられた。
「片岡くんを裁判に掛けてるなんてこと、絶対ないよね!」
ぎらぎらしたまっすぐな瞳だった。
天羽は明らかに慌てていた。どこでどうばれたのかわからないといわんばかり、あちこち髪をかきむしり始めた。あれも今思えばテレビ番組のギャグだったのかもしれない。西月さんの目が司を向いていたのはほんのわずかで、すぐ天羽の方を向いた。
「裁判なんてフェアじゃないよ。評議の女子みな反対してるのよ。第一、片岡くんが犯人だっていう証拠なんてないのよ。犯人が生徒じゃないかもしれないってどうして思わないの!」
「小春ちゃん、これには地底うんマイルもの深いふっかーいわけがあるのさ。男のロマンて」
「関係ない!今、天羽くんがしてるの、絶対おかしいよ。だって犯人片岡くんだって決まった訳でもないし、みんなに疑わせて、後で真犯人が出てきたらどうするのよ」
「あの、小春ちゃんごめんごめん、めんごめんご、どうか怒らんといてえなあ」
あの頃の天羽はひたすら西月さんをはじめとする女子たちに関西系のギャグをかまし受けをねらっていた。まだ入学してから二ヶ月ちょっとしか経っていないのに、A組の男子人気トップは天羽で決まりになってしまった。司からすれば、周平よりは運動能力落ちるのではないかと感じる程度だった。そこらへんの距離の違いも、もしかしたらクラス二年間で一人も友達ができなかった原因かもしれない。なにせ、リーダーをなめきっていたのだから。
「お前、さっさと行け」
天羽に怒鳴られ、司はそのまま逃げた。西月さんがその時司を目で追ってくれたかどうかはわからない。それどころじゃなかった。
──片岡くん、おはよっ!
それからだ。西月さんが司に毎朝夕あいさつしてくれるようになったのは。
周りの女子たちからは、 「小春ちゃんやめなよ、下着ドロだよあいつ」 と止められた。
男子たちからは、 「西月もものずきだねえ、あんなうそつき野郎かばうなんてな」 とばかにされているのを聞いたことがあった。
でも二年間、今日まで彼女の態度が変わることはなかった。
たった一枚、青潟のクラスメートとして年賀状が届いていた時、むしょうにいらいらして返事を出さなかった。女子にどう書けばいいかわからなかったからだ。挨拶してくる西月さんが不気味に感じたのも確かだった。周りから「下着ドロでもいいんだってさ、片岡も愛されてるねえ」とひゅーひゅー口笛吹かれたりもした。面と向かって答えられず、西月さんの顔を見ることもできず、司の方が逃げ出したりもした。
──僕になんかかまうなよ!
あっち行けよと思ったりもした。
一度、西月さんが風邪で学校を休んだことがあり、それこそ誰ともしゃべらず授業でも当てられず、一日を過ごしたことがあった。だんまりは慣れているはずなのになにか、体の部品に油がささってないような気がしてならなかった。 うちに帰り、ふとぐっちゃぐちゃになった机の上……勉強なんてしたことなかった……を見おろした時、するすると動き出すものがあった。わからないけれども、唇から吐息が洩れるような感触だった。
西月さんのくれた年賀状を手にとり眺め、机の棚に置くようになったのはそれからだった。司は初めて手に取った時と同じふうに、そっと指で藤棚の上をなぞった。つるつるした表面が、西月さんの頬に変わるような気がした。そっと頬につけ、机に耳を押し当てた。部屋の中は闇だった。
眠りに入る瞬間を覚えていられないのと同じ感覚だ。西月さんのことを見つめてひとり自分が変になるのを感じて戸惑うのも。
──なんで寝てるんだろう。
暗闇の中、机にうつぶせて目を閉じたところまでは覚えている。気がついたら、ベッドのブラインドに顔をくっつけて眠っていた。ということは、桂さんがベッドに寝せてくれたのだろうか。てっきり桂さんは泉州さんを連れ込んでいるのかと思っていた。いったいあのふたりどこにいたのだろう。司はブラインドの隙間から真下を見おろした。そこには朝陽に当てられた銀色の建物群と、電線に留まるすずめたち。めったに見えない小さな海。司はしばらく覗きこんだのち、一気に窓脇のひもをひっぱった。しゃきっとこなごなに裁断してしまうような響きが部屋に満ちた。寝返りをうち、机の下に隠していた花瓶に視線を向けた。一輪もないけれど、つぼみのばらがありそうな気がした。
桂さんは昨日のことに全くふれず、さっぱりしたトーストとマヨネーズとアンチョビを重ね合わせて食べていた。
「司、腹空いてるだろ、はよ食え」
「昨日どこいたんだよ」
「彼女とデートとでも思っていたか?」
黙って肯定する。 口いっぱいに頬張ったまま桂さんは司にオレンジジュースを注いだ。
「お前駅前の本屋によったろ。車でふたりしっぽりと、お前の彼女について語り合っていたんだ」
──桂さん! あの、彼女じゃないって!
「わりい。彼女候補ってところか。あのお嬢もなあ、腹座ってるよなあ。もしお前がけじめつけたらいくらでも協力してやるって胸をたたいていたぜ。どうやら司のこと、俺の次に好きらしいぜ」
一瞬だが、全身かみそりになったかと思った。切れそうだ。
──こっちからおことわりだよ!
教室に入った。司の到着を待つかのように、何人かの男子が振り返り、笑いともあざけりともつかない表情を見せた。
が、何も言わない。
女子たちの一部も……西月さんとは別のグループだが、悪い関係ではなさそうに見える……司を一瞥した後、ひそひそ声で何かを話していた。 二年前、あの事件の前後からその雰囲気は全く変わっていなかった。前から三列目、廊下側から二列目の席にもう、ばらの花は見当たらなかった。おそらく西月さんが受取った後しかるべき場所に隠したのだろう。
──C組の女子に見破られているなんてこと、ないよな、絶対。
すでに泉州さんから入っている情報に、息がとまりそうになる。
まずそんなことはないだろう、と楽観的に思いたい自分と、いや泉州さんの言うことは間違っていないのではないかという予感と。司はまず、泉州さんの顔を探した。厳密にいうと「匂い」を探したといった方が正しいかもしれない。なんとなく、一緒にいると周平や他の男子連中に似た雰囲気があって、むかつくけれども落ち着いてしまうのだ。 あえてC組の女子たちがどういう顔をしているかは見なかった。それ以前にC組の女子なんて誰が誰なんだかわからない。同じクラスの女子自体、西月さん以外分別つかない司にそれは求められないことだろう。自分の席に付いた後、司は全く予習していない英語のノートを広げ、教科書の英文を写し始めた。英語だけはひとなみの成績を取っている。
「片岡くん、おはよ!」
顔を上げると、いつも通りの西月さんが、後ろにあの泉州お嬢を従えて通り過ぎた。他の男子たちにも同じように、返事を待たずに声をかけ、最後に天羽くんへも温かい言い方で挨拶していた。もちろん無視されていた。
もちろんお嬢は何も言わずに一瞥し、視線だけで何かを伝えようとしていた。全くいつも通り、ばらの花のことなんて匂わせない。ほっぺたがふっくらしていて、おかっぱ髪に前髪をすくって束ね、横に流しているいつものスタイル。なんとなくだけど、あの年賀状にくらべて、身体の線が泉州さんに似てきているように見え、慌てて司は下を向いた。男子たちがどう言っているかはわからないけれども、泉州さんの身体つきは、いや、確かに分かりやすくくびれているんだと昨日あらためて感じたのだから。きっと、「スタイルいい」方に入るのだろう。近づいている西月さんもきっと、そうに違いない。
「小春ちゃん、今日のリーダーの予習、やってきた? 悪いけど写させてえ」
「いいよいいよ、私も他の人から貰ったものをそのまんま写しているだけだもん」
天羽たちからするとこういう行為が、 「いい子ぶるんじゃねえよ」 ってところなのだろう。いつか、司が過去の事件をみんなの頭から消去して、生まれ変わることができたなら、たぶん自分もそういうだろうと思った。
天羽が立ち上がった。さっきまでメイン男子グループの中で、近江さんを交えて「修学旅行のしおり」について語っていた様子だったが、西月さんがすんなりと席についたとたん、他の連中には両手を合わせて何かを謝り、彼女の方へ向かった。女子連中が少し西月さんの席からはけて、一緒にいるのは泉州さんだけだった。この二人もないしょ話をしているようすだった。司は耳をそばだてた。
「なんなのさ、天羽」 太い迫力の問いに、天羽は無視したまま、西月さんに何かを言った。
司には聞き取れなかった。
「はあ? あんたなんか用あるわけ?」
「あねごには関係ねえだろ、俺は、こちらに用事あるんだ」
もう一度何か言い返そうとした泉州さんを小首かしげて西月さんが制した。
「天羽くん、放課後に、ここで?」
「そういうこと。わかったな」
西月さんの声が、上ずっているように聞こえたのは自分だけかもしれない。司だけではなく、他の女子たちも、一部の男子たちも興味ぶかげに言葉なく様子をうかがい、最後に互いのグループでまた話を始めた。一瞬だけ、電気のようなものが教室内に満ちたような気がした。
司の背中に、今まで感じたことのないぞわりとした空気がのっかった。
ただ、天羽が手を背中に乗せてくれただけのようなものだけれども。
──とうとう始まった。
教室の中だけで過ごすわけもいかず、いやおうなしにトイレに行ったり体育館に向かったり、他のクラス連中と顔を合わせる機会は多々あった。たぶんその中にC組の女子が混じっていたのだろう。すれ違いざま、唇をひんまげたような言い方で、
「ばらの花なんて、きざったらしいよねえ」
と、司にではなく隣りの友だちらしき女子に話し掛けていった。
──やっぱりその通りなんだ。
泉州さんは嘘を言ったわけではなかったってことが証明された。
いつもの司だったら聞かない振りをするのだろう。でも、もう天羽によって賽は投げられてしまった。もう、放課後のA組の教室において、例のことをすべて告げなくてはならない。自分で決断したことだとはわかっているし、それは自分なりの覚悟だし。約束なんだから。頭の中ではちゃんと約束としてまとまっているのに、どうして今、こうやってがたがた震えているのだろう。
A組に戻り、朝よりは少し熱くなっているような男子女子の眼に、司はまたうなだれた。西月さんだけが全くいつも通り、けらけらと笑いつづけているのだけが救いだった。きっと、気付いていない。きっとそうだ。司は自分に言い聞かせ、時折髪の毛をかきむしった。桂さんに言われた通り、今日は下着も制服のシャツもみな、買ってきたばかりのものに替え、シャワーもあびて来た。面倒だけど、そういわれて素直に従ってしまう自分がばかみたいだけれども。たぶん、西月さんに近づいても今日の自分は臭くないだろう。すべて、今までやってしまったことを洗い流せないけれども、せめて、ほんの少しだけでも。
司のいる間はさすがに誰も何も言わないけれど、一度教室を出るといきなり盛り上がる一部のグループが見受けられた。何を言っているかなんて聞きたくない。きっと、天羽がなぜ西月さんを呼び出したのか、そんなこと話しているに違いない。当の天羽はというと、あくびをしながら相変わらず近江さんにちょっかいを出していた。受け答えする近江さんは、めんどうくさそうに片手の文庫本を置いて、天羽にとっては面白いらしい言葉を返していた。
──なんで天羽は僕なんかを応援しようと思ってくれるんだろう?
──泉州さんだって、どうしてだよ。
誰もみな、様子をうかがうようにはしているけれども、とりあえず本当のことは隠しておこうと思ってくれているらしい。女子たちも他クラスはともかくとしてうちのクラスみな、あまり不必要なことは言わないようにと心がけてくれている様子。司は泉州さんの方を見た。誰もいないようだったらこっちから声をかけてみたかった。でもタイミングがうまく合わなかった。今日はやたらと西月さんにばかり、くっついている様子だった。西月さんもいつも通りの笑顔でみんなに接していたけれど、時折天羽の方へ細い視線を投げていた。
「片岡、ちょっと来な」
昼休み、食器片付け当番だったこともあって司は、銀色の食器一セットをひとりでかかえて給食準備室へ向かっていたその途中だった。両手で金具の取っ手を握っているし、給食準備室の通りにはあまり人通りがない。
「来れないよ。給食室に置いてこなくちゃ」
「あっそか」
相変わらず泉州さんは、髪の毛洗っているのかどうかわからないくらいまっ白の肩をしていた。あまり女子の身だしなみについてうるさく言える自分ではないけれど、痒くないんだろうかと司は余計な心配をした。今日の自分がすっきりした格好だからなおさらなのかもしれない。清潔な方が、居心地いいのかもしれないのにと思う。
「けさ、天羽が小春ちゃんに言ったこと、やはりあんたが仕組んだことなわけ」
「だから昨日言ったよ。僕はそれ終わるまで何も言えないって」
豚汁の甘い匂いでまたおなかが空きそうだった。司は小さくつぶやいた。
「わかってるって。ま、私も小春ちゃんには本当のこと言ってないから安心しな。けど、あんたもがんばんなよ」
「そんな、関係ないだろ。人のことなんてさ」
下着ドロ野郎にくっついていて、この人もあとで何言われるかわからないのに。司としては気を遣ってやったつもりだった。さっきなんて担任の狩野先生とすれ違い、泉州さんちゃんと一礼返したじゃないか。全く、意識なくこちらにからんでくる理由は、やはり、その、マヨネーズの入ったラーメンをすする楽しみゆえだろうか。
──そんなことだったらいくらでも、僕が取り持ってやるよ。
司は給食準備室の使用済み食器置き場に、思いっきり持ってきたものを置いた。給食バケツと一緒にがちゃがちゃと、先割れスプーンと銀色のさびた食器皿とがぶつかる音がした。手が軽くなったのでさっさと逃げようとしたら、やっぱり泉州さんに捕まった。
「僕なんかといたら嫌がられるだろ」
「別に、私はやじゃないけどね」
「それって変だよ」
「なんで変なのよ。面白い奴と話したいって思って、どっこがいけないのさ。あ、っそっか。あんた、昨日もとうとう言わなかったもんねえ。下着ドロのこと」
「こんなとこでわめくなよ!」
怒鳴れない内容なのが悔しくて司は廊下の窓側に張り付いた。
「あのさ、桂さんのこと前から知っているんだろ? どうせ僕なんかにからんでくるのってそういうことなんだろ? だったらいいじゃないか。桂さんだって泉州さんのこと、嫌いじゃなさそうだしさ。けど、僕なんかと話して、あとで女子たちに嫌われたらどうするんだよ」
「いいじゃない。友だちは自分で選べるんだからそれを利用しなくちゃ嘘だよ。そりゃねあんた。あんたをもし『男』として桂さんと比べてしまったとしたら、ちょっと考えるものはあるかもよ」
──何が「男」としてだよ。僕だってあんたなんか「女」として。
言いかけて司はふと黙った。何も動じていない泉州さんの顔には、何にも悪気がなさげに見えてしまった。
青潟に来て初めて……男子たちにも、もちろん女子たちにも……見たことのないものだった。
──誰かに、似てる。
「あんたねえ、前から思っていたんだけどさ、男子たちが片岡のことずいぶん見直しているの気付いてなかったよねえ。女子はまあ、あんたのしたことがずいぶんなもんだったからあまりいい顔してないけどね。二年の時も、周りの奴らにさんざん面倒な手伝い押し付けられたり、荷物運びさせられたり、ま、私からしたらずいぶん割の合わない仕事させられてたじゃない。罪悪感あんのかどうかわかんないけど、あんたちゃーんとやってたじゃない」
──この人、何言ってるんだ?
よくわからない。司は動くのをやめて、まじまじと泉州さんの整った鼻に一点集中させた。
「なによりもあんたえらいよね。よく転校しなかったよねえ」
「それが」
思いっきりふてくされた格好で司はにらみ返した。
「あんたのうちだったら大抵、転校するかなにかするよね。よくドラマであるじゃん。家庭教師つけて、帝王学学んで、海外留学してってさ。あんた、親に頼めばそれくらいさせてもらえたんじゃないの」
「英語しゃべれないからできない」
転校しとけばよかったと、この場でかなり後悔した。
「じゃあなんで、あんた青大附中に残ったわけ? 友だちも誰もいなくてさ、桂さんとラーメンすすっているしか楽しみがないのにさ。桂さん言ってたよ。青潟にもっと友だちができればいいのになあってさ。あんたが自分で行動するなりすれば、うちのクラスの男子限定だけどいくらでも仲間に入れてくれるのにねえ」
「うるさいって! 僕のことそこまで知ってるんだったらさ、みんな知っているんだろ!」
通り過ぎる一年生たちを横目に、司は泉州さんの腕を窓辺に引き寄せた。陽射しが窓を照らして、外の生徒玄関および自転車置き場をまぶしく輝かせている。砂利路を蹴って逃げ出したかったけれどもそれができない。ならば言うしかない。
「僕が一年の時に男子たちから、制裁受けてるってことだってみんな知ってるんだろ! 一切しゃべるなって言われてることくらい知ってるんだろ。それに」
咽が詰まりそうになった。こんなこと今までなかった。さっき食べた豚汁が胃にもたれたのだろうか。涙がまたにじみそうになった。なんでそんなに泉州さんは司に寄ってくるのかわからない。二年前、気が付いたら袋の中に下着らしき布を詰め込んで、ふらふら歩いていた自分。下着に手を伸ばした瞬間は全く覚えていない。でも、やらかしてしまったことだけは確かなのだ。もしかしたら泉州さんのブラジャーかパンツかわからないけど盗んでしまったかもしれない。そんな奴になんで、どうして、話し掛けられるのだろう。
「あんた、二年も経ってるんだよ。二年」
ぽん、と司の頭を撫でるしぐさをする泉州さん。ぎょっとして身を引いた。
「言っとくけど、女子は絶対許す気ないと思うよ。被害者に許して欲しいなんてこと、思っちゃだめだよ。ま、私は全然気にしないけどね。私の使用済みパンツが欲しかったら、買えって言っちゃうからねえ。どういうのに使うかわかんないけどさ」
「そんなの絶対買わないよ!」
細いウエストを自分でぽんぽん叩きながら泉州さんは笑った。
「けどさ、男子たちは違うみたいだよ。私も小春ちゃんから評議委員のこととか、クラスのこととかいろいろ聞いていたけどね、天羽たちは一生懸命片岡をもう一度、クラスの仲間として迎え入れたいなって思ってることは事実らしいんだよ。ほら、やっぱりやじゃん。卒業するまでクラスがしらけたままってのはさあ。小春ちゃんも天羽に振られて傷ついているけどでも、ちゃんと天羽がクラスできちんとやり遂げたいことくらいは応援したいって気持ちあるんだしさ。もし、小春ちゃんを片岡がね、本当に思ってくれているんだったら、まずはそこから妥協したらどうかなって私は思うわけよ。このまんま、だーれも友だちいないで卒業するよか、なんぼかいいじゃん」
──そんなの余計なお世話だよ!
窓辺をにらみつけた。
「ほらほら、だからそういうとこがあんた、みんなからめんこがられてるんだよ。ったく、片岡って金持ちのぼんぼんのくせに全然すれてないよねえ。天羽も言ってたらしいよ。小春ちゃんと仲良しだった頃にさ、『なんとかして片岡をもう一度みんなになじませるにはどうしたらいいか』ってさ。『あいつ馬鹿じゃないし、なんか血迷っただけなんだよなあ。だからなんとかしたいんだけどなあ』ってさ。だからそこんところもう少し考えてさ」
「関係ないだろ!」
「関係あるよ。だってあんたと友だちになんなかったら、今度は私が困るもん」
「はあ?」
いつもながら動じることのない泉州さんに、司は声を荒げた。
「これからさ、桂さんについてのプライベート情報をいろいろ欲しいなと思っているわけなのよ。会えば会うほど惚れそうなんだもの。その辺やっぱり、これから先相談に乗って欲しいなあ。いくら親友でも小春ちゃんとだったらだめなんだよねえ」
──とっくに惚れてるくせに。
無言で流す司へ、お構いなく語りかけてくる。
「小春ちゃんのことについては保証できないよ。今日あんたが何をするかわかんないけどさ。でも、片岡、あんたがある程度覚悟して小春ちゃんにぶつかるんだったら、私と天羽および男子たちは全面的にバックアップするよ。女子に許してもらおうなんて思わないこと、それともう一度、言うべきことだけさっさと言っちゃうこと、そうすればあんたの性格さ、なんとかなるって。小春ちゃんに振られたって、お友達として私も残るしさ。あの桂さんもいることだしね!」
「だからなんで僕なんかにかまうんだよ! 桂さんになにかしたいんだったら自分でやればいいだろ!」
「だって、私もわかるもんなあ。天羽たちが片岡のこと心配する気持ちってさ。ほんっと、あんた、おもしろいもん」
片手を振って、最後に振り返り際、思いっ切り背中を殴られた。たわんで膝を付きそうになった。
「もちろん秘密厳守でいくから安心しな!」
口が開いたまま塞がらないとはこのことだ。鐘が鳴るまでの二分ほど、司は豚汁の匂う空気に包まれたまま泉州さんの言葉をひとつひとつ整理しようと試みた。考えてもみない言葉ばかりだった。信じがたい言い方ばかりだった。司には全く、想像なんてしてなかったことばかりだった。
──僕のこと好きだなんて、そんなわけないよ。
──天羽が僕のこと、もう一度仲間にいれようだなんて思ってるわけないよ。
──泉州さんも桂さんだけならともかく、なんで僕の方もいいって言うんだろう。
教室に戻ると次の授業は数学。とおり際、西月さんとふたりでおしゃべりしている泉州さんの声を耳にした。
「よし恵ちゃん! さっきまでどこ行ってたのよ、ねえ、あそこの数学の問題のとこなんだけど教えてほしかったのに」
「はいな。まかせときな」
あねご肌の泉州さんは、さっきまでさんざん司をいじって遊んでいたような顔なんて一切見せず、西月さんとふたりノートを開いていた。「秘密厳守」はほんとらしい。男子たちも女子たちも、西月さん以外の人には一切司のことを隠したまま、放課後に突入させようとしているらしい。天羽と目が合った。
──天羽、本当に、ほんとなのか?
親指を立てて、司にだけ分かるようににっとした笑みを返された。
「健闘を祈る、グットラック」
──やっぱり本当なのかもしれない。
司は小さく頷きを返した後、今度は人目はばからず西月さんの方へ視線を向けた。からかう声など、一切返ってこなかった。