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この謎が解けますか? Re...  作者: 『この謎が解けますか?』 企画室
東雲
3/32

一ヶ月は遅すぎる、診療費ならなおさらだ

Author――稲葉孝太郎

 紗美原すずみはら動物病院――そのガラス戸をあけたとき、一陣の風が舞った。

 春風の匂いだ。

 そう思った須藤すどうは、カメラを胸にかかえたまま、すぐにとびらを閉めた。

 すると、さきほどの匂いに混じって、薬の香りが鼻をくすぐった。

「あら、須藤さん、今日はどうなさいました?」

 受付にいた若い眼鏡の女性が、なにげなくたずねた。

「紗美原さんは、いらっしゃいますか?」

「先生なら、さきほどお戻りになられました」

 診療時間は、頭に入っている。須藤は、その合間を縫ってきた。

 迷惑とは思いつつも、相談したいことがあったからだ。

「アポはないんですけど、お会いできますか?」

 受付の女性は、すこしばかり困ったような顔をした。

「べつのお客様とお話中です」

「話中? ……患者さんじゃないんですか?」

「さあ……先月、風邪気味の猫をつれてらっしゃったような……」

 そのときだった。診療室のほうから、スリッパの音が聞こえた。

 須藤はふりむいた。

 まっしろなとびらから、黒いロングの女性が、上半身をかたむけてのぞいていた。

 白衣をまとった女医だった。

「須藤さん、こんにちは」

 女医は事務的に挨拶した。

 須藤は歯を見せて、少々はにかんだ。

「こんにちは……すみません、お邪魔でしたか? またあとでも……」

「いえ、もうお帰りになられます」

 そう言って女医――紗美原めぐみは、廊下に出た。

 それに続いて中年の女性が、ぺこぺこと頭をさげながら姿をあらわした。

 五十代ほどであろうか。すくなくとも、それ以下ではないようにみえた。

 笑顔というわけではなかったが、ほがらかな表情を浮かべていた。

「先生にはご迷惑をおかけいたしまして、ありがとうございました」

「いえいえ、大した額の立て替えではありませんでしたから」

 お客らしき中年女性は、真新しいライトグレーのVネックセーターを着ていた。

 ひとめでブランドものだと分かった。

 そして、かすかな香水の匂いをただよわせながら、病院を出て行った。

「須藤さん、今日はどうしました?」

 ふりかえると、紗美原がにこやかに笑っていた。

 さきほどの職業的な愛想のよさとは、どこか違っていた。

 このそっけない距離感が、近所で人気を博する理由なのかもしれない。

「えっと……このあと、空いてますか?」

「はい」

 紗美原はそれだけ言って、診療室にひっこんだ。

 半ば常連と化していた須藤は、許可だと解釈して、なかに入った。

 こざっぱりした診療室。奥のほうに、動物用のベッドと治療具が置いてあった。

 紗美原は、回転式の革張り椅子に腰をおろした。

「ここは飲食禁止です。のどが渇いていらっしゃるなら、部屋を変えますが?」

「大丈夫です」

 須藤は用件に移った。ペット雑誌の特集についてだった。

「前々号で、紗美原さんの記事がずいぶん当たりまして、編集長がもう一回としつこくせがむもので……病院特集というのも妙なんですけど……まあ、購買者層としても……」

 須藤は、ごまかしごまかし、話を進めた。

 紗美原は美人の部類である。すくなくとも、須藤はそう評価していた。

 しかし、その美貌を撮らせてくれと頼むのは、はばかられた。

 案の定、紗美原も乗り気にはみえなかった。

「須藤さんのご取材で、お客様が増えたことには感謝しています……ただ、ひとつの動物病院が繁盛しても、しかたがありません。ほかも当たられてみてはいかがですか?」

 ダメだな、と須藤は思った。

 編集長は「あの美人女医さんを撮ってこい」と命じていた。

「そこをなんとか……なりませんか?」

「そうですね……」

 紗美原はくちびるに人差し指をそえて、須藤のうしろにある出入り口をみやった。

「では、クイズで決めましょう」

「クイズ?」

 須藤はおどろいた――が、人並みにおどろいたわけではなかった。

 紗美原がこの手のおふざけをやることを、承知していたからだ。

 ふたりの出会いは一年ほどまえになるが、そのときも謎解きがきっかけだった。

 紗美原がホームズ役、須藤がワトソン役だったが、それはまた別の話だ。

「内容次第ですね。無理ゲーならおことわりしますよ」

「さきほどの女性が当院にいらした理由を当てる、というのはどうですか?」

「Vネックのセーターを着た女性ですか?」

 紗美原は、かるくうなずいた。

 須藤はカメラをひざのうえにおいて、考え込んだ。

 端正な眉間に、しわが寄った。カメラ仕事で、よく日に焼けていた。

 彼は、女性の服装と台詞を正確に思い出した。

「……そのクイズでOKです。分かった気がします」

 須藤はそう言って、目をひらいた。紗美原は、にっこりと笑った。

「あらあら、簡単すぎましたか。お答えは?」

「順番に行かせてもらいます。推理クイズですからね……まず、あの女性は先月、紗美原さんのところへ病気の猫をつれてきましたね」

「おや……どこでそれを?」

「受付のひとから」

 紗美原は、椅子にもたれかかった。

 人差し指を伸ばして、こめかみにそえた。

「なるほど……その情報をお持ちだったとは、私のミスです」

「すみません。勝負なので、利用できるものは利用させてもらいます」

 須藤は受付の女性を心配したが、杞憂だとも思った。

 紗美原は、そういうことで職員をいびる性格ではないからだ。

「つまり、さきほどの『立て替え』は、診療費の立て替えということになります」

 中年女性は、紗美原になにかを立て替えてもらっていた。

 そのことを、須藤はきちんとおぼえていたのだ。

 ここで、紗美原の口もとがほころんだ。

「それがお答えですか?」

「いえ、ちがいます」

 須藤の断言に、紗美原は眉を弓なりにもちあげた。

「診療費の立て替えが答えではない、と?」

「はい。俺がそう答えたら、紗美原さんの勝ちなんじゃありませんか?」

「……そのとおりです。私の勝ちでした」

 須藤はホッと胸をなでおろした。そして、先を続けた。

「診療費の立て替えのお礼は、ついでだったと考えます。理由は、肝心の猫をつれてきていなかったからです……というより、つれてこれなかった」

「と、言いますと?」

「お金がないにもかかわらず、診てもらいに来たわけですよね。かなりの愛猫家なんだと思います。その女性が、回復した猫をつれてきていないのは不自然です」

 紗美原は、感心したようにタメ息をついた。

「では、なぜつれてこなかったのでしょうか?」

「さっきも言ったように、つれてこれなかったからです」

「私の治療の甲斐なく亡くなった、と?」

 須藤は、その可能性を否定した。

 ひとつ目の理由は、紗美原の腕前を高く買っていたからだ。

 ふたつ目の理由は、あの中年女性が、そこまで悲しそうではなかったからだ。

 彼がそう答えると、紗美原は椅子から背をはなした。

「おもしろくなってきました。では、どのような可能性をお考えですか?」

「服がヒントになりました」

 須藤は、ひと呼吸おいた。

「あの女性は、真新しい服を着ていました。ブランドものです。それだけお金のある女性が、なぜ診療費を立て替えてもらったのでしょうか? 俺の推理は、『一ヶ月前と現在のふところ具合がちがう』です」

「お金持ちになったという意味ですね?」

「はい。あの女性は、おそらく五十代です。失礼な推測かもしれませんけど、両親のどちらかが亡くなって、遺産が入ってもおかしくない年齢でしょう。それに、この推理を補強してくれる証拠があります」

「なんでしょうか? どうぞ、もったいぶらずに」

「一ヶ月後に診療費を払いに来たことです。病院に来るときたまたま財布を忘れたとか、そういう可能性は除外されます。遅過ぎますからね。女性には、一ヶ月間、診療費を支払う能力がなかった。そして突然、支払うことができた。ちがいますか?」

「仮にそうだとすると、結局あの女性は、診療費を払いに来たことになりませんか?」

 須藤は、自分の考えをまとめるため、沈黙した。

「……診療費の支払は、あくまでも()()()です」

「では、当院にいらしたほんとうの目的は?」

「家出した猫の捜索」

 スッと、紗美原の顔から表情が消えた。

 正体がなくなった、とでも言うのだろうか。須藤は、この顔を何度もみてきた。

「きちんと説明します。あの女性は、最近になってまとまったお金が入った。それにもかかわらず、回復した猫をつれてきていない。このふたつと、猫の特性を組み合わせると、答えがみえてきます」

 紗美原は、その特性をたずねた。

「猫は部屋の模様替えにストレスをおぼえる、です。あの女性は、まとまったお金の一部を、家のリフォームに使ったんではないでしょうか。それが猫にとってストレスになり、家出をされてしまった。しかし、あの女性には原因が分からなかった。だから、紗美原さんのところへ相談に来た。紗美原さんは事態を喝破して、解決法を教えた。だから、あの女性は帰るとき、そこまで悲しそうではなかった……以上が、俺の推理です」

 パチパチと、拍手が起こった。

 勝った――須藤がそう思っていると、拍手の調子はだんだんと子供じみてきて、なにかのショーを楽しむような、おどけたものに変わった。

「なにがおかしいんですか、紗美原さん?」

「すみません、須藤さんの推理が、あまりにもお見事だったもので」

「じゃあ、来月号の特集を……」

 紗美原は拍手をやめて、居住まいをただした。

 須藤は、室内の空気が冷え込んだような、そんな錯覚にとらわれた。

「残念ながら、まちがいです」

「……俺の推理が、ですか?」

 須藤は、間の抜けた質問であることを自覚していた。

 けれども、そう問いたくなるほどの自信も持っていた。

「どこがまちがいなのか、教えていただけますか?」

「最初からです。あの女性は、私が立て替えたコーヒー代を返しにいらしただけです」

「コーヒー代……? いつのですか?」

「昨日です。喫茶店で会合があったのですが、財布をお忘れになられたのですよ」

「昨日って……じゃあ、先月の猫の治療は?」

「それと今日の訪問が関係あるとは、一度も言っていません」

 須藤は両手をひろげて、天をあおぐような仕草をした。

 それから膝上のカメラに両手を乗せ、前のめりになった。

「ちょっと待ってください。昨日? コーヒー代を立て替えた? ……そんなのどうやっても分かるはずないじゃないですかッ! アンフェアですよッ!」

「私は提案しただけです。『そのクイズでOK』だとおっしゃったのは、須藤さん、あなたですよ。アンフェアだと言われても困ります。そう思われたのなら、『分かりません。ほかの問題にしてください』と言っていただかないと」

 紗美原の完璧な受け答えに、なすすべはなかった。

 須藤はあきらめて身をひき、大きく息をついた。

「分かりました……俺の負けです」

「ご期待にそえず、もうしわけありません」

 須藤は席を立った。そして、貴重な時間をとってしまったことを詫びた。

 彼は診療室を出て、受付のまえを通りかかった。

「須藤さん、お帰りですか?」

「ええ……出直してきます」

 ガラス戸をあけると、一陣の風が吹いた。

 同時に、紗美原の言葉が、頭のなかでリフレインした。

 

 『そのクイズでOK』だとおっしゃったのは、須藤さん、あなたですよ。アンフェアだと言われても困ります。そう思われたのなら、『分かりません。ほかの問題にしてください』と言っていただかないと……

 

 快晴の春空のした、ふと須藤は思う。

 もしあの受付の職員から、一ヶ月前の猫の話を聞かなければ――自分は、問題を変えてもらっていただろう。おそらく。多分。だとすれば、あのときの会話は――須藤はそこまで考えて、大きく息を吸った。そして、青空をみあげた。どこまでも澄んだ空だった。

「さすがに、あのシャッター音は聞き取れなかったみたいだな」

 須藤は、カメラの液晶画面に触れた。

 膝上で撮ったみごとな角度の写真に、彼はプロのほこりを感じるのだった。

外部サイトで連載していた『探偵獣医、紗美原めぐみの動物カルテ』の後日談です。カメラマンの主人公がワトソン役、女医の紗美原さんがホームズ役なのですが、本作ではワトソンくんの寝技(?)が炸裂。なろうでも連載を始めるかもしれませんので、そのときに思い出していただけますとさいわいです。


Next→→→『絆クエスト~勇者一族殺人事件【問題編】』

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