「ラビリンスドール」
「ラビリンスドール」
重い・・・・・・重い・・・・・・。
身体が重い。
まるで強固で重厚な鎧兜を身に付けているようだ。
今にも消えそうな、肩を切る風にも気を付けなければならないほどに、か細い蝋燭の灯りの、ほの暗い廊下を幾ら走れども何もない。
何もないのだ。
扉の1つも、曲がり道もなく。ただただ一直線の闇が続くのみ。
試しにまた窓を割って外に出ようとするが、割れない。
絵に書いたように、そこに存在する様に見えるが実のところ平面のようだ。
窓枠をなぞるように指を這わせてみても、目に見えてるような凹凸は感じ取れない。
夢の中だというのに、いや夢の中だからだろうか。
どれだけ走っても疲れない。
だが何キロメートル走っても何処にも繋がらない、変化が見えないのを感じ続ければ、徐々に走る気力を失ってしまう。
もういいや・・・と。
「・・・・・・スビー・・・・・・。」
「・・・・・・っ。クソ。」
アスビー・フォン・ライクニックは追われている。
主人を襲う従者に追われている。
もしこれが現実ならば瞬く間に等身大の黒炭にしてやれるのだが。そうするための力が出ない。
おかしいだろ、私の夢ならば私の思い通りになれ!
これは怪奇のせいとかではなく、単純に琥太郎の生霊のせいではないか? 私が毎日の様に折檻の雷を食らわせてやっているせいではないか? 何だかんだ念を溜めているのではないか?
ええい、何故休息のために眠るというのに、こうも疲れなければならないのだ。覚めたならば真っ先に元凶となっている従者を殴り飛ばしてやる。そうしてやる!
アスビーは、何処までも続く廊下を何処までも追ってくる従者に苛立ちを覚えながら走った。
何キロも、何分も。
距離も時間も定かにならないほどに。走る走る。
走れども走れども、琥太郎の声が追ってくる。変わらずに一定の距離を保ったまま、その声は途絶えることはない。
ふと、アスビーは足を止め後ろを振り返って立ち止まる。
こちらが止まれば追い付かれるのか? 普通に考えればそうだろうが、夢の中ではどうだろうか?
何の目的もなく、ただ逃げ惑うのも阿呆らしい。どうせキャトルが見つかるわけもない。魔法の使えないアスビーが素手で組みせないほどの琥太郎を撃退する武器も捜し走ったからといって都合よく落ちているわけもない。
もういい、都合の悪い悪夢め。
こうなれば対してやろう。向き合ってやろう。
足を止め、腰を落とし迫り来る声へと構える。
「・・・・・・スビー・・・・・・。」
琥太郎の声は、変わらず後方から聞こえる。
琥太郎もどうやらアスビーと同様に足を止めたようだ。
疲れないとはいえ、無闇に走る必要もなかったようだ。
しかし、ただ止まっただけでは何も解決にはならない・・・。
「・・・ん?」
何故、後ろから声が聞こえる?
私は振り返ったのに、どうして変わらず琥太郎の声は後ろから聞こえるのだ・・・!?
小首を傾げたアスビーの身体がフワリと浮いた。
フワリと身体は浮いたが、そう動かした力は決してフンワリとしていない。
「捕まえったー!」
「・・・クッ!」
アスビーの華奢な腰を後ろから羽交締めにし、小さな子供をたかいたかいするように持ち上げた琥太郎。
その腕を外そうと身をよじり、回した右手の指を両手で掴みあげネジあげれば、ようやく琥太郎の腕を外すことに成功する。
地面に降りたアスビーは直ぐ様、前方へと駆けだし。捻りあげられた指を押さえ、くぐもった声をあげる琥太郎を置き去りにしようとする・・・が。
「どうして、逃げるんだ? アスビー。」
「え?」
駆け出したアスビーの目の前に、琥太郎が現れる。
ガバリと後ろを振り返れば今のいまアスビーを羽交締めした琥太郎の姿は消えていた。
・・・仕留めにきたか。逃げることを止めさせて。
私のみる悪夢が終わらせにきた。
「どうして、逃げるんだ? アスビー。」
「・・・どうして、貴様の思う通りにいかねばならない?」
言葉で牽制をしながら、アスビーはジリジリと摺り足で後退する。
「無駄だよ、アスビー。俺は何処までも君を追い続ける。」
「黙れ、贋者。私の従者を愚弄するな。」
「・・・俺は俺だよ。アスビー。」
そう告げた琥太郎の姿が消える。
まさかとアスビーが後ろを振り向けば。
「君が欲しい。」
優しい声と肩にかけた手がガッチリとアスビーの身体を止める。
少しばかり身長の高い琥太郎の顔が間近に入り込む。
目を丸くするアスビーの身体を、先とは違い今度は壊れ物を扱うように優しく恭しく抱き締める、夢の従者。
不器用なやつ。
お前の思うがままの悪夢の中だというのに、お前は私を受け止めるのか。
離れる私を追い、追い付き、ようやくその手に収まっても。私の事を優しく抱き締めるだけか。
本当に、お前は・・・。
・・・・・・もういいではないか。
どうせ夢だ、夢の中でくらいなら忠実に仕える従者の想いに応えてやっても構わないかもしれない・・・。
想い・・・・・・。想い・・・・・・。
想いが重い。重いが想い。
宙ぶらりんのアスビーの腕が、琥太郎に応えてしまおうと徐々に上がっていき・・・・・・。
「・・・満足か?」
「・・・ああ。ずっとこうしていたい・・・永遠に・・・君をこの手に・・・。」
「やっぱり贋者だな。」
「え? ・・・っ!!」
徐々に上がった手を硬め、琥太郎の間近にあった顎を下から打ち抜く。
まったく不意討ちとなった琥太郎は、そのまま後ろに倒れこむ。
「・・・贋者。私の悪夢。たとえお前が本当に琥太郎の欲望の化身だとしてもだ。
現実のアイツはそんなに柔ではない。」
「柔じゃない? 柔じゃないわけないだろう!
君のせいでこの世界に来て、君のために1度死んだというのに・・・それは、君が俺の事を見てない。いやしっかり、見ようとしてないだけじゃないのか!?」
「見てやってるさ・・・琥太郎の欲も、私に対する想いも。
それでいて私はお前を突き飛ばす。
わかっていてお前を受け止めてやらない。その想いを利用して、糧にして私に仕え続ける琥太郎を。
想いを、私は受け入れてやらない。
受け入れてやれば、そこで終わりだ。私も琥太郎も。
嫌な女だと、貴様は怨むがいい。少しは甘い事をさせろと僻めばいい。
私の従者、安楽島琥太郎は、それでも付いてくる。貴様を律して、私に仕え続けてくれる。
努力する、背中を追って。
貴様のように飛んでこない。アイツはその柔な足で1歩1歩駆けてくる。
それがアイツの強みだ。
所詮、貴様は"想い"だよ。実体のない"想い"だ。
アイツは想いを抱えて、苦しんで、汗をかいて・・・」
尻餅をつく琥太郎の欲望を見下ろして、アスビーは高らかに告げた。
「私の従者を・・・愚弄するなっ!」
テイクバックした右足を、琥太郎の顔面めがけて振り抜いた。
蹴り飛ばされた琥太郎の身体は吹き飛ばされ、廊下の天井を突き破り、空へ空へと飛んでいく。
それを見送るアスビーに、妖艶な声が聞こえてきた。
「______残念。女子の様に叫ばなかったライクニック伯。無様ではあるが、愚様ではなかったぞ______」