「障らぬ者に祟りなし。」
「障らぬ者に祟りなし」
部屋にはコーヒーの香りとタバコの煙が充満する。
「なあアスビー。これから語尾に"にゃん"をつけて話さないかにゃん?」
「耳もぐぞ。」
「"耳を、もいじゃうにゃん!"と言ってくれたなら喜んで差し出したのに。」
「耳削ぐぞ。」
「それはそぐえない。」
「耳炒めるぞ。」
「食べるのか?」
「庭には二羽の腹を空かせたノーチラスが居る。」
「増えてない?」
「ノーチラスもいい歳だからな。」
「メスだったのか!?」
「私は魔物であれ、オスに股がるなぞせぬ。」
「身持ちが堅いのは良いことだ、落としがいがある。」
「私も墜としがいのある従者をもてて満足だ。」
「その墜とすはどういう意味でしょうか?」
「試すか?」
「遠慮します。そうじゃないだろ話題の元は、アスビー。俺たちは今、"にゃん"について話しあっていたんじゃないのかにゃん?」
「お前、自分で言いたいだけじゃないか?」
「言わせたいんだ。いや言い合いたいんだよ、あるじー。別に語尾の"にゃん"に、こだわるわけじゃないんだ。
これは1つの献策だ。例えば愛称で呼び合うとかな。従者の提案する主への細やかなスキンシップ向上案だ、そういう砕けたやり取りが大事だと思うんだ。
引いては作業効率や信頼関係などもアップする、良いことづくめだぞ、何よりコストがかからない。」
「じゃあ、お前は明日からバラクのこと、バーちゃんと呼ぶがいい、命令だ。」
「俺に死ねと?」
「仲良くなりたいだろう?」
散々に"猫耳エルフの騎士キャトルちゃん"を弄り倒した俺とアスビーは幾つかの書類仕事をこなしながら談笑している最中だ。
統治者であるアスビーの仕事の1つであり、主な業務ともいえる。
外交、司法、行政などの役所仕事から、寄せられる怪奇事案の見聞。
俺も書類と格闘するアスビーを横でみているうちに、徐々にこの世界の言葉も見書き出来るようになり、今では仕事を手伝うことも出来るようになった。
やれば出来るじゃん、俺。
これも愛ゆえの力かと自画自賛。
「琥太郎、また誤字がある。」
「すいません・・・。」
ケアレスミスは仕方ないよね、自己弁護。
「"猫娘キャトル"は、ほっといて良かったのか?」
「ん? ああ、問題ない。」
『もういい! 穴掘って埋まってやる!』
と、意味のわからない捨て台詞と共に走り去っていった"猫耳魔法少女キャトルちゃん"だが、
アスビーは仕事に一息いれるためにタバコを吸いだした。
「腹がへったら帰ってくるだろう。」
「犬か。いや、今は猫か。」
なにかしら怪奇に憑かれたのならば、アスビーが早々に動き解決するものだと思っていたのだが。
タバコの煙に誘われて、俺も自分のタバコに火をつける。
「"アレ"には何もしなくていい。本人の気持ち次第で直ぐに治る。キャトルもよくわかっている筈だ。」
「さっきから"その現象"とか"アレ"というが、名前が無いのか? 俺の知識では"動物霊"に憑かれたんだと思ってるんだが。」
動物霊。
読んで字のごとし動物の霊だ。
動物霊に憑かれるとは、死した獣の未練が人に憑依することである。車に轢かれた猫に情けをかけると猫に憑かれるだとか、嫉妬深い狐が人に憑くとか、確かにアスビーのいったようにメジャーでありふれた怪奇譚ともいえるだろうな。
"狐憑き"ならば、怪奇譚として有名だな。
"猫憑き"など聞いたことないから、"アレ"と呼んでいるのか?
煙と疑問を吐き出す。
「ふむ、その認識で間違えない。それに"アレ"と呼ぶのは別に理由がある。この世界は、お前のいた世界と違って獣人が暮らしているだろう。
"獣憑き"や"動物憑き"と銘打つのは差別的言葉だからな、"アレ"と呼ぶんだよ。」
なるほど。
人も獣人も同じ"人"だからな。区別して言い分けては、確かに差別的であるか。
特にライクニックでは、アスビーの差別なく優れた者を登用するという、好みもあり"デミヒューマン(亜人)"が多く暮らすからな。
そういう、俺とこの世界の差違には十分に気をつけよう。
「なら、"猫耳メイドキャトルちゃん"は死んだ猫に情けをかけたのか? まあ、"萌え萌えキュンキュンキャトルだにゃん"の性格なら普通にやりそうだけど。
そんな簡単に憑かれるモノなのか?」
「次に私の馴染にふざけた装飾語をつけたら容赦しないぞ。
いいや、先ずあり得ないな。子供なら未だしも、精神的に成熟した大人が獣に憑かれる心の隙を作るなんてあり得ない。恥ずべきことだ。本当に穴に埋まって頭を冷やしてこいと、私は思っている。」
「厳しいな。」
見るからに不機嫌だ。
さっきから、アスビーは合間で合間でタバコをスパスパと吸い続け、灰皿の吸殻量は、次元大介にも匹敵しそうだ。
まあそれは言い過ぎだが。
「煙を燻らす主が好きだよ。」
「・・・お前まで文句を言うな。」
「ちょっと吸いすぎかなとは思うけど。」
「・・・飯にするか。」
そう言いアスビーは目を揉みながら、半分も吸っていないタバコを揉み消した。
馬車に轢かれた猫がいた。
詰所からの帰り道、ヨミの舘に通じる人気の多くない道で。
土の道に同化するように、
白かったであろう毛並みを、己の血でどす黒く染めて。
猫の死体が転がっていた。
生命を失った猫は、物となる。
生き物から、物になる。
誰にも気づかれることなく。
1度ではなく、何度も轢かれたのであろうか。
その愛くるしかったであろう姿は無惨なものである。
気づかれることなくか。
死とはなんだろうか。生物は2度死ぬという話を聞いたことがある。
1つはその命が潰えたとき。
もう1つは忘れられたとき。
忘れられた生物は物となるのかな。
忘れられた時間は過去となるのかな。
忘れられた人間は、死人になるのかな。
アタシは何を考えているのか。
家に帰るだけなのに。
歩き慣れた道を、見慣れた風景を通り。
二人が待つ家へ。
二人か。
懐かしいなあ。
アタシたち二人だけの暮らしも。
琥太郎が来てから、騒がしくなったものだ。
ムッツリだし、変態だけど、悪い奴じゃないし。嫌いではない。
たまに、ほんとたまーに。ものすごく頼りになるし。
アタシも、アスビーもとても信頼している。
ほんとに不思議な男の子だなぁ。
アスビーは、あまり人間の男を近づけないのに。
エルフのアタシから見てもアスビーは、ほんとに美人だ。
昔からずっと。
だからこそ、異性の人間にそう言われるのを嫌う。
だからこそ、勉学に励んできたんだろう。
琥太郎は常に隣に立っている。
彼が隣に立とうと努力する姿は見ていて応援したくなる。
笑うことも増えたよねぇそういえば。
まあアタシも琥太郎のお陰さまで、楽しいし、騒がしいのも嫌いじゃないし。
でも、たまには。
アスビーと二人でゆっくりしたいと思うこともあるんだよ。
休みの日に庭でご飯を食べたりとか。
散歩したりとか。
怖い話は苦手だけど、アスビーに聞かせるために集めたり。
寂しい。
昔を懐かしむアタシと。
進む二人と。
苦しい。
取り残されそうで。
いつか二人だけで何処かにきえてしまいそうで。
憎い?
自分が。
憎い?
だから、アタシがね。
本当に?
・・・。
可哀想に。思い。重い。想い。
その小さな塊を持ち上げ、持ち上げ・・・。
白かった毛並みを優しく、優しく撫でて。
君も家に帰る途中だったのかな?
血は既に乾ききっており、その身体は冷たかった。
アタシの熱を感じたのか?
赤茶色になった猫が首を動かした。
アタシのために動いたソレを。
赤茶色の毛に包まれた首もとへ唇を寄せて。
噛んだ。
冷たい、臭い、鉄の味・・・。
食べた。
・・・。
「え!?」
アタシは弓と矢を持っていた。
「え・・・え? え・・・?」
さっきまで庭にいた気がする。
二人に散々馬鹿にされて、
ノーチラスに慰めてもらおうと思って。
憎い。
手が震える。
指先に力がこもる。
「・・・え?」
憎い。
・・・忘れないで。
思い出して。
頭がズキズキ痛む。
「いたい・・・。」
忘れないで。
アタシを。
思い出して。
アタシを。
「やめろ・・・。」
まずい。
寄ってきてる。
アタシに憑くモノが。
「はな・・・れて・・・。」
頭が痛む。
ガンガンと内側から殴られるように。
見てほしい。
アタシを。
アタシを。
アタシだけを。
「・・・ア・・・スビー・・・。」
足がひとりでに動く。
頭の痛みを我慢するのに必死で、
どこをどう歩いているのか・・・わからない。
見てもらおう。
アタシを。
そうしたら、きっとあの人はアタシだけを。
「「見てくれる。」」
キャトルはヨロヨロと廊下を歩き続ける。
「情けをかけた?」
日も沈みだしたころ。俺とアスビーは、軽いサンドイッチとチーズをツマミにワインを空けていた。
「うむ、死んだモノに情けをかけるという行為が、キッカケだ。
無論キッカケに過ぎないがな。」
「どういうことだ?」
まだ戻らぬキャトルを少し心配になりつつ。
けれど、アスビーは頑なにこちらから動かないという。
「"アレ"は一種の鏡のような怪奇でもある。」
道端に転がる動物の死骸に、目をやる、心をやるほどに現状に悩み、弱った心に近寄ってくる。
そして、キッカケを与える。
素直になれと。
「憑かれた者は欲望に忠実になる。獣にあてられて人としての理性を無くすんだ。
食欲、睡眠欲、性欲。人の欲求のままに身体が操られる。
琥太郎お前が憑かれたら、私に襲いかかるだろうな。
つまりは性欲。
私が憑かれたら、惰眠を貪るだろう。
睡眠欲だ。こう見えても私は、睡眠欲求は強いのだ。」
知ってます主様。
貴方の寝起きの悪さと不機嫌さは、ココに来て2日目でわかりした。
「じゃなんだ、キャトルは飯ばっか食べて肥えるのか?」
はたまた俺に襲いかかるか。
性的な意味で。
そうなれば抵抗のしようもないな。困ったことに。
「アイツが人間だったら有り得たかもな。
お前は、別世界の人間だから無頓着だがな。キャトルは人間じゃないぞ。エルフだ。
気高き森の・・・。」
「何してるの? 二人とも。」
キャトルの声。
扉を背にする俺は、やっと帰ってきたかと。安堵しつつ振り返ろうとしたが、
正面からキャトルを捉えるアスビーがそうさせなかった。
俺の首根っこを掴み、強引に頭を机に押し付けた。
「ぐぶ!?」
ヒュン。
いきなり何をするかと、文句を言おうと開く前に、頭のすぐ後ろで風切音が鳴る。
「アタシがいないから、仲良しなんだね。アスビー。
アタシがいないから、仲良しなんだね。琥太郎。」
坦々と明るい声がそう告げた。
「立派な耳だなキャトル。」
敵意。
アスビーの口調が敵意をもって、キャトルに向けられた。
それもその筈だ。
俺の頭の後ろを通ったモノ。
1本の矢が壁に突き刺さっている。
殺すつもりで射ったんだ。
「キャ・・・トル?」
「アタシのアスビーから、離れろ!」
未だに呆然と定まらぬ頭にまたしても、衝撃。
今度はアスビーが俺の首根っこを掴んだままに、俺の身体を壁に向かってぶん投げたんだ。
「ガボッ!」
「こっちを向け、キャトル・エルクーガ。」
猫が威嚇するような息を吐くキャトルを見ると、
四つん這いになり、片手に弓を握りしめている。
「お前の目標は私だろ、キャトル。
来い。久々に遊んでやる。」
エルフ族特有の長い耳と、頭に生えた猫の耳と、
ひくつかせ、ひくつかせ。
キャトルは獲物を狙う狩人のように、アスビーへと距離をとる。
そうだ、エルフ。
エルフ族、森の狩人。
エルフの欲とは、狩り。
人狩りだ。