「トマト」
「トマト」
照りつける太陽は、昨日までの出来事が全て嘘だったのではと錯覚させる。
太陽がここまで心強く感じるのは初めてだ。
昼夜逆転生活を常にしていた俺にとって、陽が昇ることは、月が昇ることであった。
日本の時間感覚とは素晴らしい。12時間周期で1日を2つに分けることを提唱した昔の学者たちの中にもきっと、そういう人間がいたに違いない。
7時に起きたと言えば、大抵の人は午前7時のことだと解釈してくれる。
7時に起きて、6時に寝る。
午前か、午後か。
それは受け取り手次第だ。
優秀な学者たちは、そんな規則正しい生活をしていたと勘違いし、それを曲解した大抵の人は実践したに違いない。
眠りすぎることが、逆に寿命を縮めると近年では言われているが、
なるほど、昔の人は、学者の苦し紛れの言い訳ともいえる曖昧な発言を真に受けて、いや間違って受けて13時間も寝過ぎてしまったがゆえに、短命だったのか。
いや、午前か午後か関係なく、どちらにしろ13時間眠ることにかわりないか。
そうこうと、どうでもいいことを思案して、時間稼ぎする俺を隣で、口許を朱に染めた淑女は怪訝そうにみる。
「・・・もしかしてトマト嫌いなの琥太郎?」
「いや、そういうわけではない。
ただ、見てただけだ。
思ってたより小さいなと。」
艶やかな、赤色の球体。
その独特の味と食感で嫌いな人も多いと思うが、
俺はそうではない。
だけど、殊更に大好きともいえない。
俺の天敵であった太陽の光を燦々と浴びて真っ赤に色づいたトマトを、燦々と照りつける日差しのもと、丸かじりにすることへの躊躇というわけでもない。
身構えてしまうだけだ。
妙齢な女性である隣のキャトルさんが、人の行き交う街中で、堂々と臆面もなく大口を開けてトマトにかぶりつく姿をはしたないとも思わないし、それを同じく実行することに恥じらいを覚えるわけではないのだ。
トマトは、普通にライクニックでも売られていた。
調理もした。
巨大トマトが名産の街であるここ、"ディセント"の街中で、その名産を食べることは、むしろ乙で、粋というものだろう。
が、身構えてしまう。
ディセントの名産。
霧の街ディセントの。
何もかもが、霧中で、何もかもが嘘八百であったディセントのトマト。
いや、そのディセントは本当は只の廃村であり、今現在、農耕の街として多くの人が往来するこの"ディセント"とは何ら関わりも繋がりもなく。全くの風評妄想というものである。
ああ、クソ。
何をまだ五里霧中なんだ俺は。
ソフトボールより一回り大きいほどの真っ赤なトマトに、やっと俺はかぶりつく。
「・・・うまい・・・。」
「でしょ!」
口のはしに、零れ落ちるほどのトマト果汁を垂らしながら、隣の妙齢な淑女たるキャトルさんは、はにかんだ。
勿論、その口のはしに付く赤は、トマトのものであり、彼女の血ではないのは確かだ。
そうやってひとつひとつ確認して、解釈していかないとどうにもならない心持ちなのだ、今現在の俺は。
噛み砕いて、咀嚼して、飲み込まなきゃならない。
もしかしたら・・・。
リコラスが幻覚をかけたのは、スナイダーさんではなく、俺たちにだったのかもしれない。
そうすれば、あんなご都合主義の展開も納得が行く。
もしかしたら・・・。
最初からサイと名乗った者に、幻覚をかけられていて、
全員、ヨミの舘で眠らされているだけかもしれない・・・。
いいや。そもそもの話。
この世界は現実の世界なのか?
恐怖、疑問、逃避。
子供が何も恐れないのは、その恐怖を知らないからだ。
知ってしまえば、味わってしまえば・・・。
『羨ましい。』
『妬ましい。』
「待たせたな。」
・・・。
アスビー・フォン・ライクニックだ。
降り注ぐ日差しより明るい金色の髪と、トマトよりも紅い瞳の少女。
俺の全てを捧げる人。
現実離れの美女だ。
「済んだの?」
「ああ、馬車も借りれた。」
「ちなみにさ、町長さんに娘さんは・・・。」
「いない。」
「・・・そう。」
「辻褄が合ったな。リコラスの言い分も、私たちの解釈も。」
「そ、だね。
ああー。ほんとに無駄足だったねー。
帰ったら休暇を申請します。」
「いいぞ、珠には親孝行でもしてこい。」
「はいはーい。」
「琥太郎も、少し羽を落ち着かせるといい・・・。
琥太郎・・・。琥太郎?」
「お・・・うっ!」
トマトを見詰めていた視界が霞んだ。
霧・・・?
いや、違う、頭を叩かれた。
「何をボケッとしている、我が従者。」
「・・・・・・すまん。」
「ふむ・・・。」
頭頂部に痛みを感じる。
その痛みに安心を感じるとしても、俺はマゾじゃないと今は言える。
よく夢から覚めるために頬をつねるという行動をとる。痛みがまやかしを、かき消すとかなんとか。
いや、痛みなんてこの世界を"観だして"から、日常茶飯事に受けている。
じゃあ、じゃあ。
これはやはり現実と考えても楽観とは言わないんじゃないか?
「・・・ありがとう。」
「・・・もっとしてほしいということか?」
手をグーに固めた主の勘違いを全力で否定する。
もうアスビーは、全快全力。
拳に乗せて雷を落とされてはたまったものじゃない。
「いやいや、そうじゃない!
ただ、眼が覚めたというか・・・そう思えるというか。」
「ふむ・・・。なるほど概ねわかったぞ、琥太郎。」
物わかりがよろしいことで。
「ん? ふぁに? どゆこと?」
トマトを食べながら喋るんじゃないキャトル。
トマト果汁の赤を口から垂らしながらだと、色っぽさが微塵もない。
ホラーだよどちらかといえば。
「センチメンタルというやつか?」
「難しい言葉を知っているな。うん、似て非なるかな。」
「確かにお前には、キツいものかもしれんな。
こちらに来てから大分経つとしても、元は違う世界の人間だ。
まやかしにつけ入られるのも無理はない。
だがな・・・琥太郎。」
キャトルは、理解がめんどくさいのか、いや単純に美味しいトマトに夢中なのだろう。零れた果汁を拭い、食事を再開する。
「何もかもが偽物だと考えていたら何も出来ないだろう。」
うん、まあそうだけど。
そりゃ、そうだよ。
今起きてることが、全て夢の中の出来事で、現実の自分はベットの上で機械に繋がれているとか。
そんな胡蝶之夢だ、みたいなオチは創作作品のなかだけにしてもらいたい。
アスビーが、綺麗に断言するものだから、否定も言い訳もし辛い。
しかし、考えれば馬鹿らしいことだ。
何故頑なに、これが現実かどうかに固執する必要があるのか。
受け入れたくないことはない、むしろこれが現実だとうれしい。
「やっぱりセンチメンタルだな。」
「只でさえ無口な唐変木に黙られては目障りだ。」
「容赦ないな。」
「甘くないだろう。お前の夢は?」
ニヤリと音がつくほど、アスビーは口角をあげた。
上手いこと言いやがって。
ムカつくほど綺麗だ。
太陽の日差しすら装飾にするほどに。
「・・・だな。」
そう顔をそらして、食べかけのトマトを口に放り込んだ。
・・・酸っぱい。