「オチタ二人」
「オチタ二人」
アスビー・フォン・ライクニックは夢を見た。
たぶん。かなり昔の風景を。
我ながら曖昧な思い方だが、
たぶんと思うのは、これが夢かどうなのかということは置いて
、昔の出来事であること。夢には間違えないだろう。
身体にのしかかる倦怠感の重石。
私は、ヨミとの約束をあっさり破り全身全霊の一撃を撃ったわけだ。
身体の感覚はあるのに、意識は夢を見ている。
不思議な感覚だ、今際の際に見るというやつだろうか。
早く覚めてもらえないだろうか。
第三者が見れば、死際と言った感じだろうか、身体を揺する感覚がないということは琥太郎やキャトルとは離ればなれになってしまったのか。あの二人なら今の私を見たら間違えなく阿鼻叫喚の態だろう。まったくもって部下には恵まれているものだ。
目の前には、霧など一切ない、ただッ広い草原が広がっている。
どこだろうか? そして、私は誰だろうか?
鈍重さを感じながらも私、アスビーが冷静でいられるのは、心。心臓が脈々と私のうちで鼓動している感覚があるからだ。
その感覚も、もしかしたら、夢の一部なのかも。そんな風に夢か夢じゃないか、現実と非現実を迷っていたら醒めることも出来ないだろう。
ただ、今はなすがままに目の前に広がる緑を眺める。
頂点に登る太陽を浴びて正に金色の平原のような。
はて、誰かに手を引かれているのか。
夢の中の私。一応、そういう形で呼んでみるが。
草原を誰かに手を引かれて、駆けている。
心なしか現実の私よりも視線が低い。
10代前半くらいだろうか。
あの時期に、そんな経験勿論ないので、というかグラセニアにこんな場所あるか?
ヨミに一度聞いたことがあるのだが、興味がなかったので話半分だったが。
夢には色々な種類があり、未来を想像したり、架空の自分像を造り理想の世界を想像したり、結局は忘れられた記憶にしろ、奥底に潜む願望にしろ、夢の世界の創り手は自分の心、脳であると話していたかな。
私は、こんな健全な風景を忘れていたのか、それとも学問にかじりついていた10代の青春を別の形で実現したかったのか。
そういえば、私の許嫁とやらは何をしているだろうか。
僕が王になったら結婚してくれなぞと一方的に約束された訳だが、勿論私はそれを承諾する前に向こうが照れでれで、私が何か言う前に走り去ってしまったはずだったかな。
ウィルター・イル・グラセニア。
プリエルカの兄。
ああ、じゃあ、これはそういう夢か。
手を引かれ駆け回る此処は、奴の髪色のような金色の平原と見えなくもない。
手を引く男。だろうな。
太陽にも負けない、煌々と、輝く赤色の髪・・・
赤?
赤色の髪だったかな、ウィルターは。
いや、プリエルカの実兄だそれはない。
調子に乗って若者の間で流行っている染髪魔法でも使っているのか?
それも考えにくい、アイツは自分の髪を王族の証だとか何だとか誇りに思っていた。はずだよな・・・?
琥太郎がギャーギャー五月蝿かったが、私は本当に許嫁の王子様に思い入れがないようだな。
冷たいとか思わないで欲しいが、私はそういう性格だ。
私には誰かに恋したり、思い入れたりそんな感情をもったことはない。
だから、純粋に興味深いと言う意味で、琥太郎の私に対する重い、いや間違えた、想いというやつが、羨ましく思・・・わないな。
やはり、興味深いといったところだろうか。
何故だろうか?
私の年頃の女性ならば、そういう色恋沙汰に並々ならぬ気を割いているのが一般的らしいが。
もっとも私の周りにいた女性はその類には及ばなかったか。
ヘルメスにしろそうだな。あの女は政に恋している女だ。
他にも肉体美だとか、秘術だとか。
そういうものに恋していたヤツもいたな。
私は怪奇に恋していたとして、
3人と合わせて"グラセニアの四女傑"だとか、"王都学校レノアールの四天王"だとか大それた名称で呼ばれていたんだったか。
あの頃は若かったなんて、まだ齢21の女が考えたくもないが。
そういえば、あの頃、4人で競って竜を狩りに行ったことがあったな。
竜なんてそこら辺にホイホイ見つかるような生き物でもないが、確かあの時は三日三晩探して、1匹の大人の竜を4人で2日かけて討伐したんだったかな。
あれも、若気の至りというやつか。
そう思えば、あの青い竜の大きさを見るに、まだ子供かもしれないな。
子供にしても200年前後は生きているだろう、
それでも、人間にとっては十分な脅威なのだが。
「・・・エル・・・」
ん?
私が目の前の仮想空間を気にせず色々と、考え事をしていたので、その空間の赤い髪の男が私?を呼んだのに気づかなかった。
いや、呼ばれて気づくわけないだろう。
耳は現実にいる。
確信とまでは言えないが、私の耳には虫の合唱は聴こえない、太陽の照りも感じない。
ジメジメと薄暗い、微かな水音が反響して聴こえる。
洞穴だろうか。あの竜に吹き飛ばされて、偶然ディセントの街下に広がる地下空間に落ちてきたということか。
鉱業で栄えた街とは聞いたことがなかったな、見えないが、音の反響を聴くに、自然に出来た規模の空間とは思えない気がする。
だから、さっさと醒めて確認したいんだが・・・
「エルザ・・・」
目の前の赤い髪の男の口の動きと、耳に聞こえた呼声がリンクした。
意識が瞬間覚醒する。
「おう、起きたか起きたか。相変わらず元気だねぇ。」
「・・・誰だお前?」
上半身を起こし、醒めた目で目の前を凝視する。
思っていたよりも広い地下空間の端に、ジメジメとした陽の届かぬこの空間に釣り合うようなボロボロの風体の男が鎖に繋がれていた。
ボロボロで、左腕の無い隻腕の男。
「おはよう、エルザ。」
男はそう、私のことを呼んで。ニンマリと破顔した。
「人違いだ。」
「ん? そうか? ・・・そういえば若いな。」
「若いか・・・」
しっとりとした岩肌に背を預け隻腕の男は、目を細める。
「刑場か・・・」
「みたいだな、えっと・・・」
「アスビーだ、アスビー・フォン・ライクニック。」
男の周りに目を凝らせば、人間のと思われる骨が散乱している。
刑場というよりは、捨て場と言えるかな。
散乱した人間の骨、ボロボロの衣類。
岩壁に連なる鎖と錠。
人為的に造られた洞窟。
意図的に隠された被害者の遺骨。
なにやら、聞き及んでいた話とうってかわり不穏な空気を感じる。
農耕で栄える田舎街。
騎士や領主もいない政とは縁のない平和な街。
国の監視の届かぬ田舎街。
地下に潜れば、謎の洞窟と骸骨。
・・・思わしくない。
サイから聞いた温厚で町民思いの町長。
それに異教の老女。
いや、そもそもサイから聞いていた話ももしかしたら・・・。
ディセントという街は存在する。
数年前に実際に訪れたこともある。
霧と竜のせいで、ここが本当にディセントなのか私の目で確証は取れなかった。
この街はディセントじゃないのかもしれない。
濃霧のせいで道を違えたか。
私たちを誘い出すように。もしかしたら、サイが?
吉美を退けてすぐに、訪れたあの少女。
私がグルグルと脳を回す様子を、隻腕の男は黙って眺めている。
臆測で最悪の事態も考えうるが。ともかく、この男と、洞窟のことだな。
エルザ。私のことをエルザと呼んだかこの男。
私をエルザと見間違えたか、この男。
「ライクニック・・・アイン・ライクニックの親類か?」
「そうだ、アイン・ライクニックとその妻エルザの一人娘だ。」
「ああ! どおりで。」
一人合点がいったのか男は頷く。
「すまない、すまない。こんなところで数年来の旧友に出会うなんて、どういう運命のイタズラかと思っていたが。
そうか、二人の娘さんか。若い頃のエルザにソックリだな。」
「よく言われる。幸い母似に産まれたんでな。
その口ぶりからして、父と母をよく知っているようだな。繋がれた騎士よ。」
「ああ、そうだ、そうだ、そうだった。」
よっこいせ。と男は気だるげに立ち上がる。
両足に繋がれていた鎖をなんの抵抗もなく、いとも簡単に引きちぎり。
瞬間身構えるが、男は気にもせず、ゆったりとした足取りで首を鳴らし肩を回し、背中に背負う巨大な太剣と袋包みを確認して、私に残っている片手を差し出す。
「スナイダーだ。」
「うむ。」
ボロボロの佇まいと、隻腕。
そして、無造作に引きちぎった鎖。
街中で見かけたら問答無用で詰所に送っているが、この気味の悪い洞窟には釣り合う。
「うん? 警戒しないんだな。こんななりなのに。」
自分から差し出したのに、その手を握り返すとスナイダーはきょとんと首を傾げる。
「ああ、父の旧友と聞けば合点がいく。」
「ははっ! それもそうだな! アスビーちゃん。」
「アスビー・・・ちゃん?」
「友の娘は、わが娘のようなものだ! ははっ!」
随分と豪快奔放な男だな。
近くで見れば身体中に小さな古傷のような裂傷が見える。
父の旧友、というより戦友だろうか。
腕から伝わる力、背負う巨大な太剣。
並の騎士とは思えん。
「まあ、いい。しかし、父の旧友スナイダーよ。どうして、こんな物騒な所で繋がれていたのだ。繋がれていたというより繋がれたフリをしていたのか?」
「それを言うならエルザの娘アスビーちゃんよ。どうして、こんな物騒な所に落ちてきたんだ?」
「落ちてきたのか?」
「ああ、さっき。眠りの深い俺だが。流石に天井を突き破って女の子が降ってきたら目を覚ますものだ。」
それは初耳だ。
よく生きてたものだ私。
「よく立ち上がれるなそんな身体で。」
「うむ、鍛えているからな。」
「いやいや。」
スナイダーは、首を振る。
「そんなスッカラカンの魔力でだよ、アスビーちゃん。」
「・・・ほう。」
やはり、ただ者ではないらしい。
「うーん・・・アイツらの娘だけあって、相当な魔力量だが。言った通りのスッカラカンか。
何だ、神様とでも闘ったのか?」
スナイダーは、手を離し私の全容を見定めているようだ。
「似たようなことをしたな。」
「ははっ! あの両親にしてこの娘か!
良いな良いな!
しかし、それじゃあ、キツかろう・・・ほれ。」
ぶしつけに私の肩を掴むスナイダー。
「む?」
「ほら、少し楽になったろう?」
スナイダーに掴まれる肩から温かい気が伝わってくる。
「む・・・うむ・・・快気術というやつか?」
ヨミにも似たようなことをしてもらった。
前の闘いのあと、起き上がるのも億劫な私に気を、魔力を分け与えてくれた。
ヨミも解呪で随分と魔力を削っていたので、それこそ、3発の軽魔法を撃てるほどまでしか快気しなかったが。
スナイダーの分け与えている気はそれをも大きく越える。
「半分ってところかな。」
手を離され、私は軽く跳ねてみる。
おお、快調とまではいかないが、6、7割は戻っているようだ。
「おお、凄いなスナイダーよ。しかし、こんなに気を送って、お前は平気なのか?」
「ああ、気にするな。娘へのプレゼントだ。」
この男、独り身か?
随分と私のことを自分の娘のようにと言っているが。
「元々この手の術は得意なんでな。俺も、ボロボロのスッカラカンで、ここにふん縛られてたんだが。丸一日寝てたらスッカリ回復したさ。」
「それはどういうことだ? スナイダー。 お前ほどの、隻腕とはいえ、相当な魔力と、腕を持つと見えるが、そんなお前がどうして?」
「・・・悪いが、それは内緒だ。」
快活なスナイダーが苦虫を潰したように顔を歪める。
「あまり、深くは問いたくないが。お前ほどの手練れをそこまで追い詰めた者が、この街にいるということだろう?
それは、私たちにとって内緒の話で済まされては非常に危険な話だろう。」
問いかけを最初に戻す。
そもそも、ここがディセントなのかよくわからないが、霧の包む街にあり得ない竜の子供、謎の刑場、そこに捕らわれたスナイダー。
ゆっくりと構えている訳にもいかない。
当初の異教退治と霧の怪奇の判明に、
竜退治と、それらを統べる強力な怪奇教徒がいるかもしれないのだ。
「そこまで、深刻じゃないさ。」
スナイダーはゆったりと無き左手を擦る。
「俺の腕を落とし、殺しかけた奴はここにはいない。
奴は、死にかけの俺なんかを恐れない。
どちらかと言えばソイツの居城から命からがら逃れてきたのさ。
そしたら、偶然。というよりは作為的にか。奴等の土地に取り込まれただけだ。」
「怪奇教か。」
やはり、誘われたか。
「その様子だとそっちも随分、迷惑を被ってるわけだな。」
「私がこんな様だったのも一戦交えた結果だ。」
「そいつは、重畳だ。じゃあ、十分ヤル気があるってわけだな。」
「ヤル気も魔力も十分燻らせているがな。
お前を追い詰めた者はいないにしろ、竜と濃霧は簡単ではないぞ。」
「竜、竜と言ったか?」
スナイダーの目が光輝を放つ。
まるで、子供が鍬形虫を見つけたように。
「霧を出してるのは竜か、なんだ、それなら随分簡単なことだ、明日にでもこんな、湿気った街からおさらば出来そうだ。」
「簡単?」
あの竜が簡単だと?
子供とはいえ、あれほどまで強力な息を放つ竜だぞ。
「そうだ! 霧の竜か・・・アイツらは大体夜行性だから、今夜にでも一狩りするとしてもだ、俺もアスビーちゃんも互いにもう少し状況を整理しておきたいな。」
スナイダーは、片手で扱うには余りにも巨大な太剣。
人間や普通の魔物に降り下ろすには余りにも巨大な剣。
その剣を、肩に担ぎケラケラと笑う。
「運がいいな、重畳、重畳。
やっと巡りあって来たわけだ、アスビーちゃんの運の良さかや? 俺は行いが悪くてあまり、神様に好かれてないみたいなんでな。」
「待て、もう少し状況を確認したいのは、同意するが・・・」
「ドラゴンスレイヤー。」
「?」
担いだ剣を、軽く、軽々と天井目掛けて一振りする。
何をしたのかと、見上げれば天井は綺麗に割け、そこから外気が、風が霧が、多湿の洞窟へと流れ込んでくる。
「竜殺しを生業としている俺は、そう呼ばれてるのさ。」
スナイダーは、また快活に笑った。