「さよなら、、、」
「さよなら、、、」
熱い。
身体の中の水分という水分が全て沸騰するような感覚。
それもそうだ。
いわば、俺たちは火事場のど真中にいる。
この世界に防炎服や、消火器のような便利な物はないし、あったとしても意味をなさないだろう。
今すぐにでも、突貫で仕上げた脱出口。
屋敷の裏庭を越えて、この延々と燃え盛る熱からも逃れられる道。
その道へと逃げればいい。
振り返りほんの数歩。
数メートルの距離。
だが、振り返ることが恐ろしいのだ。
奴に背中を向けることが恐ろしいのだ。
「威勢がいいのは口先だけか?」
舌舐り。
貧弱な2匹のネズミ。
その太く、強靭な胴で一絞め。
それで事足りる吉美は、悠々と焔を背負い舌舐り。
どうする。
どうする・・・
チラリとアスビーの目を送る。
彼女は俺の恐怖、焦り、迷い。
様々な様相に濁る眼とはたがい。
そんなものを露ともせず真っ直ぐ、ネズミ狩りに興じる太蛇を見据えている。
覚悟を決める。
そんな容易いものじゃないんだよ。
いつものような、こ狡い策がない。
こ狡さに裏付けられた自信、矜恃。
一切尽き果てている。
当然、この部屋には爆発物の細工はしていない。
間違って誘爆でもしたら一巻。
if、if、if。
もし、吉美が張り巡らされたトラップを乗り越え屋敷に辿り着いたら。
この部屋まで辿り着いたら。
俺たちの目の前に辿り着いたら。
その前に喰らわせてやればいい。
屋敷を吹きとばすほどの大爆発を。
そんな、もしもとそれを支える罠。
全て水の泡。
どうしたらいいんだよ。
迷いが銃口を震わせる。
恐怖が眼を曇らせる。
眼前の一匹の怪物が、この世の全てを呑み込むヨルムンガンドのように。
全能を司るゼウスのように。
避けきれぬ死を与えるサタン。
「落ち着け。」
落ち着け、落ち着け。クレバーに。
「頭だけ。」
頭だけ?
「あの胴に並の攻撃は効かない。
奴の頭、剥き出しの上半身。
そこだけを狙え。琥太郎。」
淡々と告げると共に、アスビーは巨槍を手に、はね上がる。
「ディライト、ディライト、ディライト!」
自身の身体に雷を纏い跳ぶ。
そう。彼女はワルキューレ。
闇を切り裂く戦乙女の様に。
「うぉぉぉぉ・・・!!」
吉美の頭を木端微塵に吹き飛ばすほどの、一突き。
雷に乗り、雷を載せた槍から、放たれる一閃。
雷速のうちに吉美と交錯するアスビー。
吉美は、それを容易く交わす。
交わしきれていない、肩口を雷を掠める。
「小癪な。」
胴を振る。
ただ、それだけ。
単純な動作。
「ぐぅ・・・。」
勢いのままに着地したアスビーは、瞬時に振り向き、槍でそれを受けとめる。
受け止めてなお、その勢いは殺せない。
弾かれてアスビーの肉体はゴムボールのように飛び、壁に向かって叩きつけられる。
「アスビー!」
「まだだ!」
駆け出す足を止める一声。
何の強化もせず吉美に近付くことは自殺行為。
一払いで、命が摘まれる。
吉美の攻撃は止まぬ。
壁に叩きつけられたアスビーに這いより、一払い、二払い・・・
単純だからこそ、御し辛い。
アスビーは、それを何とか見切り、重ねてかけた強化魔法を更にかけ、それを目前で何とかかわす。
下手な鉄炮、数撃てば当たる。
強固に造られた、特殊な外壁をも尽く瓦礫と化していく。
まさに災害。
ただ、振り回すその胴が凶器。
昔、観た映画「ハムナプトラ2」のスコーピオンキング。
アヌビスに変えられた不死身の肉体。
圧倒的な暴力、破壊。
オシリスの槍を心臓に突き立てろ。
アスビーの手にもつ槍は、まさに伝説の武具のように煌々と光をあげるが、
そう易々と当たらないのが現実。
アスビーの考えは間違っていない。
いくら不死身の怪物・吉美といえど、心臓に雷の一槍を浴びれば痛い。
先程浴びせた、不意のライトニング。
吉美は確かに雷に痺れ、その動きを幾拍か止めた。
それよりも、強力な雷撃。
浴びれば数秒、数十秒。
それだけ止めれれば逃げられる、そして吉美ごと屋敷を吹き飛ばせる爆薬を起爆させれば。
その一撃が決まれば・・・
そんな闘いに無駄な思考、考察。
本当の闘者にしたら不純物。
自らの判断を遅らせる不純物。
だが琥太郎にとっては、それが武器。
力の持たぬ者。
真っ向から向かえぬからこそ、張り巡らせる、その場の流れに合わせた勝算への道のりへ。
金属の擦れる音。
琥太郎の力は脆弱。自分で理解しているからこそ、敵にとってもそれは事実。
絶妙のタイミング。
吉美の視界から消えた琥太郎という力なき存在、脅威の欠片もない道端に転がる石ころ。
俺はそれでいい。
そんな、石がたまたまを装い、敵を躓かせる。
躓かせ、どんな過酷な闘いにも、眼を背けず真っ直ぐと前だけを見続ける気高き主。
アスビーは、その躓きを逃さない。
小さな戦姫を弄ぶのに夢中な蛇。
横槍を入れるのは容易い。
放たれた銃弾は、真っ直ぐに吉美の頭部へと軌道を進める。
吉美の弱点。
破壊を振り撒く胴体。
それにばかり目が行きがちだが、当然胴を振るえば、上半身は動かせない。
上半身を正中させ、胴体を右へ左へ振り払う。
動かぬ的を狙うのは容易い。
当たるのを待たずに、次発、次発、次発。
コブラに渡された銃と幾ばくかの弾丸。
弾が切れると、次の弾倉を装填。
また、撃つ。
途切れれば、弾倉を装填。
撃つ。
弾倉を装填、撃つ。
装填、撃つ。
装填、撃つ。
装填。
最後の弾倉を込め、琥太郎はやっと的の様子を見る。
全弾命中なんて、上手い話ではないが、ただ純粋に単純に、
ここぞの機会で放った数十発。
その3分の1は、吉美の身体を。
そして、たった4発。
吉美の頭部を貫いていた。
苦悶の顔を浮かべる吉美。
意識を向けなかった石ころの強打。
ほんの数秒前まで、なぶるのに夢中になっていたのに。
向ける目線、殺意。
やっと、塞がった傷口から流れる血液。乾いた血が湿りを帯び再び鮮血が視界を覆う。
「餓鬼がぁ・・・調子にのるなよ・・・」
詰める距離を、掴むその小石を。
その小石は抵抗もさせず容易く絡めとる。
「黙ってれば、楽に殺してやったのに、なぁ。」
「・・・」
銃を掴んだ腕だけを万歳と掲げて、吉美の胴体に絡めとられる琥太郎の身体。
少し力をこめればそれで、琥太郎の命はついえる。
「クックックッ・・・」
「・・・なに笑ってんだてめぇ。」
何故笑う。
死ぬんだぞ、お前。
アタシがいま、殺すんだぞ!
「さっきと、一緒だ。」
「・・・はぁ?」
「無駄にでかくなって、栄養が全部脳まで届いてないのかな・・・なぁ、吉美。お前がほんとに単純で助かったよ。」
「何? 阿呆か、お前。気狂いか、てめぇ。アタシがほんの少し、ほんの少し力を込めたらそれでお前は死ぬんだよ!」
何、笑ってる。
阿呆はてめえだ。
「すまんな、吉美。すまんな、アスビー、待たせた。」
「・・・・・・はぁ?」
待・た・せ・た・・・?
「本当に待たされたぞ、琥太郎。何処までも鈍感なやつだ。だが、よくやった。琥太郎。誉めてやろう。」
後ろから声。
どんなに弄び、力の差を見せつけようと、目が屈しないムカつくほど凛々しい女。
「天よ、雷の主よ。燦爛なる偉大なる力を、我が呼び声に応えその力の片鱗を見せよ・・・。」
強大な魔力のうねり。
この部屋を、崩れた天井から外に飛びだし、そのうねりは天に登るほど強大な渦を起こし、いまそのうねりが収束しようとする。
「おぃ、おいおいおい。くそ女。何だそりゃ。その馬鹿みたいな魔力は!」
「切り札だよ。」
切り札?
ふざけるな、そんな力おくびも感じなかったぞ!
吉美の想像を越えるほどの魔力の高ぶり、
吉美が今まで会った者。
この世界で会い、そして敗北も味わった圧倒的な魔力の保持者。
それに匹敵するほどの魔を、何故こんな女が持っている!?
「信じてるぜ。」
「なに?」
「アスビー、そして、吉美。お前の力を。」
「何言ってやがるんだ・・・心中しようってのか!?」
「まさか、俺はもう二度と死なないさ。お前の怪物じみた抗体、信じてるぜ・・・・・・アスビー!」
「任せろ。」
「・・・よせ、おい、女。よせ、こいつも!」
「インディグネイション!!」
掲げた腕から天へとアスビーの持てる最大の魔力が伸びていく。
その魔力が応え、雲が、空が、天が。
その力に応える。
琥太郎は、祈るように目を瞑る。
吉美の胴体の魔力抗体を信じ。
アスビーの全身全霊の一撃が、吉美を仕留めることを・・・
ん?
吉美が仕留められたら、つまり、俺もお陀仏ってことになるんじゃないか・・・
ああ、馬鹿。
かっこつけはしたもののやっぱり死にたくはない。
死にたくはないんだよなぁ。
そうか。
・・・誰だ?
死なせはしない、琥太郎。
誰?
脳内で二人の声が聞こえる。
どこがで聞いた声だ。
それもついさっきまで、もうひとつはよく聞きなれた声が。
貴方が死んだら、誰が私に会いに来てくれるのですか・・・死なせません、琥太郎。貴方を決して。
初めまして、お嬢さん。私も貴方と同じ気持ちです、そうだろう、お露。
・・・はい。
新三郎? それに、お露。もしかして、もう一人・・・姉ちゃん?
琥太郎の意識はそこで途絶える。
天がアスビーに応えたからだ。
屋敷を丸ごと、それよりも大きな白い閃光が空より降り落ちる。
燃え盛る炎も、崩れかけた瓦礫も、
そして、吉美と琥太郎を。
全て消し飛ばす白い雷。
アスビーも祈っていた。
そして、雷の直撃の寸前。
祈りに応えるように現れ、琥太郎を包み込む淡い光を見つめた。
「感謝する。」
浄化への違和感は、これか。
新三郎、お露。そして、サクヤか。
ふむ、本当に怪奇に愛される男だな琥太郎。
数刻の間、アスビーは気を飛ばしていた。
最大限までの魔力を注ぎ込んだ一撃。
実際に使うのは2度目か、3度目か。
ふらふらとする意識のなか、アスビーは誰かに身体を起こされる。
無骨な手つきだが、自身を案宝石を扱うかのように、優しく丁重に。
ふふ、悪運強いな、私もお前も。
「死ぬかと思った。」
「ふふ、第一声がそれか。」
肩を借り、目をあげるとふてぶてしくも、ボロボロな男。
身体をが所々、焦げているが、それでも命を繋ぎ止めている男。
余裕を見せて、私の身体を支えているが、支える足がふるふると震えている。
「満身創痍だな。お互いに。」
「俺は、そうでもないぞ。」
「強がるな、馬鹿者。」
「むう・・・隠しきれんか。正直、今にでも倒れそうなんだアスビー。」
「そうか、私もだ。」
「でも・・・」
「・・・ああ、私たちの勝ちだ、琥太郎。」
1面の焼け野原となった、中心に。
二人は立っている。
アスビーと琥太郎。
イディオンの脅威となっていた、七怪奇・姦姦蛇螺の吉美。
それを討ち取ったのだと。
「琥太郎ー! アスビー!」
ほんのりと青みがかる空。
遠くから共に闘った仲間の声。
「キャトル・・・それにヨミもいる。」
「あいつがいたのに、むざむざ、こっちまで吉美を通したのか、後で問い詰めてやろう。」
「手伝うぞ、主。」
肩をかしあい、立つ二人を祝福するかのように、いつしか朝日が登り、彼らを長い夜から明けさせる。
某少年誌の打ち切りみたいな、終わりかたですが、終わりませんよ。