#1 ファックファックこんにちは
『専門家』。
『専門家』。
そう。
友人は『専門家』なのである。
こと社会という枠組みに従事し、給与という生計の糧を得る成人にとって、何らかの技能を専門としているのは特に珍しい話ではない。暇潰しに(あるいは命を懸けて)この文章に目を通している諸兄らにも通ずるだろう。例えばだ、『綿棒による耳かきの専門家』、『下の世話の専門家』、『葬儀の専門家』……。
いや、どうであろうか。
いざ、こう羅列してみれば、どうにも『専門家』という連中は巷に溢れ過ぎている。流儀を持つという社会性こそ規範的ではあるが、こうまで氾濫していては、本来の意図を活かすのが難しい。
もう一つ、例えばだ。
この『専門家』を指すのが、とんでもなく偏屈で、偏狭で、一切の妥協を許す事なく、金の勘定よりも技能を求め、いつ、何処でも、どんな時でも、自らの道を究めるべくして従事する、そのような存在であるならば。
成る程。
ようやく本来の意図である、素晴らしき『専門家』の姿が顕になってきたではないか。
嗚呼、ところで。
私は今、その『専門家』を自称する古い友人の屋敷へ向かっている。
自称『発明の専門家』たる、姑息極まりない独り身の老人だ。先の専門家云々の話は、この大嫌いな友人に対する皮肉以外の何者でもない。
――――己を「神になった」などと自称する、不遜甚だしい発明家もどきのデカルト・ドッグに対するな!
Magnum Opus
〜最高傑作〜
Memory:1
『カリソメのドロン』
T型フォードの細い車輪が、ロンドン郊外の舗装も疎らな道を転がる霧の午後。件の「大嫌いな友人」からの手紙を外に放り投げ、保安局の職員であるカールは、忌々しいとばかりに眉根に皺を寄せた。
「んボクちん、神ちゃまになっちゃったんの〜ぉ」
「神ちゃまでちょぅ〜しゅごいしゅごい〜うゅ〜」
「はっ!! 気色悪いクソジジイの死に損ないが!」
唇を尖らせ、茶化すように手紙の要約を口にする。べっ、と痰を外に吐きつけると、丁度擦れ違った貴婦人のコルセットに直撃したらしい。悲鳴をあげて振り返る彼女へと、ハンドルを握っていない左手で中指を立てる保安局職員。
「見てんじゃねェよブス!! 殺すぞコラ!!」
うおんうおんとフォードをバックさせ、小石を砕く音も爽快に貴婦人へと迫る。ぎゃあ、と先程とは質の違う悲鳴と共に逃げ惑う彼女だが、哀れ。程なくして骨の割れる音と共に、白いスカートごと車の下敷きである。ごりごりと貴婦人の死体で車底を擦り、再びフォードが霧のロンドン郊外を進んでゆく。
「嗚呼、ムカつくぜ! あのクソジジイ!」
「なぁーにが神になっただよ! マジクソ気持ち悪いわアイツ!」
「いひひィ〜ボクちゃん神でちゅぅ〜ううへへっへへへへ」
「くっそキモ!! オェ!!」
ハンドルに頭突きを繰り返し、煮え滾るハラワタから上ってくる罵詈雑言をこれでもかと吐き出す保安局職員。そうこうしている内に見えてきたのは、霧の中に佇む大きな屋敷である。20世紀ロンドンに於いて一際有名な偏屈発明家、デカルト・ドッグ。叔父の遺産たる彼の居城は、その偏狭さを物語るかの如く、不可視霧中にて図々しく構えていた。
敷地内に乱暴に車を停め、運転席のドアを蹴り閉めるカール。長ったらしいレンガ階段の先には、これまた図々しく構える豪奢な入り口扉と、その手前に設置された「人間の尻を象ったチャイム」である。暫しの無言の後、ツッコまんぞとばかりに大きく咳払いをし、粗暴にもそれを殴り付けて鳴らすのを試みる。
"ブゥー。プスッ、みちっ、みちみちっ、ぼとん" 。
…………。
嗚呼、いや。
予想はしていたが。
デカルト・ドッグの発明品であろう、この『クソ尻チャイム』を鳴らせば、屁の音はおろか実際にガスが顔に噴出され、「実」がコウモンから飛び出し、自身の革靴を汚す事なんぞ予想の範疇ではあった。いやしかし。
「おおい!! ドク!! カールだ!! 手紙を!! 受け取ったので!! 訪ねさせてもらったよ!! ファック!!」
タックルで扉を開け、半ば飛び出すようにしてホールに侵入するカール。ネイルを塗りつつ遅れて出てきたのは、化粧の濃い、ブラ紐も丸見えの「いかにも」勤勉そうな一人のメイドである。
「何、誰?」
「デカルト・ドッグの友人のカールだ。彼に招待されていてね……」
「あっそ。ちょいドク、なんかアンタのダチ来てんだけどぉー」
こちらには目もくれず、気怠そうに間延びした語尾で主をタメ口で呼ぶメイド。随分優秀な情婦を雇ったもんだ、と頭痛を隠せない様子で眉間を押さえるカールだが、やがて返事がないのを確認すると、ぴっ、と親指で左方向を差し、煙草を銜えたまま目線をそちらに移すメイド。
「あっち居るから、勝手に入っちゃって」
「やぁ、ドク。良いメイドじゃあないか。嫁に迎えるにしては歳の差も甚だしいばかりだが」
かの「大嫌いな友人」が、一人分のティーセットを盆に乗せて現れたのを目にするや否や、溜め息交じりに嫌味を吐くカール。映える赤絨毯と、燃える暖炉がアクセントのリビングにて、神を自称するその男は嫌味も余所に、来賓用の卓に乗った大掛かりな機械を指差した。
「蝋管蓄音機という代物だ」
「善き発明ではあるのだが、アメリカ人のアイデアというのがな」
雑音交じりにホーンから流れるは
、チャイコフスキーの「金平糖の精の踊り」である。偏屈発明家デカルト・ドッグ、本名モーリー・ロスチャイルド。彼は如何にも面白くなさそうな様子で、友人の向かい側に腰掛けた。
「これがフォノグラフとやらか。てっきり趣味の悪いラッパかと」
「ラッパか。教養とは雄弁なものだな」
「そういう君はどう見るのかね。我が友人デカルト・ドッグ」
「そうだな。あくまで神の観点になるが――――」
おぉ、といよいようんざりした様子で唸り、掌で自身の顔を覆って話を遮るカール。
「手紙を読んだ瞬間からひしひしと嫌な予感はしていたが、何だ? とうとう狂気を通り越して痴呆でも発症したか?」
「そう言われて20年は経つが、ご覧の通り正常そのものだ」
「キチガイは皆そう言うんだよな」
陶磁器のティーポットからアールグレイを注ぎ、カップの中のそれを噴いて冷ますドッグ。常温になったそれを口に含むや否や、目の前の友人へと思いっきり噴き付ける。
「ああもう、きったねえなオイ!! 何だお前、マジで痴呆なんじゃねえの!?」
「いいか、気狂いと痴呆とでは病の質がまるで違う。気高き理想主義か、もしくは物知らぬ白痴か。双方対極にあると言っても過言ではあるまい」
「知らねえよタコ!! うわもう最悪!! 帰る!! ファック!!」
びしょ濡れになったスーツに憤慨するがまま、席を立つ友人。しかしその背後にて聞こえたのは、何やらライフルに弾丸を装填するような、物々しき音である。恐る恐る振り返ってみれば、そこには例の「金平糖の精の踊り」をバックに、狩猟用ライフルを抱えたデカルト・ドッグというシュールな絵面が。
「オイオイオイオイオイオイ!! お前それ、そういう一線越えたのは無しだろ!! 何がしてえんだよマジで!!」
「先の話――――所謂神の観点からの意見だが」
がちゃ、と銃口が正面を向き、あくまでも言い張る「神の観点」。神にでも祈りたい今日この頃、その神が自身を狙っているなら世話がない。上擦った声と共に、一歩、また一歩と後退してゆくカール。やがてずどん、とライフルが轟音を鳴らし、巨大なホーンを撃ち抜いた瞬間。彼は思い切り尻餅をつき、すっかりといかれた蓄音機と、デカルト・ドッグを交互に見回す。
「私に言わせれば、所詮はアメリカ人の作った代物だ」
「私は "創造" したのだよ。零という無から、新たな生命をな」
既に動かない蓄音機、しかしリビングの高い天井へと反響する、「金平糖の精の踊り」を演奏するトイピアノの澄んだ音色。理解が追い付かない様子で口を開いたままのカールだが、蓄音機下部に据えられた小箱の扉が開いた瞬間、彼は再度、驚愕する事となる。
「動く四肢に確かな鼓動」
「生まれたばかりの "カリソメ" ではあるが――――紹介しよう、下界の友人よ」
「我が愛息子にして、集積の顕現たる最高傑作」
箱に収まり、ピアノを演奏する少年の姿。滑らかに動く手指、肘や膝といった関節部を繋ぐ球体。そして無垢そのものの、偽りなき彼の生きた笑み。
「ドロン・ロスチャイルドである」
神となった発明家は、普段通りの死んだ眼のまま――――何一つの装飾もなく、そう言い放ったのであった。