第十四話 ケーキを買いに
今、隣のまどかの部屋には、由香ちゃんが遊びに来ている。
由香ちゃんはあまり靴下を履かない子だと自分で言っていたが、今も制服に裸足という格好だ。
たまに「きゃっきゃっ♪」と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
うーん、二人でどんなことをしているのだろうか、気になる。お兄ちゃんも、まぜてくれないだろうか。
足裏マッサージをしてあげると言ってみようか。
いやいや、不自然かな。エロいって思われてしまうかもしれない。
まどかにはエッチなお兄さんがいる、などという噂が学校中に広まってしまっては、まどかが気の毒だ。あらぬ疑いを掛けられず、かつ兄としての威厳を誇示できるような行動で、まどかの部屋に侵入したい・・・そうだ!
名案を思い付いた僕は、キッチンへ降りていった。
なにかお茶菓子になりそうなもの・・・探してみたが、何もない。わびしいキッチンである。
お茶菓子を持って、まどかの部屋に入ろうという作戦である。
しょうがない、ケーキでも買ってくるか。お兄ちゃんのおごりだぞ、ヨロコベ!
家から最寄り駅への途中にある商店街に、『ロシナンテ』というケーキ屋がある。
なぜ店名がドン・キホーテに出てくる馬の名前なのかは知らないが、僕が小さい頃から我が家では、ケーキといえばロシナンテのケーキだった。
ここのショートケーキは、格別に美味い。
モンブランやフルーツタルトも人気があるらしいが、僕はもっぱら、ここのショートケーキを推す。
ロシナンテに着き、お店のドアを押し開ける。
カランカラン
くぐもった錫の鐘の音が、店内に鳴り響く。
「いらっしゃいま・・・あ、まどむ!」
キラキラと輝くケーキが並んだショーケースの向こうから店員が、親しげに声を掛けてくる。
この人は僕の幼なじみで、菜瀬里帆という。
同い年であり、中学校まで同じ学校に通っていた。
高校からは別々の学校に進学したが、お互い大学生になった今でも、日常的に連絡を取り合う仲である。
ちなみに、里帆の足はめちゃくちゃ綺麗である。
「ケーキ買いに来たの? どれにする?」
「あのだな、もう少しお客様に対する姿勢というものをだな」
「いいじゃん、あたしとまどむの仲じゃん」
まあそうだな。幼稚園児の頃は、一緒にお風呂にも入った仲だ。
もはや恋人同士と言っても過言ではない。
「過言だよっ!」
おっと、声に出ていた。
照れなくてもいいのに。
「どれ買うの? 早く選んでね」
里帆の素足も久しく見ていない。
こんど見せてくれるよう、頼んでみよう。
僕は、ショートケーキを三つ買った。
「いいの? 三つともショートで。 まどかちゃん、チョコが好きじゃなかった?」
いいのだ。 僕のおごりなので、まどかと由香ちゃんにはショートケーキを食べてもらう。
そんなわけでケーキを買った僕は、自宅へと帰った。
お盆にケーキと紅茶を乗せ、まどかの部屋のドアをノックする。
「はーい、なーに?」
「お兄ちゃんだ。ケーキを持ってきた!」
「え、うそ! やったー!」
ガチャリとまどかがドアを開けてくれる。
まどかの部屋はいわゆる普通の女の子の部屋で、ベッドと勉強机、本棚と丸いフロアテーブルがある。
由香ちゃんは、床に敷いた座布団に座っていた。
スカートなのに、胡坐をかいている。ふむふむ、そういう子なのね。嫌いではないぞ。
「はい、ロシナンテのケーキだよ! 紅茶も淹れてきました」
「ありがとう、アニー!」
「お兄ちゃんありがとう!」
うむ、ゆっくりしていくがよい。
気が付くと僕は、まどかに追い出されていた。
な・なんだよ・・・お兄ちゃんも仲間に入れてくれよ・・・。
自室に戻った僕は、まどかと由香ちゃんがしているであろう会話に思いをはせる。
まず、僕が持っていったケーキに感動していることだろう。
なんせ、僕の一押しのロシナンテのショートケーキである。
まどかの好みははチョコレート系のケーキだが、今日は二人にはショートケーキを食べていただく。
なんせ、お兄ちゃんのおごりだからな!(しつこい)
そしてケーキと言ったら「紅茶」である。コーヒーや緑茶ではなく、紅茶なのである。
なんでかと言われれば、とくに明確な理由があるわけではないが、ケーキには紅茶が合うと思う。
これで女子中学生の心、掴みはオッケーである。
もしかしたら由香ちゃんは、僕に惚れてしまっているかもしれない。
きっとこんな会話をしているに違いない。
「ねえねえ、まどかのお兄ちゃんって、かっこいいね!」
「ええ~、そう?」
「うん! 彼女とかいるのかなぁ~」
「いないよぉ~、アニーに彼女なんて、いるわけないじゃん!」
僕に彼女がいることを認めようとしないまどか・・・いや、いないけど。
まどかがお兄ちゃんを独り占めしたい気持ちは、痛いほど伝わってくる。
だが、由香ちゃんが僕に興味を持つのも分かる。友人の家に遊びに行ったらそこにかっこいいお兄さんがいたというのは、よくあるシチュエーションだ。
二人の女の子から、好意を寄せられる僕。
しかし、一人は実の妹である。その気持ちには応えることは出来ないのだよ。
とすると、僕は由香ちゃんと付き合うことになるのか。
大学生と中学生。一見歳が離れすぎているように見えるが、数年もすればごく当たり前の、気にするほどでもない差である。
障害はない。
よし、由香ちゃんからいつ告白されてもいいように、心の準備をしておこう。
といっても、何をすればいいのか分からない。とりあえず、告白されるシミュレーションをしてみようか。
・・・・・・。
まどかの部屋のドアが開く音で我に返ると、時刻は夕方近くになっていた。
僕のシミュレーションは、由香ちゃんとの新婚生活にまで進んでいた。
いささかトントン拍子に事が進みすぎたかもしれないが、想像の中でくらい、順調な人生を送らせて欲しい。
由香ちゃんが帰るらしいので、ぼくも玄関まで送りに行こう。
玄関まで行くと、由香ちゃんが裸足のままスニーカーを履いているところだった。
「あ、お兄ちゃん! 今日はありがとう! 楽しかったです♪」
コロコロっとした笑顔を送ってくる由香ちゃん。
うむ、可愛い。大好きだっ!
しかし、次の瞬間に由香ちゃんが放ったセリフは、僕をさらなる桃源郷へと誘うのであった。
「お兄ちゃんて、彼女いる?」
な・なんと、妄想がまだ終わっていなかったのか!? と、一瞬思ってしまった。
まどかの方を見ると、エジプトのピラミッドの壁画に描かれた人物のように固まっていた。
どうやら、妄想ではないようだ。
ともかく、ここは正直に答えなくては。
「彼女は、今はいない」
「なにが“今は”よ・・・いたことなんて一回も無いくせに」
だ、黙れ、まどか!
嘘は言っていない。
「そうなんだ! あはっ、じゃあ、また遊びに来ます!」
元気良く手を振って、由香ちゃんは帰っていった。
なんだろう、心の臓がドキドキしている。
同時に、まどかからレーザーのような視線を感じる。
なんということだろう、とうとう僕にも、モテ期が来てしまったのであろうか。
「由香ちゃん、なかなか良い子だね」
とくに他意もなく言ったつもりなのだが、まどかは「ふんっ」と鼻を鳴らして自室へと戻っていってしまった。
やれやれ、困った妹だ。
つづく
2017/10/16 体裁を整えました。