第一話 まどかの告白
五月――。
夕ご飯を食べ終えた僕「芦浦まどむ」は、居間でテレビを見ていた。
海外の辺境地で日本の文化を広めようとする日本人に焦点をあてた番組だ。
別段、面白いと思って見ているわけではない。
部屋に戻って勉強する気にもなれないし、ゲームをするにはまだ早い時間なので、こうして時間を潰しているのだ。
「ねえ、アニー」
キッチンで食器を洗っていた我が妹「まどか」が、エプロンを外しながら居間へ来た。
この妹は今年から中学生なのだが、この兄のことを「アニー」と呼ぶ。
小さい頃は両親の真似をして「まどむ~」と呼んでいた。
しかし、妹に名前で呼ばれることに少なからず屈辱を感じていた僕は、まどかが小学校に上がった頃から「お兄ちゃんと呼びなさい」と教育を施した。
ほどなくしてまどかは僕のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれるようになったのだが、小学校高学年になったあたりから、別の呼び方をするようになった。
「アニー」
そう、「アニー」と呼ぶのである。
おそらく「兄」から来ているのだが、可愛い妹に「お兄ちゃん」と呼んでもらいたい僕としては、この呼び方はあまり歓迎できない。
だからちょっと前に、なぜ「アニー」と呼ぶのか、まどかに訊いてみたことがある。
そしたら、「だって・・・”お兄ちゃん”って呼ぶの恥ずかしいんだもん・・・」と言われた。
恥ずかしいのか・・・。
尊敬する実の兄を「お兄ちゃん」と呼ぶことの、どこが恥ずかしいというのか。
「ねえってばっ、お兄ちゃん!」
そうそう、それでいい・・・ん?
ソファの僕の隣にまどかが、いつの間にか座っていた。
「アニー」と呼ばれて無視すると、まどかは僕を「お兄ちゃん」と呼んでくれる。
だがその時は、だいたい今みたいに不満顔である。
「なんだ、まどか。お兄ちゃんは今、テレビを見ているのだぞ」
「そんなことより、Booチューバーって知ってる?」
唐突に質問を投げられる。
「Booチューバー」とは、中高生に絶大な人気を誇る投稿動画サイト『BooTube』に自らを撮影した動画を投稿する人を指す。
今はスマホでも簡単に動画を撮影することが出来るので、誰でもBooチューバーになれるのだ。
「おお、もちろん、知っているぞ」
「ああいう人たちって、どうやって再生数を増やしているんだろう??」
「ほほお、なんでそんなことを気にするのかな」
「え、い・いや・・・だってすごい再生数が多い人もいれば、少ない人もいるから・・・」
「人の動画の再生数がそんなに気になるのか?」
「あ・う・・え・・・まぁ・・・」
うつむくまどかを見て、思わず顔がにやけてしまう。
こんな質問をしてきた理由は、分かっている。
実はまどかは、BooTubeに動画を投稿しているBooチューバーなのである。
しかしまどかは、僕がそのことに気付いているとは微塵も思っていないようだ。
僕がまどかの動画投稿に気付いたのは、ほんの一週間前。
まどかの部屋の前を通った時に、部屋の中から話し声が聞こえてきた。
その声は部屋から漏れない程度の抑え気味で、しかし可愛さを前面に押し出したわざとらしい話し方だったので、もしやと思いBooTubeで検索してみた。
まどかのネットで使っている名前は知っていたので、それっぽい投稿者名で検索したらすぐに見つかった。
その動画の人物はマスクで顔の半分は隠しているが、確かに我が妹まどかだった。
自分の妹のぶりっ子な姿をネット越しに見るのはなんともくすぐったい感じがしたが、面白いので温かく見守ってやることにした。
だが、いくつか投稿された動画のいずれもが、再生数100にすら達していなかった。
まどかは、そんな動画の再生数の低迷に悩んでいるのだ。
動画の再生数を上げたくて、この兄に相談しようとしているのである。
なんとも可愛い妹ではないか!
それに、自分がチューバーなことを隠しているのが、またいじらしい。
ここはひとつ、アドバイスをしてあげることにしよう。
「リクエストされたことをやると再生数って上がるらしいよ」
「リクエスト・・・?」
「コメントにさ、リクエストが書かれることがあるだろ」
まどかの動画は再生数こそ少ないものの、この手の素人動画の熱心なファンからのリクエストコメントがちゃんと寄せられていた。
それを実行し、期待に応えた動画に仕上げれば、再生数も上がり固定ファンも付くと思うのだが。
「リクエストを上手に実行することこそ、再生数アップの早道なんだと思うなぁ」
「なるほどぉ、そっかぁ」
伸ばした脚を上下にパタパタ交互させ、クッションを抱きしめて満足そうなまどか。
ボン!とクッションを投げて寄こすと、そのまま二階の自分の部屋に戻っていってしまった。
さて、どんなリクエストを実行するのかな、と。
それから二日後――。
夕ご飯後のテレビタイムに、まどかが僕の隣に座る。
その顔は、不機嫌極まりない表情だった。
「アニー」
「なんだ、妹」
「あのね・・・笑わないで・聞いてくれる?」
「おう、可愛い妹の話、真面目に聞こうぞ」
クッションをギュウと抱くまどか。
実に妹らしい、良い仕草だ。
だが、醸し出されているオーラは不穏な色をしている。
「あの・ね・・・私ね・・・BooTubeに動画を、投稿・・・してるのっ」
途切れ途切れに言い、そのまま抱いているクッションに顔を埋めるまどか。
「おまえ・・・Booチューバーだったのか!」
さも初めて聞いたことのように驚いてあげる優しい兄。
ここで「気付いていたよ」なんて言ったら、まどかは引きこもりになりかねない。
ちなみに、女性のBooチューバーのことを「Boo子」ということがある。
また、男性のBooチューバーのことは「Boo太」ということがある。これは豆である。
まどかの場合はBoo子ということになるが、今は関係ない。
「で、どうした。動画を投稿したのか?」
コクリとうなづくまどか。
両方の爪先を器用に絡ませている。
「お兄ちゃん、その動画見たいぞっ!」
「だっ、だめぇぇ~~~っ!!」
二日前にアドバイスをしてからまどかが投稿した動画は、すでにコッソリと閲覧した。
確かに、リクエストされたことを実行した内容ではあったのだが。
「どうせ、再生数が上がらないんだろう?」
「再生数っていうより・・・コメント見たら・・・」
そう、今日まどかが僕に相談しに来ている理由は、新しい動画に対するコメントについてである。
まどかは、前の動画に寄せられたリクエストコメントの内、「裸足で15分正座をしたら足の裏はどうなるか、試してみてください!」というコメントを実行・撮影し投稿したのだった。
だが、その新しい動画に寄せられたコメントは、惨憺たるものだった。
「あのね、"違う、そうじゃない"ってコメントがいっぱいなの・・・」
まどかとしては、リクエストを忠実に実行したつもりなのだろう。
しかし、動画を分析すると、期待に全く応えられていないことが分かる。
「よし、じゃあまずは動画を一緒に見てみるか」
「ふぇっ!? み・見るの!?」
「見ないと、何が違うのか分かんないじゃないか」
本当はすでに見ているが、一応今日初めて妹がBooチューバーだったことを知ったことになっているので、一緒に見ることとしよう。
うなだれるまどかを引っ張り、二階の自室へと向かった。
パソコンでブラウザを起動し、BooTubeのサイトを開く。
勢いで再生リストから「まどか動画」を開こうとしてしまったが、そんなことをしたら僕がまどかの動画をすでに見ていることがばれてしまう。
慌てて再生リストを閉じ、まどかに動画の名前を訊いた。
「正座してみた・・・・」
消えそうな声で言う。 可愛い。
検索ボックスに「正座してみた」と入力し検索をすると、数百件の動画が表示された。
そこから投稿日時を一週間以内にして絞り込むと、まどかの動画はすぐに見つかった。
再生数は・・・244。ふむ、まどかの動画にしてはかなり多いじゃないか。
僕が見た時よりも、増えている。 微増だが。
「よし、再生するぞ」
「ぎゃあ~、恥ずかしいぃ~!」
そして15分後・・・。
やはり、何度見ても残念な動画である。
リクエストした人の期待度を1%すら満たしていないと思う。
同じようなタイトルの他のチューバーの動画を見てみたが、同じようなリクエストから作られたことは分かるが、やはり期待度をほとんど満たしていないことが分かる。
問題点は分かる。
正座動画を投稿しているチューバーの誰もが、リクエストの本当の目的に気づいていないからなのである。
だが、僕なら本当の目的が分かる。
リクエストした人を満足させる動画を作る自信がある。
まずはまどかを説得し、リベンジ動画を作成してみよう。
目指すは再生数1千回!
「まどか、この動画ではダメだ」
「ダ、ダメなの・・・?」
「うむ、この兄が、撮影してあげよう」
「ええっ、アニーが撮るの!?」
「絶対に褒められるコメントがくる動画を作るぞ!」
「で、出来るかなぁ~・・・」
「大丈夫! お兄ちゃんに任せておけ!」
こうして僕は、まどかの専属監督兼カメラマンになったのだった。
つづく
2017/09/23 体裁を整えました。