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唯佇むものたち  作者: 鯣 肴
本編

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3/10

第二章 夏の潮風 色褪せぬ、色褪せた海岸

 ひたすら南へと彼女は進む。


 やがて見えてきたのは、遠くで波打つ揺らぐ青色。そして、白い地面。気温は25度程度まで上がり、日差しは眩しさを感じる程度まで強くなっていく。


 先ほどまではあまり吹くことのなかった風が吹く。それは生暖かく、進行方向の遥か先から吹いてきている。突風ではないがそよ風でもない。


 潮の香りはしない。僅かしか。それでも嗅ぎ分けられているのは、それが彼女にとって危険で警戒に値するものだから。


 徐々に低くなっていく地面を進む。道の周辺にはもはや花はなく、青々しい草が生えているのみ。さらに進んでいくとそれすらも無くなった。そしてとうとう舗装された道も途切れる。






 彼女はその先へと足を踏み出す。地面は柔らかい。しっかりと踏みしめられる大地は終わり、そこから先は真っ白な砂で形成された海岸が続くことになるのだから。


 目前に広がる澄んだ海。視界の左右の端には、彼女の背ほどの高さがある岩場が海へ向かって突き出ている。砂浜を越えてその向こうまで。


 だがその終端は、視界の中に納まる範囲にある。


 これらの岩場は、波がぶつかることにより頻繁に崩壊する。そして次の波が打ち寄せるまでには何事もなかったかのように再生し、波がぶつかり再度崩壊する。崩壊と再生を延々と繰り返しているのだ。


 彼女は岩場に登りその上を歩くことは諦め、遠くからの展望のみに留めた。足跡をつけながら、目前に広がる海の波打ち際目掛けて接近していく。


『危険な塩水。その香りは自身にとって警戒に値する危険なもの。主のために警戒すべきものではなく、自らのために警戒すべきもの。だがこれは主に自身に与えられた最後の仕事であり、初めて主から託された仕事。だから、危険だと分かっていてもできる限り前へと進む』


 彼女はしゃがみ込み、指先で打ち寄せる波の境界にそっと触れた。周囲の温度と比べて冷たい。そして、怖い。


 透き通った青い静寂の海。一切の生物の気配を感じられず、本来あるはずの磯の匂いといわれるものもない。一切の生物の介在しない無機の自然。


 一瞬躊躇しつつも、手を再び海面へと伸ばし、僅かばかり打ち寄せる波を掬い上げる。


 ただの塩水。だがそれは、主が以前話してくれた海そのもの。自身で実際に触れた事象は自身が触れておらず見てもいない伝聞した事象。二つには隔たりがあるということを彼女はこのとき初めて感じ取った。






 さらに三歩進み、立ち止まる。そこは海と浜の境界。波打ち際である。彼女の頭の中で警報が鳴り響く。だが彼女は、それでも引き下がりたいとは思わなかった。それは彼女にとって矛盾する感情。


『主は、これに浸かったことがあると言っていた。だから自身もそうしてみるべきかもしれない。だが、恐怖が足を竦ませる。それでもここは意地を張らなくてはいけないような気がした』


 根拠なき感覚に彼女は身を委ねる。目を瞑り、少しでも警報を和らげるために鼻を片手で塞ぎ、一歩、二歩、三歩。最初決めた限度を越えて踏み出す。冷えた海水が膝下まで届く。


 彼女の足は境界を踏み越えて波の領域に入った途端、これまでよりも大きく沈み込んだのだから。


 彼女は堪えられなくなった。恐怖に。自身を侵食する危険物の感覚を体の芯に響く冷たさとして感じ、どこまでも自身が沈んでいく幻影を見たのだから。


 そして急いで引き返した。まだ戻れるうちに。足をとられて沈んでいかないうちに。







 水面から離れ、波が届いてこない地点にいることを数度確認した彼女。塗れた長いスカートの下部を絞り、靴を脱ぎ、その場に座り込む。


 そして考え込んだ。とても綺麗でありながら、恐ろしいと感じるほどに寂しく、儚げ。音は、海風と波の音だけ。


 熱を蓄えた白砂と照りつける光のおかげで、黒タイツ、黒い革の帯で足を包むような靴、スカート下部はあっさりと乾いた。


 彼女は海岸を後にした。

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