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唯佇むものたち  作者: 鯣 肴
本編

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2/10

第一章 春の庭園 意味を失おうとも咲き誇る花々

 彼女は回想を始めた。時は少し遡る。






 古城の入り口から出た彼女は歩く。


 ここは最後の仕事の最初の地。島の東、春の領域。10メートルを越える高い城壁に囲まれているにも関わらず、灰色の煉瓦の道の外側にある花壇には、オレンジや黄色といった明るい色合いの花々が咲いている。


 城壁そのものも花々のキャンパスとなっていた。つたが幾多にも張り付いており、城壁の地肌は僅かばかりしか見えない。


 そして、幾種の蔦から咲いた薄い暖色の花々が咲いている。白色から淡い檸檬れもん色程度までの儚く見える花々が。


 つぼみで止まっているものはなく、全て満開で咲き誇っている。


 この場所には一切の影がない。どこも均一に一様に明るい。影ができないように、城壁自体が柔らかい光を発している。それは太陽の光と区別がつかない。


 彼女は舗装された灰色の道のみを歩く。薄赤茶色の地面を踏んで花たちを傷つけないように。だが、それによる弊害もあった。至近距離で花々に実際に触れることができないのだ。


 彼女は自身の、組み木細工のような関節の継ぎ目を持つ純白の手を見つつ思考する。


『この手で掴めば花々は散る。主がかつてしていたように、本当はそれらに触れて、近く、深く、味わいたい』


 一歩踏み出せば届く範囲に花々が咲いている。だが、それができない彼女はできる限り花々に近づこうと、しゃがみこんで目線を花々に合わせる。


 そして、自然と身を乗り出そうとしていたことに気付いて体の動きを止めた。


『踏み入ることは許されない。触れることができないのなら、せめて嗅いでみようと思ったが、自身の鼻は主のように繊細ではない。それが安全か警戒に値するかという二種類にしか、私は匂いを感じ取れないのだから』


 思考の最中一切表情を変えなかった彼女は立ち上がり、そこから動き出す。






 この古城には3つの庭がある。城の中央部を正方形にくり抜いた中庭。城の周囲50メートル程度の範囲を一層の高い城壁で覆った内側である外庭。その外部にある、半径数キロにわたる山の斜面一面に広がる古今東西の春の庭園。


 彼女が先ほど回ったのは外庭。城の入り口から直線距離で50メートル程度先にある門を潜った先が次の目的地。


 中庭を飛ばしたのは、そこは全ての終わりに記録したかったから。そこにいる主に最後の仕事の報告をしたかったから。


 城壁の東西南北に一つずつある、幅20メートル、高さ10メートル程度の高さの巨大な木造の苔のせた扉。そのうち南側の扉を彼女はゆっくりと押し開けて斜面に広がる庭園へと出る。


 西洋的であった外庭とは異なり、庭園に咲いていたのは東洋の木々とその花だった。ところどころに影がある。光は薄く、しかし暗く感じない程度。気温も3度程度低い。


 小さな池、小川、木造の婉曲した橋、岩山、滝、石庭。自然の一部を切り取って、そこに調和させるように置いた造形物。


 直線で形成されたものは一切なく、どれもが柔らかな曲線によって形成されていた。


 外庭への入り口付近の道と黒茶色の地面を横切るように、幅3m程度の小川に、花びらが流されてくる。水面のおよそ半分程度を占めて。道が途切れた川の部分には飛び石が設置してある。


 彼女がその川の上流を見ると、そこには彼女のおよそ倍程度の高さの石の岩山がそびえ立っていた。


 彼女は数百メートル川沿いに歩き、それを真近で見る。


 それは石の尖塔のようであり、その頂上からは水が溢れ出ていた。流れた水が目の前の小川を形成しているようである。


 溢れ出る水に指先を触れてみる。それは冷たくも熱くもなく、ぬるかった。


 彼女は、外庭入り口から真っ直ぐ南へと伸びる道へと戻った。そこから数キロ進んで城壁がすっかり小さく見える地点に着いた。


 左方向に石庭がある。しかしこれは見ない。彼女が受けた仕事からは逸れてしまうから。右側にある池を見る。


 池の水面からは、六芒星に配置された花や星型の花。その上にラッパ状の筒のようなものがついている。


 その正体は水仙。淡い檸檬色からオレンジ色まで色取り取り。






 池にかかる木の湾曲した橋を渡った先。そこには、一際大きくて、淡白ながら美しい景色を作り出している樹木が適度な間隔を空けて並んでいる。


 桜。その花びらの色は、淡いピンク色~ほぼ無色まで。


 比較的色が薄めの多くの桜の木々の花々が、満開のまま咲き誇っている。


 時折風が吹いてそれらが散るが、しばらくすると花が散った部分から再度花が生えてきてすぐに満開の状態へ戻る。地面や池に落ちた花はそのまま。


 彼女はその中の一つを手に取り、見つめる。そして気づいた。それが桜ではないことに。その正体は、桃。桜と同じく、春に花を咲かせる樹木の花の一つ。


 花びらの形が、明らかに違う。桜であれば存在する筈の先端の切れ込みが存在していないからだ。


 そして再び、地面に落ちたいくつかの花びらを拾い上げ、見つめる。すると、桜と桃だけではなく梅の花も紛れていた。梅の花びらは桃や桜のような楕円形ではなく、円形に近くて少し小さい。


 匂いさえ区別できればすぐに分かったことだろうが、生憎彼女にはその能力は無い。彼女は三種の花を咲かす樹木の連門を潜り、先へと進んでいった。


 長く続いた淡色の屋根が終わり、空と地面が見える。光が差す。舗装された灰色の道が、彼女のいる地点である山の中腹辺りから、山の下、その先まで続いている。


 そして、背が低く、色鮮やかではあるが小振りな花を咲かせた春の野草が道に沿って、山の斜面の始まりからピンクの花の木々の領域まで続いていた。


 彼女はその道を真っ直ぐ下っていった。道を下るにつれ、気温は上がり、日差しは強くなっていく。彼女が山の下まで降りた頃には野草の彩りはすっかり途切れてしまっていた。


 彼女はそのまま真っ直ぐ道なりに進んでいった。






 そこで回想は終わる。

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