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足を引きずった少年は、今まで自分が何をしていたのかが思い出せないことに気がついた。
彼の名は陽太という。彼は昨日まで、ほかの誰とも変わらない平凡な日々を過ごしてきた。少なくとも、今の彼はそう思っている。
しかし、彼はたった今、あるものを失ってしまったことにより、そうではなくなってしまった。
「どこ、行ったんだろう」
陽太はため息をこぼしながら、もう一度自分の背後に目をやった。
今の時刻は午後の五時。季節は夏。
「この時間帯なら、まだあるはずだろう?」
陽太はむしゃくしゃして、思わず声を荒げた。
今の彼には、自分の影というものがない。姿を消してしまったのだ。
どこかで落としてしまったのだろうか? 誰かに取られてしまったのだろうか? 一人で勝手に散歩にでも出掛けてしまったのだろうか? それとも……
そう考えれば考えるほど、頭の中はこんがらがっていく。何度も何度も頭の中で、同じところを行ったり来たり。
どんなに歩き回ろうが、走り回ろうが、他人に尋ねようが、一向にその答えは出てこなかった。
ぐるぐるぐるぐる、陽太は影を探して、街中を探し回った。
自分の通う学校、ネオンの切れかかった看板が、デタラメにぶら下げられた通り、近所の海岸、誰もいない神社……
そんなことを続けているうちに、今まで自分がしていたこと、見ていたもの、考えていたことが糸屑のように絡まり合って、終いにはブツリと切れてしまった。
「どこなんだ?」
夕闇がゆっくりと迫る空の下、陽太は足を引きずりながら、誰もいない公園のブランコに腰を下ろし、誰もいない空間に向かって呟いた。
彼の足は、もうぼろぼろだった。所々皮膚が擦り切れ、かかとには水膨れができていた。また随分遠くまで来てしまったんだなと思いながら、彼は自分の血が滲んだ足にそっと触れた。
その時だった。
自分の目の前を、真っ黒い何かがぱっと走り抜けていった。
「誰だ!」
ハッとして顔を上げると、そこには帽子を被った真っ黒な影が一人、薄暗い公園の地面にぼうっと映っていた。
陽太は影の主を探そうと、必死に辺りを見回した。だが、それの主らしき人物はどこにも見当たらない。
真っ黒な人の影だけが、ただそこにいる。
だが陽太は不思議と恐ろしさというものを感じなかった。彼は、こちらを向いているのか、それとも背を向けているのかもわからない真っ黒い影に向かって尋ねた。
「あんた、僕の影じゃないな。誰のなんだ? 他にも僕みたいな人が近くにいるっていことか?」
影は何も答えなかった。その代わり、地面に映った状態から、起き上がるようにすうっと垂直に立ち上がった。全く立体感のない、薄っぺらい体だった。
「おい、誰のものでもないっていうのか?」
陽太がそう言うと、影はまるで何かを理解したかのようにびくんと動いた。そして、くるっと勢いよく体の向きをひねり、目にも止まらぬ速さでごうっという音をたてながら、陽太の頭めがけて突進してきた。
突然のできごとに陽太はそれを避けることができず、一瞬にして真っ黒な影に飲み込まれてしまった。
そして、忽然とその場から姿を消してしまった。