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それから私たちは家の裏にある古い蔵の中へと連れて行かれた。 真っ暗な蔵の奥からは不気味な唸り声が聞こえてくる。
紗江子さんと二人の男は蔵の中のロウソクや松明に火を灯した。二人の男は火を灯し終わると夷澤さんのすぐ後ろに立った。
声の主の姿が、現わになる。
鎖につながれ、変色した手足、口から垂れ下がる唾液と赤黒い血液、立ち込める腐臭……
私の祖父、史郎。こちらにも私は血の繋がりはない。まだ蔵の奥からもかすかに唸り声が聞こえてくる。先ほどの夷澤さんに対するもてなしから察するに、隣の住人の遺族か何かである。
「はぁ……」
もう何もかも終わりだと思い、私はまた溜息をついた。
「あなた、さっきから溜息をつきすぎです。これで何度目ですか」
夷澤さんは呆れた様子で言った。随分と落ち着いている。
「これが誰かわかるかしら?」
今度は紗江子さんが夷澤さんに言った。彼女の目はまるで無邪気な子供のようだった。
「あなたの旦那さん。どうやら、もうヒトではないようですが」
「話が早くて助かるわ。随分と驚かないのね」
紗江子さんはにこにこしながらそう夷澤さんに言った。
「当然です。私の本当の目的は目の前ですから」
夷澤さんはそう言って薄ら笑いを浮かべたかと思うと、突然ポケットの中から刃物のようなものを取り出し、すぐ後ろに立っていた男二人を容赦なく切りつけてしまった。
「夷澤さん!」
「あなたは外に出てください」
仰天する私に彼女は冷たく言った。
二人の男は腕から血を滴らせながら悲鳴を上げて蔵から飛び出していった。
それを見た紗江子さんの顔にも、僅かに焦りの色が見え始めたようだった。彼女は今にも噛み付きそうな顔で夷澤さんに言った。しかし口元だけは歪な形にニヤつかせたままだった。
「どうしてよ。どうしてこんなことするのよ」
「村に迷い込んだ人間をもてなし、眠っているところを殺害し、死んだ夫やその他の死人の餌にする……噂では、あなたがこの村全体を取り仕切っているそうですね。もうこんなことはよしませんか。そんな腐りかけの死体を閉じ込めておいたところで、どうにもなりませんよ。無駄に死人が出るだけです。一体今までその死体のために何人殺したんでしょうね。どうせ、動く死体は奥にもまだ何体かいるのでしょう?」
紗江子さんにそう言う夷澤さんの顔は、さっきまでの薄ら笑いから一変して害虫でも見るかのような表情に変わっていた。
「わざとだったのね……でもわからないわ、どうしてそんな余計なことをわざわざしに来たのかしら? そしてわからないかしら? これは私の夫よ! 死んでなんかない! 動く死体なもんですか! 彼を見なさい、生きようとしているじゃない! 動く死体なんて存在するはずがない。彼らは選ばれたのよ。 生き続けることを許されたの!」
紗江子さんは両手を振り回してヒステリックに甲高い声で叫んだ。正直、夷澤さんより恐ろしかったかもしれない。あんな姿は初めて見た。
「残念ながら、私の目にはそんな風には映りません。百歩譲ってそうだったとしても、それは自分の家族を人喰いのバケモノにして良い理由にはならない。そして他人の家族を勝手に殺していい理由にもならない」
夷澤さんはそう言うと、近くにあった松明を手にとった。
「もう時間がないんです。さっき逃げた男が何をしだすかわからないし。幸いここには燃えやすそうなものがたくさん置いてあります。終わりにしましょう」
そして彼女は松明の火をなんのためらいもなく蔵の中に放った。
「夷澤さん!」
蔵の扉に挟まるようにして様子を伺っていた私は思わず声を上げた。何とかしなければと思ったが、恐怖のあまり身動きがとれなくなっていた。
「そんな! なんてこと!」
一方、紗江子さんはそう言って史郎さんの鎖をガサガサ揺さぶって外そうとしている。
その時だった。
夷澤さんが投げたナイフが頬を掠め、彼の頭にざっくりと突き刺さったのは。
「私の目的はコレです。ここから脱出するか、死ぬか、選んでください。あなたは生きているんです。今ならまだ、逃げられます」
「そんなことしても、意味ないわよ! ここから出ても幸せにはなれない」
紗江子さんの声は震えていた。両手もガクガク揺れていた。
「恨むなら私だけにしてください。私もそのほうが助かります」
夷澤さんはそう言うと私を軽く押し出すようにして火のついた蔵から出て行った。
炎はどんどん燃え広がり、蔵の小窓からは真っ赤な火が勢いよく吹き出していた。
紗江子さんが蔵の中から出てくるのを私は待ったが、そのような気配はなかった。できることなら助け出したかった。助け出したかったはずだ。
それなのに、私の体は動かなかった。これが自分の本心なのではと思うと鳥肌が立った。心のどこかで死んで当然だとでも思っていたのだろうか?
蔵から脱出した私と夷澤さんは、ただそれをぼんやりと見つめていた。だが少しして夷澤さんの方から私に話しかけてきた。
「宝良さん、でしたっけ。私はこの村の話は、ここから逃げてきた新島さんという女性から聞きました。聞き覚えがありますか? いや、あるはずです」
それを聞いて私は「やっぱり」と思った。新島という名前もそうなのだが、夷澤という苗字にもうっすらとだが聞き覚えがあったのだ。もし私の記憶が正しければ――
「その新島って人を逃がしたのは私。それと、彼女には連れの男の人がいたんだけど、その人は私の力では助けられなかった。それで、その男の人の名前もイザワだったような気がするけど、まさか……」
私はそう言って俯いた。違ってくれと心の中で叫んだ。
「その男は私の弟です。同い年の」
こんな時でさえ、夷澤さんは表情を崩さなかった。
「まあ、仲はそんなに良くありませんでしたが」
彼女は淡々と私に告げてくる。何故そんな態度でいれるのか理解できない。もしかしたら私も殺されるのだろうか。それならそれで悪くないのだが。
どうせ私はもうここでは暮らせない。
「ごめんなさい。二人の部屋が別々だったから、どちらかを逃がすことしか私にはできなくて、私は新島さんを……」
というよりは、新島さんを逃がしたのがバレてしまったために私は彼を助けることができなかったのだ。おそらく、そのせいで私も紗江子さんには目をつけられていたことだろう。
しかし、まさか犠牲にしてしまった人の家族に出くわすとは思わなかった。最初から嫌な予感はぼんやりとあったが、まさかこんなことになるだなんて。
「実の祖母を殺され、蔵に火を着けられた人が、何故謝るんです」
夷澤さんがそう言うと、私は言った。自分の顔が微笑んでいるのがなんとなく嫌だった。
「だって、私も全く罪がないわけじゃない。あと、おばあちゃんとは、血は繋がってはいないの。それに――」
「それに?」
「あなたがやらなければ、どのみち私がやるつもりだった。紗江子さんさえ止められれば、あの人に従ってた他の人達も、あんなこともうしなくなるかもしれないし。もちろん、あの人を死なせる気はなかったんだけど」
とにかく、私は彼女を憎む気にはなれなかった。私がどうしようもできなかった問題を、残酷なやり方ではあるが、この夷澤廉子という人はたった一日で処理してしまったのだ。私自身も生贄に出される予定だったなら、恩人とも言える。そしてなにより、私の祖母は彼女の実の弟を殺してしまったいるのだ。そして、私はそれを止めることもせずに……
「にしても、あなたには悪いことをしましたね」
夷澤さんはぼそりとそう呟くと自分が寝ていた部屋の方へ歩き出した。
「何処へ行くの?」
「荷物を持ってくるんです。もうここに用はないので」
「そう」
彼女の言葉に対して、私の返事はどことなく淋しげだったのかもしれない。その淋しげな様子が彼女の中の何かを動かしたのかどうかはわからないが、夷澤さんは言ったのだ。
「案内します。他の安全な場所まで」
と。
「えっ、どうして?」
「最初に言ったでしょう。お礼はいずれさせていただきますと」
■
「あなたが落ち着きたいと思う場所まで連れて行きます」
夷澤さんにそう言われ、夜明けの森を歩き始めて三時間以上が経った。
彼女は一言も言葉を発しない。ただ黙って黙々と霧の立ち込める森を歩いてゆく。
まるでこの森を知り尽くしているかのように。
私はその間ずっと考えていた。これからのことや自分が置かれた状況について。
自分の判断は本当に正しかったのだろうか。だけど、今更そんなことを言ったって、あの村に戻ることなんてできやしないだろう。
しかしだ。
この夷澤廉子という人物もまた――
「もうすぐ、もうひとつの安全地区が見えるはずです」
ぐるぐると考えを巡らせていると夷澤さんが不意に口を開いた。
「じゃあ、今からそこに?」
私は少し明るく振舞ってみたが、彼女は相変わらず表情を変えなかった。
「そんなところです」
ぼそっとそう言った。
何を考えているか全くわからない人だ。
私がそう思っていると、夷澤さんが急に妙なことを言い出した。
「道具はこの木の上です」
道具? 一体何の?
またしても私が考えていると、彼女は音も立てずに一本の椎木に登り始めた。
かと思うと何か太い枝のような物を抱えて降りてきた。
それは枝ではなく猟師がよく使用する猟銃だった。
「そ、それで何をするの!?」
私はびっくりして叫んだ。もしかしたら自分が撃たれるかもしれないと思ったのだ。
だってこの人なら殺りかねないではないか。『ごめんなさい。やっぱりあなたもここで消しておくことに決めました。邪魔なんで』とかいうような台詞を私を撃ち殺した後でクールに言うつもりなのかもしれない。
「心配せずともあなたを撃ち殺したりはしませんよ」
完全に読まれている。
「まあ、あなたがあの村で死人を祭り上げ、さらに自らの手で生きた人間を殺していたとしたら、話は別でしたが」
「も、もうその話は!」
よして欲しい。本当に恐ろしい。
「あと『廉子』で良いです」
なんて思っていたら、突然そんなことを言い出した。呼べるわけがない。
夷澤さんは銃にどこからか取り出した弾を詰め込んでいく。
「何? 何がいるの?」
私は静かに屈むと、夷澤さんに尋ねた。
「あの奥の木の横。キジがいます」
彼女はそう言って森の奥を指差したが、目の良くない私には何がいるのかさっぱりわからなかった。
私が一生懸命キジを探していると、突然真横でもの凄い音がした。
夷澤さんがなんの合図もなしに銃の引き金を引いたのだ。
私はびっくりして思わず飛び上がった。だが彼女は満足げに溜息をついて仕留めたキジを取りに行き、すぐに私のもとへ戻ってきた。
「これを向こうの安全地区に持って行きます。あなたを預けるのに手ぶらというわけにはいきませんので」
「撃つときくらい何か言って。すごくびっくりした」
「え……すみません」
彼女はそう返すとキジの足を持ってまたすたすたと歩き出した。
私は自分のお尻に付いた土を払い、彼女を追いかけた。
それから暫くして私たちは森から抜け、田んぼのある開けた場所に出た。
その田んぼの向こうには5メートルほどの杉の木でできた壁が見える。
どうやらあの壁の向こう側に人が住んでいるらしかった。
夷澤さんは言った。
「門番がいますね。もうすぐお別れです。大丈夫です。あの地区はかなりしっかりしていますから」
「あなたはどうするの」
「私はまた歩いてどこかに行きます。もう会うこともないでしょう」
私が聞くと、彼女はまた淡々とした口調で返事をした。
それからというもの、私はその安全地区に住まわせてもらうこととなった。
夷澤さんの言うとおり、住んでいる人間や地区全体の雰囲気もかなり落ち着いていた。
前の村のようなギスギスした空気もない。
今となっては、もうあの村に戻ることも、夷澤廉子という人物に会うこともないのだろう。彼女が今どうしているのか定かではないが、それでも私はなんとなく、彼女がまだ近くにいるような気がしてならない。




