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(元気だろうか?)
クリスはサラと手紙のやりとりはしていなかった。
最後に会ったのは故郷を発つ前日だったから、三カ月以上は顔を見ていないことになる。
懐かしさを覚えるのと同時に、入学してから随分経つのに未だに道を決めかねていることを思い出し、情けなさに歯噛みした。
将来的にはウィリアムの役に立つことが夢ではある。
しかし、そもそも何をすることが役に立つということなのかが分からなかったし、不出来な自分では兄の役には立てないかもしれない。
学院で学べば何か拓けるかもしれないと思っていた。しかし、現実は勉強に手いっぱいだったために他のことを考える余裕がなかった。
(情けない。サラにも立派になって帰ると言ったのに……)
クリスは開け放していた窓へと歩み寄った。
上を見れば雲一つない晴れ渡った空があり、下を見れば古い街並みの王都と、そこを行き交う多くの人々が目に入った。
この日は殊更多く、半分ほどがきちんとした身なりをしていた。
若い顔ぶれだったから、クリスたちと同じく儀式に臨む者たちだろう。
窓を閉めて振り返るとウィリアムと目が合った。
どうやらずっとクリスを見ていたようだ。
(まだ王宮に行ってもいないのに落ち着きをなくしたり、故郷を思い出してサラに会いたいと思うなんて子供みたいだ)
クリスは急に恥ずかしくなり慌てて目をそらした。
それでも気になって口を開いた。
「兄さま、サラは元気でしたか?」
「何だい? サラに気があるのかな?」
ウィリアムはいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「違います」
クリスは即座に否定した。
ウィリアムは残念だ、と前置きしながらも「元気だった」と教えてくれた。
「そうですか……」
「サラはまだ付き合ってる人はいないみたいだよ。チャンスは十分あるんじゃないか?」
(からかわれてるな。でも兄さまなら、まあいいか)
クリスは内心で溜息を吐きつつも、ウィリアムとの会話を楽しんだ。
「兄さまが何を期待しているのかは知りませんが、僕とサラが付き合うことは喜ばれないんじゃないのですか?」
「まぁ、普通の貴族ならそうだろうね。けど、父上も言ってたことだけどクリスが幸せになってくれるのなら何だっていいんだよ」
ウィリアムは微笑んだ。
穏やかな中にも真面目さを含んだその笑みを見ていると、クリスは、自分の中の何かが満たされるような気がした。
「ありがとうございます。僕はまだ結婚のことは考えられないのですが、どんな形であっても兄さまの力になれるような存在でありたいと思ってます」
クリスはクローゼットから濃紺のジャケットを取り出し、羽織った。
ウィリアムが見立てた生地で、クリスの白さを一層際立たせていた。
「それでは参りましょうか」
クリスは扉へと歩いたがウィリアムは動こうとはせず、じっとクリスを見つめていた。
「兄さま、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもないよ」
「?」
ウィリアムはクリスの姿を見て、王宮に行かせたくないと今更ながらに思ってしまった。
クリスはきちんとスーツを着こなしている。
それはいいのだが、問題はクリスの姿を目にする側の方だった。
ウィリアムの目には今のクリスの姿はかっこいいではなく可憐に映っていた。
クリスは母似だった。
それを昔から気にしていたため、せめて服だけは恰好よく見えるものをと考えて作らせた。
しかし、実際に着た姿を目のあたりにすると庇護欲を駆り立てられた。
少し力を込めただけで折れてしまいそうな細い手足と、ウィリアムを見つめる大きな瞳。
それに母に似た優しい顔立ちで尊敬を込めて「兄さま」と呼ばれてしまっては……
「クリス、余所見はしてはいけないよ」
ウィリアムは気が付けば呟いていた。
クリスは兄の心の内を全く知らないようで、くすくすと笑っていた。
「大丈夫ですよ。今日はそんな余裕ありませんから」
(いや、今日だけじゃないんだけどな)
言ったところでクリスは理解しないだろう。
クリスは自分が母に似ていることも、そのために声を掛けてくる人間がいることも理解していた。
ハワードがいい例だった。
しかし、ハワードは特殊すぎたということと、ハワードやエドワード以外声を掛けてくる者があまりいなかったこともあり、自分にはそんなに魅力がある方ではないと思っているところがあった。
ウィリアムからすれば心配は尽きないが、そのことに関してはクリス自身が気を付けるしかないだろう。
今後のことを考えると溜息を吐かずにいられなかった。
「……行こうか」
「はい!」
二人は宿を後にした。
ウィリアムはまだ知らない。
クリスの容姿に関する悩みが些細なことになってしまうほどのことがこの先待ち受けていることを。
クリスも知らない。
ウィリアムの役に立ちたいという夢が粉々に砕けてしまうことを。