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 ウィリアムが部屋に戻ったとき、そこにあるはずの姿はなかった。


「クリス、クリス……何処だ?」


 部屋に入ってすぐ左手にある二つのベッドと正面の窓際にあるテーブルと一人用のソファがあるだけで、クリスの姿はない。右手にあるクローゼットを額てみても何もかかっていないハンガーがあるだけだった。

 じわじわと焦りと不安がこみ上げてきた。


(まさか……)


 出かける時、クリスは自分の事を心配しているようだった。

 もしかしたらこっそり後をつけたのかもしれない。

 探しに行こうと慌てて部屋の扉を振り返った。


 ウィリアムが扉に手を掛けようとしたとき、がちゃ、と音がした。


「……クリス」


 クリスはトレイを手にしていた。

その上にはグラスが二つと水差しが乗っていた。


「いないから心配したよ……さ、突っ立っていないで入りなさい」


 ウィリアムは胸を撫で下ろすと扉を引いてクリスを中へと促した。


 クリスはテーブルの上にトレイを置いたが、何を言ったらいいのか分からなかった。

ソファに座るとグラスの水を少しずつ飲んでいた。


 どこか落ち込んでいるようなクリスに「もしかして」と口を開いた。


「私の跡をつけたのかな?」

「すみません。兄さまの様子が気になったので……すみませんでした……」


 ウィリアムは咎める様子はなかったが、怒られると思ったのかクリスは身体を竦ませた。

深く息を吐くと脱いだ上着をクローゼットの中のハンガーに掛け、クリスの隣に腰を降ろした。


 俯いていたクリスにはウィリアムが着ていたベストの濃い赤色とズボンの黒色だけが目に入った。


 ウィリアムは黙ったままクリスの薄い肩を抱き寄せた。

怒られると思ったのか、ウィリアムが触れた時、びくりと身体が揺れた。


 クリスにとってウィリアムは自慢の兄だった。

兄弟と言う欲目もあるのかもしれないが、言うこともやることもいつも正しくて、頭が良く、いつも自分や周囲の人々を気遣っている。

両親にとってもウィリアムは自慢の息子であり、性格的にも能力的にもラッセル家の後継としても申し分なかった。


 優れているからと言って、決して慢心したりせず常に努力を怠らない。

そんな兄がこれまでに向けた言葉の一つ一つが全てクリスを気遣ったり心配したりするものばかりだったから、訳もなく外出するなと言うはずがなかった。

それは分かっていたのだが、どうしても心配になり後をつけてしまった。


 感情的に怒鳴るような人ではなかったが、それでも言いつけを破ってしまった非はある。

自分は欠点だらけだから、いつか兄に見限られるのではないか。

そんな考えに囚われていたから、何か問題を起こしたときウィリアムに咎められるまでの時間はクリスにとってはこの上ない恐怖の時間だった。


――今度こそ見限られるのでは?


 そう考えただけで血の気が失せた。


「クリスは私のことが心配だったんだね」


 クリスは黙って頷いた。

 そして唇を引き結び、次の言葉を待った。


「ごめん。話してから行くべきだったね」


 謝るウィリアムにクリスは「いえ」と緩く首を振った。


「兄さまの言いつけを聞かず、出てしまった僕が悪いんです。それより……聞いてもいいですか?」

「…訊きたいことはなんとなくわかるよ。伯母さんのことだね?」


 クリスは黙って頷いた。


「顔は見た?」

「いいえ……暗くて顔までは…兄さまがドレスを着た女性と会ってるという事しかわかりませんでした。それに、兄さまが口にするまで伯母さまがいるなんて知りませんでしたし」


 ウィリアムはすぐには何も言わなかった。

 不安を覚えたクリスはウィリアムを見上げた。


 ウィリアムはクリスを見ていなかった。

窓の方へと顔を向けており釣られたようにクリスもそちらへと顔を向けた。


 窓は厚手のカーテンで覆われているから外の様子は分からなかった。

机の上に置かれた燭台が仄かに部屋を照らしていた。


 クリスは短くなった蝋燭の火へと目を移した。

すらりとしていた蝋燭も、溶けては固まりを繰り返して歪な形になっていた。


「……そうだよね」

 燃え尽きた蝋燭の火が消えて部屋が暗闇に包まれたとき、ようやくウィリアムが口を開いた。

ぽつりと漏らしたのは微かな声で気のせいかと思うほどだった。


 何を思ったのか、ウィリアムはクリスの頭を抱き寄せると髪を指で梳いた。

いつにない行動にクリスは戸惑いを覚えたが、何となく口に出すのも憚られた。

ウィリアムはクリスの頭を撫でたり髪を梳いたりするだけで何も言わなかった。


 夜も更け、クリスが眠気を覚えはじめた時だった。


「父上に口止めされてたから、どうしようか迷ったんだけど……」


 意を決したような少し硬い声音だった。

 クリスはウィリアムの肩に頭を預けたまま耳を傾けた。


「あの人は父上の実の姉で、私達の伯母に当たる人なんだ。名はジャネット・クリーズ……」

「…何故教えてくれなかったのですか? 僕は会ったことがないのに……」

「いや、クリスが忘れているだけさ。幼い頃に顔を合わせてる。もっとも、感動の対面ではなかったけど」


 クリスの問いにウィリアムは目を閉じた。


「今から10年くらい前のことだ。あの時の私は伯母上と顔を合わせることはあったが、どういう人かは知らなかったんだ」


 ウィリアムの話はこうだった。


 ジャネットはその時既にクリーズ家に嫁いでおり子供もいた。

 ウィリアム自身ジャネットと顔を合わせることがなかったが、そのことは父が屋敷に入ることを許さなかったからだと後で知った。

叔父であるグレゴリーと話すうちに伯母がいることは何となく知ったものの、性格までは知らなかった。

伯母の話はラッセル家、特に父の前ではご法度だった。


 そんなある日のこと、たまたま体調が良かったクリスが庭で近所の子供たちと遊んでいた。

その頃、ウィリアムは家を継ぐために勉強に励んでいた。

合間の息抜きに部屋の窓から外を見たところ、見知らぬ女性が敷地に入ってきたのを知った。


 真っ直ぐクリスの方へと向かう女性に胸騒ぎを覚え、すぐに庭に飛び出すと、彼女はすでに外へとつまみ出されていた。

彼女が伯母であることをその時に知った。


 クリスは学院に入るまで体調を崩すことが多かった。

もともと身体が丈夫ではなく、幼少の頃はほとんど毎日をベッドの上で過ごしていた。


「父上が頑なに伯母上の存在を隠していることがずっと疑問だった」


 ある日、ジャネットがラッセル家にやって来た。

 もちろん無断で、だ。

 その日はたまたま両親は用事で出かけていた。

その時執事も偶然出掛けていたため、応対したのは入ったばかりでジャネットのことを知らない使用人だった。


「帰ってくるまで待つ」

高慢なジャネットを追いかえすという頭はその使用人になかったため、客間へと通そうとした。

しかし、ジャネットはジョージの部屋で待つと言い勝手に階段を上がったのだ。

いつもジョージの部屋で会っていたというジャネットの話を鵜呑みにした使用人はさして疑問を持たなかった。

彼女がジョージの部屋に入ったのを見届けると、使用人は茶の支度などのために階段を降りた。

 しかし、それが不味かった。

何故ならジョージの部屋の近くにクリスの部屋があったからだ。

ジョージの部屋の隣にウィリアムの部屋があり、クリスの部屋はその隣だった。

使用人は他にもいたが、各々の仕事をしていたためにジャネットがジョージの部屋から出たことに誰も気づきはしなかった。


 その時ウィリアムは部屋で家庭教師の授業を受けていた。


「その日の授業が終わった後でクリスの様子を見に行ったんだ。そしたら伯母さんがいたから、もう驚いたよ」


 ウィリアムはクリスの部屋の扉を開いて愕然とした。

 ジャネットがいたのもそうだが、問題はその手に抱えていたものだった。


「何をしているんだ!!」


 気付くと大声で叫んでいた。

ジャネットが抱えていたのは熱で寝込んでいたクリスだった。

ベッドカバーで固く包まれていたクリスはぐったりとしていてウィリアムの声に反応することはなかった。

 ジャネットは舌打ちするとクリスを抱えたまま部屋の外へ出ようとした。

 ウィリアムはジャネットが部屋から出ないように扉の前に立った。


「あんた、クリスをどうするつもだ!」


 その時のウィリアムの頭から、礼儀という概念は抜け落ちていた。


「この子は今日から私の子よ」


 クリスを大事そうに抱えたジャネットはウィリアムに向かって一方的に宣言した。

その時のジャネットの目は血走っており、唾をまき散らしながら喚いている姿はどう考えても正気ではなかった。

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