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 門の前で待っていたクリスの前に一台の馬車が止まった。

黒塗りで装飾があまり施されていない馬車だが、クリスには馴染み深いものだった。

 扉を開いて降りてきた黒いコートの青年にクリスは駆け寄った。

「兄さま、お久しぶりです」

馬車から降りてきた青年、ウィリアムは久々に会う弟の姿に破顔した。

クリスの頭に手を置き「久しぶり。背も伸びたかな?」と首を傾げた。


「それほど伸びていませんよ。兄さまは……渋みが増したような気がします」

 ウィリアムと会うのは半年ぶりなのだが、以前より精悍さが増しているような気がした。クリスは見た目的にも頼もしくなった兄を羨んだつもりなのだが、ウィリアムは否定的な意味で受け取ったらしい。


「私も老けたってことか? クリスにおじさんって言われるのは悲しい……」


 ウィリアムはポケットからハンカチを取り出すと、わざとらしく目元を拭っていた。時折見せる芝居がかった言動をするところはエドワードと似ているかもしれない。


 それでもウィリアムに会えて嬉しいことには違いがなかった。

しかし、今こんなことをしている兄に向って「会えて嬉しいです」と素直に言うのは少し癪な気がした。


 緩みかけた表情を隠すように、クリスは溜息を吐いた。


「兄さま、冗談でも泣くのは止めてください」

「冗談じゃないさ。愛する弟に悲しいことを言われてグサリ、とだねぇ……」


 そんな軽口を言い合っていると学院の方から誰かが歩いてきた。

クリスは背を向けていたから気づかなかったが、ウィリアムは「セシル家の…」と呟くと胸に手を当てて頭を下げようとした。


「おっと、社交界ではないのですから堅苦しいのはナシにしましょ」


 クリスの隣に立ったエドワードは少し慌ててウィリアムを止めた。


「クリス、こちらは君の兄君なのかい?」


 念のために確認するエドワードにクリスは頷いた。


「僕の兄、ウィリアムだ」

「久しぶりですね」


 ウィリアムとエドワードは和やかに握手をしていた。


「本当ですね。でも、酷いじゃないですか」

「「は?」」


 エドワードは唇を尖らせるとウィリアムからクリスに視線を移した。言っていることの意味が分からず、クリスもウィリアムも揃って怪訝な声を出していた。


「貴方にこんな美しい弟君がいたとは……何故教えてくれなかったのです?」

「いや、クリスを社交界に出す予定は無かったもので……まさか学院で一緒になるとは思ってもみませんでした」

「まぁ男爵家は長子しか社交界に顔を出さない家もあるけど……でも、クリスとはもっと早く知り合いたかったな」

「変な虫がついては困りますから」

「確かに……」


 ウィリアムの言葉にエドワードは納得したように頷いた。

 

 陽の光に煌めきながら軽やかに流れる銀の髪、磁器のように白く透明感のある肌、晴れ渡った空のような澄んだ青い瞳、まだあどけなさが残る中性的ともいえる顔立ちに華奢な体格。

人目を惹きやすい容姿だから父もウィリアムもクリスを社交界に出したがらなかったが、周囲は違った。


 特にクリスたちの父であるジョージの姉ジャネットと弟グレゴリーは執拗にクリスを社交界に出せとジョージに言っていた。

貴族と言ってもラッセル家は所詮男爵家だ。社交界に出ることはステータスになるが、何よりセシルやハワードなどの公爵家との親睦を深めることをグレゴリーは望んでいた。

 グレゴリーは貴族ではないごく普通の女性のもとへ婿入りしているので、身分はもう貴族ではない。ラッセル家が公爵家と懇意になろうとも、あらゆる意味で彼に影響はなかった。それでも彼が口を出していたのは、あくまで実家の行く末を純粋に心配していたからだった。


 問題はグレゴリーではなくジャネットの方だった。

彼女はジョージに「クリスを社交界に出せ」としつこく手紙や使者を送っていた。


 クリスはグレゴリーには何度かあったことがあるが、ジャネットとは会った覚えがなかった。


 実際ジャネットと会ったのは数回あるが、それは全てクリスが幼いころのことだった。


 グレゴリーが婿入りした家は一般家庭とはいえラッセル領の中だった。

彼は時折やってきてはジョージの相談に乗っていた。その時にクリスやウィリアムと顔を合わせていた。


 ジャネットが嫁いだのはクリスが生まれる前のことだった。

彼女は幼いながらも優秀だったウィリアムを何とか使うことができないかと考えていた。


 それはラッセル家のためではなく、あくまで自身の欲望のために。


 ジャネットはウィリアムに手を出すことができないまま嫁いで行ったが、それでもウィリアムのことを諦めることはなかった。

そんな時に、グレゴリーと再開した。

グレゴリーは子供好きだった。もちろんウィリアムのことを可愛がっていたが、クリスのことも病弱ながらも日々生きて成長できているということをジョージ以上に喜んでいた。


 それをグレゴリーはジャネットに話してしまった。


 もちろんグレゴリーに他意はなかった。甥の成長をジャネットにも喜んでほしいと思い、伝えたのだがジャネットには使える手駒が増えたとしか考えていなかった。

 ジャネットは金を得ることはもちろんのことだが、何よりも自分を見下してきた連中に一泡吹かせるということしか考えていなかった。


 それが浅慮だと彼女は気付くことができなかった。


 ジャネットとジョージは仲がいいとは言えなかった。

グレゴリーはラッセルの家を訪れても邪険に扱われることはなく、むしろ歓迎されていた。しかしジャネットはと言うと、用件も告げないまま門前払いをされたことがあったほどだった。

グレゴリーが人形のような可愛い顔立ちをしていると話していたクリスを直に見てみたかったジャネットは、ラッセル家へと何度も手紙を送っていたが返事が返ってきたことはなかった。

 ジョージの自分への態度に腹が立ったジャネットは、ラッセル家の近くまで足を運んだ。病弱とはいえ子供なのだから体調が良ければ外で遊ぶこともあると踏んだのだ。

そして、街の子供たちと屋敷の庭で遊んでいたクリスの姿を目にしたジャネットは、この子こそ自分の望みをかなえてくれると思ってしまった。

その時たまたま門が開いており、ジャネットはクリスに声を掛けようと近づいた。しかし、気が付いた執事に阻まれてしまい、クリスに声を掛けることもなく門の外へと追い出されたのだった。


 ジャネットはその後もクリスとの接触を図ったものの、ジョージや周りの大人たちに阻まれて言葉を交わすことすらできなかった。


 そしてついにある事件が起きた。


 その事件が起きたことで、ジョージはジャネットとの縁を切ることを決断したのだった。これまで様々なことを要求してきたジャネットに辟易していたものの、実の姉であるということもあって縁を切ることを決断できずにいた。


 その意味で、事件はいいきっかけとも言えた。


 ジャネットを嫁いだ先の家に送り、もとい強制送還した後でジョージは一通の手紙を彼女へと送った。


 その手紙にはウィリアムとクリスへの接触はもちろんのこと、館へ入ることもラッセル領に入ることも許さないと書かれていた。

そして最後に「くだらない欲はいつか自分の身を滅ぼすことになる」と忠告が添えてあった。


 手紙を読んだジャネットが怒りに震え、破った手紙を燃え盛る暖炉へと投げ込んだというのは余談だが。


 そんなこともあってジョージは一層身を引き締めた。

ジャネットとのやりとりをジョージは誰にも言わなかったが、ウィリアムだけは薄々勘付いていた。


「貴族たる者、自分の行動に貴族としての自覚と責任を持つべし」


 いつしか出来たラッセル家の家訓だった。


 他の貴族と話すことがなかったクリスは、ジョージとウィリアムの姿は貴族として当然のものだと思っていた。

威厳に満ちているが、驕ることなく他人(ひと)を尊重し……



「これがこの国の貴族なのか」


 学院に入ってからハワード達に迫られたクリスは思わず呟いた。

そのとき抱いた感情は、怒りなのか苛立ちなのか、それとも哀しみなのかクリスには分からなかった。

ウィリアムには「貴族の身分というのは誰かを見下したりするためにあるものではないからね」と教えられていたし、クリスもそれが当たり前だと思っていた。

それがどうだろうか。クリスに迫る彼らは家の階級を笠に着て当たり前のように見下してきた。


「侯爵家の我々が男爵家のお前を目に留めたのだから有難いと思え」と。


(兄さま…兄さまが教えてくださった貴族とは、このようなものなのですか?)


 常に誇り高く、誰かに侮蔑されてしまうような低俗な行動を取ってはならない。

ウィリアムがいつか言っていたことだった。


 すぐに断ってしまえれば良かったのだが、入学式の前に聞いていた話がクリスの言動を鈍らせていた。

「学院では階級はなく誰でも平等だと謳っているけど、現実には成績並みに重要視されていて、相手の階級が自分より上の家の人間だったなら下手に逆らわない方がいい。逆らってしまうと学院にはいられなくなる」と。


 クリスに迫って来ていたのは主に上級生だった。

 侯爵や伯爵と彼らは言っていたが、それが本当なのか社交界に出ることがなかったクリスには分かるはずがなかった。しかし上級生と言うのは制服の胸にある刺繍から分かった。

 下手に断ることが出来ず、困っていたクリスを助けたのは偶然通りかかったエドワードだった。

エドワードはクリスと同じ一年生だが、公爵家ということで知れ渡っていた。

ハワードとは違って容姿端麗、成績優秀という事がエドワードの噂を広めるのに一役買っていたのだ。


 クリスとエドワードはそれ以来の仲だった。


 ちなみにクリスのもう一人の友、エドガーは寮で隣室だった。

ざっくばらんな性格で言葉も飾ることがなく「人は外見ではなく内面だ」と言っていた。そんなエドガーに最初は驚いたものの好感を持ったクリスはすぐに友になった。

そんなエドガーでもハワードの事だけは「見た目も中身も一緒」と呆れていたが。



「さて、せっかくクリスに会えたから色々と話したいところだけど、またの機会にするよ」


 それでは、とエドワードは二人の前を過ぎていった。



「元気そうで安心したよ」


 公園のベンチに腰掛けたウィリアムはクリスに微笑んだ。

本当ならどこかの店に入って食事がてらゆっくり話したかったのだが、どこも人がいっぱいで諦めるしかなかった。


 二人がいるのは王都の中央にある公園だった。

 ベンチの周囲はちょっとした木立があって少し涼しい。開放感がある場所だが、彼らの前を腰に剣を差した兵士が通り過ぎていった。

儀式の前日という事と、貴族が集まるという事で王都は厳戒態勢だった。


 この時公園にはクリスたちしかいなかった。

 見回しても周囲には警備の兵しかいなかったため、気兼ねなく話すことが出来た。


「あ、そうだ」と何かを思い出したようにウィリアムはコートのポケットを探った。


「誕生日おめでとう」


 クリスの誕生日は一月ほど前だった。ウィリアムからの手紙に祝う言葉が添えられていたから、それで誕生日のことは終わったと思っていたクリスは少し驚いた。


ウィリアムがクリスに渡したのは封筒だった。真っ白で表にも裏にも何も書いてない。少し膨らんでいた封筒にクリスは少し躊躇うような目をウィリアムに向けたが「開けてみて」と言うだけだった。


 クリスはおずおずと封を開いた。中にあったのは手紙とペンダントだった。


「ラピス・ラズリ。魔除けの力があるらしいよ」


 ウィリアムはペンダントに嵌っている丸い石を指した。大きさは小さな硬貨ほどで、所々に黄色い点がある深くて濃い青色をしている。星空を切り取ってそのまま石の中に収めた、そんなような石だった。


「手紙、読んでみて」


 ウィリアムに言われるままクリスは折りたたまれた手紙を開いた。


『クリストファーへ


 誕生日おめでとう。

 今まであまり話したことがなかったから、正直何を書いたらいいのか分からない。

今度帰ってきたとき、お前の事や学院の事を色々話してほしい。

                                父より』



「兄さま、これは?」

「私が無理やり書かせたんだ」


 クリスは手紙から目を離し、隣のウィリアムを見上げた。ウィリアムは得意げな笑みを浮かべていた。


「儀式の前日にクリスに会えるから、その時に誕生日祝いを渡そうって考えてたんだ。

成人の年だからちょっと特別なものにしたくてね。

ペンダントは父上と母上と私、皆で考えて、手紙は私が父上にペンを握らせた。でないとずっと手紙なんて書かなかっただろうから」


 ウィリアムはその時のことを思い出したのか、くすくす笑っていた。


 ウィリアムが語った父の姿にクリスはかなり驚いた。

無口な父が眉間に皺を寄せてペンを握る……息子への手紙はそれほど難しいものなのかと思うと、悲しかったのと同時に少し可笑しい気がした。


 誕生祝いの裏事情など普通だったら話さないだろう。

しかしクリスの場合、いくら手紙の字が父のものだと思っていても本当に父が書いたのかとウィリアムの話が無かったら疑っていた。

クリスにとって、それくらい父というものは遠い存在だった。


 せっかくだからつけてあげるよ、とウィリアムはペンダントをクリスの首に掛けた。


「うん、よく似合ってる」


 ウィリアムは満足げに何度も頷いていた。


「ありがとうございます。兄さま」

「お礼は今度、父上と母上にも言ってあげてね。きっと喜ぶから」

「はい、そうします」


 クリスは微笑むと胸のペンダントを大事そうに手で包んだ。

クリスの伯母、ジャネットは嫁いでますがその先も男爵家です。

クリスと血縁なのかと思うほど、容姿は良くなく、性格もあんな感じで軽いので公爵や侯爵などの家に縁談を持って行っても全て断られたとか。

なかなか嫁ぎ先が決まらず、見かねた先代がラッセル家と縁が深い家に頭を下げて何とか嫁にしてもらうことができた……と言うのは余談です。

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