1
大きな窓から差し込む陽の光が部屋の中に差し込んでいた。
澄んだ光が部屋に居並ぶ者達を照らし出した。
女の方は色とりどりのドレスを纏っている。
首には大きな宝石がごろごろ付いているネックレスを付けていた。石の内容とデザインは様々で、位が高くなれば高くなるほど、より高価な宝石を身に付けていた。
男の方は仕立ての良い絹のスーツだが、全員共通しているのはその胸元だった。大きく刺繍されている図柄は貴族の家を表す徽章だった。
部屋に集められているのは全員貴族だった。
全員正装だが、何かの式典の時に着る燕尾服やドレスのように堅苦しいものではない。
しかし、どんな衣装に身を包んでも緊張までは隠しきれない。
彼らがいるのは王宮であり、最も高位の公爵の家の者でも訪れたことはほとんどない。
そんな中、1人の少年が張りつめた空気に耐え切れ隣を見上げた。
一つに束ねられた銀の髪は、部屋を照らす日の光を受けて煌めいていた。
澄んだ瞳が見つめている先には、少年が尊敬している姿があった。貴族ならば男でも髪は長いのが普通なのだが、隣の青年は金髪を短く刈っていた。その横顔は退屈そうだが少しも緊張した様子はない。
「兄さま、そろそろですよね」
「クリス、そんなに緊張するともたないよ」
兄と呼ばれた金髪の青年ウィリアムは苦笑すると、緊張でがちがちに固まっているクリスの背を軽く叩いた。
僅かだが身体から力が抜けたクリスは、自分を見下ろす兄の瞳を見返した。
海のように深い青い瞳。クリスはその瞳の色が好きだった。
凛々しい眉と切れ長の目で人柄が厳しいそうに見えてしまうこともあるが、彼の瞳はいつも穏やかな色をしていた。
父親と接する機会が少なかったクリスにとって、礼儀作法や貴族としての立ち振る舞いを教えてくれたのはウィリアムだった。
心から尊敬する自慢の兄に憧れると同時に、家を継ぐ彼の役に立ちたいと思っていた。
実家を離れ王都にある学院に入学してから半年が経っていた。
もともと身体が弱く過保護に育てられていたために最初は何も出来なかったが、今では一人でできることも増えていた。
少しは成長したのだと感じていたが、兄の前では未だに子供でしかなかった。
情けなさに俯いてしまったクリスの耳に慰めるようにこっそりと呟いた。
「まあここに来ること自体そんなに無い事だから仕方がないかもしれないけどな」
ウィリアムは部屋の中をぐるりと見回した。
時間が経つにつれ、人が続々と集まって来た。
自信に溢れた顔をした青年がいれば、自分以上に美しい者はないと思い込んでいる少女もいた。
そこは王宮の謁見の間だった。
王宮には普段政に大きく携わる公爵位の貴族しか立ち入ることがないために、集められた若者の中は物珍しさに辺りを見回している者も何人かいた。
そんな彼らも次第に緊張を露わにし始め、緊張のあまり今にも卒倒しそうな青い顔をした者もいたほどだった。
社交界にあまり出ないウィリアムにとって、殆どが知らない顔だった。
ただ彼らが顔色を悪くしている中でクリスは大丈夫だろうかと隣を見ると、紙のように白い顔をしていた。
「大丈夫ですよ……」
声は弱々しく、ウィリアムを見返す目にも力はなかった。
慌てて額に触れてみると驚くほど熱く、とても大丈夫そうではなかった。
できればどこかで休ませたかったのだが、そんな時に奥から人が現れた。
壮年の男と年若い少年と少女の三人で、そこにいる多くの者は彼らが誰なのかは知らない。しかし、謁見の間の奥から現れたということが答えだった。
「それではこれより儀式を始める」
壮年の男、すなわち国王の大音声が響き渡った。
何事もなく終わると誰もが思っていたこの儀式。
それが自分の運命を左右するものだと、この時のクリスには知る由はなかった。
***
ユリウス士官学院。
王都にあるその学院は建国の祖ユリウスが造った由緒正しい名門校で貴族の子女しか通うことしかできない。
大理石で造られた重く冷たい学院の玄関ホールに佇む銀髪の少年がいた。
少年の名はクリストファー・ラッセル。
澄んだ青い瞳が見上げるのはホールの中央にあるユリウスの像だった。
片手に剣を持ち、片腕には鳥を止まらせている。鳥は国鳥である隼で、戦の時ユリウスを何度も救ったという逸話があった。
「すごいな」
「何が?」
突然背後から聞こえた声にクリスは大仰に驚いた。
振り返ると黒髪の少年がいたずらに成功したような笑みを浮かべていた。
「エドガー!? いつから?」
「いつってさっきから。で、何がすごいんだ?」
エドガーはハシバミ色の瞳を像に向けた。
学院にいると必然的に毎日のように見ていた。
見慣れてしまったエドガーは不思議そうにクリスに目を向けた。
見慣れている。いつもならクリスもそう思ったことだろう。
「……来週、選定の儀があるだろう?」
「ああ、あれか」
選定の儀とは国の世継ぎを決めるための儀式のことだった。
王の嫡子である王子や姫が王位を継ぐのが普通だ。
他の国では王位継承権は初代の直系が持つというのが至極当然なのだが、この国では血統よりも重要だとされるものがあった。
「隼に選ばせるっていうのは本当かな?」
隼が選んだ者を次代の王にするというのは、誰でも知っている御伽噺だった。
ユリウスのことは様々な形で語られている。
学院などの教育機関で扱われる歴史の教科書はもちろんのこと、幼い子供たちが読む御伽噺にもなっていた。
歴史の教科書にはユリウスの功績が記されるのみだが、御伽噺には神に選ばれた聖者だと記されていた。
――彼が連れていた隼は神の使いであり、その死後も国を見守り続けている。
御伽噺にはそう記されていた。
その隼が儀式で後継者を選ぶという噂があるが、それが真実だとはにわかに信じられなかった。
というのも、ユリウスがいたのは数百年も前のことだからだ。いくら神の使いであっても、ユリウスの隼が生きているというのはとてもではないが信じられない。
それに仮に隼が神の使いで、儀式に使うという噂の両方が本当だったとしても、隼に国の主を決めさせるというのはとてもじゃないがクリスには信じられなかった。
それは隣にいたエドガーも同じだった。
「どうせ次は王子殿下が王位を継ぐのだから儀式に意味なんてないんじゃないか」
儀式の知らせがあった時ぼやいていた。
実際に、彼らの学ぶ歴史の教科書には王の系譜がしっかりと受け継がれていた。
ユリウスから5代目までは書かれていなかったが、戦乱の世だったため資料が紛失してもおかしくはない。
そのため5代目までは分からないが、現国王は間違いなく6代目の直系だった。
その国王には二人の子供がいた。
オズワルド王子とアリシア姫の二人でどちらもクリスやエドガーと同じで十七歳になった。二人は双子だった。
王位継承権は男子優先という決まりはなかったため、アリシア姫も権利を持っていることになる。
どういう経緯かは分からないが、多くの兄を押さえつけて継承権をもぎ取った末の姫の話もあるくらいだ。
王の嫡子がが17歳になる年に儀式が行われることになっていた。
この国では17が成人の年なのだ。
そして隼が誰も選ばなかった場合、王位は第一子であるオズワルドに譲られることになるだろう。
隼が彼を選ぶという事もあるし、他の誰かかもしれない。
しかし、これまで隼が選んだ者は無かったとクリスたちは風のうわさで耳にした。
オズワルド王子が王位を受け継ぐことだろう。
小国ではあるが、王位ともなれば色々なしがらみがある。角を立てず丸く収めるには、彼が王位を継ぐのが一番だとクリスは考えていた。
しばらくの間銅像を見上げていたクリスたちだが、長い時間をそこで過ごしていたことに気が付いた。
宿題を片付けないと、と寮へ戻ろうとした時だった。
ホールにたくさんの靴音が響いた。
「儀式に呼ばれることだけでもお前たちには栄誉なことだな」
いい意味では自信に満ち溢れた、悪い意味では厭味ったらしいことこの上ない声がその場に響いた。
聞き覚えのありすぎた声を無視することができず、諦めた顔でクリスは振り返った。
そこにはでっぷりとした少年が数人の取り巻きを引き連れていた。尊大を絵に描いたような大きな図体をしていて、クリスたちは少しどころではなかったが、見飽きていた。
「ハワード……」
でっぷりとした少年はジョン・ハワード。公爵家の三男で、自分より階級の低いクリスやエドガーをいつも見下していた。
クリスは気にしていなかったがエドガーは家柄しか取り柄が無く、人を見下すことしか能がないハワードのことが気に入らず、この時も軽く睨みつけていた。
ハワードはクリスたちから少し間を置いた所で立ち止った。
ハワードは瞼を閉じて「やれやれ」とわざとらしく首を竦めた。いや、竦めたように思っただけだ。ハワードがどのような学院でどのような生活を送っているのかは知らないが、入学当初から太りすぎるために首が分からない。
正しくは“ない”。肉に埋もれてしまっていたから、ネクタイをまともに締めることができないのだ。
「よくあれで制服が着られるよな」
入学式の時にエドガーが変に感心したのが昨日のことのようだった。
成績がいいという話も耳にしたことがなかった。(もし良かったならばハワードの性格からして自分から吹聴したことだろう)彼が唯一誇れるところがあるとすれば緩く巻いた長い金髪くらいだった。
ハワードの艶やかな金髪が窓から吹き込む風に靡いていた。
2人の正面に立つハワードは顔の肉に埋もれた小さな目をクリスに向けていた。射るような視線にクリスの中で警鐘が鳴り背中に冷や汗が流れた。
ハワードを無視してその場を立ち去ることは可能だろうが、クリスにはその選択肢を選ぶことができなかった。
校則では家柄で威張り散らしたりするのは当然許されていないが、しかし生徒の中では重要視されていた。
公爵家の子供が男爵家の子供や使用人を虐めるのは珍しいことではなかった。
教師に隠れてやる分陰湿ではあったが。
男爵家のクリスが公爵家のハワードを無視したりすればどんな目に遭うか想像に難くない。
平穏な学院生活を送りたかったクリスは、胸の内でさっさと立ち去ってほしいと叫んでいた。
「お前たちのような家の者も儀式に呼ばれるのは不可解だが…」
そこで言葉を切ってハワードはクリスに歩み寄った。