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プロローグ 

 日本には、古来怪異が存在する。闇と夜に住んでいた者たちは、人間たちが闇を払い夜を退け、不明を解き明かし怪異の存在を否定するうちにその在り方を変えていった。


 あるものは、闇のより暗がりへ。あるものは、人のみでは届かぬ次元へ。あるものは、人の世へと交り欺く。彼方と此方が明確に区別された現代でもなお、怪異は存在するのである。


 遠野のにある、とある山中に人々に忘れ去られ打ち捨てられた社がある。その名は熊野鬼鎮神社と言われていたがその名を知るものはもはや居らず、山の入り口にある細い細い参道を上がり、ようやく頂上にあるこの社に参ることができる。


 元来は、10年に一度この社に祀られる日本でも珍しい鬼の祭神を鎮めるための祭りが行われていたのだが。この100年の間に忘れられていた。


 この社にまつられるは、闇穏(ヤオヌ)といい。この地方で人が生まれる前からあった存在である。おぬ(隠)とは鬼の語源であり、闇すらも姿を隠す者といわれていた。ヤオヌが生まれてより数千年はまだ、土地も精霊も神も鎮まらず。生き残るために戦い食らった。自身を襲う獣を食らえばその物の肉を得た、自身を惑わす精霊を食らえばその物の神通力を得た、自身を滅する神を食らえば世界を理する知恵を得た。何より驚いたのがあるとき人を食らったときである、肉を得て神通力を得て知恵を得たのである。それまで食らったものに比べれば微々たるものであるが安全にすべてを得られると知ったとき、ヤオヌはいつしか『それ』ばかり食らうようになった。そうして数百年も過ごすうちにヤオヌは闇穏(やみおぬ)と人々を始め闇に生きるもの天を総べるもの、地を鎮めるものその地方に住むものから言われるようになった。


 名を得たヤオヌは今度は、怨恨を向けられた。怨嗟の念はヤオヌを縛り、途方もない空腹を感じるようになった。以来食らう速度がまし、よりましに今生にあるすべての者たちに恨まれるようになり、それがまたヤオヌに飢餓をもたらした。


 食らえるものを食らいつくし、あちらこちらへと行き。最後に行き着いたのがここ遠野の地であった。最近すっかり見ることのなくなった力強きモノに出会いそれを食らったところ、何故かそこに住む人に感謝されたのである。


 久方ぶりの崇敬の念は、ヤオヌの飢餓を薄めていき久方ぶりにヤオヌの気が鎮まったのである。気を緩めた、ヤオヌは人等と別れ山に入りその山頂で数百年ぶりの静かな気持ちとともに眠りについたのだった。


 その後、起きて下山すれば、以前助けた人等がふもとに住んでおり。声を掛ければもてなされた。ヤオヌの気配は膨大でその寝ている気配だけで脅威となる存在が避けて行っていたからである。


 ヤオヌはそのもてなしにいたく感動し、下山の度に飢餓の念が薄れていくのを感じたのだった。その下山の周期が10年ごとであったため、事後もてなしは祭りとなっていき。尊崇の念を受けヤオヌは存在の階梯が上がるのを感じていた、階梯が上がるにつれ今度は困ったことが起きたのである。人の目に映らなくなったのである。


 時代を経るにつれそれは顕著になり、最初は村の若い者の中で2,3人であったが。下山の度にその人数は増えていき、遂には村で1人2人にしかその存在を感じることが出来なくなったのである。


 ヤオヌは、自身を感じることが出来なくなった村人たちの尊崇の念が薄れていくのを感じていた。以前のように飢餓に晒される事は無かったが、只々目覚めたときに寂しさを感じていた。


 そこから、数十年たったある年。都より遍歴の巫〈カンザネ〉が来た時だった、巫は見鬼の神通力を持ち。数々の鬼を調伏して修行をしているという。偶々この地方に寄ったところ、絶世の鬼気を感じこの村にやってきたのであった。


 ヤオヌはその頃には、目覚めたら村人の願いを叶えたり、悪邪怨霊をもてあそび、近隣の神霊を訪ねて暇を潰していた。巫がやってきたのは、暇つぶしもなくなり再び眠りにつこうかと村の真ん中で大の字で寝そべっていた時であった。


 巫とヤオヌは会合し、久方ぶりの自身を認識する者に喜んだヤオヌは、今回目覚めてより近隣の神霊邪霊に貢がせた酒や肴で巫をもてなし無聊を慰めた。その会合後、ヤオヌの由来を知った巫は村と都に掛け合い山頂に社を作り、村人たちに努々十年ごとの祭りを怠らないことを申付けた。巫は、ヤオヌが再び荒ぶることを恐れたのである。


 驚いたのは、ヤオヌである。目が覚めて見れば目の前に立派なお社が立っており、いったい何処の若造がといきり立って入ってみれば誰もいない。誰か来るか誰か来るかと気になってその年は下山することも無く、見張っていれば誰も来ない。家探しして見つけた文によればこの社は自分のもので、どうやら村にも社を作り、本宮と下宮という関係で社はあり。村では下宮で祭りをするらしい。それならばと下ってみれば、時遅く。祭りは社が気になっている間に終わっていたという。この時初めてヤオヌは悔恨という感情を覚えたという。


 その次の目覚めからは、祭りにも参加し。社という目に見える崇敬対象があることにより、ヤオヌにも尊崇の念が送られて至極満ち足りた思いでまた眠りにつく。


 そんな日々を過ごしていると、下宮に小さな社が合祀されるようになった。ある年に豊受の神さんがあいさつに来た時にはヤオヌは久しぶりにほんの少しだけ空腹を覚えたそうだ。豊受の神は荒ぶる闇穏を直に見たことがあり、隠しきれない恐れを持っていたそうで、それがヤオヌの空腹を刺激したのである。ヤオヌの不穏な気配を察した豊受神は、自身の神使の中でも取り分け足の速い白狐に更に加護を与えてヤオヌに紹介し自身は去って行った。


 残された狐は引きつりながらも挨拶をし、以来下宮に住むようになる。


 それから、数十年たつと下宮の号が変わっており。村人から稲荷神社呼ばれていることにヤオヌは気付く、10年に一度の祭りも毎年規模は小さいが行われているようだ。狐に聞けば、青ざめながら謝られ。ヤオヌは何とも言えない気持ちになった。


 白狐もやはり、只住むには暇を持て余し。ヤオヌも寝ており話す輩も居らず、暇を持て余して村人を助け、豊穣に尽力し、子宝も呼び込んだ。神使の間でもヤオヌの傍に居るということで一目置かれ、豊受神より加護ももらい力を強め始めていたので調子に乗って頑張りすぎたのである。明らかに奉り始めてから収穫が上がり、村人も元気になり、子供も増えたのである。村人たちはありがたがり、社の名を鬼鎮下社とあったのを福豊稲荷とし崇敬を集めた。村人から福豊さまと言われ始めた白狐は、沈痛な思いでヤオヌの目覚めを待つ。


 ヤオヌが自身に崇敬の念が向けられて居らず、社の名前が変わっているのに気付いたのは変更後三度目の目覚めの時であった。ヤオヌ自身は目覚めれば自身に付き従う白狐が面白く、あちらこちらと連れまわして近隣の神霊邪霊に向かっていくのも新鮮であったので。もはや村人のことなど半ば忘れていたのであった。


 福豊の白狐もそんなヤオヌに付き合っていくうちに、諦めの境地に達し。十年おきの罰ゲームを、その他の年の尊崇の念で癒されるということを数十年と行っていた。


 福豊稲荷に神主が住み、村々に電気が付くころになると山の社の事は神主の一族しか知らなくなり。ヤオヌという名を知るものがなくなり、村が町になったころヤオヌの社は豊受の神様のもので福豊稲荷はその下宮と人々が思い始めた。


 人が闇を恐れなくなり、近隣の神霊邪霊も一柱、一柱隠れて行く。頭上を飛行機が飛び、畑を機械が耕し、携帯が普及し、ネットが布設されていった。


 人々が闇を忘れ、神通力がおとぎ話になったころ。


 これは、その時から始まるお話。

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