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そう言うとゆっくりと気持ちを落ち着かせるように鈴音は深呼吸する。
しばらくするとゆっくりと鈴音は口を開いた。
「私の父は、ここら一体を占める大地主で古くから歴史のある一族の末裔だ。少しは耳にしたことくらい無いか? 私の家のウワサを」
聴いたことがない、とはいえなかった。
鈴音の家はこの辺では一際目立つ大豪邸だし、そんなに大きな街ではない。
好奇の目にもさらされやすいしあまり気持ちの良くない噂は中学の頃から聴いたことがある。
躊躇いがちに頷くとまたぽつりぽつりと鈴音の話が始まった。
「花菱の家系は代々伝わる由緒正しい家柄で、特別な血筋。……小さな頃親類達から良く聞かされた言葉だ。学問、スポーツ、政治、あらゆる部門において花菱の家は名声を集め、江戸よりも前から1度たりとも崩れたことのないその地位や名誉は一族の誇りらしい。その中で私の父は誰よりも欲深く、優秀な総本家の跡取りだった」
花菱蔵人の姿が頭によぎる。
隙のない出で立ちや鷹のように鋭い眼光を思い出し今更ながらに寒気がした。
普通じゃないとは思っていたが、そんなスケールのでかい人だったのか。
「幼い頃から何度も言い聞かされてきたよ、花菱の家系を引き継ぐのは直系の娘である私だと。総本家の娘として相応しい人間になれと」
「鈴音…」
「幼少時より私に自由は殆どなかった。財力にモノを言わせた完璧な英才教育と窮屈な生活。学校の中だけが私の唯一心休まる場だった」
鳥篭の中の生活のようだよ、そう鈴音は漏らした。
名誉ある花菱の名前を汚さぬように、一族の誇りを守れるように。
鈴音は幼い頃より花菱の名に囚われることを強いられてきたのだろう。
「私はな、圭吾。父の笑顔を見たことがないんだ、それどころか親らしいことをしてもらった記憶だってない。私の世話は家政婦が担当していたしまともに会話をしたのだって数えるほどしかない、私が花菱の名に相応しいかどうか、興味があるのはそこだけなんだ」
「お、おいおい……なんだよそれ…いくらなんでも…」
「──蔵人本人から聞いた事実だよ……。父には、人を愛する感情が欠落している
んだ」
その言葉に衝撃を覚える、にわかに信じられなかった。
だって、実の娘だぞ? 家族なんだぞ? ロクに話したこともないなんて、まして鈴音を愛していないなんて、そんなの……おかしいじゃないか。