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あるいは本人にすらわかっていないのかもしれない、と鈴音は言っていた。
昔、子供の頃親の帰りをただ一人広い部屋でただ待っているというありふれた経験。
俺達二人がシンパシーを感じた、嫌で嫌でたまらなかったその時間。
──じゃあ今千鶴はどうなんだろう?
千鶴にとってこの時間は、どんな思い出になってゆくんだろう。
最近になって分かったことだが、千鶴は比較的よく笑う。
俺のつまらない冗談にも笑ってくれるし、たまたま友人といる所を遠目に見ても、やはりよく笑っていた。
俺はその笑顔がたまらなく好きだ。
千鶴にはそうやって笑っていて欲しかった。
少しでも寂しい思いをさせてその笑顔を曇らせたくないと思った。
「………千鶴? まだ起きてるか?」
聞こえるか聞こえないかくらいの小ささで名前を呼ぶ。
「──はい、起きてます」
どうやら千鶴もあまり寝付けなかったようだ。
蒸し暑い夜のせいか、いつもと違う部屋のせいか。
少しの沈黙のあと、俺は一つ質問をしてみることにした。
「あのさ、寂しいか?」
「──えっ?」
「えと、その……親父達いなくてさ」
「ああ、そういうことですか。……確かに少し寂しいかもしれないですね」
寂しい、と言う割には思いのほか声は明るかった。
「でも──兄さんがいますから」
俺がいるから──。
優しく落ち着いた声で千鶴はそう言った。
「兄さんがいてくれますから、今は大丈夫です。……寂しくないです……」
「そ…っか」
上手いこと言葉が思い浮かばないで、そんな言葉しか出なかった。
「俺、なんもしてやれてないけどな…」
ともすれば家事をやってもらったりなど、お世話になっていることのほうが多い。
「そんなことないです。──今更ですけど私、兄さんのことは本当に頼りにしてるんです」
千鶴は笑いを漏らす。
「そ、そうか、そりゃ嬉しいな。…親父の誕生日のことでか?」
「いえ、あの時よりももっと前からです──」
あの時よりももっと前って。
俺達がまともに話しだしたのってあれからじゃなかったっけ?
「その様子だと…覚えて…ないみたいですね」
千鶴にしては珍しく呆れたような口調だった。
「兄さん、昔話をしましょうか」