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「だからって今度はお前が犠牲になるって言うのかよ……そんなの!」
そんなのおかしいだろ…!
本来千鶴も鈴音も平等に幸せになるべきなんだ。
どちらか一方がどうして不幸にならなくてはいけないんだ。
俺は、どうしてもそれを容認することは出来ない。
けれど、それでも、千鶴は俺の制止に首を縦に振ってくれない。
「もう一度だけ確認します、私があなたの…花菱家の言う事に従えば、会長や兄さん達にはもう手は出さないですか?」
「少なくとも鈴音は通常の生活を送れるだろう。佐倉家にもこちらから関与する事はない」
蔵人は蛇のような狡猾さで千鶴に甘い毒を吐き続ける。
だがそれは致死量の猛毒だ。
受け入れれば千鶴は確実に未来を奪われる。
それにそんな口約束を蔵人が守る保障もない。
千鶴はもう一度だけ、俺を見る。
その目はもう覚悟を決めた目たった。
「……兄さん、ごめんなさい。私、どうしても会長を助けたいんです。だから──」
そう千鶴が言いかけた瞬間だった。
「もういい千鶴!!」
──その言葉を遮るような声が届く。
声の主は応接間の扉の前に立っている。
それは、上品な和服に身を包み、長い髪を丁寧に結わられている、見惚れてしまうくらい美しい姿の、鈴音だった。
「す、鈴音……」
「かい、ちょう……」
俺と千鶴が同じように驚いている事に構わず、鈴音は真剣な表情で一心に千鶴を見つめる。
「千鶴、もういいんだ。私のことは良い。……私はもう、自身の幸せを諦めたんだ。私にとっては……千鶴が私の分まで幸せになってくれることの方が大事なんだ……お願いだから、もう…」
そこまで聞いた所で今度は蔵人が口を開く。
「もう、なんだ? だから俺の誘いに乗るなと、お前はそう言いたいのか? 馬鹿が。言ったろう、そんな感情論はビジネスにおいて何の役にも立たない所か弱点としかなり得ないゴミにも劣る感傷だと」
「私はビジネスの話をしたいわけじゃない! 千鶴が…私の家族が地獄に堕ちようとするのをどうして黙って見ていられると言うのだ!! そんなものを見るくらいなら、私が地獄に落ちる!」
鈴音はそう叫ぶ。
きっとそれは本心からだった。
千鶴は鈴音を案じ、鈴音は千鶴を守ろうとする。
千鶴は、そんな姉からの言葉にまるで痛みを伴ったかのような悲痛な顔を見せた。