32P
「そんな話千鶴が受けるとでも思ってんのか……!」
怒りを噛み殺したような俺の問いに蔵人は退屈そうに溜息を洩らす。
「今の段階ではあくまでも提示しているだけさ。それにこれはギブアンドテイクのビジネスだ。莫大な利益、あらゆるコネクション、そして自らの能力を遺憾なく発揮出来る環境。──花菱としてこの家で俺の命令を聞いていれば人の望む殆どの欲を満たす事が出来る。……そして、能力でも血筋でも、千鶴にはその権利がある……いやそうするべきだ」
あまりにも勝手な理屈だった。
その代価として、骨の髄まで千鶴を道具扱いするつもりなのだろう。
とこまでも強欲で、どこまでも利益しか求めない。
結局この男は一族の繁栄とやらのために千鶴を利用したいだけなのだ。
自由など与えず、一族の都合のいい道具として徹底的に搾取し、最後には千鶴から全てを奪うつもりなのだ。
怒りに任せて飛び掛かりそうになるのを俺はグッと堪える。
──今は感情に任せるべきではない。
「……結局の所はあんたらの都合で千鶴を振り回す気なんだろ」
俺がそう言うと蔵人は実にあっさりとその事実を肯定した。
「……確かに俺が千鶴を欲しているのは、あくまでも一族の繁栄のためだが、それがどうした? 俺達がどのような思惑だろうが何が自分にとって一番賢い生き方なのかは自明の理だろう。本来であればいくら望んだ所でそう簡単に花菱の姓を名乗ることなど出来ない。だが、千鶴が望めばお前達佐倉家の生活の保証もしてやろうと言っているんだ。──契約としては破格だと思うがね」
そう淡々と事実を述べる蔵人。
その態度が、心底腹立たしい。
「鈴音は昔自分が全ての荷を背負うから妹にだけは手を出すな、と言ったことがある。だが、それを決めるのは鈴音じゃない。──千鶴だ」
真っ先に声を出したのは千鶴だった。
「か、会長が…! どういうことですか……?」
「言葉の通りさ、鈴音が責務に耐えかねて逃げ出せば、その皺寄せは妹である千鶴に行く。鈴音はそれを恐れ今まで命令に逆らわずにいたんだよ」
「おい!」
蔵人の言葉に反射的に文句を言おうと前に出ると小さな声で千鶴が口を開いた。
「──なんで……私なんですか…私はあなたが思っている程能力も才能もないです…」
「今はな。だがお前も花菱の血縁だ。潜在的な能力も才能も必ず備わっている」