26P
瞬間、横目で千鶴の顔が真っ青になるのが見えた。
鷲津さんは無表情だった。けれどそれは辛い事を無理矢理にでも押さえ込んでいるような、創られた無表情だった。
そして、俺は時間が止まったかのように固まってしまった。
頭の中が真っ白でしばらく何も考えられない。
ただ、反芻するように「政略結婚」という単語が浮かび上がる、同時に強烈な吐き気のような不快感が暴れるように身体中を苛んだ。
「…………どういう、ことだよ」
自分でも驚くくらいか細い声だった。
先程から喉はからからで口の中が気持ち悪い。
「鈴音様は卒業を待たず、花菱の親類が連れてきたある資産家と結婚される。──もう結婚する以上学校へ行く意味は無いとの社長の指示だ」
ようやく理解が追いついた俺はまくしたてるように鷲津さんに掴みかかる。
「……ま、待てよ。ちょっと待てよ! なんでそんなことになってるんだよ! 第一そんなこと鈴音は一言も──」
鷲津さんは目を伏せ、特に抵抗もせず俺達に話し続けた。
「…黙って姿を消すつもりだったんだろう。鈴音様は、これ以上お前達に心配させたくなかったんだ…」
花菱鈴音はそういう人間だ。
本当に腹立たしい。
急に姿を消して俺が心配しないと思ったのか。
千鶴が悲しまないとでも思ったのか。
もしそうだとしたら、あいつはとんでもない大馬鹿だ。
「鈴音の意思はどうなる!? 好きでもない男と、一族の繁栄のために結婚させるなんてあいつの未来を潰すと言ってる様なモンじゃないか!」
「花菱家が…鈴音様の意思が尊重されたことなど…ない」
「ふざけんなぁ!!」
怒号が室内に響く。
「そんなことってあるかよ…! 自分達の都合のためにそこまで娘を食い物に出来んのかよ……! なぁ鷲津さん、あんたはそれで良いのかよ! ずっと鈴音のお目付け役だったんだろ? 娘みたいなものじゃないのかよ?」
「そうだな、俺には娘はいないが、鈴音様のことは今でも本当の娘のように思っている。」
「だったら…! だったらどうして、そんなに落ち着いていられるんだよ…? あんたの娘が道具みたいに扱われてんのに、なんとも思わないのかよ!?」
「俺が、なんとも思わないわけ無いだろ!」
ずっと無抵抗だった鷲津さんは俺の胸倉を掴み真直ぐに目を見た。
無表情を作っていたその顔は悔しさに歪んでいる。