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Re:苦情部

来たる初夏、開くドア

作者: アンノーン

 *注意*この物語はイントロダクションです。実在の団体・人物・事件などとは一切関係ありません。それを同意の上で、お読み下さい。

 冗談抜きに自分の優柔不断さには呆れる。自販機の前で小銭を握りしめ、どのドリンクを買おうかと五分以上突っ立っていたり、貯金して欲しかった物に手が届くようになってから本当にそれを買ってしまっていいのかともう一人の自分が現れてしまったり。

 今日もそうだった。

 暦も六月に入った。雨、雨、雨と良くない天気でスタートした今週の今日、やっとおてんと様が顔を出した。水無月といえば梅雨、梅雨といえば水無月だと思っているわたしだけれど、朝の情報番組の天気予報士曰く、この地方の梅雨入りはまだだそうだ。しかし折角の止み間を棒に振るわけにはいかないと主婦の方々はお考えになっているのだろう、登校途中に見た家々のベランダには所狭しと色とりどりの洗濯物が並べられていた。あれだとむしろ乾きにくいんじゃないかと思う。

 高校生活初の定期テストが終わったので、わたしもこの機会に必要のない物を家に持って帰ることにした。優柔不断な癖に無駄に用意周到なわたしは、入学早々、必要かもしれないものを片っ端から持ってきていた。手始めに目をつけたのは、魔物の巣窟と化し始めた――要するに、もらったプリントを詰め込みすぎて何が入っているのかが分からなくなってしまった――机の物入れである。そこを掃除していると、くしゃくしゃになった『入部届け』を発掘してしまった。

 これは四月中旬の配布物だ。部活に入部する者はもらってすぐに書き上げ、しないものは丸めてゴミ箱に捨てた。わたしもどこかの部活動に参加するところまでは決めたのだけど、そこでわたしの『優柔不断スキル』が発動してしまった。どこに入部するのかを迷って決められない。とどのつまり、机の中に放り込んだまま忘れてしまい、一ヶ月半もの間、机の中で眠っていたらしい。

 ひとまずいらないプリントをゴミ箱にダンクし、ずっと引きずっていた入部届けを片付けることにした。

「それで、白紙の入部届けを前に放課後の今になっても、席に座って二十分近く、ぼーっとしているわけか」

 へらへらと笑う友人の言葉を咄嗟に否定する。

「ぼーっとなんかしていない。今度こそちゃんと考えているの」

「どうだか」

 どうやら、わたしの言葉を信用していないらしい。彼は、どのクラスでもてっぺんを争う程の身長で、すらっとした体型だ。本人はそれを気にしている節があるみたいだけれど、身長が低くて悩んでいる人たちから見たら、贅沢な悩みだろうと思う。口は悪いけれど、温厚な性格で、友人の数は多い。

「いくつかに絞るところまでは行ったんだよ。漫研部とか、自然観察部とか、囲碁将棋部とか」

 指折りして数える。

「あとテニス部とか、卓球部とか、バスケ部とか、あとバレー部」

「絞れてないじゃないか」

 そう言われて二の句を継げなかった。友人はひらひらと手を振る。

「あとお前、運動部はやめとけよ。運動神経ないんだから。ゼロだから。恥をかくだけだぞ」

「わたし、体力と忍耐力はありますから」

 それから小さく、多分、と付け足す。

 手に持ったシャーペンをくるりと一回転させる。頭に浮かんだことを何ともなしに呟いてみた。

「ペン回し部とかないかなあ」

「ねーよ。皆無だよ」

「面白くないなあ」

 高校生活は部活動で決まると言っても過言ではないのに、その部活動で興味を引くようなものがないとは。

「なんだお前、あれか。やりたいやつじゃなくて、やりたくないやつを消去していって余った部に入ろうとしているのか。消去法か」

「そんな感じ」

 笑うわたしに、友人は呆れたように言う。

「じゃあ、どこにも入らなきゃいいじゃないか。絶対にどこかに入らないといけないみたいな校則はないのだし。拘束されてないのだし」

「それは嫌だ」

 即答する。

「君、一刻千金という言葉、知っている? 家にいたら何もせずにだらだらと過ごす自分が目に見えているし、それでは時間の無駄だよ」

 そう言うと、彼は関心したような馬鹿にしたような顔をした。

「お前、自分のこと割と分かっているんだな」

「当然。無趣味人間ですよ、わたしは」

 わたしは胸を張って言う。しかし冷静になって考えてみて、悲しくなった。

「だから、部活動にでも参加して、趣味を身につけたいの」

「趣味なら、アニメ鑑賞とかは」

「却下」

 最近まで知らなかったけれど、彼はそういうのが好きらしい。

 むっとした表情をして、趣味は無理に身につけるものではないと思うけどな、と友人が呟く。それから続けて、

「だったらさ、仮入部でもしてくればいいじゃん」

 仮入部の主な期間はとっくに過ぎているけれど、どの部活動も歓迎はしてくれるだろう。

 ――しかし、

「どこの部から見ていけばいいのかが分からない」

 ここでもわたしの『優柔不断スキル』が発動してしまうのだ。

 友人は大仰に嘆息する。

「それなら、誰かにおすすめの部でも訊くか」

「うん、そうだね」

 気軽にそう言ったわたしに、彼がビシッと人差し指を差してきた。釘を刺すように。

「おすすめされたら絶対に行けよ。そんなふうに迷ってばかりいるから駄目なんだ。バッドなんだ。行動してから迷え」

 珍しく彼が良いことを言っているような気がするので、仕方なしに頷いた。

 友人はわたしたちを入れても数人しかいない教室を見渡して、とある男子生徒で目を止めた。

「おーい、大神! ちょっとこっち来てくれないか!」

 大声出すほどの距離じゃなかろうに。

 呼ばれて、今まで席に座って何かしらの作業(おそらく宿題だろう)をしていた大神くんが、こちらに寄ってきた。癖のある髪をしている、物腰の柔らかそうな男子生徒だ。

「何? というかお前、何でここにいるの」

「ん。ああ、友のよしみでな」

 大神くんはわたしと同じ一年六組だけど、今までわたしの戯言に付き合ってくれていた彼は隣の五組。

 わたしは大神くんに話しかけた。

「大神くんってさ、どこの部活に入っているの? おすすめの部活とかないかなあ、今迷っていて」

「……ああ、それなら一つだけあるよ」

「なになに?」

 大神くんとは中学校からの付き合いで、中学一年生の頃に同じクラスになって知り合った。しかし、接点といえばそれぐらいなので、親しいというほどではない。

 彼は無言で腕を振る動作をした。比較的分かりやすいレクチャーである。

「……陸上部?」

 彼はこくりと頷いた。

「うーん……」

 正直、乗り気じゃない。陸上部といえば、走って走って走ることが大好きな人種が集まる組織だろう。陸上部に入るのならば、バレーボール部辺りのほうがマシだ。

 迷うわたしに、友人が他人事みたいに笑う。まあ、他人事なんだけれど。

「また迷っているけれど、行くって約束したんだから、一度行ってみるべきだぜ?」

 口約束だが確かにした。彼の言うことにも一理ある。どうせ入らないだろうが、物は試し、仮入部してみてもいいかもしれない。

「じゃ、今から行こうかな」

 ああ、もう後戻りできない――そう思っていた矢先、大神くんは首を横に振った。

「僕、陸上部員なんだけど、今日は駄目なんだ」

「えっ」

 当然のように頷いてくれると思っていたのに、裏切られた気分だ。

「なんで」

「なんでって……それは」

 大神くんは言いにくそうにしているけれど、入部希望者を断るのに、一体どんな理由があるというのか。乗り気じゃなかったわたしだけど、断られれば、詰問したくなる。わたしの何がいけないんだ。

 大神くんは困ったように首元をポリポリとかいてそっぽを向いている。必死に言葉を選んでいる様子。

「それがね……。なんと言えばいいのか」

 ああ、なるほど。

「――わたしが可愛くないのがいけないんだ! 確かに太右衛門というほどじゃないけれど」

「いや、関係ないだろ」

 とわたしの言葉にかぶせるように友人。

「うん、関係ない」

 と静かに大神くん。……冗談だったのに、否定してくれないのが悲しい。わたしが馬鹿みたいじゃないか。

「まあ、でも大神」

 友人がわたしを指差して言う。

「こいつ、ずっと何の部活動にも参加したりしないくせに、どこに入ろうかどこに入ろうか、と阿呆みたいに嘆いていたんだ。ここは一つ、俺からも頼む」

『阿呆みたい』とは失礼だけど、口には出さないでおく。

 大神くんは黙ったまま眉を寄せ、首を傾げ、視線を右に左にたっぷりと漂わせて、散々考えてから(『優柔不断スキル』発動時のわたしは、人の目にはこんな風に写るのだろうか。実にまどろっこしい!)、渋々といった感じで妥協した。

「仕方ない。部員確保は陸上部のためだし」


 そんなわけで、大神くんと陸上部の部室へ向かうことになった。結果的にわたしを陸上部に行かせることになった友人は笑いながら、『俺、用事あるから』のようなことをほざいて帰っていった。そういうところが適当なのである。

 大神くんは彼自身が言っていた通り陸上部だから、彼が陸上部を薦めるのは当然と言えば当然で、おそらく彼と仲の良い友人は大神くんに『おすすめの部は?』と問えば、返ってくる答えを予想できたはずなのだ。運動部には向かないと言っていたくせに、大雑把だな、とつくづく思う。

 ロッカーから靴(もちろん、ローファーなどではなく、運動靴だ)を取り出し、代わりにスリッパをしまう。陸上部の部室は部室棟にあるらしい。場所を詳しく知らないので、大神くんの後ろをついていく。

「体操服はある?」

 そう訊かれ、わたしは頷いた。

「今日、体育あったから」

 だから運動靴も持ってきていたのだ。運が良かった。

「それならよかった」

 それに、わたしもさすがに制服で走ろうとは思わない。そこまで馬鹿じゃない。

 部室に向かう道中、せっかくなので陸上部のことについて質問してみることにした。

「陸上部ってどんな部活なのかな?」

「そうだね、走ったり、投げたり、競ったり」

 まるでハンドボールじゃないか。

「あと、跳ぶね」

 ますますハンドボールだ。

「陸上部って、誰がいるの?」

 大神くんは腕組をして考えるようにしてから、

「キミが知っていそうな人なら……、霜降とか」

「クラスメートの」

「そう。ハンドボールが上手いんだ」

 ……やっぱりハンドボールなんじゃないか。

 ちょっと訊き方を変えてみる。

「どんなことするの?」

「どんなこと……。そうだね、先月――五月にはその霜降の誕生日を祝った」

 いやいやいや、何で練習内容じゃないのよ。ますます奇妙に思えてきた。

 彼は付け足す。

「鬼ごっこもしたことがあったなあ」

「…………」

 意味が分からない。陸上が未知の世界に思えてきた。

 突然、大神くんが先のほうを指差した。

「あ、あれがウチの部室。荷物置き兼休憩所」

 この高校は並の公立程度の大きさなので、敷地はそれほどない。よって校舎から部室までの距離もあまりなかった。有益な情報はほとんど手に入らなかったけれども、質問タイムはひとまず終了である。

 陸上部の部室は、校舎からグラウンドを挟んだ側に位置する部室棟の中にあった。部室棟と呼ばれる由縁は、その名の通り、部活動においてクラブが使用するからであるが、ここのは、コンクリに固められた一階建ての灰色の塊に四角いドアが四つと同じ数だけ曇りガラスの窓がついた、何か歴史とドラマがありそうな建築物だ。……つまり古い。

 述べた通り、ドアは四つ。つまり部屋も四つで、一つの部屋につき一つの部活が占領しているらしい。窓とドアの配置から、一つ一つはかなりの大きさみたいで、休憩所にしているのも頷ける。ちなみに、他には部室棟と呼べるものがない。それならこの部室棟は激戦区になるはずなのだけど、校舎とは反対側のグラウンドの端という立地の関係からか、そんなことはないそうだ。むしろ四つのうち一つの部屋は使われていないらしい。

 大神くんの指の先を目で追うと、どうやら部室棟に等間隔に並んだドアの左から二つ目が陸上部の部室みたいだ。

 ところがそのドアの前には二人の先客がいた。二人とも見覚えのない男子生徒で、足元には運動部らしいエナメルバッグが二つ置かれている。

 大神くんが二人組の内、大きいほう――上にも横にも――に礼儀正しく、『こんにちは』と挨拶をした。礼儀正しくと表現したが、それは野球部がよく言うような、文字にすると『こんちゃーす!』となるいわゆる運動部的挨拶のことである(今考えた言葉)。ガタイの良い男子生徒はそれに『おう』と応じた。大神くんがもう一人の、今度は逆に女子が憧れるくらい体重の軽そうなほうには親しそうに挨拶したから、大きいほうが先輩で、小さいほうは同級生なのだろう。

 わたしは大神くんのあとに名前と目的を告げた。

 大きいほう(いい加減失礼な言い方だけど)は喜んでくれたみたいで、

「オレは三年生の仲野蛍太。『ナカ』は仲良しの仲で、『ケイ』は蛍だ。もう引退して、今日は荷物を取りに来ただけなんだが、まあ、ヨロシク」

 言って、手を差し出してきた。わたしはその手をまじまじと見る。ゴツゴツした手である。何だろう。どう言う意味なのだろうか。手の平に金を置けと要求しているのだろうか。今日はお金を持ってきていないのだけど。

 と思っていたら、彼は顔をしかめて手を引いた。遅ればせながら気づいたけれど、握手を求めていたのか。外国的挨拶は慣れていないもんだから(今考えた言葉)、悪いことをした。

 次に小さいほう(これも失礼だけど)は別段、表情を変えることもなく、

「俺は百本。仲野先輩のあとを継いで、新しく部長になった」

 さっきは遠目に見ていたからよく分からなかったけれど、彼はとても――そう、一言で言うならば、赤白黒の三色旗を持つ国の一文字違いだ。

 彼は握手を求めるようなことはしなかった。い、いや、別にわたしは面食いじゃないから、残念だとは思ってないからね。ホントに。嘘じゃないから。

「百本新部長さん」

 言いにくい苗字だ。噛みそうになる。

「あなた、わたしたちと同じ一年生なんでしょ? なのにもう部長?」

 ああ、それな、と百本部長が言う。自虐的な笑みを浮かべ、

「ウチの陸上部、二年生おらんねん」

 な……!

「――関西弁っ!」

「驚くとこそこなんか!?」

 関西人っぽい鋭い切り返しを入れる百本部長だった。本当に関西人なのかもしれない。でも、彼に言われた通り、驚くのはそこじゃないだろう。

「二年生がいないってそれじゃ、一年生は?」

 これには大神くんが答えた。

「僕たちを入れて四人だな」

「少ないね」

 三人は返す言葉もないみたいだ。三年生は引退し、二年生はいないのだから、一年生の四人=部員数なのか。一人でも幽霊部員が出てきたら御終いじゃん。

 と思ったら、旧部長、仲野先輩が一言付け足した。

「去年はオレ一人だった」

 今度はわたしが何も言えなくなる番だった。……それ、同好会ですやん。

「そう言えば、他の部員――あと二人かな――は来てないの?」

「黒澤と霜降の二人は休むそうや」

「珍しいよな、二人共、真面目なのに同時に休むなんて」

 最後の陸上部員は黒澤と言うのか。そういえば中学校の陸上部にも同じ名前の男子生徒がいたような気がする。同じクラスになったことがなかったので、話したことはないのだけれど。

 一通りの挨拶は済ませたので、本題に入る。百本部長に向き直る。

「それで、今日一日、仮入部させて頂きたいんですが、構いませんか」

「もちろん、いいんやけど」

 彼はチラリと部室のドアを見た。それから仲野先輩は手に持っていた物――鍵だった――を持ち上げ、唇の端を引きつらせて笑った。

「これ、部室の鍵なんだがな。何故か、これじゃ、このドアが開かないんだ。だからここで百本と難儀していた」

「……つまり」

 隣の大神くんが腕を組んで言葉を継いだ。

「練習に入る以前に、部室に入れないんだね」


 さて、世の中には不思議なことがあるものだ。時代を遡っていくと、ストーンヘンジやコロッセウム、中世にまで戻ってくると、万里の長城やピサの斜塔。現代にも大なり小なり不思議な物は存在する。日常に突如現れたこの謎も、やっぱり立派な不思議なのだ。

 そんな感じで、内心で語り始めていたわたしだったけれど、ひとまず現実に自分を引き戻す。

 状況は至ってシンプルである。

 悲しいかな部員数が同好会同然の陸上部部室前に佇む、わたし、大神くん、百本部長、仲野先輩の四人。仲野先輩が持っている部室の鍵。それでは何故か、この質素の権化とも言うべき鉄のドアは開かない。実に不思議だ。

 状況整理の後は、情報整理。だけれども、

「この部室を諦めて、さっさと体験入部を始めちゃいたいってのがわたしの本心だったりするわけです」

 ひとまず楽に話せる場所――部室の近くにある石造りの植木ベンチに四人が並んで腰掛け、わたしが最初に発した一言がこれだった。

 これには三人が抗議した。

「さっきも言ったが、オレはオレの置いていた物を部室に取りに来ただけだ。『先輩の持ち物を集めておいたんで来てください』とメールで呼び出されてな。早めに取りに来ないとこいつらに迷惑がかかるし」

「そんなことはないですって。……でもしかし、部室をそのままにしておくのは、体験入部に来たお前には悪いけれど、俺も反対なんや。靴とか部室に置いたままとかにしているし」

「今日のうちに解決しておかないと、後々面倒臭くになるしね。あ、でもそれで陸上部員は自己中心的な奴らの集合体だ、なんて思わないでね」

 そう言われたら仕方がない。わたしも体験入部ができないままでは困る。せっかく優柔不断のわたしが決断したのだ。ここでやらねば、どの部活動を選ぶかでまた悩み苦しみ、無為に時間を過ごすことになるかもしれない。

「部室に入ることができればいいのであればいいんでしょう? 別の侵入ルートとかないんですか」

「ないね。表の曇りガラスの窓も、部室棟の裏の窓も、しっかりと戸締りしてるんだ」

「昔はな、隣のハンドボール部の部室と繋がっていたらしいが、今は物を積み重ねすぎて、まさにアリ一匹通れないんだ」

 じゃ、駄目か。素直にドアを開く方法を考えないといけないのね。

 わたしは仲野先輩のごつい指に掴まれている鍵に目をやる。

「それ、本当に部室の鍵なんですか? 他の部屋の鍵と間違えた、とかは?」

 校舎内の教室の鍵は職員室で、体育系のそれは体育教官室で管理していると聞いていた。どちらも一度にたくさんの鍵を並べているはずなので、些細なミスで別の鍵を間違えて持ってきてしまう可能性も無くは無いだろう。

 しかし先輩はかぶりを振る。

「これを見てみろ。ここに『陸上部』と書かれているだろ。それに昔から、陸上部部室の鍵の板だけに、テープが巻かれているんだ。だろう、百本」

「はい。取りに行った俺が断言します」

 鍵には紐の輪がついてある。それには白のテープで覆われている板も繋がれていて、その上にマジックペンで陸上部と記されていた。テープと文字には書いた人の不器用さがこれでもかと溢れ出ているが、さて何故巻いたりしたのだろうか。わたしとしてはこれも謎のうちに入ると思う。

「ここまで分かりやすい目印があれば間違えることはありませんし、これは紛れもなくここの部活動の名前ですしね」

「やろ?」

 さて、それではどうして開かないのだろう。ここは逆転の発想。わたしは立ち上がる。

「鍵がおかしくないのであれば、異常は錠のほうにあるんじゃない? まさに、異錠って感じで」

「え? 何だって?」

 無視してくれればありがたかったのに、どうして気にするかな。愛情が足りないんじゃない? 哀情を催すよ、全く。

「まあ、そうだな。お前の言い条にも一理ある。じゃ、開錠する権利をお前に委譲しよう」

 と言って、仲野先輩は鍵を差し出してきた。まだわたしの洒落を引っ張る気か。

「ありがとうございます、偉丈夫さん」

 言ってやった。

「それ以上、つまらん駄洒落いうなや! 退場させるぞ!」

 部長、ナイスツッコミ!

 わたしは心の中で拳をグッと握り締めながら、感慨に浸った。

 ……行ける! このメンバーなら、R1取れるよ! 漫才研究部の誕生だよ! 略して漫研!

「ちなみにR1ぐらんぷりはピンのみな」

「地の文を読まないで下さい」

 閑話休題。

 四人が集まって、鍵穴を覗いているその様子は、傍からどう見えただろうか。

 しかし、見ただけで分かることは何もなかった。当たり前だ、プロじゃないのだから。わたしたちは馬鹿だった。鍵を差してみる。入れにくかったけれど、何とか奥まで入った。

「ここっていつもこんなに入れにくいの?」

 大神くんは肩をすくめた。

「本物の鍵でも違うんじゃないかと勘違いするくらいにね」

 まあ、元々建物が古いし、鍵がついているだけでも立派なものだ。

 鍵を回して捻ってみるが、動かない。やっぱり駄目みたいだ。

 その時だった。

「――え?」

 折しもあれ、何かが落ちるような音がどこからか聞こえたのだ。わたしは三人を振り向いた。

「今の音、聞こえた?」

「何だ、音って」

 仲野先輩は聞こえていなかった様子。他の二人も首を傾げている。本当に空耳だったろうか。わたしの頭のネジでも外れたのかな。

「ま、もう一度あそこに座って考えてみようよ」

 大神くんが植木ベンチを指差して言う。一同、同意。

「本当にすまへんな」

 百本くんが謝る。もう嘘のようなコテコテの関西弁には慣れた。それから小さく、

「……もうすぐなんちゃうかと思うから」

 ――何が?

 そう聞こうとしたけれど、次に仲野先輩が身体に比例するがごとく大きなため息をついたのでタイミングを逃してしまった。

「はあ……。ここに来て五分。大神たちが現れてから五分。全くの進歩なしだな」

 仲野蛍太、独りごちる。まあ嬉しいことに、六月の太陽はまだまだ沈みそうにない。


 それから数分後。特に話すこともなくなってしまい、静寂した空気に耐えられなくなってきた頃、ケータイの着信音が聞こえてきた。

「あ、僕のだ」

 それは大神くんのケータイからだったらしい。彼はケータイを操作してから、それをポケットにねじ込んだ。

「さあ、もういいそうだよ、百本」

 遅かったな、と部長がおもむろに立ち上がる。大神くんは対照的に溌剌として腰を上げた。状況が飲み込めていないのはわたしと仲野先輩で、双子のように揃って口をポカンと開けたまま、呆然していた。

「なんだなんだ。どういうことなんだ」

「意味が分からないのだけど……」

 百本部長はニヒルな笑みを浮かべた。

「もう、開いていますよ。あそこのドア」

「はあ?」

 ドアには誰も触っていないはずだ。誰も触れてないのに開く道理などない。

「はあ? じゃないですよ。どうぞ、ドアを開けてみてください」

 大神くんが早く早くと急かすように先輩の広い背中を押す。わたしと部長はその背中についていく。

 言動から察するに、大神くんと百本部長は真相を知っているのだろう。つまり、彼らが鍵か錠に何らかの細工を施した張本人ということになるが……。

 一歩、また一歩とゆっくりドアに近づいていく仲野蛍太先輩。そしてドアノブに手をかける。

 わたしの肩を何かがつついた。『え?』と横に目を向けると、百本くんが口に人差し指を当てる、『静かに』という仕草をしながら、ある物を渡してきた。見ると、百本くんと大神くんの手にも同じ物が握られている。部長の肩にかけたバッグが開いているところを見るに、そこから取り出した物か。

 これは……、なるほど。そういうことね。今までのこととも、辻褄が合う。やっと、わたしにもわかった。

 ドアノブは、魔法のように抵抗もなく回った。仲野先輩は部室のドアを開く。その刹那、部室の中、わたしの横から――、

『ナカノセンパイ、バクターン!』

 遅れて色々な方向から、バンバン、とクラッカーが弾ける音。わたしもそれに加わった。部長がわたしに渡してきた物とは、クラッカーだったのだ。もちろん、クッキーの方ではないし、クラッキングする人たちの俗称でもない。火薬が破裂して紙テープが飛び出す、三角形をしたパーティーグッズのことだ。

 背伸びをして仲野先輩の肩ごしに部室の中を覗き見れば、使われたばかりのクラッカーを持って笑っている、霜降さんと、おそらく黒澤くんだろう眼鏡の青年が立っていた。

 突然の事態で立ち止まっている仲野先輩の脇を大神くんと部長が通り抜け、彼女らの隣に並んだ。

 わたしは仲野先輩の後ろから彼の背中に向けて小さく言う。

「お誕生日、おめでとうございます」

 陸上部員が揃って発した『バクターン』とは、大方、『爆誕』と漢字を当てるのだろう。誰が考えたのかは知らないけれど、鬼ごっこをしたりする陸上部らしいユニークな祝いの言葉と言える。部員の誰もが『おめでとう』の一言も発していないけれど。

 わたしは、尚も入口で棒立ちしている仲野先輩に語り掛ける。さながら、古き良き探偵のように。

「いつも使われていたはずの鍵では、ここの錠を開くことはできませんでした。鍵が最後まで入ったところを見ると、錠には何も詰まっていませんでしたし、それなら、どちらかを入れ替えたのだと分かります」

 わたしもほんの数十秒前に気づいたのだけど。

「普通に考えれば、錠を入れ替えるより、鍵を取り替えるほうが段違いに簡単です。だって、陸上部部室の鍵って、テープに巻かれた板と鍵を紐でつなぐだけなんですから。紐をちょん切るなり、テープを解くなりすれば、鍵を外すことはできるでしょう。あとは、本物の鍵を外してから、別の鍵を紐に取り付けるだけ。鍵当番ゆえに鍵を体育教官室まで取りに行った百本部長さんなら、容易に実行できます。ですけど、そうする理由は何なのでしょうか?」

 余っていたのだろう、クラッカーを勿体無いとでも言うように陸上部員が仲野先輩目掛けて、バンバンバンと乱れ打ちする。部員たちはもう、クラッカーを鳴らすことを楽しんでいるようにしか見えない。

「てい!」

 藪から棒に、百本部長がそんな掛け声と共に、札束のような物を振る。すると中から、さっきと同じく、火薬が破裂する音と紙テープが飛び出してきた。よく見ればやっぱり一万円札の札束だが、もちろん表面に印刷されただけの箱型のクラッカーだった。変わったパーティーグッズもあるものだ。

「ドアを開けることができなければ――仲野先輩が部室に入るまでの時間稼ぎが可能になります。時間稼ぎをする理由は、やはりこれでしょう」

 五畳程度の少し奥が長い長方形をしている陸上部部室には、華やかな飾りで彩られていた。折り紙を輪の形にしていくつも繋げた輪飾りがつるのように壁を這い、一定間隔で木の実のようにカラフルなバルーンが貼り付けられている。奥のホワイトボードには掛け声と同じく『ナカノセンパイ、バクタン!』の文字がマーカーで綴られていた。ここに初めて来たわたしだけど、これらがこの日のために用意されたものだってことは分かった。

 わたしと同じブレザー姿の霜降さんが両手を広げて言う。

「この飾り付けをする時間稼ぎのために、先に鍵を入手し、中から施錠して入れないようにしたのです。どうです、不肖あたし、霜降が考案したのですよ。この前のお返しみたいな感じですが」

 そう言って、彼女はコロコロと笑った。隣の黒澤くんも笑みを浮かべた表情で、

「ここのセッティングは自分が大半を請け負ったんですけどね」

 しかし、どうしたのかな、仲野先輩。さっきからずっと黙りっぱなしだけれど。心なしか、顔も伏せている。回って顔を覗き込むと、なんと手で目を抑えていた。見れば、紙テープが乗った肩も静かに震えているような。……あちゃー、やっちゃったかな。得意気に話したりして格好悪い。

 それにわたしはクラッカーを渡されたとはいえ、部外者同然。下がっておくことにした。このお誕生日会もどきが終わるまで待っておこうかな。入口から中を覗き見ると、プレゼントなのだろう、うまい棒が何十本も詰まった袋を抱えている黒澤くんの隣で、フクロウの顔を象ったカチューシャをつけた百本部長が踊っている。さっきまで涙していたはずの仲野先輩なんかは、どこから持ってきたのか、金髪のカツラを乗っけて笑っている。……皆酔っているのかしらん。

 中々楽しそうな部活だな、と思いながら、部室棟の外壁にもたれかかる。

「ほら、あんたもこっちに来いよ」

 わたしがいないことに気づいたらしく、金髪のままの仲野先輩が外にいたわたしに声を掛けてくれた。

「でも、わたし、陸上部の皆さんと面識無いですし……」

 楽しんでいるところに見知らぬ人が来ても冷めてしまうだけだし。

 仲野先輩はそのごつい手でわたしの腕を掴む。

「いいからいいから。気にすんな」

 そのまま引っ張られてパーティー会場となってしまった部室に引きずりこまれた。

 中ではちょうど、大神くんが満面の笑みを浮かべて、とある提案をしていた。

「よし、それじゃ、一発芸大会でもするかあ!」

 それからわたしを目に捕らえたようで、勢いよく指を差した。

「ほら、キミからだ、ステージに立って!」

「えっ?」

 ステージってどこだ。


 それぞれ、思い思いの椅子に座って円を組むようにして、ダンボールで作った即席のテーブルを囲んでいる。わたしも空いているパイプ椅子に腰掛けた。部員数が部員数なので、部室は勿体無いほどゆったりしている。

 黒澤くんと霜降さんは突如現れた闖入者に驚いていたようだったけれど、事情を話したら納得してくれた。そのあとの部室の雰囲気はどうやらあまり変化がなかったようで、わたしの思案を良い意味で裏切ってくれた。その代わりに、わたしも一発芸を披露することになってしまったわけだけど。……え、ネタの内容? そんなのどうでもいいじゃない。

 即席テーブルの上にはうまい棒(シュガーラスク味だという。初めて見た)とジュースが並べられていた。

「改めて、ありがとうな、お前ら」

 黒澤くんからのプレゼントであるうまい棒をかじりながら、仲野先輩が頭を少し垂れた。どうでもいいけれど、まだカツラをかぶっている。それで過ごす気か。

「あ、そうだ」

 手をうつ。そういえば、非常食として学校に置いてあったものを今日、運良く持って帰ろうとしていたのだった。カバンを探って目当ての物を引っ張り出し、テーブルの上に置く。

「では、これはわたしから。クッキーのほうのクラッカーです。ちょっとでもテーブルが華やかになればいいかなと思って寄付させていただきます」

「リッツか」

「ええー。あたし、リッツよりあの四角のクラッカーがよかった」

 と両手の指で四角を作りながら言ったのは霜降さん。

「贅沢言わないでください。あっちのほうがわずかに高いんだから。四十円ばかし。それにジャムもあるよ。マンゴーだけど」

「ええー。あたし、ジャムよりチーズのほうがよかった」

 文句の多い霜降さんである。

 そうは言っても、一度、クラッカーを広げれば、皆最初は遠慮がちだったけれど、次第に手を伸ばすようになってきた。

 下らない会話に花を咲かせるうちに、話題は転々と転がり、先のお誕生日サプライズに戻っていた。

「霜降が準備の途中でハサミを落として、バレるかと思ったなあ。たった一つのミスで失敗するかもしれないのに、緊張感のない」

「いいじゃないの、過ぎたことは。掘り返さないで欲しい」

 じゃあ、わたしが聞いた何かが落ちるような音は、彼らが用意している時に不意に出してしまったものだったのか。

 二人のやり取りを見ていた大神くんが小さく付け足した。

「いちおう、僕が皆をドアから遠ざけようと振舞ったりしたんだけど」

 あれもそうだったのか。皆さん、中々の策士である。

「ミスといえば。大神、お前もやってたぞ」

 百本部長が思い出したように言う。わたしを親指で示しながら。

「彼女が『ここっていつもこんなに入れにくいんか?』と大神に尋ねたとき、『本物の鍵でも違うんやないかと勘違いするくらいに』と答えたやろ」

 台詞が一部分脚色されているのは彼の癖だから仕方ない。

「これはおかしいやろ。その時は、錠に異変がある前提で話していたのやから。『本物の錠でも閉まっていると――』から続くはずやない? 俺だったら一発で見抜いていたで」

 大神くんはわかりやすく顔をしかめた。

 今思えば、不審点がいくつもあったのだ。最初の最初、わたしが大神くんに『仮入部に今から行こうかな』と言ったとき、彼は始め断り、結局は不承不承に承諾していた。全然関係のない人をお誕生日会に参加させにくいからだろう。

「わたしも心当たりがあるかな。ミスというほどじゃないけれど。ここに来る途中に『どんなことをするのか』と訊ねたわたしに大神くんは、練習内容ではなく、先月の霜降さんの誕生日について答えたよね。誕生日のことが頭をよぎっていたから、その答えが出たんじゃない? ――まさか全く練習をしていないこともないだろうし」

「…………」

「…………」

 おかしなことに、大神くんだけでなく、皆が口をつぐんだ。黒澤くんなんかはクラッカーを持ったまま固まってしまっている。

「あれ、どうしたの?」

 きょとんとするわたしに、最初に口を開いたのは百本くんだった。

「えっと、さ……、さあ、ところでや」

 無理に話題を変えようとしているようにも見える……、怪しい。

「今、思ったんやけど、お前、どうして俺がクラッカーを渡したときに誕生日祝いだと気づいたんや? むしろ引退祝いのほうが確立は高いやろ?」

 訝しむ気持ちはどこへやら、わたしは得意気になって話していた。

「それは簡単。仲野先輩の誕生日が六月だと薄々勘づいていたから」

「オレ言ったっけな? 自分の誕生日が六月だって」

 何本目かのうまい棒をくわえながら仲野先輩が言った。わたしは彼の言葉に首を横に振った。

「いえ、だから、気づいたんですって。――仲野先輩の下の名前って、『ケイタ』なんですよね。それも、蛍に太いと書いて、『蛍太』。『ケイ』を『蛍』で当てるのは珍しいパターンだと思うんです。わざわざ『蛍』にしたぐらいだから、それには意味があるのでしょう」

 クラッカーに手を伸ばして、マンゴージャムをつけ、口元まで持ってくる。

「――『蛍』は、夏、それも六月の風物詩じゃないですか」

 世の中には、水無月といえば蛍、蛍といえば水無月と感じる詩情豊かな考えの人もいるのだろう。仮に、わたしが仲野先輩の親だったら、彼の名前は『梅雨太』になっていたのかもしれない。

 なるほど、と黒澤くんが手を叩いた。


 驚くことなかれ、お誕生日会もどきのお開きは、今日の下校時間を少し越えてからだった。楽しかったといえば楽しかったのだけれど、何か物足りないような、忘れているような気がした。何を忘れていたのかを思い出したのは夜、布団の中でだった。――わたしの部活動初体験は、運動部なのに制服から一切着替えること無く終わっていた。それはつまり、練習を全くしていなかったということである。

 まあ、だけれども。

 ――新しいドアが、今にも開こうとしているのをわたしは予感していた。……なんて、ちょっとロマンティック過ぎるかな。

ありがとうございました。次回作は夏休みまでに書いてみせますとも!

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[良い点] ・ちょっとしたミステリー小説な部分 ・高度な洒落技術 [気になる点] ・駄洒落が多すぎる ・キャラが確立しない [一言] 誰かの作家さんの文体を真似たのか。という所が気になります。 それ…
[良い点] 笑える場所が多数あって、一文一文楽しめました。 事件のほうは少しあっさりしてた気がしますが、真相が予想と外れていたので、良かったと思います。 伏線も読み返して納得しました。 [気になる点]…
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