第6話
暦はもう既に師走に突入してしまった。
すなわち十二月である。
街はいよいよクリスマスに向け、眩いばかりのイルミネーションが目立ち始める。
リカコはそれが激しくなればなるほど日々、鬱としてきていた。
依然カズヒロともはっきりと決着はついていないし、そのクセ心の何処かであゆむとクリスマスに何か進展があったらいいな・・・などとうっすら思っていた。
しかし縦しんばカズヒロと直ちに決別出来たとしても、すぐにあゆむにモーションをかけれる程今のリカコには行動力がない。
とはいえ、様々なシガラミがあるからこその事で、これがあゆむ相手でなければ別にすぐにでも切り替える事は出来るはず。
やはり昔から知っている上、カズヒロの友達というのがリカコの胸の中に引っかかっているのだ。
それでもその状況が余計に恋心を駆り立ててしまう。
───障害がある方が燃えるなんてあたしはマゾなんだろうか・・・?
そんな事を一人で考え込んでいると、リカコの携帯が規則的な振動と共に鳴り出した。
大体着信音は掛けてくる相手によって違うのだが、掛けてくる人も決まってくるので着信音も聞く機会が多いのとそうでないのがはっきりしてくる。
だから曲を耳にしただけで画面を見なくても、大方相手の見当はつくが、今携帯が一人で歌い出した曲を聞くのは恐らく初めてのような気がする。
訝しげに充電器に挿しっぱなしにしてある携帯を見詰め、ぴくりとも動かず寒い所為か電話に出るどころか、開いて相手を確かめようとする雰囲気さえ微塵も感じさせないリカコは、見てもいなかったテレビに視線を戻した。
・・・・・・まるでジュークボックスの如く鳴り響く曲は止まる気配を見せない。
───出ようか、無視しようか。
一体誰なんだ?
どうしよう・・・・・・出ようか、出まいか・・・・・・。
とりあえず開いて確かめてみればいいのに、相当寒いのかやはりリカコは動く様子はない。
携帯も止まる気配はない。
音が止まらない限り、静まってくれないバイブの耳障りな音がリカコのちゃちな葛藤を妨害する。
───しつこいな・・・・・・。
出てみようか。
寒さに打ち勝とうと心を奮い立たせたリカコが、ようやく携帯に手を伸ばした瞬間携帯は歌う事に飽きたかのように、黙りこんだ。
自分が余計な葛藤をしていた時間が長過ぎたのは棚にあげて、やや不服そうな表情で携帯を取り上げて、それを開く。
徐に着信履歴を出して、クイズの答えに到達したとき・・・・・・。
「あ!!」
思わず声を上げた彼女が眼を瞬いて凝視した先には、”琴浜あゆむ”と表示されていた。
携帯を握る手に汗が噴出す。
少しでもその手を緩めれば滑り落ちてしまうのではないかというくらいに。
心臓はまるで自分の物ではないかと思えるくらい、早鐘を打っていた。
───とっとと出れば良かったよ・・・・・・。
そう、だったら出れば良かったのだ。
しかし後悔先に立たずである。
リカコは着信履歴を眺めたまま、通話ボタンを押せずに固まった。
向こうから掛かってきた電話に出るより、こちら側から掛け直す事の方が何倍も勇気を使わなくてはいけないのだ。
携帯の照明が消えて真っ黒になるまで考え込んで、押し潰されそうな胸の痛みが治まるのを待った。
───なんで電話ぐらいでこんなにドキドキするんだろう。
胸を摩りながらリカコはあゆむに電話を掛け直す決心をした。
汗をかいた手を絨毯で拭い、声が上ずらないように咳払いもする。
着信履歴からあゆむの番号を出して、親指を通話ボタンに近づける。
・・・・・・一思いにボタンを押し込み、リカコは携帯を耳にあてがい覚悟を決めた。
1回・・・2回・・・3回・・・
羊を数えるようにコールを数えた。
「・・・もしもし?」
4回めのコールを数えかけた時に、あゆむの声がリカコの耳を直撃した。
「あ・・・さっき電話したでしょ?」
「ああ、うん。実は同窓会の事なんだけどさ。」
「え?同窓会するの?いつの分の同窓会?」
「小学校ん時の。ほらお前実家に居ないだろ?だから葉書届いてんの多分知らないと思って。」
「あはは。ありがとね。そういやあゆむ幹事だったもんね!女子は誰が幹事だったっけ?」
「・・・藤井 忍。」
───ああ、そうだった。
あの藤井 忍だったんだよね。
だとすると恐らくあたしには、同窓会のお知らせなんて出してない気がする。
「おい、聞こえてるか?」
一時過去の世界に旅立ったリカコは、あゆむの声ではっと我に返った。
「ごめんごめん!でもありがとね。あゆむが教えてくれなかったらあたし同窓会行けないとこだったよ。」
「そっか、なら良かった。葉書届いてると思うから実家に確認出来るなら一応しとけよ?場所も日時も書いてるし。」
「あ〜・・・・・・、葉書多分ないから今時間とか教えてくれない?」
「・・・なんで無いってわかんだよ。」
「なんでもなんだよ。っていうか勘だよ勘!い〜から教えてよ。」
葉書が無いかもと思える理由を聞かれても答えられないので、リカコは僅かに焦りながらあゆむを促した。
「はいはい。え〜っと、12月23日の夕方5時。場所はホテルグランドヴィラ!」
「グランドヴィラ?何か遠いね?それにしても12月に同窓会って聞いた事ないんだけど。」
「ああ、そういや12月って忙しいから普通しないよなぁ。でもクラスの過半数が12月がいいって希望が殺到してさ。」
「ははっ、そっか。まあでも楽しみだなぁ!何着てこうかなぁ。」
「なんでもいーけど、御出勤スーツはやめろよ。浮くぞ。」
「はいはい、わかってるって!」
リカコの心は弾んでいた。
同窓会が楽しみだというのもあるが、決してそれが直接の原因ではない。
こうしてあゆむと会話をしている事で、何だか親密になった感じがして嬉しかったのだ。
「それはそうと、お前仕事大丈夫なのか?その日夕方からだし多分長引くとは思うから。」
「ああ、大丈夫大丈夫!休めると思うし。」
「ふーん、・・・あ、あとさ。会場遠いしもし足が無かったら乗せてくから言えよ。」
「え・・・、あ・・・ありがと。じゃあお願いシマス。」
「ん、了解。じゃまた連絡するわ。」
「うん。わかった。またね。」
言い終えたリカコがホールドボタンに触れかけた時だった。
「あ!リカコ!言い忘れたんだけど、俺ん家に忘れ物してたぞ。」
「え?!な、何を?」
リカコはやっと落ち着きかけたところだったが、思いがけずあゆむから”リカコ”なんて呼ばれたので、しどろもどろに尋ねた。
突然とはいえ、名前を呼ばれたぐらいで体は反応して、一気に体温が上昇していった。
しかしそんな嬉しくて甘い動揺はほんの束の間で、そんな気分にさせた張本人によって一瞬にして冷めた現実に引き戻される。
「指輪、忘れてたよ。」
リカコはあゆむとの電話を切って、暫く物思いに耽っていた。
大半が・・・というより1〜8までがあゆむの事で、残りの2割はカズヒロの事だ。
言葉では言い難い微妙な気持ちで、いつもより喉が渇く。
電話を切ってから何杯目かわからないお茶を、グラスに注いで機械的な動作で口へ運ぶ。
氷も入っていないのに、息が止まりそうな位それは冷えていた。
電気代をケチって点けるのを渋っていたヒーターのスイッチに手を伸ばし、部屋を暖める事にする。
溜息をひとつ吐いてまた考えた。
あゆむの事、カズヒロの事。
あゆむと話していると、カズヒロの事は頭の中から消え去ってしまう。
しかし思い出した時の反動があまりに大きい。
カズヒロの事はきちんとケジメをつけないといけないだろう。
それは無論リカコ自身あやふやにしようとは思ってもいなかった。
それでもカズヒロに自分の気持ちを正直に伝える気は毛頭ない。
リカコの心の内をカズヒロに知られると、色々厄介な事になりそうだからだ。
彼女等が別れるとしても、その事が各々のあゆむとの関係に直接何かを齎す(もたらす)わけではない。
問題なのはリカコがカズヒロと『別れたい理由』なのだ。
実際のところ、彼女は恋人であるカズヒロに対して愛情を持てない状態で、あまつさえ彼の親友でありリカコからすれば元クラスメートだったあゆむに惹かれている。
このリカコの気持ちを知れば、カズヒロは面白くないだろうし二人の間に何かあったと疑い、リカコの事ばかりかあゆむの事まで憎むかもしれない。
カズヒロの性格上それは免れないだろう。
リカコは自分の勝手な気持ちだけで、元々別の土地からやって来たカズヒロにできた親友とも呼べる存在をカズヒロから引き剥がすマネはしたくなかった。
この先仮にあゆむとリカコがただの友達で居たとしても、きっとカズヒロはいつまでも根に持って引きずる・・・・・・。
彼はそういう男なのだ。
それを考えると、何とか丸く収めたい。
この際自分は憎まれても全然構わない。
彼が納得したくなくても、納得せざるを得ない言い訳を考えなくては。
───う〜ん。一体どう言ったらいいものか・・・。
ここ最近カズヒロと揉めた事なかったし。
っていうか、そもそもあいつと喧嘩した事ってあったっけ・・・・・・?
今のリカコにはそんな事すら、もう思い出す事は出来なかった。
彼とデートした場所、彼と初めてキスをした場所、彼と初めて結ばれた時の事。
全てが覚えていなくてもいい程度の物に成り下がっていた。
リカコはカズヒロとの馴れ初めを思い出そうとした。
自分達は何処でどんな風にして、今の状況に至るのだろうかと。
考えて考えて頭から煙が出掛かった時だった。
───そうか!この手があったじゃん!
彼女に閃きが舞い降りた瞬間。
それは彼女が一番損をして、一番憎まれるやもしれない言葉だった。
「ただいま〜!」
あれから少し経ってリカコが出勤の準備をしていると、一日中家を空けていた留美が帰って来た。
リカコは振り返らずに、鏡越しに留美と視線を合わせて微笑した。
「おかえり。」
「・・・・・・なんかリカちゃん疲れてない?」
ソファーに腰を下ろした留美が、リカコの顔をマジマジと覗きこむ。
「あ・・・分かる?」
「まぁ・・・伊達に5年も付き合いしてたらね。それに化粧いつもより気合入りすぎだし。」
「気分が落ちてるからね〜。化粧で気合入れないと、顔に出ちゃうしさ。」
「で?どうしたの?あゆくんと何かあったとか?」
そう訊ねた留美は心配気というより、興味深いネタを掴みかけた情報屋のように楽しそうだった。
「遠からず近からず・・・かな。」
「話したの?」
「うん、何か同窓会があるんだって。それを知らせに電話くれたんだ。」
「へぇ〜良かったじゃん!何処でするの?」
「え・・・っとグランドヴィラだったかな。」
「遠いよね、でもまあ綺麗だし大きいから居酒屋とか貸しきるよりいいか。」
「うん。でね?当日迎えに来てくれるんだって!」
口に出した後で、リカコは思わず思い出し笑いを我慢出来なかった。
「えー?マジ?いい感じじゃん!」
「でも!!それであたしも一瞬浮かれたんだけどさー。現実は甘くないっていうか、電話切る直前に急にカズヒロの事思い出す羽目になっちゃって。」
「何で?一緒に来るとか?」
「まさか!やめてよ、縁起でもない。そうじゃないけど、あたしこの前あゆむん家行った時に指輪忘れてたみたい。しかもカズヒロに貰ったやつ!」
「は・・・うっそ・・・。気まずいね。」
「それをあゆむに言われるまで気付かなかったあたしもあたしなんだけど、何かそれ言われた瞬間にマジでカズヒロとの事ちゃんとしなきゃって思ってさ。」
リカコは化粧をする手を止めて、溜息を吐くと煩わしそうに目を細めて携帯を一瞥した。
思い立ったが吉日。
今夜きっとカズヒロと決着をつける。
例え彼が納得出来なくても・・・・・・。
「まあ、このままズルズルってわけにはいかないもんね。でも別れ話って精神的に疲れるよね。」
「もうその別れる理由考えただけで、既にズタボロですが。」
「何て切り出すの?」
身を乗り出して聞く留美は瞳がキラキラしている。
女の子はこの手の話は好きなのだ。
「何て言うと思う?」
リカコは立ち上がり、もう既に暖気に包まれている部屋の隅にあるクロゼットを開いた。
なぞなぞを出しているみたいに、にやりと含み笑いをする。
「え〜?そんなのわかんないよー。」
そりゃそうだろう。
こんなひどい別れ文句、すぐに思いついたら怖すぎる。
リカコが今夜着るスーツを物色していると、あゆむの家で一晩過ごした時に着ていたスーツが目に止まった。
これは暫く着れそうにない。
今の彼女には特別な物になったから。
あゆむに呼ばれた名前も何だか特別な物になった気がしてくる。
こんな想いをもう隠していたくない。
ましてや自分自身を偽るなんて・・・・・・。
「ねぇーリカちゃん教えてよ。」
留美はまだ一生懸命考えていたようだ。
リカコは思い出したように、留美に振り返って失笑した。
「それは今夜のお楽しみってことで!」
嗚呼、カズヒロに神の御加護がありますように・・・・・・。
第六話 完