第12話
───「見たんだよね。俺があげた指輪を・・・・・・。」
絡みつくような静寂の中に、カズヒロの声がこだましているようだ。
落ち着いているようで、それでも何かを抑えつけているようにも思える。
カズヒロが何を言いたいのかぐらいリカコには解かっている。
無論あゆむもまた然りだろう。
誰に問いただされなくとも、当の本人達が胸に手を当てればすぐに思い当たる、紛れもない事実であるから。
数分前まで何かを振り切れることが出来たのだろうと思えたカズヒロは、実はそうでは無い事がようやく今思い知らされたようだ。
あのカズヒロがそう簡単にすんなり引き下がるとは確かに思えない。
僅かに抑圧しながらも溢れる感情が手に余るのか、若干震えている声がそれを物語っていた。
リカコには、なんて答えればいいかなんて考えもつかないでいる。
答えを見出そうとすればする程に、更なる動揺が彼女に降りかかろうとする。
しかしそれ以外の事は不思議と次々に思いつくもので、例えば今誰かは誰かのことをこう思っている・・・・とか、今日の自分の運勢はきっと悪いだろうな・・・とか、この空間に自分が存在するのは、さる二名の謀りによってのものなのだ・・・・とか顔色一つ変えずに冷静に把握できる。
カズヒロの問いに答える術を見付けられないのと、もがけばもがく程深みにはまって行く自分が嫌でリカコはそんな事ばかりを考えていた。
下手に何か口にすればボロが出てしまうのは必至。
沈黙は金、雄弁は銀。
ここはあゆむの出方を待った方がいいと思える。
リカコは既にカズヒロとは別れているし、強いて言えば知り合い程度の関係に成り下がっているのだから、開き直ってお互いの間に溝が入ろうが水が流れようがどうでもいい。
問題はあゆむなのだ。
あゆむの心の内なんて分からないけれど、二人の間に確かな友情があるのならそれを壊す権利などないのだから。
それでもあゆむだってすぐは適切な言葉が出る事はないだろう。
まだしばらくはこの重苦しい空気に閉じ込められるのか・・・・・・・。
そう思うと更に憂鬱になる。
一呼吸おいてリカコが溜息を吐こうとした時だった。
「ああ、来たよ?」
「「・・・・・・・・・・・・」」
思いの外すっと出たあゆむの思いもよらない言葉に、リカコもカズヒロも絶句してしまった。
「ただし一人じゃねーよ、留美も一緒だったから。お前何か誤解してるみたいだけど。」
「え・・・・・・?そうだったのか?」
カズヒロは半信半疑ながらも僅かに拍子抜けしたようだ。
リカコも緊張から解き放たれほっと安堵するも、さすがにまだ沈黙を守っている。
「なんだ・・・・・・俺てっきり、リカとあゆむがこそこそ会ってるのかとか思っちまった・・・・・・。」
そう言うカズヒロはまだ疑っているはずだ。
妙に勘のいい男だし、条件が同じで正反対の状況を並べられると、迷わず悪い方を信じてしまう性格だから。
しかしもうここまで来たら言い通す他道はない。
やはりあゆむはカズヒロとの友情を大事に思っているのだろう。
リカコから見ればカズヒロはあゆむの気持ちをぞんざいに扱ってるようだが・・・・・・。
普通ならこの状況下でこんな話はしないだろう。
言いたい事があるのなら、男同士腹を割って二人で話せばいい。
第三者を巻き込んで裁くような言い方なんて友達のする事ではない気がする。
人間誰だって自分は可愛いもの。
でもカズヒロはその気持ちが人より少し強いのかもしれない。
リカコも菩薩ではないし他人の事をとやかく言えた義理じゃないが、カズヒロにはもっと人の事を思いやる気持ちや相手の立場になるという気持ちが必要だと思えた。
傷つけられるよりも傷つける方が、本当はとても辛い事なのだから。
あゆむの部屋で、カズヒロがリカコの指輪を見つけた時きっととても傷ついたかもしれない。
でもそうならカズヒロだって、ここでこんな話はしてはいけない。
自分がされた事を同じように誰かに返しては、ただの終わることがない悪循環でしかなくなる。
「さて・・・気が済んだかな?」
呆れたようにつぶやいたあゆむの声は相も変わらず淡々としている。
きっとあゆむは下らない痴話喧嘩のような問題に巻き込まれて、嫌気がさしているのかもしれない。
あゆむからすればリカコの存在なんて、もしかしたら元クラスメイトくらいにしかならないのに、たまたま自分の友達の彼女だっただけでその上、たまたま連絡を取るようになっただけでそれ以外何もないのに、何でこんな事に首を突っ込ませられたんだ・・・・・・なんて思っているかもしれない。
ほとほと愛想も尽きて、元クラスメイト以下の存在になってしまったかもしれない・・・・・・。
ふいにリカコはそう思って更に憂鬱になる。
特別な感情を含ませてないあゆむの言い回しが、リカコの後ろ向きな考えをただの杞憂に思わせてくれない。
「ごめんな・・・、何か変な空気になっちゃって・・・。リカにも・・・悪かったな、俺の勘違いだったなぁ。」
カズヒロはバツが悪そうに鼻の頭を掻きながら、僅かに緩和された空気の中に軟禁された車内の全員に謝罪した。
もう時既に遅しではあるが・・・・・・。
こうなってしまっては誰がどうしようが修復は不可能だ。
こんな雰囲気のまま御目出度く初詣に行っても向こう一年間呪われそうだし、だからと言って取りやめにしてもムシャクシャする気がする。
はっきり言って最悪だ。
リカコはかつて自分はこんな男と付き合っていたのか、と思うと己の見る目の無さに落胆せざるを得なかった。
───現地につくまでに体力消耗したよ・・・。
もうどうにでもして。
大声で叫びたいくらいだった。
挙句の果てにズラリと続く車の渋滞は、この先2時間解けることはなく、散々な一年の幕開けになった事は言うまでも無い。
───3ヵ月後───
あのウンザリするような初詣の日から約3ヶ月程経った。
そう・・・・・・あの日の出来事はそれを仕組んだ当の本人でさえ、予想を上回るくらいのハイ・プレッシャーな一日にするものとなったのだ。
ここに一人、僅かな迷いを浮かべた瞳で、手荷物とも呼べる程の少ない荷物を見つめる男がいる。
今年の元旦早々、季節感たっぷりの北風を吹かせた男───カズヒロだ。
彼が今居る自分の部屋は、彼の性格上いつも綺麗に整頓されていたが、今日はそれに拍車をかけたように全てが片付けられている。
起臥を共にしてきた家具や、雑貨やその他全ての物が「静」に返っていた。
殺風景であり、誰かが住んでいるような空気はとうに薄れている。
彼自身の存在をも消してしまっているかのように。
それももう間もなく現実のものとなるのだが、彼がかつて友達と呼んだ者や、愛した者さえそれは知る由もない。
告げる必要もなかったのだろうか。
たちどころにこの地から発ちたかったのだろうか。
彼自身にもわからないようだった。
徐にすくっと立ち、僅かな荷物を手にすると、彼はそのままその部屋を後にした。
乾いたドアの閉まる音が響く部屋には、微かな春の日差しが差し込んでいた。
更に時が経ち、6月に入った。
リカコは誕生日を迎えて19歳になったが、その他の事は特に変わりもなく相変わらずの毎日を過ごしている。
あの初詣の日からカズヒロからの連絡もなくなり、それについては然程気にも留めていなかったが、あゆむとも会っていない。
電話で数回話したけれど、何の進展もあるはずがなくリカコの方も、何も行動に移せないままズルズル時が過ぎてしまったのだ。
自分に対して特別な感情を持っていないあゆむの心を知っているから尚更、わざわざ早々と傷つきたくなくて仲のいい友達とただの元クラスメイトの境界線を行ったり来たり。
きっかけがないと動き出せない。
理由がないと話せない。
いつまでこんな憂鬱に侵されたままでいなければいけないのだろう・・・・・・。
「リカちゃん!すごい情報!」
息も絶え絶えに慌てて帰ってきた留美の弾けた声にリカコの思考は遮断される。
留美がもしも側に居なければ、リカコは常に口を閉ざし何かを考え続けているかもしれない。
「何?どうしたの?黒子から毛でも生えた?」
「ちょっとー毛なんか生えてないからぁ!そんなちっちゃい事じゃなくてさ、あのね・・・何だと思う?」
呼吸を整えるためにもったいぶるのか、それとも当てて欲しくてもったいぶるのか非常に察し辛い。
こう聞かれるとリカコはいつも、大して考えずに的外れな事を答える。
面倒だというよりも、相手に自分の心のうちを探られないようにする癖がついてしまってる所為なのだ。
「さぁ・・・・・・どっかに胸を落っことしてきたとか・・・。」
───有り得ない事だが。
「失敬ーーーーーな!!もともとないの!そんなんじゃなくて、さっき友達にばったり会ってね、仕入れた情報なんだけどね。」
「うん?」
「カズヒロくん。もう居ないんだって!」
「え?」
さっきまで興味が湧かなかったリカコの目が留美を捉えた。
「居ないとはどういう事?どっかに旅にでも出たの?」
「んー旅なのかは知らないけど、もうこの辺には居ないみたいよ。」
「どこ行ったのかな。地元にでも帰ったのかな・・・。」
「何かね、誰かの噂によると2ヶ月くらい前かなー?カズヒロくんを目撃した人が居て、大荷物ではないんだけど旅支度っぽい感じで駅に居たらしいよ。その人は急いでたから声は掛けれなかったらしいけどね。」
「ふーん・・・消息不明なのか・・・・・・。」
「誰にも言ってなかったのかな?」
「さぁね〜、おそらくあゆむも知らなさそうだよね。」
「リカちゃんとあゆくんには言ってくれても良かったのにね・・・。」
「まぁ、あゆむはともかく、あたしは必要ないでしょ。過去の人だし。最後に会った時も微妙な雰囲気だったしね。」
「あゆくんに聞いてみたら?」
「・・・・・・たかがそんな事を?」
・・・・・・ああ、でも。
電話する理由が出来た。
きっかけも理由もいつも留美にもらってばかりだ。
リカコはそう思いつつ既に携帯を手にしている。
「やっぱり聞いてみる・・・・・・。」
「はいはい。」
例の如くリカコの鼓動は早まっていた。
まるで癖になったかのようにこれだけは治る事がない。
緊張して物事を冷静に考えられなくなってしまう。
耳にあてた携帯から聞こえる呼び出し音が、蜃気楼のように遠く薄っすらとしか聞こえない。
「あゆむ・・・出ないや。」
振り絞った勇気も虚しく無残に砕かれ、緊張し損だったようだ。
きっとそのうち掛け直してくれるだろう。
小さく息を吐いてリカコは終話ボタンを押す。
その瞬間リカコの携帯が鳴り出した。
確認しなくても着信音で相手は誰だかわかる。
条件反射で早鐘のようになる胸。
鏡を見ずともわかる紅潮していく顔。
「もしもし?」
心の準備が出来ていたようで出来ていなかったのか、声が震えてしまって横で留美が笑いを噛み殺している。
「もしもし、あゆむだけど!ちょっと頼みがあるんだけどいいか?」
「え・・・うん。いいけど。」
間髪いれずにリカコはあっさりとあゆむの頼みを受け入れた。
経験上あゆむの頼みなんてリカコからすれば、お安い御用程度の可愛いもののはずだったから。
「ああ〜良かった!じゃ悪ぃけどちょっと出てきてくれる?」
「今?!」
「都合悪かったらすぐじゃなくてもいいけど、早ければ早いほど助かる!」
「じゃ〜・・・・・・30分後なら。」
「わかった。じゃその頃電話くれる?迎えに行くから。」
「うん・・・・・・。」
リカコが返事をするや否や、あゆむは電話を切ってしまった。
何をそんなに急いでいるのだろうか、さっぱり見当がつかない。
疑問を抱えながらも支度を始めたリカコは、昔親から言われた言葉を思い出した。
なんで今そんな事を思い出したのか不明だが、30分後に、親の言う事は素直に聞いて損はない事を改めて思い知らされる。
第十二話 完