扉の先には
美世は一歩、一歩扉へ近づく。その間も心地よい強さで風が美世の背中を押していた。まるで世界のすべてがその教会へ美世を導いているんじゃないかという錯覚すら感じさせ、扉に手をかけるとひんやりとした冷たさが伝わってきた。
「――キィ」
木のきしむ音と共に想像よりもずっと軽い強さでその扉は開いた。
「……ッ」
まぶしい。建物の中とは思えない光の強さに思わず目を細める。壁と天井の境目あたりにあるステンドグラスは、日光をさえぎらない。そのためか、教会内にはまばゆいほどの光があふれていて、どんな罪でも受けいれる聖なる場所として相応しい優しさがそこには存在していた。
始めはあまりの明るさにくらみかけたが、目が慣れるうちに、白一面になっていた視界が徐々に色を取り戻していく。
ステンドグラスから視線を下へとおろし、教会の中を見わたした。そして、目が止まる。
いや、目だけではない。美世の思考も身体も時間を止められてしまったみたいにすべてが停止した。
そこには、いた。何が?わからない。いや、見えてはいるけれど、それらがなになのかが理解できない。それら。そう、そこには2人いる。2人という表し方であってるのかすらわからなかった。
混乱、戸惑い、その他よく分からない色々の感覚が混ざりあい、混雑した脳内の回線を一度切る。落ち着け自分。ひとまず、自分の中だけでは整理が追いつかないから説明してみよう。
私の視線の先にいたのは、教会の中にあった神の像の前で、両手を床につき必死で身体をおこそうとしている少女と、その少女を支えているもう一人の少女。その2人の顔はきっと入れ替わってもわからないだろうと思えるほどに、瓜二つ。しかも本当の年齢は分からないけれど、きっと美世よりもずっと小さいだろうという外見をしている。しかしその顔はあどけなさを残してはおらず、はっきりとは見えないがその横顔は人離れしているほどに整っていた。そんな2人を分けていたのは、白と黒という色違いの服。
――――――そしてそれぞれの背中から生えた、黒と白のつばさだった。
まるで、天使と悪魔。それらは慌てて間違って生えてきてしまったかのように服と対称の色をしていてひときわ異彩をはなっていた。
しかし美世の目をひきつけたのは翼自体ではない。
「…………血、……え、傷??」
美世の思考はすぐには動きだしてくれなかった。ややあってからようやく頭が意識に追いついてくる。黒い翼を持った少女の服は白のはず。しかしその一部が鮮血に染まっていた。その色の元を辿れば片翼から黒すらを変化させるほどの血があふれている。少女の姿は痛みからのがれるように身体を折っていたからだったのだ。苦悶に満ちた表情の少女の横のにいるもう一人の少女もまるで自分の痛みであるかのように顔を歪めていた。
「あぁぁああぁぁぁァァァ!!」
教会内に響いた絶叫。あまりの声の大きさに、体を固くした。傷を負った少女から発せられた音だった。その声にはじかれたように美世は少女らの下へと駆け寄った。
「ちょっと、大丈夫!?どうしたの??」
「……誰っ!?」
黒い服の少女の叫び声に美世は動きを止めた。少女は美世が教会の中にいたのに気づいていなかったのか驚愕を顔に浮かべていた。
「なんで……、セージがここに??まさか結界が弱まってる??」
セージ?聞きなれない単語に頭を傾げるがそんなことを考えている場合ではない。
「ねぇ!!」
少女たちから微妙に距離をとった位置から声をかける。
「そっちの子怪我してるでしょ!!早く処置しないと!!このあたりに誰か人いないの!?」
「……『ヒト』、そういうことだったの」
何かを考えるように目をつぶった少女。何か変な事を言った??その沈黙は美世たちを取りまとう空気をさらに重くしたように思えた。一瞬とも永遠ともとれるような静寂の中、少女は躊躇うように、しかし切羽詰った様子で話しはじめた。
「ねぇニンゲン、残念だけどここにヒトはいないのよ。このあたりにっていう意味じゃないの。どこに行ってもいないわ。よく聞いてね。この子を助けるためにあなたの持ってるマリョクが欲しいの」
マリョクという言葉が魔力という漢字に変換されるのには少し時間がかかった。魔力??何を言ってる??小説の中でしか聞かないようなワードに美世は戸惑っていた。しかしそんな事を気にしてる暇はないと言わんばかりに少女は言葉を続けた。
「『ヒト』は気づかないだけで誰でも魔力を持っている。それに誰も気づかないから使われないままみんな溜め込んでいるの。今の私の持っている分だけじゃ足りないけど、あなたの力があればこの子の傷を治せる。方法まで説明してる時間はないわ。お願い。絶対に命は保障する。お願い、この子を…………この子を助けてッ!!!!」
最後の方は悲痛な叫びとなって美世の耳に届いていた。分からない。この子達がなんなのか。ここがどこなのか。なんのことをいっているのか。何も分からなかった。
でも、美世がこの苦しんでいる少女を救えるかもしれないというのだけは分かる。こんなカラッポな自分にもできることがあるんだということだけはわかる。
そんな時、知らず知らずのうちに美世の中で思い出される過去があった。
“――――こないでっ!!!!”
よみがえる記憶。
これは、思い出したくない。忘れていたのに、なんで。あぁ、泣いている。古い思い出の中の自分がひとりぼっちだと叫んでいる。封印していたものが美世の頭の中にあふれ、黒い闇にのみこまれそうになった。いやだ、こないで、私は覚えていたくない。見たくない、知らない、いやだ。いやだっ!!
「――――っ!!――っはぁ、はぁはぁ……」
無理矢理引き戻した意識はぐらんぐらんと波に揺られているようで酔ってしまいそうだった。荒い呼吸を繰り返しながらなんとか沈める。
落ち着け。過去に囚われている場合じゃない。苦しんでいるあの少女達を助けるために、早く。動いて!
ようやく一歩前へと動き出した足。一度動いてしまえば後は身体が勝手に進んでくれた。それでも、まだ震えの収まりきっていない体に気づかないふりをして美世は動く。
白い羽の生えた少女の手を走り寄ってにぎった。
「使って、その子が助かるのなら、私は構わない」
一見投げやりとも思えるような言葉。でも美世は、自分の中にある力で少女の命を救えるのなら安いものだと思える。
驚いたように目を見開いた少女。それは一瞬で、美世が瞬きをするうちにその驚きの表情は消え、美世の意志をを確かめるように
「本当にいいのかしら?」
と聞いた。
美世は頷き、それに答えるように少女も頷く。
「ここに手をのせて」
少女は美世の手を、倒れている少女の額の辺りにのせるよう指示をする。美世は少女の横にしゃがみこんでそっと右手をかぶせた。そしてその額が予想以上の熱を帯びている事に驚いた。苦しげに皺をよせる少女は見ている方までつらくて、わずかに視線をさげた。
「そのまま、じっとしていて」
美世は何も言わずに、少女の声に従う。少女は美世空いた左手をそっと取り、もう一方の手で美世と同じように苦しげな呼吸を繰り返している少女の額に手を重ねた。
「目を閉じていたほうがいいわ。身体を支えるのもつらくぐらいに力が抜けるかもしれないけど、なるべく少ししか使わないようにするから絶対に手を離さないで。いくわよ」
少女がそう告げると、目をつぶる暇もなく美世の身体に異変がおこる。最初は少女がいったように、自分の身体から何かが抜けていくような、そんな喪失感におそわれた。しかし、それはすぐに消え去る。
美世は、自分の内側から何かがとめどめなくあふれでているような今まで体験したことのない感覚を感じる。力が抜けることはなく、意識もしっかりしたままだ。なんだろうこれは。不思議。例えば、悲しんでる人が何も考えず涙を流し続けるように、美世の身体からは自然と何かが流れ続ける。
美世はこの感覚の正体たずねようと目を開けて少女の方へと顔を向け、
そこにあった光景に圧倒された。
さっきまで、美世と話していた黒い服の少女。対称の色をしていた真っ白な羽は美世の記憶より少なくとも5倍以上の大きさに広げられている。それだけではなく、その羽からは青白い光が発せられ、傷ついた少女や、その横にいる美世までを包み込むように半球を描いていた。2人の少女は、どちらとも苦痛を耐えるように顔をしかめている。それなのに、その姿は美しい。美世がいることが罪だと思わせるぐらいに、神秘的で、神々しくて、儚くて、透明で、綺麗で、それでいて力強い。
光はだんだんとその輝きを増してゆき、ついには少女らの姿をかき消す。少女達が完全に光に包まれる寸前、今まで目をつぶっていた少女の瞼が微かに動くのと同時に、つばさを広げていた少女がこちらを見たような気がした。少女の唇が開かれる。そして
「――――あ……なたは、ま、さか―――――――ッッぁあ!!!!!!」
光がはじけた。