「今日はいい天気ですね」で世界は救われた
朝から冷えたので、早起きしてしまった。
とはいえおかげで目覚めはいい。意識がすっかり冴えている。
軽く焼いたトーストで朝食を済ませる。
今日は休日だ。いつもだったら午前中はボケッと過ごしているところだけど、たまにはパジャマから着替えて朝の散歩と洒落込んでみようか。
歩いてると、ご近所さんに出会った。
私よりいくらか若い青年で、たまに会えば挨拶ぐらいはする程度の仲だ。
今日は私服だが、普段はスーツを着ていることが多い。きっとサラリーマンなのだろう。
ひとまず私は――
「おはようございます」
青年も会釈する。
「今日はいい天気ですね」
反射的にこう言ってしまった。
今日の空は灰色の雲が天を覆っていて、完全な曇り空。
私は定型文のような挨拶をしてしまったことを恥じる。
「そうですね」
向こうはこう返してきたが、きっと内心では「テキトーなこと言ってるなコイツ」とでも思ってるんだろうな。
気まずい気持ちになりつつ、私は青年と別れた。
***
僕の人生は絵に描いたような底辺人生だった。
父親は飲んだくれのDV野郎、母親は色ボケで男をとっかえひっかえ。
両親との思い出は怒鳴られる、殴られる、夫婦喧嘩してる、この三つしかない。
やがて母は出て行き、父も酒で体調を崩して死んだ。
そんな家庭で育ってるのだから出来は悪く、小学校中学校とひどくイジメられた。
悪口、無視、殴る蹴る、持ち物隠し、悪いことの強要、あらゆるイジメを受けたといっても過言じゃない。
高校なんか行けるはずもなく、その頃には僕の夢はすっかり決まっていた。
――世界の破滅。
僕を蔑み、僕を虐げ、僕を認めない世界など滅んでしまえばいい。
僕はいつしか世界を破滅させる方法の研究に没頭した。
恨みや怒りは僕に力を与えてくれ、研究はみるみる進んだ。
普段は地味にサラリーマンをしつつ、世界を滅ぼす兵器は着々と出来上がっていく。
そして、ついに完成した。
『全世界破壊ミサイル発射装置』とでもいうべき代物が。
僕が作ったこいつは、スイッチを押すだけで、世界中に核兵器を遥かに凌駕する威力のミサイルがばら撒かれる。
生き物はもちろん、自然も、大地も、海も全て蒸発するはずだ。もちろん、この僕も。
最期の瞬間、きっと地球は太陽のように輝くに違いない。
決行日は今日。僕の誕生日だ。
朝から冷える日で、窓を見るとどんよりとした曇り空が広がっている。まさに地球の終わりの日に相応しい。
もはやこの世に未練はないけど、せっかくだ。最後に散歩ぐらいでもしようと家を出た。
5分ほど歩くと、ご近所の人に出会った。
たまに会う、僕よりいくらか年上の男の人。人柄はよさそうだ。
「おはようございます」
挨拶されたので、僕も会釈を返す。
きちんと声を出すべきだったかもしれないけど、どうせ今日で世界は滅ぶという思いが声を出させなかった。
すると――
「今日はいい天気ですね」
向こうはこう言ってきた。
僕は疑問に思う。今日は明らかな曇り、いったいどこがいい天気なんだろうか、と。
「そうですね」と答えつつ、テキトーなこと言ってるなコイツとも思ったが、何か意味があると考える方が自然だろう。どんな意味があるのだろう……。
この時、僕は閃いた。
さてはこの人は、僕の計画を知っている?
ミサイルが世界中で炸裂して、光り輝く光景を指して、「今日はいい天気」と言っているのではなかろうか。
いやしかし、それだったらあの笑顔はおかしい。今日で世界が滅びるのに、あんなに笑顔で挨拶できるものか?
うーむ、もう少し考えてみよう。
今日はいい天気という話題になれば、実際に空を見てみるのが自然だ。
しかし、空はご覧の通り灰色、お世辞にもいい天気とは言い難い。ここに何かヒントがあるのでは……。
まさか……ミサイルで地球は閃光に包まれ、今日はいい天気になるだろう。しかし、残念ながら君の心は曇ったままで終わるだろう、と言いたいのではないか?
僕がこの後帰宅して、ミサイル発射ボタンを押して、自分もろとも世界を滅ぼしたとしよう。
その後に残るのは草木一本生えない荒野のみ……。魂だけになった僕はそれを見て何を思うのか。スカッと心が晴れやかになるとでもいうのか。それこそ終わりのない永遠の曇り空を味わうだけではないのか。君のやろうとしているのはそういうことだ。
あの人はそう言いたかったのでは……。
世界を滅ぼそうとしてる僕をここまで心配してくれてるなんて……。
あの人はなんていい人なんだ。
思えばあの人はいつもそうだった。会えば必ず挨拶してくれる。僕はそこまで愛想がいい人間じゃないのに。
あの人にもこれまでの人生があり、きっと大切な人もいるだろう。そんな人を僕の自暴自棄な破滅願望に巻き込んでしまっていいのか。
頭が痛くなる。が、どこか心地よい頭痛だった。
僕は決めた。世界を滅ぼすのはやめだ。
世界の人間のためじゃない。他ならぬあの人のために。
そして、自分なりに精一杯生きてみせよう。
帰ったらミサイル発射装置は全て使えないようにしてから廃棄して、僕は新しい人生を生きるぞ。
はっきりとそう決心した。
僕は前を向いた。
すると、雲の隙間から太陽がわずかに顔を出していた。
このまま晴れになりそうだ。
僕は思わずつぶやいた。
「今日はいい天気だ……」
おわり
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