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油と水

 一ヶ月ほど実家の農作業を手伝い、ようやく僕はいつものコンビニバイトに戻ってきた。人手不足だったらしく、オーナーはきっとろくに寝ていなかったのだろう。半分泣きそうな顔で「おかえり!」と、僕の復帰を心底喜んでくれた。帰る場所があるって、案外いいものだな、と他人事のように思った。

 早速、深夜のシフトに入る。久しぶりに立ち込める、あの白い霧。あの三人組も、きっと久しぶりだろう。喜んでくれるかな。少しばかりの期待と、ほんの少しの緊張を胸に、僕はレジに立った。


 ウーン、と間延びしたような音を立てて自動ドアが開く。待ち焦がれた三人が、そこに立っていた。


「いらっしゃいませ!」


 こみ上げてくるものを抑えきれず、少しだけ涙目になりながら、まるで一年ぶりの再会のように、僕は精一杯の笑顔で挨拶をした。


 すると、ライリーはいつもの調子で、こともなげに言った。


「お、もう帰ってきたのか。思ったより早かったな。」


 一人で勝手に感極まって、少しばかり恥ずかしくなる僕。


「確か、一ヶ月以上農作業に行かれると伺っておりましたが、五日で戻られたのですね。」


 グウィンドールが、相変わらずのたおやかな笑顔でそう言った。


 え? 五日? どういうことだ? 僕が実家にいたのは、確かに一ヶ月以上のはず……。一体、何がどうなっているんだ? 混乱した僕は、三人の顔を交互に見つめた。



 僕は、この一ヶ月間の出来事を、三人にありのままに説明した。畑仕事に明け暮れ、家族との不思議なやり取り、そして今日、こうしてコンビニに戻ってきたこと。


 三人は、互いに顔を見合わせ、訝しげな表情で腕を組んで考え込んでいた。沈黙を破ったのは、やはりグウィンドールだった。


「きっと……時間の流れが、お互いの空間で異なっているのでしょうね。」


 知的な瞳をわずかに細め、まるで長年抱えていた謎が解けたかのように、彼は言った。


「以前より、少し疑問に思っていたのです。購入した製品についている、この世界の数字。明らかに、私たちがこちらに来てからの時間の進み方と違うのです。」


 僕とライリーは、頭の上に大きなクエスチョンマークをいくつも浮かべた。一体、何の話だ?


 隣のブロンコに至っては、考えることを早々に放棄したようだ。文字の読めない漫画雑誌を手に取り、楽しそうに絵を眺め始めた。おいおい、お客様、立ち読みはご遠慮ください。


「この数字、この世界の日付ですよね。」


 グウィンは、パンの陳列棚から一つ商品を取り上げ、その賞味期限の数字を指差した。


「以前、こちらで買い物をした日付と、その四日後に再び購入したものの数字が、どうも合わなかったのです。」


 僕らの頭の上のクエスチョンマークは、さらに数を増やす。そんな僕らの様子に気づいたグウィンは、もっと分かりやすく説明してくれた。


「つまり、私たちがこの世界で一日に買い物をし、その四日後に再び同じような製品を購入したとします。しかし、その製品に印字されている日付は、一日から数えて八日後となっていたのです。」


 なるほど、そういうことか。彼らが四日後にやってきたと感じていても、この世界では一週間以上が過ぎていた、ということか。ようやく、腑に落ちた。


「おおー!」


 僕とライリーは、思わず声を上げた。まるで、長年の難題が解けたような清々しさがあった。いつの間にか、こっちの数字や簡単な言葉が読めるようになっていたグウィンにも驚いた。


 一方、ブロンコは、すっかり漫画の世界に没頭している。今度は、グラビアページのお姉さんの写真に夢中のようだ。おいおい、お客様、だから立ち読みは禁止だってば。



 話を聞き終えて、ようやく事態を把握した。国交樹立パーティーの後、ライリーたちは僕らが感じていたよりもずっと長い間、この世界に来ていなかったらしい。彼らの感覚では一ヶ月以上。それが、こちらの世界ではたったの十日ほどにしかならない。




「これで、何をすればいいんだ?」


 ブロンコは、僕が手首に装着してあげたオーナーがうっかり店に忘れていった、いかにも頑丈そうな電波腕時計を興味深そうに見た。ゴツゴツとした彼の腕にピッタリすぎるデザイン。


「単純な実験です」と、グウィンドールは冷静に言った。「その腕輪をつけたまま、アシュロへ戻り、五ビュート経過してから、再びこちらへ戻ってきてください」



「そういえば」と、僕はふと思った疑問を口にした。「もし、時計を持って向こうに行って、またこっちに戻ってきたら、どうなるんでしょうね?」と言ったことからこの実験が始まった。


 何気ない僕の問いかけに、グウィンドールは興味深そうな表情を浮かべた。「それは面白いかもしれません。我々の世界にも時を測る道具はありますが、今、手元にあるのは魔法で時刻を知ることができる私のものだけです」


 ライリーも顎に手を当てて考え込んだ。「なるほど……この世界の道具が、オレたちの世界でどう作用するのか、試してみる価値はあるな」


 こうして、僕の突拍子もない思いつきから、ちょっとした実験が始まることになった。幸いなことに、店のバックヤードには、先日オーナーがうっかり忘れていった、無骨なデザインの電波腕時計があった。普段は「こんなゴツい時計、必要?」くらいにしか思っていなかったそれが、まさか異世界との実験に役立つとは。


「では、その時計をブロンコに装着してもらい、一度アシュロへ戻って、またすぐにこちらへ来てもらいましょう」と、グウィンドールは提案した。


 異世界の住人が、こちらの世界の時間を測る道具を持って、再び異世界へ戻り、そしてまた戻ってくる。一体何が起こるのだろうか。僕自身も、この予想外の展開に、少しばかり興奮していた。



 五ビュート……それは、彼らの世界での時間の単位だろうか。秒や分とは違う数え方なのだろう。今度、ゆっくりと教えてもらおう。


 ブロンコは、見慣れない機器に少しばかり興奮している様子で、ニヤリと笑って頷いた。変わったものが好きなのかもしれない。


 自動ドアの前に立ったブロンコに、僕は小さく合図を送る。


「スタート!」


 僕はスマホのストップウォッチのスタートボタンをタップした。ブロンコは、深々と立ち込める霧の中へと、躊躇なく足を踏み入れた。


 と、その時、ふと頭をよぎったのは、オーナーの腕時計のことだった。あれは確か、相当な衝撃にも耐えられるタフなモデルだったはずだが、異世界の環境で本当に大丈夫だろうか?万が一、壊してしまったら、オーナーに何と謝ろうか……。一瞬、そんな心配が脳裏をよぎった。まあ、丈夫が売りの腕時計、そう簡単に壊したりはしないだろう、とすぐに気を取り直したが。今はそれより実験が楽しみだ。


「そういえば、ブロンコは向こうの時計みたいなもの、持ってませんでしたよね。その『ビュート』っていう時間の単位、ちゃんとわかるのかな?」


 僕は、ふと疑問に思ったことをライリーに尋ねてみた。腕時計を持たせたものの、彼自身が時間の感覚を共有できていなければ、実験にならない。


 すると、ライリーは腕組みをして、どこか遠くを見やるような仕草をした。


「ああ、心配はいらないさ。あいつは、時間を正確に測ることもできる。なんなら、アシュロの時計台も、ここに来た場所からなら、あいつには見えるんだ」


 時計台は、僕には想像もできないほど遠い場所にあるのだろう。ライリーの仕草から、その距離感が伝わってくる。ブロンコは、ただ屈強な戦士というだけでなく、そんな特殊な能力も持ち合わせているのか。なんだか、すごい身体能力だなぁ、と改めて感心した。



 それから数分後、霧の中からブロンコが、どこか得意げな表情で戻ってきた。


 僕はスマホのストップウォッチを慌てて停止させ、表示された時間を確認する。15分と少し。そして、ブロンコの腕に巻かれた腕時計に目をやった。よかった、無事に動いている。針が指し示す時刻は、僕がスタートさせた時間から、およそ20分ほど経過していた。


「おー……」


 僕たちは顔を見合わせ、深く頷き、感嘆の声を上げた。異世界とこちらの世界では、時間の流れが違うのか。たった5分ほどの差だが、それが積み重なれば大きなずれになる。面白い発見だ。


「実験は成功、ですね」


 僕がそう言うと、グウィンドールは涼しい顔で言った。


「ええ、ですが、もう一度」


「え?」


 ライリーと僕、そしてブロンコは、思わず顔を見合わせた。何回やるつもりなんだ?


「こういう実験は、何度か繰り返してこそ、より正確なデータが得られるものですよ」


 グウィンドールは、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべてそう言った。時間を正確に測れるブロンコでしかできない実験、というところが、また彼の意地悪なところだ。


 ライリーは、肩をすくめながら、諦めたような表情で僕に言った。


「カツヤ、これは覚悟した方がいいぞ。実験モードのグウィンは、とことんしつこいからな」


 どうやら、こういう類の実験に、ライリーとブロンコは何度も付き合わされているらしい。僕は、これから始まるであろう、終わりの見えない実験に、小さくため息をついたのだった。



 何度か繰り返された実験の結果は、僕たちの予想を大きく裏切るものだった。ある時はこちらの世界の時間が早く進み、またある時は異世界の時間が早く進む。その差は一定ではなく、まるで気まぐれな妖精のいたずらのようだった。


 頭を悩ませる僕たちを前に、グウィンドールは顎に手を当て、難しい顔で考察を始めた。彼の導き出した結論は、こうだった。魔力が世界の根幹を成し、時間の流れにも影響を与えている彼らの世界と、魔力を持たず物理法則のみが支配する僕たちの世界。その根本的な理の違いこそが問題なのだと。


「例えるなら、油と水のようなものでしょうか」と、グウィンドールは静かに言った。「異なる性質を持つものが無理に合わさろうとすることで、時空そのものが不安定になっているのかもしれません」


 目には見えないけれど確かに存在する世界の壁が、二つの世界の接触によって歪んで、その歪みが時間の流れをあっちこっちに引っ張っているみたいだ。そう考えると、なんとなくわかる気がする。僕たちの普通の世界と、魔法とかがある彼らの世界が無理やり繋がってるから、時間とかいう流れがぐちゃぐちゃになっちゃうのかも。簡単には理解できない、異世界と繋がった証拠ってことかな。


 この時間軸のズレが、もしもっと大きくなったら一体どうなるのだろうか。もしかしたら、二つの世界は完全に切り離されてしまうのかもしれない。そう考えると、胸の奥に小さな不安が芽生えた。


 しかし、そんな僕の心配をよそに、あんなに実験を繰り返したのに疲労の一つも見せない男がこう言った。


「あ、話終わった? それよりこの娘、可愛すぎないか??」


 ブロンコは、先ほどから夢中になっていたグラビアページを、ドヤ顔で僕らに見せつけてきた。


 だから、立ち読みは禁止ですよ、お客様。


 とは言いつつも、僕もライリーもグウィンドールも、ついついその魅力的なグラビアに見入ってしまうのだった。深刻な話の直後だというのに、まったく、この人は……。まあ、おかげで、一瞬過ぎった僕の不安もどこかへ吹き飛んでしまったけれど。

 ちなみに、オーナーの電波腕時計は、何度か異世界を行き来したにも関わらず、全くの無傷だった。ライリーたちが霧の中に消えた後、念のため時刻を確認してみると、電波を受信して正確な時間に戻っている。さすがは世界に誇る有名メーカー製。異世界の不思議な力にも負けることなく、正確な時を刻み続けた。

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