戻ってきた、日常。帰ってきた、非日常。
数日後――。
あの騒がしい三人は、あれ以来一度も顔を見せていない。
きっと、国際的なイベントが始まって、慌ただしく働いているのだろう。三人ともそれなりの役職のようだったし。
元来、僕は慌ただしいのが苦手で、静かな深夜に働くアルバイトを選んだ人間だ。だから、あの異常な忙しさは本来ならうんざりするはずなのに……いざ、ぱたりと静かになると、どうしようもなく寂しさが募ってくる。
もしかして、僕の知らない別の日に来ていたりしないだろうか?
たまたま深夜シフトが一緒になった斉藤さん(25歳・独身・♂)に、ここ最近の店の様子を聞いてみた。斉藤さんは僕とは違う曜日にたまに深夜シフトに入っている。
「最近、なんか変わったお客さん来てませんか? 結構な量の食料品とか、まとめて買っていくような……」
斉藤さんは少し考えて、首を横に振った。
「うーん、そんな人はいなかったと思うけどな。いつも通りだよ。走り屋のおっちゃんに、長距離トラックの運ちゃんと、朝帰りの兄さんくらいかな」
オーナーが一人で店を切り盛りしている時間帯にも来ていないようだ。念のため、ここ数日の売り上げを確認してみたが、やはり僕がシフトに入っている日だけが突出して多かった。
やっぱり、あの現象は僕の勤務時間だけに起こる特別な出来事らしい。
……もしかして、ついに僕もスーパーパワーみたいなものに目覚めちゃったりして?
そんなありえない妄想を膨らませながら、ニヤニヤと笑みを浮かべて雑誌の陳列をしていたら、うっかり指先をカッターで深く切ってしまった。
「いって……!」
滲む赤い血を見て、我に返る。これはきっと、爺ちゃんが僕の自惚れた心を戒めているんだ。
そうだ、あの人たちはエナジードリンクであっという間に回復していたじゃないか!
僕は慌てて店内のドリンクコーナーから、いかにも効きそうなタウリン入りのエナジードリンクを手に取り、一気に飲み干してみた。
しかし、傷口はピクリともしない。当然だ。あれはきっと、異世界の人だけに現れる特別な効果だったんだ。
無駄に300円を浪費してしまった……。
それにしても、あの時彼らが大量に買って行ったドリンクやお菓子に、もし変な効果とかあったらどうしよう。まさか、それが元でここに来れなくなってる、なんてことは……ないと願っている。
あれから十日が過ぎた――。
久しぶりに、あの不気味なほど真っ白い濃霧が店の外を覆い始めた。
良かった。また、あの三人に会える。
期待に胸を膨らませていると、案の定、屈強な体躯のライリーと、同じく大柄なブロンコが顔を見せた。二人ともいくらか疲れているようにも見えるが、それを上回るほどの活気に満ち溢れ、楽しそうな様子で店に入ってきた。
「よう、カツヤ! 久しぶり!」
ライリーが、まるで鐘の音のように店内に響き渡る大きな声で挨拶してきた。その音量に、僕は思わず耳を押さえながらも笑顔で応じる。
「お久しぶりです、ライリーさん」
静寂に包まれていたコンビニエンスストアに、突如として爆音のような声が響き渡り、鼓膜がキーンと痛んだ。
一方のブロンコは、背中に背負っていた巨大な剣を店の隅に立てかけると、まっすぐにドリンクコーナーへと向かい、お気に入りの緑色のエナジードリンクを購入した。キャップを開けると同時に豪快に飲み干し、満足そうに息をついた。
「やっと回復したぜー! やっぱりこれだよな!」
ブロンコは、まるで旧友に再会したかのように、満面の笑みで僕に語りかけてきた。
「今日はグウィンドールさんはご一緒じゃないんですね。」
僕がそう尋ねると、ライリーとブロンコは一瞬目を合わせ、互いに何かを確認し合った後、僕に向き直った。
「ああ、グウィンなら今、アシュロとフィラノを行ったり来たりしてるんだ。お忙しい執政官様だからな」
ライリーが、少しばかり皮肉めいた口調で言った。
「相当忙しいらしいぜ。お国のお偉方をいさめながら二国間条約を作成したりしてるらしい。」
ブロンコも付け加える。あの時、彼らが大量に買い込んでいった食べ物が原因で、何かトラブルが起きた様子はない。どうやら、無事に目的は果たされたようだ。僕は内心で安堵のため息をついた。
「うまくいったんですね、国交樹立パーティー。」
僕の言葉に、ライリーはニッと笑い、ブロンコも満足そうに頷いた。ようやく肩の荷が下りたような気がした。
執政官――それは、アシュロ国において最高権力者に限りなく近い地位を持つ政治家。五人しかいないその要職の一人が、グウィンドール。あの、どこか人を射抜くような鋭い眼光を持った男だ。見た目だけでも只者ではないと感じさせる彼が、相当な切れ者であることは想像に難くない。
「それがな、カツヤ。うまくいきすぎたんだよ、あのパーティーがよ。二つの国の間に長年横たわっていた壁を、それこそ口に入れたソフトクリームみたいに、すーっと溶かしちまったんだからな!」
ライリーが、興奮した様子で身振り手振りを交えながら語る。
「そうそう、面白かったぜ、あの様子! 堅物そうなおっさんたちが、ソフトクリームを前にしてデレデレになっちまうんだから! カツヤにも見せてやりたかったぜ!」
ブロンコはそう言って、目を細め、頬を緩ませた政治家たちの滑稽な真似をして見せた。まさか、この世界ではありふれたソフトクリームが、異世界の人々には特別な効果をもたらすとは。やはり、彼らの世界とこちらの世界では、食べ物が持つ効果が全く違うのだろう。
「そういえば、この間のジュースも、相当評判が良かったらしいぜ!」
ライリーが、何かを思い出したように目を輝かせた。
「ああ、あれか! あのジュースを飲んだ貴族のご婦人方や、年寄りどもが、次の日にはむきたての果物みたいにピッチピチになっていたって言うんだからな! まったく、信じられない効果だ」
ブロンコも目を丸くして頷いた。まるで、信じられないような奇跡を目の当たりにしたかのような表情だ。
「『あのジュースはどこで買えるんだ?』って、今じゃ国中で話題になっているらしいぞ。まさか、こんな小さな店のジュースが、そんな騒ぎになるとはな!」
ライリーはそう言って、肩をすくめて笑った。僕の働くこのコンビニで、何気なく販売しているブドウジュースが、異世界の人々にとって、まるで魔法の美容薬のような効果を発揮しているとは。
その後の話を小一時くらいだろうか、二人は面白おかしく、時には真面目な様子で僕に報告してくれた。どうやら、その国交樹立パーティーがあまりにも成功しすぎたらしい。それを快く思わないユバール国が、小競り合いを仕掛けてきたのだという。幾度かの戦闘。それが、今回グウィンドールが来られなかった理由の一つでもあり、ライリーとブロンコが少し疲弊した様子を見せていた原因でもあった。
歴史の教科書やニュースでしか見たことのないような戦争の話を、彼らから直接聞くと、やはりまだどこか現実味を帯びず、体が小さく強張ってしまう。彼らは、僕とは全く違う、常に争いが隣り合わせの世界で生きているのだと、改めて痛感させられた。
そんな話の流れから、ライリーは少し真剣な表情を浮かべて僕に言った。
「それでな、カツヤ。一つ頼まれてくれるか。グウィンはそれはもう忙しくて、寝る暇も削って仕事をしているんだ。あいつに何か差し入れしてやりたくてよ」
屈強な外見からは想像もできないほど、ライリーは仲間思いの優しい男なのだ。自身も戦場で疲弊しているだろうに、わざわざグウィンドールのために、こうして僕の元へやってきたのだろう。その心遣いに、いつも無気力な僕でも少し胸が熱くなった。
「わかりました。グウィンドールさんの好きなものは、大体把握してますから。」
僕はそう答えると、パンコーナーへと足を向けた。棚に並んだ数々のパンの中から、北海道産牛乳をふんだんに使った、ほんのり甘い香りのする当店オリジナルのパンをいくつか選び取る。彼らが以前にも美味しそうに頬張っていたのを覚えている。
次に、僕は栄養ドリンクのコーナーへと移動した。「さて、何がいいかな……やっぱり、あのカフェインたっぷりの『睡眠発破』か?」そう思い、手を伸ばしかけたその時、ふと疑問が湧き上がった。
本当に、疲労困憊しているグウィンドールに、さらに無理をして働けと、この二人は思っているのだろうか? いや、違うはずだ。彼らがここに来たのは、きっとグウィンドールに少しでも休息を取ってほしいからに違いない。
そう考えた僕は、カフェイン系のドリンクではなく、疲労回復に効果のあるクエン酸入りのビタミンドリンクを手に取った。そして、チルドコーナーから、北海道の生乳で作られた、まろやかな口当たりのカフェオレを選んだ。
レジに戻り、商品をカウンターに並べながら、僕はライリーとブロンコに向き直った。
「この黄色いドリンクは、疲労に効果があると思います。そして、こちらのカップに入った飲み物は、温めて飲めば気分を落ち着かせてくれるかもしれません。」
僕はそう言って、それぞれの飲み物の効果を丁寧に説明した。ライリーとブロンコは、腕組みをして顎に手を当て、真剣な表情で僕の説明に耳を傾けている。
「グウィンドールさんには、どうか安静にするように伝えてください。」
僕は、レジを打ち終え、丁寧に商品を袋に詰めながら、改めて二人にそう念を押した。この差し入れが、少しでもグウィンドールの力になってくれるといいな、と心の中でそっと願った。