星の消失
ひだまりのねこ さまのエッセイ
『悪いことは重なるもので』を読んで突発的に書きたくなりました。
1994年 大切な友人が去った時のお話
私には悔やんでいることがある。
デザイン系の学校に通っていた頃、私には同じ夢を抱えた多くの仲間がおり、お互いの作品を見ては刺激を受け、技術を磨いていた。
元々絵を描くのが好きな人の集まりではあったが、その中でも私は描ける方だったと思う。
ものづくりをしている人間など、だれでも「自分が一番」と思っているフシはあるだろう。私も例にもれず「条件が同じなら絶対負けない」なんていう若者らしい自信にあふれ、特にアイデアだけならプロよりずっと上だと思っていた。
絵がうまくならずに悩んでいる仲間に「早いうちにやめて別の道を探した方がいい」などというキツイ言葉を投げかけたこともある。
努力でカバーできる部分とできない部分は間違いなくあり、それは誰が見ても一目瞭然だったからだ。冷たいと言われればそうなのだろう。だが、デザインの道は努力だけで何とかなるほど甘いものではないとも感じていた。
そんな私が彼女をライバル視したのはある課題の発表時からだった。
それまでにも彼女の作品には光るものがあり、私もデキる人という認識は持っていたのだが、あの課題作を見たときの衝撃は今でも忘れられない。
それは5種類の動物を表すピクトグラム(絵記号)を作成する課題で、彼女が作成していた作品に私の目はくぎ付けになったのだった。
なんだこれ。
使用している色はたったの2色、横たわった母のお乳にたくさんの子供が食らいついている図案だった。その構図、密度、5つのピクトグラムの統一性……。複雑であり緻密なそのデザインに私は言葉を失った。今まで「負けるわけがない」と思っていた私の、まさにその同じ土俵に乗り込んできて投げ飛ばされた気分だった。
完全なる敗北。疑う余地すらないほどの。
なんで俺にはこの発想ができなかった? なんで俺にはこれが描けなかった? なんで俺には……。
くやしい……。くやしい、天才め。
彼女の努力など無視して、私はその言葉に逃げ込んだ。
それからというもの、私はことあるごとに彼女に話しかけた。作品を見てはアイデアを出し合い、時には遠慮なく批判した。話してみると彼女の発想は日常会話であってさえ、常に想像外のところに飛び、私は彼女の思考に食らいつくのがやっとだった。
彼女の天才が少し理解できたような気がした。
彼女のつくり出すデザインを見続けたいと思ったし、これからずっと見ることができるのだと思っていた。たとえ違う会社に入っても、お互い結婚しても、私の一生のライバルは彼女でそれが変わることなんてないと思っていた。もし私がダメだったとしても、彼女だけは日本のデザイン界のために世に送り出さなければならないとすら思っていた。
1年の間に多くの者が学校を離れていった。中にはすっぱりとデザインを諦め、初めてできた彼女の実家に婿入りしてリンゴ農家を継ぐ者もいた。なんで? みんなデザインがやりたくて命を削ってきたのに。そんなに簡単に捨てられるものだろうか?
それでも、私と彼女にデザインをやめるなんていう選択肢はないはずだった。
ある日、私は彼女に呼び出された。
「私、学校辞めるんだ」
えっ、すごいな。学校をやめて、独立してやっていくんだ。
「ううん、そうじゃなくて、デザインの勉強やめて働くの」
……えっ、ちょっと待って。
やめるってどういうこと?
デザインをやめる?
頭が回らない。なんで、なんで、なんで!? 才能がないと思ってる? スランプなの? お前くらい才能がある奴なんていねぇよ! それとも彼氏とうまくいかず気弱になってんのか? 俺が何とかしてやるから! 誰が脱落しようがお前だけはやんなきゃだめだ! それだけの才能があるのに! たとえどれだけの犠牲を払ったとしても最優先でやらなきゃいけないことなのに! なんでだよ、なんでやめちゃうんだよ、どうすればいい? どうすればやめないでいてくれる? 俺にできることって何かないのかよ! っていうかやめるなよ!
「実家がね、お金がなくってもう学費が払えないの」
予想外の回答だった。
お金がない? そんなくだらないことで?
本気でそう思った。だが現実に、貧乏学生にとってそれはいかんともしがたい問題だった。私もアルバイト代は全て学費に費やしていたし、第一ただの友人が学費の肩代わりをするなんておこがましい。クラス中に呼び掛けてカンパすることも考えた、親に借りることも考えた。なんとしてでも止めなければならないと思った。でも結局は止められなかった。
助けてって言え、言ってくれ! そう言ってくれれば私は何でもしただろう。なのに……。
無力だ。
私はなんて無力なんだろう。たったそれっぽっちのお金がないばかりに、これだけの才能を守ることさえできない。
私は……できるなら私一人の力で止めたかったのかもしれない。私のために留まってほしかったのかもしれない。デザインをやめるはずがないと心のどこかで信じていたのかもしれない。
だが。
私にとって唯一無二の星は消えた。彼女の最後の登校日、私は顔も合わせなかった。
今でも考える。
あの時、どうすべきだったかを。
今でも多くの者が、たかだかお金の問題で夢をあきらめたりしているのだろう。自力で何とかするべきだ。それは、分かる。借金を強要するわけにもいかないだろう。だけど、やっぱり頼ってほしかった。一緒にデザインを続けたかった。その結果たとえ上手くいかなかったとしても。
私は今でも悔やんでいる。
どんな形であれ、彼女は今でも絵を描いていると信じています。