6 能力
「レオ・リーベル」
魔法学の授業が終わった後、教官が不意に俺の名前を呼んだ。あの個性的な魔法使いの知り合いの、苦労していそうな教官だ。
「は? じゃない、はい」
思わず素で反応してしまったが、即座に言い直す。教官も何も言わないし反応しない。助かった。
「基礎教養のシャーロット教官から呼び出しだ。放課後授業が終わり次第、教官室に来なさい、と」
用があるならお前が来い、と内心で呟きながらもどうにか頷く。魔法学の教官は俺の顔を見、やや苦笑気味に付け足した。
「補習を行うらしい。出来るだけ急ぎたいが、今日は基礎教養の授業はないから呼び出しと言う形になったと言っていた」
「教官、補習? って何ですか」
折角教えてくれた教官には悪いが、俺は十年ちょっとの人生の中で補習なる言葉は聞いた事がない。ただ、あまり嬉しいものではなさそうだと察したのが関の山。というか、敬語を忘れなかった俺を褒めてほしい。
俺の言葉に、教官も教官で呆気に取られている。
どうやら教官は俺が補習というのが何なのかを知っている前提で話していたらしい。ということは、ノアに聞けば分かるだろうか。
仕方ない、あとでノアに聞こうと決めた俺に、教官が数秒の沈黙の後に口を開く。説明をしてくれるらしい。
「補習と言うのは……全員が受ける授業に加えて、授業内容やそれ以前の知識などを補う講義の事だ」
「こうぎ……って授業みたいなものですか」
「ああ。同じだと思えばいいだろう」
じゃあ最初から授業だと言って欲しい。俺の教養のなさを舐めるな。
筆記と剣術の二科目で点数を獲得して突破するべき試験を、ほとんど剣術でギリギリセーフどころか割とアウトな領域で無理くり入ったのが俺だ。俺の故郷は、文字が書けて読めて簡単な計算ができたら褒められるようなところだったのだ。基礎だろうが常識だろうが、そんなもの持ってはいない。
「つまり俺は、基礎教養の授業を受ける学力がないから、授業のための授業を受けろってことでいいですか」
頭の中を必死で整理して答え合わせを求める俺に、教官はその通りだと丸をくれた。よし。
まあ、言われた内容は全く「よし」ではないのだが。鬼畜としか言えない。
「分かりました。放課後に教官室だよな……違う、ですよね」
「ああ」
再びの敬語すっぽ抜けを綺麗に流してくれた教官に感謝しつつ、俺は指定鞄を漁る。どこかにメモ帳があった気がするんだが。
この学校は何だかんだと指定が多い。制服や中履きは勿論のこと、鞄や家具までお揃いだ。これは皆で仲良しになりましょうとか言いたいんだろうか。いくつの子供だよ。俺は嫌。
結局メモ帳はどこかへ行ったまま行方不明となり、俺は諦めてノートの端を破ることにした。躊躇なく破り取って、メモしたものを胸ポケットに突っ込む。隣の席のやつに二度見された。何かおかしなことがあったのだろうか。
さてトイレに行こうか、と席を立った直後、授業開始の鐘がなった。
休み時間が短い。
「おお、来たな。レオ・リーベル」
だだっ広い校舎のどこに何があるのか分からない俺が、行ったことのない教官室がどこにあってどう行けばいいのかを知っているはずもなく。仕方ないのでノアに聞いた。あいつ何でも知ってるな。
「えっと……あー……基礎教養の教官ですか」
ドアを開けた目の前に仁王立ちして、目が合うなり俺のフルネームを呼んだ女性教官が多分、基礎教養のなんちゃらという教官なのだろう。多分。
一応名前思い出そうと努力はしたが無理だった。
「ああ、私が君たちの基礎教養を受け持つ。名前くらいは覚えてくれよ、いいか。シャーロット・ローズレッドだ!」
「しゃーろ……」
どうして貴族の名前はそう長い。もういっそ名前だけ、呼び方だけ教えてくれ。俺の記憶力には限界がある。
桃色がかった鮮やかな赤の瞳を見返し、赤い教官と覚えることに決めた。他に赤い目の教官がいたらまた考える。
「シャーロットだ、いいな、シャーロットだぞ。シャーロット。ほら言ってみろ」
自分の名前をひたすらに繰り返して刷り込みを図る教官に、この学校の教官がまともな教官なのかが心配になってきた。
「しゃーろっと」
「よおし、覚えたな!」
多分三分後に聞かれたらシャーロットのシャも思い出せないだろうな、と思いながら勢いに従って繰り返す。頭をわしわし撫でられた。
「じゃあ説明しよう。ついて来い」
踵を返して教官室を奥にすたすたと進んでいく教官の後を追いかけ、教官室の端の机に着いた。
「そっちの椅子に座れ。そこの……ん? どこいったんだそこの椅子」
俺が訊きたいし俺に訊くな。大丈夫かこの人。
「なあ、悪いんだが、この辺にあった椅子知らないか? 青いやつ」
あちこち見渡しても見つからなかったらしい。ついにそこら辺にいた他の教官に声を掛けている。声を掛けられた方も迷惑だろうに。
「それ、前にローズレッド教官が壊れたって言って捨てていたじゃないですか」
不幸にも隣の席である紫色の目の教官が、可笑しそうに笑った。
「あ、私か。そういえば、足が二本になったから捨てたんだよな」
足が二本って何だ。壊れたってことか。椅子が? 足が二本になる? 何したこの人。教官って案外色々怖い奴らなのか。
「新しい椅子は発注してあるはずですよ」
「そっか。じゃあ悪いが、レオ・リーベル、お前は立ってろ」
「……はい」
ついに立たされた。なんかもういいや、と直立不動の姿勢を取る。
「あー……お前の成績見たぞ。剣術がもの凄いが、筆記も逆方向で物凄い。というか、これは何をどうやったらこうなるんだよ。国王の名前くらい覚えておけ、常識だ。お前って貴族じゃないんだって?」
褒めているのか貶しているのか分からない怒涛のコメントを聞き流し、最後の唐突な質問に頷く。よく喋るなこいつ。
「ふうん」
若干赤色がかった長い黒髪を払い、赤目の教官は俺の胸元に手を伸ばしてクラバットを掴んだ。つんのめる。
「お前、見た目は貴族だよな。金目だし……ん? 金目じゃないのか? もっと濃い色だな。何だこれ」
まじまじと俺の目を覗き込んで喋り続ける教官が怖い。あとクラバットを掴まれているせいで中腰なのも辛い。
これだから首元に何か巻くの嫌なんだよ。首掴まれたら終わりだろうが。
「こんな色見たことないしな……。おい、私の目、見えるか」
「……見えますけど」
逆にこの距離で見えなかったら、視力は無きに等しいだろう。
「何色だ」
「赤」
「そうだ!」
いきなり火のついた教官が怒涛の勢いで再び話し出す。
曰く、強い魔力を持つ者の目は魔力の色になる。
曰く、魔力の色は血筋、特に父親に由来する。
曰く、俺のような色の瞳は見たことがない。
まとめるとこれだけの事を、テンション高らかに語る教官に、正直引いた。隣の教官は綺麗に流して何か書類を書いている。マイペース。
「で、本題だが」
一瞬で収束したのも恐怖に拍車をかける。貴族の標準スキルかこれは。
「お前の筆記がまあ酷い。教官をやってきて初めて見た! 国王の名前も書けない受験生はお前で最初だ」
はあ、と頷いた俺を、赤い双眼が見る。
「結論を言う、お前の学力だとうちの授業は無理だ。つまり、授業を聞いても訳が分からないだろう」
予想していた言葉に、何の感慨も湧かない。じゃあ帰れと言われたら帰るだけだ。そうしたら鍛冶屋でしごかれるだろうが。
「だから私が補習してやろう。お前の剣の腕は捨てるに忍びない!」
高らかに言って胸を叩き、ふと気づいたように、教官が俺を見て瞬いた。何だ、と見返せば、心底不思議そうに尋ねられる。
「そういえば、お前はどうして国王の名前を知らないんだ?」
「生きるのに必要ないから」
「はあ?」
理解できない、と露骨に表情でもって伝えてきた教官は根っからの貴族なのだろう。俺が生粋の庶民だというのもあるだろうが。
「薬や毒になる植物、戦って勝てない獣、薪の割り方、そういう方が俺たちにとってはずっと大切だから。知らないと死ぬ」
即答した俺の背を、流石庶民だと謎のテンションでばしばし叩く教官は、隣の席の紫眼の教官が窘めるまで笑い続けた。
俺は異様に疲れた。
本を読めと、赤目の教官は言った。ちなみに俺は、宣言通り赤目の教官の名前を忘れた。他にあそこまで鮮やかな赤をもつ教官はいなかったからいいだろう。
「お前はまず知識と常識だ。それが足りない。基礎中の基礎の本から読め。題名を書いてやるから買ってもいい」
「俺、お金ないので無理です」
「図書館にある。借りてこい」
そう言うわけで見事に逃げ道を潰され、俺は図書館にいた。
「……『我が国の軌跡』。うわ、絶対つまらないやつだろ……」
本棚の間をうろつき、ようやく見つけた本には先客がいた。
記憶に新しい白銀の魔法使いが、背を本棚に預けて鼻歌交じりにページをめくっているのだ。
別のにしよう、と踵を返した俺の背に、揶揄うような声が投げかけられる。
「騎士の坊や、これ読みたいのかしら?」
坊や、といわれると自分が酷く幼稚な子供のようで嫌だった。
「その、坊やって言うの止めろ」
振り返る。白銀の瞳と視線が交わる。案の定、浮かべていたのはどこか揶揄うような微笑み。
「あら、まだ子供じゃないの。可愛いって意味だから受け取っておけばいいのにねぇ」
ぱたん、と閉じた本を揺らし、もう片方の手で俺を手招く。
「もう終わったからいいわ。あなたさっきの教室にいたわよね」
「ああ」
歩み寄り、気が付く。彼女は案外背が高い。
「あれに魔法を教わっているんですってね。つまらないでしょ、あの堅物を絵にかいたみたいな貴族様。まあ悪事に手を染めたり横暴だったりの貴族よりは数百倍マシだけど。もてなそうよね」
目線を合わせてやろう、なんて考えはさらさら浮かばないらしく、白銀の魔法使いは俺を真っ直ぐに見下ろしている。俺の母親もそう背の低い人ではなかったが、この魔法使いよりは小柄だったらしい。
あと、ついでに言うなら最後の一言は教官が可哀そうだ。同意するが。
「あんたに言われたくないだろうがな。……じゃない、あなたに言われたくないと思いますが」
主に最後の一言について。
「私は口調よりもむしろ内容に文句を言いたいわ、騎士の坊や」
言いつつ、白銀の魔法使いは近くにあった椅子を引き寄せて腰を下ろす。俺の分の椅子はないらしい。別に気にしないが。
「坊やはやめろってさっき言った。じゃなくて、あー」
「いいわよ、敬語止めても。話がちっとも進まない上に、同じことを二度聞くのも面倒だもの」
ありがたい、と遠慮なく敬語を取っ払った。
「坊やじゃない、俺はレオだ」
「じゃあレオ、ちょっと聞きたいんだけどいいかしら」
「何を」
「私みたいな人を見たことないかしら。ええと、私みたいっていうのは」
「ない」
即答だった。
だってこんな自由奔放と傍若無人を兼ね備えた猫みたいなやつ、そうそういないだろう。少なくとも俺の人生で出会ったことはない。
「失礼なことを考えていそうね。いい? 私みたいな人って言うのは」
「人の話を聞かないで突っ走るやつ」
「……坊や? いいこと、話を聞きなさい? それに、物には言い方っていうものがあるのよ」
否定はしないんだな。
「あー、悪い。社交辞令って知らなくて」
「余計悪いわよ」
はあ、とため息をつき、視線で俺を牽制しながら説明を付け足した。
「私が言っているのは、こういう風に髪の色とか瞳の色が変わっている人のことよ。要するに、とっても魔力が強い人」
「貴族なんざ、皆目に色ついてるだろう」
「髪もよ、髪も。瞳だけならそこそこいるんだけどねぇ……。それにしても、『貴族なんざ』なんて。貴方が貴族じゃないみたいな物言いね」
「実際貴族じゃないからな」
揶揄うような声音に、俺は何の感情も交えずに事実を告げる。俺はこの学院では唯一の、生粋の庶民だ。レア。
「あらあら、珍しいわね。道理で、見たことがない色をしていると思ったわ」
すっと伸ばされた手を避け、俺は一歩横に動いた。
「掴むな」
どうしてそうどいつもこいつも首元を掴もうとする。引き寄せやすいからだろうな、それは分かる。
「じゃあ屈んでくれるかしら」
「嫌だ」
本も手に入れたし、さっさと部屋に戻って課題をやらなければならない。大量のプリントを思い出し、思わず顔が歪む。
「そんな顔するほど? まあ、付き合いなさいよ」
「は? だから俺は嫌だってさっき」
まあまあ、と柔らかい声音で声を掛けつつ、遠慮容赦ない力加減で俺の腕を掴んで引き寄せた魔法使いは、バランスを崩してよろけた俺の頬を両手で固定した。
「ふぐっ……おいこら」
「黙ってて」
勝手に人の頬を固定して、文句を言ったら黙ってて。どこの女王だよこいつは。勝手が過ぎる。
そんな文句を胸中で垂れ流していると、不意に魔法使いの瞳が煌めいた。二重瞼に縁どられた大きな瞳の中で、彼女の髪と同じ色の光が渦巻いている。ぎょっとして注視していると、その光が瞳の中で緻密な魔法陣を組んでいるのが見えた。
何をしているんだ、こいつ。
「おい、そろそろ離せ」
「……あらまあ」
何があらまあ、だよ。返答がおかしいだろうが。
「おい、おいって」
「光、それと……ああ、闇はないわね。空もなし」
「何の話をしてるんだ。いいから離せこら」
中腰状態でプルプルしている俺の言葉は聞こえていないらしく、そのままなにやら俺の瞳を興味深そうにのぞき込んでいる。腰が辛い、ひたすらに。
「ああ、ごめんなさい」
ぱっと手を離され、今度こそずっこけそうになる。おいこら。
「今ね、ちょっとすごいことが分かったのよ」
心なしか機嫌がよさそうな魔法使いがなにやら言っているが、心底興味がない。話を聞きやがらない誰かのせいで腰が痛いし。
「あなたは稀少なことに、光の魔力を持っているの!」
「ああ、そうか。じゃあな」
未練なく背を向けて立ち去ろうとする俺を引き留めこそしなかったが、魔法使いの声は背を追いかけてきた。
「あなた、魔法の才能もあるわよ」
その声をかき消すように、後ろ手に扉を閉めた。
たとえば俺に魔法の才能があったとして、何だというのだろう。