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5 個性

 寮の俺たちの部屋は、朝日の差し込む東側。おかげでいい目覚まし代わりになる。俺は窓から差し込む黄金色の朝日に起こされた。


「ん……あー、眠ぃ……」


 いつもはシャキッと目覚める俺だが、昨日は慣れないこと続きだった上、まだこのやたら寝心地の好いベッドにも慣れないおかげで、あまり寝起きがよろしくない。なにせ、実家は硬い二段ベッドだったし。床に布団敷くのと大差ない。

 今の時間を確認すれば、まだ少し早い。あともう少し眠ってもいいが。


「……今寝たら寝坊するだろうな」


 微かに呻き、重い体を起こす。あくびを一つ漏らし隣のベッドを見れば、絶賛安眠中のノアがいる。起きている時と大して変わらない穏やかさ。


「…………」


 不思議なことに、人と言うのは誰かが安眠していると邪魔をしたくなる生き物である。俺もよく、兄貴に悪戯を仕掛けられて起こされたものだ。顔に落書きをするという定番に始まり、顔の上に本を積まれ、頭にリボンを結ばれ、挙句の果てに母親の化粧道具で化粧。一度何も思いつかなかった兄によって、おはようのキックをお見舞いされた。思いつかないなら起こすな。

 もぞもぞとベッドから這い出し、隣のベッドを覗き込む。手を伸ばせば触れる距離に立っても、ノアが起きる気配はない。


「おーい」


 急に悪戯心がむくむくと湧いてきた。怒られるようなことをする気はないが、常に平常心を保つルームメイトの慌てた顔を見たい。

 どこかに紐があったはず、とポケットを漁って見つけ、さらさらの前髪を細く結ぶ。そのまま可愛らしくリボン結びにしてみれば、なかなかに似合っていた。


「……ノア、おいノア」


 小声で名前を呼んでも起きる気配はない。こいつもきっと疲れているのだろう。好都合だ。


「じゃあ今度は」


 実家から寮に持ってくる荷物の中にいつの間にか紛れ込んでいた、フリフリゴテゴテのリボン。どこに売っているんだと床を蹴りたくなるこのリボンは、どう考えても兄貴のお茶目だろう。はっきり言えば嫌がらせと悪戯。

 十三にもなって、と自分を棚に上げて呆れつつ、少し長めの横髪に手を伸ばした。きゅっと結んでみると、どう考えても面白い。中性的な顔立ちのせいかそこまで違和感はないのが少し悔しいが。

 そんなことを考えていたとき、唐突に鐘の音が響いた。

 リンゴーン リンゴーン リンゴーン


「あ、まずい」

「……ん……」

「あ」


 そういえば目覚まし代わりに鐘がなると、入学式に聞いた気がする。本格的な授業が始まっていなかった昨日までは鳴っていなかったが。


「……おはよう、レオ。君は早いね」

「……おはよう」


 笑いを堪えてプルプルしているのを気取られないよう、すぐに背を向けた。不思議そうな視線を感じながら着替えていると、いつの間にか洗面所に行っていたらしいノアが声を上げる。

 悪戯成功、と笑い、ノアに声を掛けに行く。


「ノア、案外似合うぞ」


 ただ意外だったのは、ノアがにっこりと笑ったことだった。黒い笑みでもなんでもなく、ただ嬉しいと言わんばかりに。


「おい……?」

「やはり君もそう思うかい? 可愛いね、このリボン」


 にこにこと指先でリボンをいじってご機嫌なノアに、ようやく俺は気づく。こいつ今、何かおかしい。どうしてあからさまな悪戯にご機嫌なんだ。


「おい、ノア。仕掛けた俺が言うのも何だが、落ち着け」


 顔を引きつらせる俺に構わず、ノアはご機嫌のままに洗面所を出、そのまま壁に勢いよく額をぶつけた。ずるずるとしゃがみ込むルームメイトに何を言えばいいのだろうか。


「…………ノア」


 ようやく分かった。要するに、俺のルームメイトは朝に弱いのだろう。

 額を抑えて呻くノアに手を貸してやり、間を置かずベッドに躓きざまにダイビングした彼を叩き起こした。もう貴族がどうとか言っていたらこいつとともに俺も遅刻する。




「悪いことをしたね。私は周りに人がいても全く気にならないんだ」

「気配で起きないか?」

「護衛がすぐ傍で待機している中でずっと寝ていたから。あと寝起きも悪くて」

「知ってる。というか今日知った」


 昨日まではノアの方が早く起きていて身支度まで整えていたから、俺はこいつの寝起き姿を知らなかった。見せたくなかったのかもしれないが、これから六年間同じ部屋で寝起きする以上、知らないのは無理だ。


「レオのおかげで遅刻を免れそうだ。助かったよ」

「そりゃ良かった」


 始業間近の教室は、すでにクラスメートでいっぱいだ。入学式から思っていたが、同じ服装、同じ年頃の奴らが一か所に集まっているというのはどうにも違和感がある。しかも制服は動きやすいが堅苦しい。クラバットという布を首元に巻いて縛っているため、首元が窮屈だ。


「クラバット、ちゃんと締めてって言っただろう?」


 不意にノアが俺の首元に手を伸ばす。

 入寮の後に制服を受け取った時、シャツとベストとズボンは分かるけど何だこの細長い布、と困惑していた俺に、クラバットなる名称と使い方を教えてくれたのがノアだ。


「未だに分かんないんだよな、これ。お前何で結べるんだ」

「何でって、昔からつけているんだからできるだろう」


 剣を握ってきたために、ノアの手は硬い。けれど貴族らしく荒れていない指が細やかに動き、きちんと締めなおす。ぐっと息がつまるような感覚に、思わずため息。


「首に何かをつけるって言うのがな……」


 そろっと緩めようと伸ばした手を柔らかく阻まれ、続いて笑顔のままに背を押される。逆らわずに自らの席に着いた。

 始業ギリギリだったため、すぐに教官が教室に入ってきた。この学校の教官は、生徒のようにシャツとベスト、スラックスにクラバットと、動きやすいが比較的礼儀正しい服装をしている。折角教官は制服がないのに、意味がない。

 こういう風景を目にする度、俺は生きていく世界が今まで生きてきた世界とは違うのだと思い知る。だからと言ってどうするわけでもないが。

 教官の号令に従って立ったり座ったりして挨拶を済ませ、席に着いた生徒たちに、教官は教室を見回して口を開く。


「本日欠席の者はいないな。では授業を始める」


 ノートを広げる周りの生徒たちに従って、俺もノートを広げた。ペンをインクに浸し、スタンバイ。昨日一日お試し授業のようなことをやった結果、筆記量がえげつないことを知った。ちなみに俺基準だ。


 この騎士学院で、俺たち生徒は七つの科目を修める。

 一つ目、この国の歴史。これは騎士とか関係なく常識として自分の国の歴史くらい知っておけということらしい。

 二つ目、法律。教養としての部分もあるが、戦争や防衛に関しては将来身近になるので困らないように。

 三つ目、剣術。騎士学院の騎士学院たる所以と言っていい授業だ。国防を担うための戦闘力を身に着ける。

 四つ目、護身術。剣を使わない戦闘方法を学ぶ。剣が折れた時、剣を弾かれたときに打つ手なしではどうしようもない。あとは相手を無傷で確保したいときとかに使えそうだ。

 五つ目、戦術。要するに、軍レベルの人数を動かす時に必要となるもの。指揮官には必須らしい。多分俺に要らない。俺がそんな上の立場になるとは思えないし。

 六つ目、魔法。騎士学院では主力となりはしないが、補助で使うことによって戦闘を有利にする。魔法が使えない者も知識を習得させられる。

 七つ目、基礎教養。正直これが一番俺には辛そうだ。ちなみに、薬草から薬を作る方法や応急処置の仕方などはこれで教わるらしい。もちろん、計算や言語などもこれ。


 今教卓に立ってあれやこれやと喋っているのは魔法学の教官。名前は昨日聞いたが忘れた。貴族の名前って長ったらしいんだよな。

 教室の横幅いっぱいを使った大きな黒板に、白いチョークで大きな円が書かれる。蛇足だが、この教官、円が恐ろしく上手い。歪みもなければスピードも速く、正直に言って驚いた。地味にすごい技術だ。


「魔法には属性があり、その属性は九つある。火、水、土、草、風、雷、光、闇、(そら)だ。最後の三つは使えるものはごく少数」


 淡々と話しながら、教官はさっさと黒板に書きつけていく。黒板の綺麗な円をまねたつもりが、楕円になった。もういいか。できるだけ急いで書き写しながら、心の中で教官の言葉を繰り返す。

 九つの属性、火、水、土、草、風、雷、光、闇、空。

 前の八つは聞いた事があるが、空というのは初めて聞いた気がする。空って空か? つまり何だろう。さっぱり想像がつかない。


「この九つの属性のうち、前の六つは大抵の魔法使いが使うことができる。ただ、後の三つには生まれ持った適性が必要だ。見たことがない者も多いだろう」


 コツコツと足音を響かせ、教官が教室の前の扉を開けた。何してるんだこいつ、と怪訝な視線を向けた先で、一人の大人がその扉をくぐって教室の前に立った。

 白銀の髪と瞳が、黒髪ばかりの教室の下で嫌に鮮やかだった。つまり、髪や瞳の色が変化するほどに魔力を宿しているのだろう。見たところまだ二十代前半に見えるその女性は、堂々と声を張った。


「初めまして、未来の騎士さん達」


 凛とした声と、笑顔の形に細めた瞳。どちらも酷く印象的で、興味なく眺めていた俺も視線を固定された。

 教室の中にいる誰もが同じ状況らしく、教室から音が消えていた。


「私はアイリス。これの……ええと教官にこれっていうのはまずいかしら……この人の昔馴染みで魔法使いよ。まあ見れば分かるとは思うけれど」


 教官をこれ呼ばわりして、修正した後もこの人と呼称した白銀の魔法使いは、教室を見回して、ふふっ、と笑った。肩の震えに同調して、彼女が身に着けている青いローブが揺れる。


「やっぱり子供って素直ねぇ。あとは魔法に免疫がないのかしら。今はこういう使い方を

する人はそういないのかもしれないわね」


 何の話をしているのか分からない俺たちに、白銀の魔法使い、もといアイリスはあっさりと種明かしをした。


「さっきの声と違うのが分かるかしら?」


 続いて魔法使いが発した声は、先ほどのように意識を絡めとる強制力は持っていなかった。凛とした印象はそのままだが、何かが違う。


「魔力を宿している者なら、コツを掴めば誰でも使えるわ。その効果は得手不得手や魔力量によって異なるけれど……難しい話はいいわね。要するに、私は声や瞳に魔力を込めたのよ」


 こういう風に、と続いて鼓膜を揺さぶった声は、俺の興味をどうしようもなく引いた。視線を逸らすことが難しい。


「話を聞かない相手なんかにも使えるわ。便利よー」


 上機嫌に笑うアイリスの肩を、横にいる教官が咳払いと共に叩く。


「楽しそうなところ悪いが」

「あら、ごめんなさいね。ええと、空属性だったかしら?」


教官に向けて首を傾げ、頷いた教官に微笑む。

腰にまで届こうかという長い髪を払い、アイリスはその場から消えた。

 無言ながら驚愕した教室の片隅、幸か不幸か俺のすぐそばに現れたアイリスが、事も無げに「こういう感じね」と再び姿を消す。

 次に彼女が現れたのは、教室の窓辺。のんびりと窓枠に腰掛け、「この学校って城門しか見えないわね、つまらないわ」と宣い、次の瞬間掻き消えた。

 脳内で大混乱が起こっている生徒たちを尻目に、アイリスは悠然と教壇に現れ、教官の肩を叩いた。


「こんな感じでいいかしら。分かりやすいものを選んだつもりだけれど」

「いいんじゃないか。生徒たちの顔を見る限り」


 慣れているらしい教官と、どこか悪戯小僧のような笑みを浮かべるアイリス。二人は茫然自失を絵にかいたような生徒を眺め、頷く。


「この人から、空属性の話は聞いたわね? 私は珍しく空属性を持っているのよ。流石に光と闇はそうでもないけど」


 そうでもないけど持っているらしい。最早どこに驚けばいいのかすら分からない。情報量を調整してくれ、俺の頭の容量レベルで。


「空って便利な魔法に見えるでしょう? 実際に便利なんだけど、魔力消費が大きいからおすすめはしないわね。空属性は……あとはこんなものとか」


 ちょっと借りるわね、と一番前の生徒の机に指を向け、スイッと指を振る。その動きに従うように、ペンが宙に浮いた。よく見れば、そのペンは微かに銀色の光を纏っている。


「返すわ。ありがとう」


 そのペンがアイリスの手元にたどり着くと、今度はその手のひらの上で白銀の光がなにやら複雑な模様を描く。図形だろうか、と目を凝らした先でペンが消えた。俺は真顔になった。

 トン、と小さな音が聞こえ、そのペンは持ち主の生徒の下へ。一瞬でペンが移動したらしい。

 何だかこの数分で、俺の常識が次々と覆されていく。


「まとめるわねー。空属性っていうとイメージが掴めないかもしれないけれど、つまりは移動とか浮遊とかよ。空間、時空って言えば分かるかしら」


 呆気なく情報を整理したアイリスは、ポン、と教官の肩を叩いてつま先を出入り口に向けた。コツ、と足音高らかにアイリスが歩を進める。


「義理は果たしたわ、来年また呼んでちょうだい」

「お前に思いやりというものはないのか。説明が端的すぎる」

「必要ないわよ。図書館って何時までだったかしら」


 苦々しい教官の言葉をさらりと流し、アイリスは最早図書館にしか興味がないと言わんばかりの態度で尋ねる。色々図太い。


「……夕方五時には帰れ」

「じゃあ迎えに来てちょうだいね。あと仕事の後でいいから夕飯奢りなさい」

「断る」

「あなたに拒否権はないわ。じゃあね」


 余韻も何もなく、すたすたとアイリスは教室を出て行った。ひらり、と生徒たちに向かって手を振ったのは見えた。誰も反応できなかったが。


「とりあえず、先ほど見たのが空属性だ。魔法大国と周辺国から称される我が国でも、空魔法の属性と、かつ自在に使え得るほどの魔力を有する者はほとんどいない。あれは希少種だと思えばいい」


 希少種。希少種って言ったかこの教官。希少種って、人間相手に使っていいのか、いいんだろう。


「それでは次に」


 再び教官がチョークを握ったその瞬間、教室の扉が開いた。


「ねえ、図書館ってどこだったかしら? 一年ぶりで忘れちゃったのよね」


 ひょっこりと扉から見えたのは、白銀。言うまでもなく、先ほどの色々衝撃的な魔法使いだ。黒板に向かっていた教官が、首だけでアイリスを振り返る。


「向かって左、突き当りを右に行けば階段がある。上がった先だ」


 感情なく淡々と説明をする教官は、既に諦めの境地だろうか。この魔法使いと友人関係を築いているとすれば、それだけで尊敬に値する。

短時間で、俺はこの魔法使いのことをそう認識していた。俺には無理だ。


「左、右、階段ね。ごめんなさいね、授業中に」

「いいから、大人しくしていてくれ」

「分かってるわ」


 カラカラと扉を閉めたアイリスは今度こそ姿を消す。さて、と授業を再開した教官が、ふと廊下を覗き込む。直後、教官の顔が引きつったのが見えた。

 次に響いたのは、初めて聞いた大声。


「逆だ‼ いっそ帰ってくれ頼むから!」


 怒声とも懇願ともつかぬ声を上げた教官は、俺の中で〝クールだけど割と面白い奴〟として認識された。〝苦労人〟でも構わないが。


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