4 入学式
静かで厳か。要するに俺の気質ととことん合わない空気の中、堅苦しい制服を着て、騎士学院入学者は入学式とやらに強制参加中だ。
何だよ入学式って。お祝いの言葉なんて赤の他人からもらって嬉しいものでもないし、注意事項や心得なんてものは紙に書いてその辺に貼っておけと思う。時間の無駄だとしか思えない。
冗長な挨拶を右から左に流し、俺はこれからの生活に思いを馳せていた。
昨日の入寮の時点で分かっていたことだが、この騎士学院は規則がやたらと多い。しかも忙しい。
六時起床、六時半朝食、七時半から八時過ぎまで朝練こと剣の稽古。八時半から教室などで授業。それを十七時まで続け、放課後は自由。ただし二十一時には寮長によって点呼が行われるため、それよりも早く眠ることはできない。しかも課題も多いらしく、勉強嫌いな俺には辛そうだ。
「祝辞は以上でございます。次は、主席入学者による挨拶です」
やっと長い話が終わったかと顔を上げた俺の耳に飛び込んできたのは、俺が唯一知っている貴族の名前だった。
「主席、ノア・ライムライト。前へ」
あいつ、主席だったのか。頭良かったんだな。
話し方からして頭がよさそうだと思ってはいたが、それが貴族の中で比べてどうなのか俺は分からなかった。
名前を呼ばれ、短い返事が後ろの方で聞こえた。自由に座っていいと言われた入学式での席で、一緒に来たのに関わらずノアが後ろの席をとったことにようやく合点がいった。席の並び方では、確かに後ろの方が通路へと出やすい。
通路側を取った俺のすぐ横を通り抜ける時、ノアは一瞬だけ視線を向けた。見返せば、微かに笑みを浮かべている。
「余裕だな」
唇だけで呟いた声を読み、ノアが笑みを深めた。
「どうも」
やはり余裕らしいと笑みを浮かべた。こういう場面に慣れているのだろうか。俺だったら緊張するか、いっそ開き直るかのどちらかだろうな、と暇つぶしに思考を巡らせる。
そうこうしているうちにノアは壇上へとたどり着き、美しく一礼。すっと顔を上げ、穏やかな微笑みを唇に、口を開く。
「この度代表挨拶をさせていただきます、ノア・ライムライトと申します」
滑らかな口上を述べるノアに、こいつの話も長そうだと視線を外に投げる。
「国の光たる騎士となるため、研鑽を一心に積みましょう。以上です」
思わず二度見した。
おいこら。いいのか、一言で。
微かに騒めく一同に、今回ばかりは同意する。こういう挨拶がどういうものかよく知らない俺でさえ分かる。早すぎるだろう。
再びきっちりと一礼をして壇上を降り、通路を戻ってくるノアに苦々しく視線をやれば、当の本人はいつもと変わらぬ笑みだった。
いいのか、お前。それで。
訳が分からないからもう知らない、と背を椅子に預け、俺は長く続くであろう次の挨拶に目を伏せた。
「お前な」
「仕方ないだろう、何も言いたいことなんて思いつかなかったんだから」
入学式を終え、ノアと並んで帰る途中。ぼそりと漏らせば、悪びれた様子など欠片もなく、ルームメイトは笑った。
「大体、もう皆話に飽き飽きしていただろう? だったら早く終わらせてあげようって思ったんだ」
「貴族は長い話が好きなんじゃないのか」
「ああ、あれ? やろうと思えばいくらでも話せるけど、面倒だろう?」
面倒とか言ったぞ、こいつ。おい貴族。
「特に、君だね。もう暇になってうんざりしているのが丸わかりだったよ」
ふふ、と楽しそうに笑みを浮かべるノアに怪訝な視線を送る。ノアは俺よりもずっと後ろの席に座っていたはずだ。
「お前、俺に何か目印でもつけてるのか」
制服の襟を引っ張って視界にいれるが、特に変なところはない。制服の着方も寝癖も、すべてノアによって朝確認された。故郷の悪ガキじゃあるまいし、背中に紙を張っておくような真似はしないだろうが。
念のために背中を確認し、何もないことに安心した。もしそんな事態が発生していたら俺はいい晒しものだ。
「そんなことしなくても、君の事なら分かるよ」
場面が場面で相手が相手なら恐ろしく甘ったるい意味を持つだろう言葉を、恐らく無意識に放ったノアに、俺は思わず天を仰いだ。この素直すぎる天然野郎をどうにかしてくれ。
ため息を一つ。そう思った理由を聞けば、簡単なことだよとノアは頷いた。
「入学式の二時間、君だけが動いていたから」
「は?」
どういう意味だよ、と眉根を寄せた俺に、ノアが楽しそうに笑みを深める。
「私たち貴族は、こういう式典に慣れていてね。幼い頃からああいう場では、姿勢を崩してはいけない、表情や視線も固定しろと躾けられるんだ。だから」
「ああ、なるほどな」
ノアを遮り、思わず納得して頷いた。
俺は二時間もつまらない話を聞かされてじっとしているなんて状況、今回が初めてだ。故郷にいるときは基本的に休むことなく動き続けていたから。
おかげで時々姿勢を変えたり、あちこちを観察したりして気を紛らわせていたわけだが、それでノアは俺を特定したらしい。
「貴族って楽な職業だと思ってたが、案外きついんだな」
「そうだね。まあそういうものだと思っているから」
当然のようにこいつも二時間ピシッとしていたのだろう。頭の中で何を考えていたのかまでは分からないが。
貴族って……、とうんざりしている俺をクスクスと笑うノアに、とりあえず軽く小突いておいた。
こういうの、対等っぽくていいよね、と笑うノアに、俺はもう何も言いたくないくらいに疲れ果てた。このまま寮のベッドに飛び込めるなら万々歳だが、これから普通に授業があるらしい。鬼畜の所業だと思う。
「初めての授業だね、レオ。楽しみだよ」
「お前はなんでそんなに元気なんだよ……」
心なしかテンションの高いノアを横目で見れば、ノアは声と言葉に違わず気分よさげに微笑んでいた。嘘だろ。
「うん? あのくらいなら平気だよ。もっと長い式典もあるからね」
「うわ……俺は貴族にはなれないな」
疲れを詰め込んだため息を零した俺に、ことり、と最早見慣れた仕草でノアが首を傾げる。
「生まれが庶民だとしても、騎士団に入った後に成果を上げられれば爵位をもらえると聞いた事がある。君も貴族になれる。不可能じゃない」
「は? おいノア」
訳の分からない話を唐突に始めたルームメイトの表情は至極真面目で、それが冗談なのか本気なのかの判別がつかない。
「そうしたら本当に上下関係はなくなるね。うん、それは嬉しいな。ねえレオ、君が貴族になったら楽しそうだと思わないかい?」
普段よりも饒舌なのはやはり機嫌がいいからだろうか。
思わないと即答しようとしたのを留めたのは、ノアが心底嬉しそうにこちらを見ていたから。本当、この貴族様は自分の何が気に入ったというのだろうか。貴族であるこいつの周りには優れた人間が集まっているだろうに。
「上下関係をなくしたいんだったら、お前が貴族をやめるって言う選択肢もあるぞ、ノア」
ノアにつられて少々テンションが上がってしまった俺は、戯れでついそんなことを口にした。当然、それは無理だという答えを期待して。
ただ、俺はまだこいつを見くびっていたらしい。
「その手があったね。うん、いい案だ」
迷う暇なく受け入れたノアに、俺は即座に止めろと彼の頭を引っぱたく羽目になった。この天然は考えが読めない。
こいつを見くびってはいけないと、俺は密かに心に刻んだのだった。