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37 予兆



 冬場と言えども、全力で動き回った後は酷く暑い。凍てつくような外気が熱を奪っていくのを心地よいと思う程度には体温が上がっていた。流石は騎士学院、新年だろうが訓練に容赦がない。


 視界の端で、ふと何か光った気がした。なんだ、とそちらを見る前に、隣を歩くルイがぼそっと呟く声が鼓膜を揺らした。


「次は基礎教養か。少し気を抜けるな」


 短い冬休みはあっという間に終わり、騎士学院は早くも日常の空気を取り戻している。授業も昨日から始まり、次は俺の嫌いな基礎教養だ。げんなりする。

 そんな憂鬱なタイミングで聞こえたルイの台詞は俺とかけ離れていて、思わず空を仰ぎたくなった。この優秀野郎。


「一回言ってみたい台詞だな、それ。お前の頭の良さを少し分けてくれよ」

「え?」

「どうした?」


 俺の台詞に、ノアとルイが驚いたように俺を見た。


「ん? 俺なんか変なこと言ったか?」


 いつも通り基礎教養が嫌いでできないだけなのだが。

 周知の事実だろうに、ノアは怪訝そうにし、ルイは驚いて瞬きを繰り返している。


「……おい?」


 顔を見合わせた二人は、心底不思議そうに会話を交わしていた。


「ええっと、ルイ、さっき何か言っていたかい?」


 私が聞き逃しただけかな、とさりげなくノアは廊下を見渡す。つられて俺も見渡したが廊下にいる人はそう多くなく、すぐそばにいる奴の声を聞き逃すほどの騒めきもない。

 そして、ノアがぼーっとして会話を聞き逃すことはほとんどない。


 珍しいな、疲れているのかとぼんやり考え始めた時、ルイがきっぱりと首を振った。


「いや、何も。ノアは?」

「私も何も言っていないよ」


 ルイもルイで不思議なことを言う。ぼそっとした呟きではあったものの、何を言っているか容易に分かる程度にははっきり話していただろうに。


 ただ。

 この二人が同時に何かを見逃したり思い違いをしたりするよりは、俺が思い違いをしている可能性の方がずっと高い。つまり。


「俺の空耳か?」

「うーん……レオ、会話のようだったけど、さっきは何が聞こえたんだい?」

「あー……ルイが、次の基礎教養は気が抜けていい、みたいなこと言ってた気がするんだが」


 黙り込んだまま歩いていたルイが、それを聞いて何かに気が付いたように顔を上げ、口を開く。どうした、と視線を向けた時。


「お、レオ・リーベル、伝言がある。丁度良かった」

「げぇ」


 次の授業のために教室に戻ってきていたのだが、同じタイミングで着いた赤目の教官と目が合ってしまった。反射的に顔をしかめて足を止める。


「相も変わらず失礼なやつだな」

「基礎教養嫌いなので」


 そう返す俺の両隣、二人の友人は教官に対して目礼を残し、空気を読んで一足先に教室へ消えた。置いて行かずに助けて欲しい。俺も逃げたい。


「お前はもう少し歯に衣着せる物言いを学べ」

「まったく、こいつは冬休みを挟んでも変わらないな」


 不思議なことに、教官の声が二重に聞こえた。ただ、片方は比較的ぼそっとしていたが。


「……え?」


 ヒュッと音がして、視界の端で琥珀色の光が舞った、気がした。気づいて視線を向けた時には何もない。見間違いだろうか。


「レオ・リーベル?」


 何が起きたのか分からないまま、瞬きを繰り返しつつ教官に尋ねる。今何が起きたんだ?


「教官、今、何て言いましたか」


 その問いに怪訝そうな顔をしつつも、教官はおそらく先ほど言ったのであろう言葉を繰り返した。


「お前はもう少し歯に衣着せる物言いを学べ、と言ったが」


 ああ、そっちか。いや、そっちって何だ。

 さっきのは気のせいかと眉を寄せて考え始めるも、俺の頭には荷が重い。まあいいかと教室に入ろうとしたところで、聞き慣れたため息とともに頭を軽く小突かれた。振り向く。


「伝言があると言っただろう。聞け」

「あ」

「あ、じゃない。まったく……」


 会って数分ですでに二回目のため息を吐かれながら、俺は伝言とやらを受け取った。考えてみれば、苦労人の教官以外を経由した伝言は初めてではないだろうか。


「バイオレット教官は分かるか?」

「誰ですか」

「まあそうだよな。私の隣の席の、紫色の目の教官だ」


 そこまで聞いて、教官の言っている名前が指す人の顔がぼんやりと浮かぶ。いつも椅子を借りていた席の教官だったはずだ。多分。

 そう確認すると、ややバツの悪そうな顔で肯定された。ついでに付け足された情報によると、教官のもとには新しい椅子が届いたらしい。


「ええと、そのフ……ハ、いや、パ……紫の目の教官が何て言ってたんですか」


 数秒前に聞いた名前が思い出せない。我ながら不思議な現象だよな、と頭の隅で考えていた。直す気も直せる気もしないので諦めている。

 同じく諦めているらしい教官は何も触れずに話を続けた。楽でいいとは思うも、なんとなく癪ではある。


「面白そうだから今度じっくり話したいな、だそうだ」

「嫌です」


 迷う余地は欠片もなかった。


「少しは悩んでやれ」

「俺の担当の教官じゃないのに何話せって言うんですか」


 貴族とは極力話したくない。いつ何時ぼろを出すか分かったもんじゃないのに、必要以上に話すのは避けたい。


「大方、お前の珍しい魔力についてだろうな」

「俺もよく分からないんですけど」


 そうだろうな、と頷いた赤目の教官は数秒視線を横に流し、ぼそっと呟く。


「……ベイルード教官も呼ぶか」


 苦労人の教官は、やはり今年も苦労人らしい。

 仕事でも何でもなく、紫眼の教官の好奇心の被害を受けようとしている教官に心の中で同情した。彼を振り回す人間は多いらしい。

 そんなわけで、一見謎な面子は集まることになったのだった。






 指定されたのは一週間後の放課後、場所は魔法室。


「ねえイル、この珈琲黒いんだけど。あなたよく飲めるわね」

「珈琲は黒いものだろう」

「あなた何年私といるのよ? 珈琲はミルクがたっぷりないと美味しくないじゃない……う、やっぱり苦いわぁ」

「そう思うなら自分で淹れればいいだろう。そしてそれは私の分だ」


 魔法室の扉を開けると、そんなやり取りが飛び交っていた。言わずもがな、自由すぎる白銀の魔法使いと苦労人の教官だ。魔法使いは騎士学院(ここ)の教官でも卒業生でもないが、教官の邪魔をしに魔法室へよく来ている。本人が何のつもりで来ているのかを聞いたことはないし聞く気もないが、とりあえず邪魔をしているのは確かだ。


 魔法使いがソファで寛ぎ、教官は本棚の前で分厚い魔法書を手にしている。

 扉の開閉音で気づいたのだろう、教官が俺に視線を向け、手招く。


「騒がしくてすまない」

「いや、教官のせいじゃないですし」


 確実に白銀の魔法使いのせいだろう。実際、魔法学の授業の時に教官をうるさいと感じたことはない。むしろ逆の印象だ。


「あらレオ、最近はどうかしら……ってあららら」


 先ほどの会話からして教官のを勝手に盗ったのだろう珈琲に大量のミルクを入れている魔法使いは、その合間に俺を一瞥し、楽しそうに近寄って来た。


「アイリス、その珈琲は」

「あとで聞くわ、イル」


 ぎりぎりこぼれないくらいまでミルクを足されて湯気が消えた珈琲は、もはや黒より白に近い。しかも急速に興味が移った魔法使いによってすぐさま放置されている。

 もとは教官が自分のために淹れたものだろうに、と思わず同情してしまった。この自由人と友人でいられる教官を、俺は秘かに尊敬している。人間ができすぎているような気がするが。


 そんな失礼な感想を持つ俺に気づかず、白銀の魔法使いは俺の傍まで来て、頬を挟むように固定。じぃっと顔を覗き込まれる。怖い。かなり怖い。


「イル、あれあるかしら」


 白銀の瞳が微かに光を帯び、鮮やかな銀の光が瞳の中で緻密な紋様を描く。その紋様が描かれ終わらないうちに、魔法使いは教官を呼んだ。


「あれとは?」

「なんだったかしら、名前が出ないのよ」

「そうか。年を取った証拠だな」


 しれっと返す教官に、魔法使いは言葉もなく白銀の光を纏う。その光は瞳の中のものとは別の魔法陣を描き、完成した瞬間深緑へと色を変えた。瞬く間に魔法陣からぶっとい(つた)が勢いよく飛び出して教官目指して飛び出す。

 対する教官も同じく新緑の魔法陣を展開して向かい打つ。教官の魔法陣から姿を見せた蔦は魔法使いの蔦をはっしと掴んで止めていた。

 この間、二秒と経っていない。そして魔法使いに至っては俺と向き合ったまま、瞳の中で別の魔法陣を展開したままこの攻防を行っている。


「レディに年齢の話はご法度よ。貴族はレディファーストが身に付いているものだと思っていたけれど……イルはそうでもないみたいね?」

「間違ったことはいっていないだろう。それに、お前の私に対する扱いより大分優しいだろうに」


 二つの蔦が絡み合って押し合いへし合いしている最中、軽やかなノックとともに穏やかな声がかかる。


「ルティアスです。ベイルード教官、入っても宜しいでしょうか」

「……っ、ただいまお開け致します。少々お待ちいただけますでしょうか」


 教官はすぐさま魔法陣を消し、アイリス、と魔法使いの名前を呼ぶことで魔法陣を消させた。不完全燃焼で不満だと言いたげに眉を寄せる魔法使いに一切構わず、教官は服装を直しながら扉に歩み寄り、ゆっくりと開けた。


「お待たせいたしました、王弟殿下」


 胸に片手をあてて一礼。

騎士学院の教官が貴族式の振る舞いを見せる場面はほぼないが、流石は貴族、絵になる。


「ありがとうございます。ただ、今は王族ではなく教官としているので、ぜひルティアスと呼んでください」


 今の台詞からすると、紫眼の教官は王族らしい。

 俺は何度となく顔を合わせていながら、この時初めて知った。

 王族。


「…………」


 今更と言われればそれまでだが、今までの態度が不敬にあたらないことを祈っておいた。


「あ、僕が最後だったんですね。お待たせしました」

「まったくよ。タイミングも悪いし」

「アイリス」


 相手が王族だろうがどうでもいいと言外に告げる魔法使いを、すれ違いざまの苦労人の教官が窘める。教官はやはり身分差を無視できないらしい。


「お気にせず。他の教官の皆さんにも言っていますが、僕は今教官ですから後輩として扱ってください。ほら、ここってそういう学校でしょう?」


 にこやかというよりも楽しそうに、軽やかに紫眼の教官が笑う。

 やや茶目っ気を見せて片目を瞑った紫眼の教官に、魔法使いが面白いと言わんばかりの笑みを浮かべる。


「あら、あなたいいわねー。偉そうな貴族とか嫌いなんだけど、気にするなって言ってくれる貴族は好きよ」


 同感ではあるものの、何様だと突っ込みたくなる台詞である。反射的に窘めようとした苦労人の教官を目で制し、紫眼の教官はにっこり笑う。


「……そう仰るのであれば」


 根負けしたように苦労人の教官が告げたその一言で、謎面子の対談がはじまった。



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