36 元旦の夕べ ~ノア目線~
王都コリコットの中心に聳え立つ宮殿は、当たり前だがそこらの貴族の屋敷とは比べ物にならないほどに大きい。庭園に積もった雪との境界線が分からないくらい真っ白な城壁、白に沈む景色の中ではっきりと煌めくのは黒曜石でできているかのような屋根と細かな装飾。
騎士団の制服が黒を主としていることからも分かるが、魔法大国と呼ばれるこの国は漆黒を象徴色としている。強く、揺るぎない色。
「ノア、ほら見て。もう着くよ」
石畳の上を馬車が走る。ガラガラと鳴るその音を縫うように、リオン兄上の声が王城を示した。
「はい。……いつ見ても綺麗ですね」
一度王都のライムライト邸に立ち寄った私たちは、改めて身支度を整え、馬車に乗って王城へ向かっていた。既に太陽は見えず、微かな夕日の残滓が西の空を淡く彩っているのみ。それほど経たずに、空は漆黒の帳で覆われた夜の姿になるのだろう。
「ん、ノア大丈夫? 疲れた? 今日はかなりの長旅だしね」
馬車の向かいに座るリオン兄上が、ふと顔を覗き込んでくる。珍しく、その表情にも瞳にも揶揄いの色は見られない。窺えるのは微かな疲労と心配のみ。
同じ旅路でありながら疲労度合いに差があるのは、やはり流石としか言えない。もちろん、疲労を外へ見せまいとしているのは知っているけれど。
「そう、ですね。少し疲れました」
「だよねー。今日は早く帰りたいなぁ」
ふっと苦笑を浮かべるその姿に、やはり見た目以上に兄上も疲れているのだと悟る。数時間馬に乗りっぱなしというのは思った以上に重労働だったが、それは兄上も同じらしい。
「それじゃあ、まずは速やかに挨拶を済ませないとね。さ、二人とも、もうすぐ王城だよ。他の貴族もいるんだ、しっかりね」
弟たちの会話を微笑んで見守っていたアルトス兄上は、リオン兄上以上に疲れを見せない様子で笑みを深めて見せた。もはや上機嫌にすら見える。
「兄上は何でそう元気なんですかね……」
「まさか。私も疲れているし、何なら今すぐ屋敷に戻って眠りたいと思っているよ」
じっとりとした視線をリオン兄上から送られたアルトス兄上は、台詞に全くそぐわないにこやかな表情でそう言った。
「そんな風には見えませんけど」
「そうかい?」
ふふっと小さく笑い声を零し、アルトス兄上は内緒話をするように声を潜めた。
「久しぶりに可愛い弟たちに会えたからかな」
「はい?」
「あ、着いたね」
「……兄上。揶揄うのはやめてくださいって」
「ふふふっ。さ、二人とも支度して。リオンは前髪を直す、ノアはクラバットがよれているよ」
「まったく……兄上に敵う未来が見えないですよ」
兄上たちのじゃれ合いをぼうっと眺めていた私は、アルトス兄上の指示で我に返った。窓の外はかなり暗いが、王城がすぐそばにあることは分かる。
若干慌ててクラバットを直し、アルトス兄上のチェックを経たころ、馬車が止まり扉が開けられた。
「お坊ちゃま方、王城に到着いたしました」
馬車の中に流れ込んだ空気は、思った以上に冷えていた。反射的に身を竦めてしまう。
「……寒い」
私の隣で、リオン兄上がぼそっと呟く。
「ははっ、ローリアルよりは暖かいよ」
「そうですけど。……ノア、足元気を付けて」
アルトス兄上へやや呆れた顔を向け、先に降りたリオン兄上は肩越しに私を振り返った。
夜の帳が下り、金銀の小さな星たちが瞬き始める、そんな頃。
煌びやかな光を纏う王城へ歩く両親と兄上二人の背中を追うように、私はいつもの笑顔を浮かべて王城へと歩き出した。
「あら。ごきげんよう、アル様」
「おや、君の方が先だったんだね」
会場へ入ってすぐに兄上へ声を掛けたのは、アルトス兄上の婚約者だった。その瞳は極々淡い黄緑色。婚約してもう半年になる。
「あら、弟さんたちですわね。ごきげんよう」
私とリオン兄上は、年末年始と夏休み以外は騎士学院で過ごす。夏休みに一度顔を合わせたことがあるだけだが、彼女は逡巡なく笑ってみせた。
「わたくしのこと、覚えていらっしゃるかしら」
少し悪戯っぽい問いに、リオン兄上と一瞬だけ視線を合わせた後、それぞれ笑みを返す。
「もちろん。ごきげんよう、クリステル・ホワイトリリー嬢」
「夏休みに一度ご挨拶したきりでしたね。ご無沙汰しております」
ホワイトリリー家はこの国に三つある侯爵家の一つ、風属性の魔法と得意としている。魔力の色は淡い黄緑色で、たとえ魔力を多く持っていても淡い。
確か、今の領主はクリステル嬢の兄君だったはずだ。ちょうどアルトス兄上が婚約したころ、ホワイトリリー家は世代交代をした。
そんな情報を脳裏でなぞりながら、私、リオン兄上の順で一礼して見せれば、クリステル嬢はにっこりと嬉しそうに笑った。
「安心しましたわ、もし忘れられてしまったらどうしようかと」
「私の弟たちは記憶力が良いんだよ、クリス」
アルトス兄上のその言葉に、ふといつかのレオの言葉が蘇る。
『お前らはよくもまあ、人んちの情報がすらすら出てくるな……』
なるほど、あれは記憶力を褒められていたらしい。ただ、貴族子息であれば他家の情報を頭に入れておくのが普通であり、特別褒められるものではないと思うのだが、レオにはそう見えなかったらしい。
一人納得する私の隣で、リオン兄上がごく小さい声で呟くのが聞こえた。
「……あと何年あるのかな」
その意味を問う前に、リオン兄上は友人に呼ばれてそちらへ行き、私もルイを見つけてその場を離れた。
「ルイ」
青を基調とした礼服に身を包む友人は、私の声に顔を上げた。すぐそばには見覚えのある小さな少女の姿。
彼が私を認めた瞬間に群青色の瞳に明るい光がともるのを見て嬉しくなる。
「ノア。もう来ていたのか」
「ふふっ、もうって言っても、すぐパーティーは始まるよ」
たったの数日会わなかっただけで、随分久しぶりに感じる。毎日会っているのが標準になっているからだろう。
随分私も変わったようだと考えつつ、小さな淑女に視線を合わせるために少し屈んで笑う。
「ごきげんよう、アベリア嬢」
「あ、えっと……ごきげんよう、ノア様。お兄様のお友達、ですよね?」
ややたどたどしいながらもきちんと挨拶をした妹に、ルイが柔らかく笑って頭を撫でている。そういう表情は学院で見られないため新鮮だ。
「はい。あなたのお兄様にはお世話になっております」
「それを言うなら逆だと思うが……」
「いや、君が思っているよりも助けられているよ」
「……そうか……?」
首をひねって思い出そうとしているらしいルイに思わず微笑んだとき、会場のオーケストラが壮大な音楽を奏で始めた。
視線を動かせば、玉座に向かう国王陛下の姿も見える。
長い旅路の後だが、こちらも長い年賀パーティーが始まろうとしているらしい。
そう考えつつ、周囲の大人たちに合わせ、国王陛下に頭を下げた。
次回の更新はお休みさせていただきます。
申し訳ございませんが、お待ちください。




