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35 親愛 ~ノア目線~

投稿が大変遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

今回と次回は年賀パーティーのお話になります。


楽しんでいただければ幸いです。



 柔らかな声で、誰かが私を呼んでいる。夢現の中、もう朝が来てしまったのかと、名残惜しさに寝返りを打つ。


「ノア、ねえノアってば。……もう、だから昨日は早く寝るように言ったのに。また本を読んでたの?」


 誰の声だろう。私を起こそうとしているのだから、レオだろうか。けれど、レオの声とは違う気がする。よく知っている声なのだけれど。


「……んぅ」

「あ、起きた?」

「……りおん、あにうえ?」


 深い湖の中を水面に向かって泳ぐように、どうにか意識を浮上させる。ぼんやりと霞む視界が徐々に鮮明になる中、見慣れた淡い黄色の瞳を細めてリオン兄上が笑う。


「そうだよー。おはよう、ノア」

「おはよう、ございます」

「うん、ちゃんと起きたね」


 偉い偉い、と笑みの含む声で言ったリオン兄上は、私の枕元のベルを軽く鳴らした。チリンチリン、と涼やかな音が鼓膜を打つ。寝起きに聞くには少し響く音だなと、ぼんやり考える。


「お呼びでしょうか」


 ベルの音が完全に消えるより早く、扉を開ける音もなく、私の専属侍従が部屋に入って一礼した。ピシッと背を伸ばし、微かに笑みを浮かべている。


(ノア)が起きたから、準備を手伝ってやってよ。一人にすると寝ちゃうからさ」


 相変わらず可愛いよねー、と侍従に向けてお道化たように笑うリオン兄上への文句をすんでのところで飲み込んだのは、侍従が了承を示し一礼して見せたからだ。


「かしこまりました」


 アルカイックスマイルを浮かべる侍従は視線を私たち兄弟に向け、ふと相好を崩した。無機質な印象を受ける顔立ちの青年だが、時折見せる素の表情は柔らかく温かい。


「お二人は本当に仲睦まじくいらっしゃいますね」

「ふふっ、そりゃあね。こんなに可愛い弟を邪険にする理由がないもん。ねーノア」

「確かに、ノア様はお可愛らしゅうございます」


 私に向けられた兄上の笑顔は、弟を揶揄って楽しむ時のそれ。まったくもう、と思わず眉を下げる。侍従が確信犯的に乗っかるのも困ったものだ。


「兄上、揶揄わないで下さい。……君もだよ」


 咎めるように、けれど柔らかく視線を向けた先は、楽しくて仕方がないと言わんばかりのリオン兄上と侍従。兄上は意にも介さないが、侍従は形ばかりの謝罪を寄越す。


「失礼いたしました」


 幼子の頃から傍にいるだけあって、私の専属侍従を務める青年は比較的気安い相手だ。それは相手にとっても同じらしく、時と場合によっては気を抜いて接してくる。

 それを心地よく思っているも、リオン兄上と結託されては敵わない。そのため、時折釘を刺すようにしていた。


「二人のおかげで目が覚めました。準備は一人で大丈夫です」


 言いつつベッドから降りて立ち上がれば、兄上はひらりと手を振って部屋を出ていき、侍従はそれを礼で以って見送る。


「ノア様、今日はお手伝いいたします」


 退室しない侍従を不思議に思っていると、尋ねる前にそんな返答があった。


「どうしてだい? 学院では一人で準備しているし、できると思うのだけど」

「今日はいつもの服装とは違いますから。手伝いが必要でしょう」


 ああ、とようやく私は思い至る。

 今日は新年初日、つまり年賀パーティーが王宮で開かれる日だ。パーティー自体は日が沈む頃から始まるが、王都から距離のある北の都から行こうと思えば、日が昇る前に出かけなければならない。


「もう新年にはなったのかい?」


 視線を窓に向けるも、カーテンの隙間から見える外は真っ暗で、時間を推し量ることは難しい。


「ええ、つい先ほど」

「そうかい」


 素知らぬ顔でこっそり欠伸を噛み殺し、怠さの残る体を強制的に起こすため、ぐっと伸びをする。


(ふう)()ですら半日以上かかるのだから、もし風馬がいなかったらと思うと恐ろしいよ」


 風馬というのは魔獣の一種だ。一般的な馬よりも遥かに速く駆け、馬で数日の距離を一日足らずで駆けてみせる。伯爵たる父上が、長年の武功への報償として王家から下賜されたものだった。その数、二十。一伯爵が持つ数として、多すぎるほどだった。

風馬の能力が高い分、もちろん騎乗者に求められる技術や膂力、体力は並ではない。騎乗できるのは限られた騎士のみ、しかも身体強化魔法を施してだというのだから、非常に取り扱いの難しい馬だ。

 当然、子どもで騎士ですらない私が一人で乗ることは叶わず、護衛の一人に同乗させてもらうことになっていた。


 回らない頭でつらつらと考えている間にも、侍従はてきぱきと準備を進めていた。


「ノア様、お支度はこちらでよろしいでしょうか」


 今日のために仕立てられた真新しい正装を手に、侍従が私に視線を向ける。

 襟と袖に刺繍の入った白いシャツ、ベストとスラックスはカフェオレ色、クラバット代わりのリボンの中心で輝くのはライムライト色の宝石。全体的にシンプルで統一感があるものの、細かな装飾で彩られている。自宅である屋敷にいる時より、全体的に華やかだ。


「ああ、いいよ」

「かしこまりました」


 夜着を脱ぎ、パリッとしたシャツを着る。採寸や注文は夏だったが、サイズはぴったりだ。それに安堵するも、少し悔しい。


 侍従の手を借りながら着替えを終えて姿見で自分の姿を確認していると、すっと近寄って来た侍従が手早く髪を直す。


「この後は移動がありますから、王都に到着してからきちんとセットすることになります。王都には叔父がおりますのでご安心ください」


 王都までは風馬で行くが、風馬の取り扱いの難しさは言わずもがな、二十頭しかいないため最低限の人数で向かうしかない。そのため、侍従の彼はローリアルの屋敷に残ることになっていた。


「分かりました。……本当は、君にも来てほしかったけど」


 脳裏に浮かぶのは、鮮やかな群青の瞳を持つ侯爵家次男。私の友人だと侍従の彼に紹介したかった。彼は友人と呼べる人を長らく持てなかった私にとって大切な人だから。もちろん、二人の親友ができた今でも、大切なのは変わらないけれど。


 青年はふっと表情を緩め、目の前に跪く。


「ノア様」


 魔力の宿らない黒目が、今ばかりは柔らかく細められる。慈愛に満ちた表情は、まるで父親か兄のようで。


「お友達と楽しんできてください。次にお会いできる時、ぜひお話をお聞かせくださいませ。私はそれを心待ちにしております」


「……うん、分かったよ」


 支度を終えたリオン兄上がノックをしたのは、それから少し後の事だった。






 長い長い行程を終えて王都に着いたのは、ようやく顔を出した太陽がもう一度沈んでからのことだった。やはり、長い。


「ノア様、お疲れではありませんか」

「大丈夫。ありがとう」


 時折声を掛けてくれる護衛に笑みを向け、すぐそばまで近づいた屋敷を見上げてそっと息を吐いた。


 ようやく王都のライムライト邸に着く。


 疲れを訴え休息を求める体に応えて眠ってしまいたいが、それは許されない。これから身支度を整えて王城へ向かい、そこで開かれる年賀パーティーに参加する予定だ。


 レオは、今頃何をしているだろうか。


 華やかで仄暗い貴族の年中行事とは無縁の親友の顔が、ふと脳裏に過ぎった。休暇の前に交わした会話を思い出す。


『休み中の予定? あー……リーゼヴェルは雪積もってるだろうし、外で遊んでるんじゃないか。雪合戦とか』


 毎年そうだし、と呟いたレオは、雪合戦なるものを楽しみにしているらしく、にやりと笑った。


『雪合戦……確か、雪玉を投げ合う遊びだったね』

『ああ。前に話したっけか』

『君から聞いたことがあるよ。庶民は面白い遊びを知っているよね。貴族にも広まるといいのに』


 言いつつ、私は兄たちと雪合戦をする情景をイメージしてみる。楽しそうだが、庭師と父親に叱られそうだ。冬は年末年始があるため、屋敷への来客は多い。


『貴族が雪合戦してるのはもはやホラーだろ』

『え?』

『怖いだろ、なんか』


 お前らだけで十分、と微妙な顔で言ったレオの真意は結局聞けなかったが、どういう意味だったのだろう。


「ノア様?」


 ふいに護衛が声を掛けた。

 脳内で記憶を再生していた私は、夢から醒めたような心地で顔を上げる。


「うん? どうしたんだい」

「いえ、先ほどから笑っておられたので、何か楽しいことがあったのかと」


 きょとん、としたのは一瞬。

 また、ふっと笑ってしまう。


「少し、友人との会話を思い出してね」


 レオ、ルイ。彼らとの日々は、記憶の箱から取り出してみれば笑みこぼれるものばかり。いつの間に、これほどの宝物(きおく)ができたのだろう。


 護衛は数秒何も言わずに私を見つめていたが、やがて強面に微かな笑みを刻んで見せた。


「良いご友人がいるのですね」

「うん、いつか連れてきたいな」


 微かに笑みを浮かべた私を乗せた風馬は、開け放たれた門をゆっくりとくぐった。


「ではぜひ、冬が明けたら」


ライムライト邸の庭に積もった雪に、風馬たちの足あと模様がついていく。


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