34 雪合戦
年が明けて新年がやってきた。とはいえ、感覚的には何も変わらない。新年か否かなど見て分かるものでもない。
「さっむ……はっくしゅっ」
目を覚ました時には自分の上に布団類は一切無く、すべて床に落ちていた。道理で寒いはずだと呟いて冷たくなった布団を拾い上げ、カーテンの隙間から漏れる光から時間を推測した。すでに日は昇っているらしい。
微かな頭の怠さを振り払うように首を振り、氷のように冷え切った床に足先をつけて立ち上がった。そこまで冷たくないなと思うあたり、俺の足も冷えているらしい。当たり前か。
まだ兄貴が寝ているようなので窓を開けはせず、薄暗い部屋の扉を開けた。急に明るくなった視界に目を瞬かせつつ、いつもの習慣で居間へ向かう。
「おや、もう起きたのかい?」
「母さんこそ、いつもと変わらないんじゃないか?」
秘かな予想通り居間にいた母親は、すぐに振り向いて眉を上げた。
「目が覚めてね。そういえば、もう外は見たのかい?」
「見てないけど、なんで外?」
どういうことだと眉を寄せる俺に、母親はいいから見てみなさいと窓を指さす。答えを教えてもらうことはできなさそうだと窓を覗けば、視界の大半をしめたのは白銀の世界だった。
「え、うわ」
「道理で寒いわけだよ。今日はあったかい格好で外に行くんだよ、いいね」
窓に張り付くようにして顔を寄せる俺に、母親が朗らかに笑った。寒いから外に行くなと言わないあたり、俺の事をよく分かっている。
雪は音を吸収するから、雪が降ると静かになるのだと、いつだったかノアが言っていた。確か、あいつの故郷の話をしていた時だった。なるほど、言われてみればいつもより静まりかえっている。
ふうっ、と息を吐いて小さな淡い雲を作って、微かに笑う。雪景色は美しく、なによりわくわくする。まだ誰の足跡もついていないところに飛び込む誘惑は毎年抑えがたい。足跡をつけるのも楽しいが、ここは全身で飛び込むべきだろうか。
「レオ!」
つらつらと楽しく考えていると、甲高い声が俺を呼ぶ。耳慣れた、けれど久しく聞いていない声の出所を探して首を巡らす。
「帰ってきてたのね。教えてほしかったわ」
「一昨日の夜にな」
「なんですぐに教えてくれないのよ、もう」
コート、マフラー、手袋、ブーツ。
駆け寄ってきたモネは完全な冬装備。厚着のせいでシルエットがもこもこしている。動きづらそうだ。
「一昨日は夜遅かったし、昨日は大掃除」
端的な返事に、モネが仕方なさそうに笑う。
「じゃあ仕方ないわね。私も昨日は大きいお鍋でシチューを作ったから、昼間から忙しかったし」
仕方ないわ、とモネが肩をすくめる。口では面倒そうでも、案外掃除好きなのは知っている。普段はやりたくないけどやるなら徹底的にやりたいそうだ。
「知ってる。お前の家は昔からそうだよな」
「レオの家もね。他のお家にも年末ルールがあるし」
「あったなぁ」
幼馴染でわいわい言い合った年末ルールを思い出し、俺たちはどちらともなく笑みを浮かべた。お互いの家のルールはそこで知っている。
俺とモネは静まり返った白銀の町を並んで歩く。お互いにどこへむかうとも知らず、考えず、ただ真っ白な雪に足跡をつけていく。こういう、何もしない時間が俺は結構好きだ。何かに追われず、ただそこにいるだけの時間。学院はなんだかんだ忙しいからなぁ。
「ん?」
俺が不意に足を止めたのは、自分たちの足音以外が消えた静かな世界に、鮮やかで甲高い声が聞こえてきたからだった。耳慣れた子供の声だ。
「お、誰かいるな、これ」
「雪合戦でもしてるんじゃない? 男の子って好きよね」
理解できないと言いたげなモネに、否定できない、と笑いながら足をやや速める。雪が景色を大幅に変えているため分かりづらいが、おそらく空き地。そこを通りかかったとき、半ば予想していた通り雪玉が飛んできた。
「やってるな」
にやっと笑って飛んできた雪玉を掴み、そのまま投げ返す。ぎゃあ、と聞こえた声に危ないぞと能天気に言い返し、ぱっと子供の集団に駆け寄った。
「レオお前っ、危ないだろうが! 勢い良すぎるだろっ」
俺の投げ返した雪玉が向かった先にいたらしい男子が文句を言う。先ほど悲鳴をあげたのであろう、肉屋の息子だ。
「悪い悪い。反射で動いたからつい全力で」
「お前なあ!」
「ははっ、レオらしいじゃねぇか」
八百屋の息子がケラケラ笑いながら肉屋の息子を宥め、俺にニカッと笑いかけた。
「昔から力強ぇけど、学校行くようになってから余計だよな」
「そうか?」
自覚はないが、学院に入ってから訓練内容が多少変わったのもあって筋力がついたのかもしれない。父親が俺に課していた訓練に筋力トレーニングの類はないが、学院では定期的に行っている。
「で、レオも入るか?」
にぎにぎと手を開閉していた俺に、八百屋の息子が声を掛ける。
ふむ、とその場にいるメンバーを見れば、物心ついた時には既に一緒に遊んでいた幼馴染ばかりだ。つまり、遠慮がいらない。
「訊くまでもないだろ」
一切の遠慮が要らない遊びなんていつぶりだろうか。沸き立つ胸の内を隠し切れず、つい口角が上がってしまう。
「っしゃぁ! じゃあレオは俺らのチーム入れよ!」
八百屋の息子が即座に俺の手を引いたため、たたらを踏んだ。人の事をどうこう言っているが、こいつも大概力が強い。いや、単に遠慮がないだけかもしれないが。
俺の周りにはなぜか周囲に対して遠慮がない奴が多い。
「はぁ? レオが入ったらそっちが有利になるだろ!」
「早い者勝ちって決まってんだろ、こういうのは」
肉屋と八百屋の息子がぎゃあぎゃあと騒ぐのを傍で笑って見つつ、ふと、先ほどまで傍にいた存在を思い出す。
「あ」
まずい、つい放っておいてしまった。
ぱっと辺りを見渡せば、もこもこしたシルエットが見つかった。悪い、と声を掛けようとすれば、俺より先にモネが声を張り上げる。
「レオ、私はここで見てるわ。こっちに飛ばさないでね」
もしモネの方向に飛んで行ったら防げと言っているらしい。あいつは俺に対して、時々図々しい。まあ、そのくらいなら難しくないが。
「ああ、分かった」
声を張り上げた次の瞬間、言い合いが終わったらしい二人の少年に声を掛けられ、俺の意識はすぐに雪合戦へと向いた。
雪にまみれた服は体温で溶け、薄闇の町を歩いて帰った時にはびっしょりになっていた。
「……さっむ」
「まったくもう、馬鹿ね。毎年毎年、どうして繰り返すのよ」
行きと同じように隣を歩くモネが、ふふっと笑う。呆れというよりは、嬉しさや楽しさ、あとは安堵だろうか、明るい笑い声を静かな町に響かせた。
「まあ、レオらしくていいと思うわよ」
俺が馬鹿だと言いたいらしい。
相変わらず遠慮のない物言いだが、いちいち気にしていたら幼馴染などやっていられない。むしろ、幼馴染ゆえの気安さだと、俺はもう知っている。もちろん、他の幼馴染に対しても同じだが。
「ねえ、レオ」
ふと先ほどまでの笑みを消したモネが、静かな声で俺を呼ぶ。
「ん? ……っくしゅっ、悪い」
微かに首を横に振り、モネが小さな声で呟いた。
どうにか聞き取れた俺は内心で首を傾げつつ、触り心地のいい頭へと手を伸ばす。
レオ、王都にいても変わらないで。
「当たり前だろ」
下を向いたままのモネの唇が弧を描いたのが、横目で一瞬だけ見えた。
「来年も、再来年も、相変わらずお前に馬鹿呼ばわりされてるだろ、きっと」
「ふふっ、否定できないわね」
「否定しろよおい」
気安いやり取りを交わす二人の頭上で、星が瞬き始めていた。
全身びっしょりになった俺が、帰宅後に母親から叱られたのは言うまでもないだろう。
これも、毎年のことだ。




